呪われた聖剣
デリカシーの無いしみったれた糞長白髪は倒れ、臭いがキツい衛宮 鈴葉は司さんが連れて行き、執務室に残ったのは平均身長一メートル半以下な我々三人のみ。
「ま、何はともあれ任務ご苦労」
何とも云えない微妙な空気を、頭抜けて低身長というか幼児体型というか幼児まんまな燐音さまがそう締める。打開云々を気にしてはいけない。
「ユア。何か無礼な事を考えてないか」
「滅相もないっす」
即答。
疑問符を含めぬ冷涼な瞳に動じるは死を意味する。足場クラッシュ的な意味で。
数秒の空白挟み、まあいいと男らしく流す燐音さま。かっくいー。
「……それで、錬金術師はどうし――っッ?!」
嘆息をはさんだ台詞途中で何かに気付いたように勢い良く振り向き反転し――先日の再現みたく唐突に出現していた件の錬金術師と顔を合わせた。
ふわっ?! 隣の舞ぽんが驚愕に分類される息を吐く。揺れた頭、頭頂部に配置されていた軍曹とかいう無機物が床に転がる。
それはともかく近い。何がとは云わなくともほぼゼロ距離! しかもこのあたしと舞ぽんの見る角度的に、あれ、完全にアレだあ!
「あら、おねだりでずっっ」
あ、頭突きが鼻頭に入った。
いくら赤ん坊並みに非力な燐音さまでも、人体急所は痛いだろうなあ……てか痛覚は普通なのかあのなんちゃって不死者。悶絶してるし。
「うう……いきなり酷いですぅ」
「気色悪いわ! そしていきなり湧いて出るの止めろ!」
怒鳴る黒髪の隙間から見える横顔おでこはくっきり赤い。
そこをさする姿は愛玩小動物か。歪みきった表情がわりと台無しだけど。
「うふふ、人様の迷惑や都合を考えるようじゃ、錬金術師はつとまりませんのよ」
うわあ、そりはちょっと根絶えるべきじゃないかな錬金術師。
「というか何の用だ。茶番を続けるというなら無駄かもしれんが抵抗はするぞ」
警戒心を露わに執務机の表面を撫で、隠されていた罠スイッチを外気に露出させる。
ってあの、ご主人さま? それ押したらあっしらまで落っこちるんすけど。あのメイド長印のお仕置き部屋に。
「ねぇユア、あの赤いのって何なの? なんかちょっと押してみたいんだけど」
「あははー止めんかお子様。命を含めた大切なものが惜しければ絶っっっ対に突っつくな」
指をくわえたお子様が如きキラキラした眼差しを潰したくなる十五の夜。いや夜じゃないけど。
「うふふ、怯えながらも虚勢を張る貴女も素敵です。うさぎさんみたいで……食べちゃいたいのだ」
「むっ、なんかよくわかんないけどリッちゃんをイジメるなーっ!」
艶やかに笑いながら(除・目つき)ヤバい事を仰る美人に、両手を勢いよく振り上げ独特な威嚇を見せる阿呆の子。
あ、勇み足で無機物踏んだ。
「ふみ? ……ぐんそおおおおおおおお!?」
絶叫。その足下で恨みがましく中空を眺めるつぶらな瞳な無機物。
その隙になぜか細い肩に手をかける、鼻息荒い錬金術師。
挟まれた燐音さまの横顔が引きり青筋がたつのもやむないだろうや。
「……いい度胸だ、貴様ら」
そしてやおらスイッチに伸ばされる幼児の手、って待、
「討伐された焔蜥蜴の死体、どうなったか気になりません?」
足場クラッシュまで後数センチといった所で、本来は愛らしい二重が細められ手が止まる。
なぜかかけらていた手は離れ、執務机の周りを回る錬金術師を観察するように眺め、やおら手を戻す。
「訊こうか」
「消えちゃいました」
えらく簡単に不可解な事を、不可解な存在が口にしたね。
「消えた?」
「そうです。既に醜悪に侵されきっていた肉の器は、土に還る事すら無く塵芥と消えました」
「侵されきっていた、とは。何にだ」
率直な問いに、錬金術師は笑みの質を変えた。
つり上がった口角、外見だけは慈母のようだったそれが、正逆に成り代わる。
なまじツラが良いために、歪めばえげつない感じになる法則はここでも適用される。ぶっちゃけ背筋が冷えたね。
「深淵」
意味はわからないのに悪夢を思わせる響きにか、その単語の意味にか。主のか細く小さな肩が震えた。
相対する錬金術師はそれに気を良くしたように口角を緩めると、眦を細め転がる長白髪へと視線を移す。
「行儀が宜しくないですね。狸寝入りで盗み聞きなんて」
狸寝入り……? え、マジで?
