炎精杖
「……あ、」
無明の闇の中、背負ったままのバックパックから小型のカンテラを取り出し、明かりを灯す。
蝋燭よりはマシという明かりに照らされた通路のような場は、一見で随分に狭苦しいと分かる幅。
そしてそれ以上に暑苦しい。サウナにでもぶち込まれたような、耐え難い熱さ。
そんな中、同僚が呆然と息を零す。
込められているのは、
「ああ……あああっ!」
我を失った混乱か、上位である絶望か。
耳を塞ぎたくなる悲痛な響きが、狭い暗所をより暗く見せる。
「おい」
声をかけ、細い肩を揺する。しかし、駄目だ。
「ああぁあぁ、あああぁぁあああ……舞、が、舞がぁ!?」
「落ち着け」
少女特有の細い肩をさらに揺さぶる。
だんだんと力をいれるが、涙すら流される混乱は収まらない。
「落ち着け。おい、おい!」
「雨衣ぃ……どうしよう、舞が、あの子がぁぁ……!」
女の顔を、それも同僚のそれを叩くには抵抗があったが、頬を張った。
このままでは物理的にも精神的にも駄目になるという直感。責めは後で負う。
頬を押さえて濡れた目をしばたかせる同僚の手を引き、穴の奥へ進む。
いつ崩落するか、しなくともいつ襲撃があるか解らん狭所で立ち竦んでいるわけにはいかない。
退路は既に無い。赤竜の息吹で閉ざされた入り口を開く術は無い。
分が悪くとも、進む他ない。少なくとも赤竜と相対するよりは――俺達をここに逃がした舞程、危険じゃあないのだ。
そう、特殊な特性を持つ"らしい"右腕を意識しながら、反芻。
「……雨衣」
「……なんだ」
意識すれば、掴んだ左手からは震えが伝わってくる。
薄い防熱手袋越しからは柔らかさも体温も感じとれないが、それくらいは分かった。
そういえば突撃銃は落としてしまったか、随分と身軽だ。
「その……ごめん」
「……いや」
珍しく、しおらしい態度に何かを口にしようとして、何も出てこず、閉ざした。
危険な、危険極まりない役割を、よりにもよって新人にあててしまった。
今考えるべきじゃないにしても、やりきれない。
それは関わりの少ない俺より、同室で友人になったという同僚の方が重く受け止めているだろう事。
先からは熱波があり、後ろからは地響きが聞こえる。
地響きが続くのは攻撃されているという事……まだ保っているという事、そして再度の崩落の危険性が強くなってくるという事。
同僚が――特に女顔の同僚がどうなるとは考えにくいが。
分断されたという事実が、酷く重苦しい。それに、
「キツい割り当てにしてしまったな」
「…………」
キツいどころではない。赤竜……飛竜などという低級とは違う、本物の竜種。
相対してわかった。
勝てない。あれは死だ。
立ち向かえば死んでしまう、逃げる事さえ脚が竦む、そういう存在。
実際に脚が竦んだ。萎縮してしまった。思考が完全に支配された。硬直した同僚が視界に入らなければ、逃げる事すら思いつけたかどうか分からない。
そんなものを、押し付けてしまった。
地響きは呼吸のように続いている。段々と遠ざかっているのが解る程度で、小さくなりつつも続いている。
どうしようもない。どうしようも……だから、
「せめて、焔蜥蜴は討ち取らねばな」
それは俺にとっては只の任務でしかなく、新人の大事な取引材料である事にはあまり関わりがなかった、が……理由が増えた。
せめてあいつの妹が助かる材料を以て、新人に報いよう。
「……うん」
気味が悪いほど素直な同僚を伴い、汗を拭いながら無言で急ぎ、どれだけ進んだか。
穴の途切れから視点を下に向け見えたのは、急斜を描く岩壁の下、明かりなど不要なくらいこうこうとして赤く、ぐつぐつと煮だつ、世界の血液。
マグマだ。
同じく覗き込んだ同僚がひっと息を呑み、後ずさった拍子に転がる石片が落ち――目測にして五十メートル下のマグマに呑まれる様を見届けた。
呆気にとられている暇は無い。
マグマは、焔蜥蜴の水源に――生きるための水分に該当するという。
なら、この地血の中から此方を伺っているという可能性も、
「――伏せて雨衣いぃ!?」
同僚の叫びと、高温の余り歪む視界の先で何かが蠢いたのを、同時に認識する。
直後。異様な感覚。
カンテラを放り投げ、右腕をとっさに前に出したのはただの反射。
それはどれだけの幸運だったのか――マグマに浸かり、威力を倍した焔息を吸収した右腕を、見て。
心底からそう思った。
異様な感覚。初めてコレを我が物にした時のような閃光が、瞳孔と脳髄の隙間で瞬く。
情報の奔流。
――炎精杖S壱・義肢型。
接触した五百度以上の炎熱を吸収し、エネルギーとする。使用法――音声入力――内容――スペック――――全てが瞬く間に、頭に叩きつけられる。
吐き気すら伴うめまいに、意識が白く濁る異様な感覚。
「――い、雨衣、雨衣いい!!」
「、っ」
強引に揺すられる視界の先、赤々とした血脈の中から尾をひき飛び上がる焔蜥蜴。
――機能が確かならば!