「……なんだよテメェ」
うわマジだ。
私でも擬態を見抜けないとは、相変わらずその手の方面にゃ超人通り越した変態な技を持ってるな。ムカつく。
顎の骨を鳴らしながら、長身痩躯を起こしゆっくりながら立ち上がる元上司。いい角度で入ってたのに。
「……声に気配からしてあの変態なんだろうが、お前……」
元々宜しくなかった目つきが胡乱に細められ、どういうわけか蝶々に超進化した元フナムシというミュータントを観察するように。
しかしやがて諦めたように首を振る。後ろでまとめられた長白髪が腰辺りを右往左往。
「いや、いいさ。変態がどう変態しようと変態が変態であることに違いはない」
「真理だな」
「照れますね」
なんでだ。
「で、深淵って何だ。この期に及んで誤魔化すんなら、温厚な俺でも考えがあるぞ」
えらく態度がデカいな。幾らかマジで気絶してたクセに。
てか温厚?
「具体的には?」
「体中の関節を逆にひん曲げてウチのガキの餌にするぞ」
それが温厚なら世の中の半分くらいが聖人君子だよ。
「それは、幾らあの奥方でも腹を壊すんじゃないか?」
「ツッコむ所そこなのりっちゃん?!」
「あーあー、それは兎も角だ」
ひどく面倒くさそうに手を叩き、強引に軌道修正すべくこの場唯一の男が、頑なに名を名乗ろうとしない錬金術師を睨みすえる。
半分自分で逸らした話題を蒸し返すべく。
「とっとと説明しやがれ」
「どこから説明したものですかね」
キツい眼光に胡散臭い微笑みを返し、首を傾ける。様になってるのがまたむかつく。
「深淵ってのは何だ」
回りくどさを棄てた率直さに、錬金術師は黄金率を具現したような頬を笑みに染める。
「世界の掃き溜め、みたいなものです」
「掃き溜め?」
「ええ。ただただ悪なるものを溜めていくだけの、世界とは別の次元に存在する掃き溜めです」
「そこに循環は無い」
燐音さまが引き継ぐ。
やはり、なにか知ってるのか月城家。
「ただ際限なく、人の悪意、怨念、情念……そういう世界のおぞましいものが蓄積されていくだけの領域が存在する。今も痕跡が遺る先史文明よりも遥か昔、気の遠くなる程の古。深淵と名付けられた領域」
確か次元なんとか論……だったか。物理的な繋がりの無い、異なる世界が幾つも存在するっていう。
例えば神隠しという現象があり、大半は何らかの人災だとされているが、何件かはそれで説明がつかない失踪の仕方をしてるとか。
その場合じゃなくとも、宗教的な見方では神に見初められただのというのがあるが、なら神ってどこに居るんだぜ? という発想からの延長上。
故に世界は、人が住まうものばかりとは限らないとも。
その、人が住まない――というより存在することができない、まさに掃き溜めと言える世界。
そんなものが無い、なんて保証はどこにもありはしない。
「……何でそんなもんが焔蜥蜴に」
根本的な疑問。
焔蜥蜴は、その深淵とやらに侵されきっていると云われていた。他ならぬこの錬金術師に。
何故、物理的な繋がりのない、危険を通り越した世界のものが、この世界に?
「珍しくないこと、とは言いませんが。これからは珍しいが取れていくやもしれません」
「なに?」
はぐらかすような微笑みが、白髪の怪訝を流す。
「まあ、人種と違ってより純粋に世界に近い魔物が耐えきれる代物じゃないですから、放っておけば自壊はしますけど」
感染しない保証がありません。
続けて云われた言葉の重大さを、果たして隣で首を傾げるお子様は理解してるのだろうか。
この場での分かりきった事に関する考察は現実逃避でしかない。
というか何故こんな、現実感がないほど重大極まりない発表会に居るんだあたしら。いやあたしは近衛だからまだしも、なんで舞ぽんまで?
素朴な疑問をよそに、ドコまでも勝手な男は己の疑問を晴らすのに専念するばかり。
「……その言い方だと、人は別と聞こえるんだが」
「そうですよ。知性の無い魔物にまで浸食が広がったのは最近ですが、人への浸食はもう、随分と前から始まってます」
随分と前から?
魔物が、焔蜥蜴があんなんになるとかいう深淵なる異分子が人間に?
んなバカな。それならいくらなんでも広まらない筈、が…………っ。
そうか。個体にして規格を外れた存在。
それは元々、どういう連中を指す言葉だったか。
「……それは、まさか」
「そう、」
私の理解を汲むようなタイミングで、燐音さまが魔的なまでに厳かに頷き。
「深淵と感応し、浸食され、精神の変調と引き換えに超越的な力を得た人間は、人々にこう呼ばれている」
――異能力者、と。
夜半。
鳥も鳴かぬ月の夜空は、バイザー越しにもきれいに映る。きれいなのだろう、きっと。
周りがどうであろうと、眺める者の心境がどうであろうと。きれいなものに何の変わりもない。
ここ火山帯近辺の何所か。
「――(やめ、た、しゅけ、)」
月の下で死臭を放つ、赤い竜が紫に染まりながら、鳴く。
紫は魔物の血。
月光に照らされたそれは、死に化粧。
「ひゃはっ」
猟奇的なまでに真白い少年が、人の善性をくだらないと嘲るように、哄笑する。
力に酔い暴力に浸かりマガマガシク淀みきった凶器は、不思議と月の下に栄えるように思えた。
紫色に染まった巨体を睥睨し、踏みにじる、趣味の宜しくない魔性は哄笑を続ける。
「ひゃははははひ、はははゃはははははははひはははひゃ」
まず撃ち抜かれたのは巨大な翼、そして地を這わせたところで四肢。
その後もゆっくりと解体されて、今は元の三分の一の質量もないだろう。
寒気のする大地は紫色に染まり、その中心で命乞いをする巨体に気を良くした純白のケダモノは、なぶる事を止めない。
どういうゲスな流れでそうなったかは定かじゃないが、最終的にボロ雑巾にされた状態でゆっくりと脳髄を灼かれた物言う巨体は、物言わぬ死体と相成った。
いい加減に気が立っていた私の一太刀にトドメを刺されて、だが。
両断された頭が土砂に転がり落ちていき、首からの飛沫はやがて収まる。
剣を地に刺し、形ばかりの十字を切った。
「なんのつもりだ、テメェ」
愉悦から一転、玩具を取り上げられた子供のような不機嫌に染まる。知ったこっちゃないが。
「黙れよゲス」
殺すというならせめて一思いに。無駄に傷みつけるなんぞと……
なんて古臭い騎士道云々を語るつもりはないが、こっちにも我慢の限界がある。
延々と、気がおかしくなるような断末魔を聞かされる身にもなれ。
「ンだよ。例の焔蜥蜴仕留め損ねた鬱憤どォしてくれンだぁ?」
知らないね。
「格別だったッてのに、命乞いする竜種なんてレアなもん。あぁやっぱ一思いにぷちぷちって潰すよか、思うさま鳴かせながらスリ潰すのがなぁ」
聞くに堪えない狂気は無視、竜の首を両断した大剣を一振りし、魔血を拭う。ざっと見、模造オリハルコンの刃に刃こぼれは無い。
「おい無視すンな。消すぞ? その右腕みてェに」
「できるものなら好きにしろ」
狂犬の遠吠えに付き合うだけ無駄。
剣戟の際に外れた頭衣を回収し、まだ紫色の血をどうしたものかと思考する。
久方振りに見たような気がする己の横髪の枝毛を眺め、嘆息。
獲物は先にとられ、その八つ当たりに胸糞悪くなり、噛みつかれる。
まったく碌な事がない。今に始まった事じゃない、が!
湧き出す殺意を伴い迫る白焔を、大剣を盾にしてやり過ごす。
……溶けた。
「ひゃひゃ! なぶンのはイイが、タマにゃじわじわねじ伏せンのも悪かねェ……!」
細く白い指が鉤爪状に突き出される。武術も戦術も無い、能力に依存しきった自然体。
しかし竜さえ完全に無力な異能を破れるものが酷く希少なため、意味はなくとも問題が発生してなかった歪な構え。有り得ぬ自然。熱狂するように白面が笑う。
こちらも嘲笑ってやった。だからどうしたと。
溶解して使い物にならなくなった大剣を投げ捨て、言う。
「節操無しの殺人狂が。恥を知れ」
さて取り敢えず腕の一本はへし折って躾るかと算段を巡らす。
そんな触発の隙間――有り得ぬ速度で、ふざけた気配が侵入してきた。
諍いを忘れた白い童も眉を顰め、視点を移す。
「あァン?」
砲弾が炸裂したような爆音が轟き、竜など比較するだけ馬鹿らしい質。
気配の主がクレーターを形成し、土砂をぶちまけ。
もうもうとした噴煙の中、現れたのは貴族然とした風貌の青年。
口笛を吹く白い異能力者。こいつと違い、夜よりは太陽の下が栄えるだろう色彩。
無言でクレーターから歩む姿に、能力依存の影は無く、むしろ磨き抜かれた武威を感じる。
それなりに鋭い眼光が竜の遺骸、そして私と異能力者に移り、警戒に細められていた眼が更に細められ、重圧が増す。
「異能の気配がしたから、急行してみれば……」
異能力者の重圧、上位者の睥睨。並みの人間ならそれだけで意識を保てぬだろうおなじみのそれを、鼻で笑う。
不愉快極まりないが、偶然にも隣に並ぶ異能力者と同じタイミングだった。
「……雪深 冬夜と、何者だ」
神経質な印象を受ける詰問。答えてやる理由は無いが、隣の獰猛な気配から要らぬ問答が起こるな、と諦観の息を吐く。
「そういうてめエは衛宮の兄の方か。随分違うじゃねェか、弟と」
「…………」
無言の間の後、威圧感が増した。
倍増と言っていいだろうそれは威圧ではなく、殺意すら通り越した、絶望的に濃縮された悪意。
行方不明とかいう弟の名を聞いてコレとは、聞いていた以上に情が厚いらしい。多分探しにきていたのだろうと意味はない辺りをつける。
そして唐突に、拳が振られた。
開戦の合図も何もない拳の一突きは異能の拳圧となり、空気を弾き大地を穿つ破壊の鎚となる。
「おォ」
恐らく竜の遺骸を盾にしても無駄だろう拳圧は、歓声をあげる白いのを盾にして凌ぐ。
その隙に、空間から"剣"を抜く。
居合いの要領で月光煌めかせる漆黒の両刃は、神速で背後に回り白いのを拘束しようとしていた衛宮を捉え――薄手のシャツを浅く裂いた。
良い身のこなしだ。異能に頼りきらずとも武にそい、鍛錬が刻まれた流れは見事の一言に尽きる。
まあ、それだけだけど。
「――なっ、あ?!」
驚愕の視線は無視し、不健康な白いのに端目を向ける。
案の定、口をへの字に曲げ目尻も吊り上がり、てめェなに余計なコトしてンだと不機嫌を露わにしている。知ったことか。
「命令する。貴様は先に行け」
「ざけンな」
だろうな。この戦闘狂で殺戮狂が、衛宮兄という極上の獲物を前に退くわけがない。
だが、異能力者同士の激突を今此処で許すわけにはいかないし、そんな時間もない。
なら、相性的に私が残った方が良いだろう。タダで退かせてくれる相手でもなし。
言うことを大人しく聞くような輩じゃないのがネックだが、ものはやりよう。
「――あいつと逢いたくは無いのか?」
それ以上の獲物を前にすれば、どうだろうか?
軋み、右腕が"在った"場所が幻痛を訴えるが、それも無視し、切り札の一つを持ち出した。
「…………」
口元の引きつりが歪みゆがみ、苦渋に満ちる。
ひねくれた捻れくねった性根は他者の施しを極端に忌むが――それでも譲れぬ妄執を宿した貌。
効果は覿面。
「ちっ」
舌打ち一つ残し、白いのが踵を返す。
流石に見過ごせないのか、衛宮の長男が突っかかるが、闇よりも暗い我が剣で牽制、阻む。
端正な顔は屈辱か悔しさかに歪み、歯ぎしりが聞こえてきそうな形相。
「何だ、貴様は。何故それを」
憎悪すら籠もった視線の先に私は居らず、月光を反射させて尚どす黒い剣にだけ向けられている――さもありならんか。
「何故、神器を持つ!?」
神器……ね。
確かに"コレ"は半幽物質で、異能殺しを有し、真なるオリハルコンで形成された神器である。
ただし、殺すべき異能――深淵に侵されきって変質した代物をそう呼んでいいのなら、だけど。
「神器を使えない異能力者は、神器保持者に勝ち目が無い」
当たり前を口にする。
過去の歴史から数多繰り替えされてきた不変を、呪われて変質した神器を手に、語る。
自嘲したくなったがぐっと堪え、元は穢れない湖畔のような光を宿していた神器――呪われた聖剣を握り、
「――貴様は、此処で死ぬか?」
夜風が髪を撫でる刹那、言葉を無くす若い"敵"に、淡々と問うた。