とっさに右手を――右腕の形をした炎精杖を向ける。
うだる熱さは既に――マグマが視界に入る時点で臨界を超え、いっそ爽快感すら飛び越える現状。
汗で塗れてない箇所などなく、振り上げた袖から汗が滴り落ちる。
音声入力と、脳波入力っ!
「――炎熱開放っ、」
炎精杖の、右腕の爪先から手のひら、付け根まで、酷い火傷のような激痛が――情報通りに――はしる。
変形の痛み。反作用。それらは歯を食いしばって耐え。忍ぶ。
次いで、まるで強固な外皮を持つ魔物ののような硬質感。変化は瞬く間に――観てくれだけは平常だった右腕が、二回り程大きく赤黒い異形となる。
その先、同じく異形の魔性が口火を切った。
通常の焔蜥蜴では有り得ない跳躍力。赤竜並みの焔息。
抗するは、
「砲火ァっ!!」
手のひらから音声入力で放射される、吸収した熱量。放射の反動で踏ん張りが完全には効かず、たたらを踏んで同僚にぶつかり止められた。
その間、同質同量の炎熱が瞬きの間に衝突し――爆発。
静かながら、噴き抜ける凄まじい熱風が火口を撫で回す。
こちらへの熱波は、体勢を崩しながらも炎精杖で――そこまで意図はしてなかったが――腕に当たる範囲だけ吸収し、ここぞとばかりに再び硬質化。
情報によると、この見た目魔物のような鈎爪状でないと、吸収以外の能力は使えないらしい。更に吸収した熱量に比例して頑丈さを始めとした能力が上がる云々。
「……どこが杖だ!?」
「あわ、あわああわわあわ?!」
テンパる同僚を意識から外し、情報を再認識しつつ毒づく。
炎熱によるダメージはまず望めないだろうが、鈎爪としてならば、焔蜥蜴の外皮でも――マグマに再び潜った相手にどうやって肉迫する?
「何してんの?!」
甲高い声に振り向く。
通ってきた穴場の終点から真上の横、そう遠くない距離にある岩場から、端正な面に大量の汗を流しながらも引きつった形相でこちらを見下ろす、先程の崩落で埋まったはずの同僚の姿。
「ゆゆ、ゆゆゆユアーっ?!」
「生きていたか!」
「ったりまえだあ! 蜥蜴野郎の巣の出口は一つじゃないん――っていいからはよこっち来いイィ!」
切羽詰まった絶叫に応じ、断崖じみた足場に飛び乗った直後、空洞に焔蜥蜴が突撃し――崩落が広がる。
「うわ、あわわわわわ!?」
同僚が泡を喰って取り乱す。
断崖にまで余波がきて、砕かれた耐熱性が強い岩壁がが転がり落ちる音とそれがマグマに呑まれ溶解する音が、嫌なくらい耳についた。
足場が崩れたら、次にああなるのは――
「二人?! 舞ぽんは!?」
「分断されて外だ!」
そう言えば地響きが聞こえなくなっているが、大丈夫だろうな!?
「つかその腕――いやさ退避っ! ここは足場ヤバい!」
「、了解!」
思考停止してへたり込みかける同僚の手を取り、マグマの赤光のせいで源色からは放れて見える色の後頭部に追従。
黒地が多めな侍女服の肩にかけられた砂国生産の突撃銃の先がひょこひょこと揺れる。それを見て和む暇も無く、すぐ後ろの足場が崩れ落ちる。
「ーひゃあああぁぁっ……!」
魂が途切れる間際のような尻切れ声と繋いだ手からの負担から、同僚が落盤に足を取られたと把握。
とっさに踏ん張ろうとするが――落盤は広がり、俺も呑まれた。
「――――っっッ!?」
崩れるバランス、傾く上体、回る視点、耳を衝く悲鳴――サウナを超えるの熱気以上に肌を刺激する殺気。
思考停止の空白で、強引に視点を向ける。
此方に跳んでくる、赤い岩塊――
否。
捕食する為に上顎を最大に開き、最速で迫り来る焔蜥蜴の姿!
それを認識する以前。思考も恐怖も停止した一瞬。
死ぬ。
最期を漠然と意識して、ちらついたのは――頭の中を掠めたのは、酷く女々しい記憶。
――勝手に居なくなるなと涙を流す、幼い少女の姿――絶対に遵守せねばならぬ誓いの記憶。
「っ、」
歯を噛み、食いしばり、上体を捻る。筋肉が骨が内臓がきしむ。
しかし、
「――死ねるかぁアアアアアアアアアアアア!!」
鉤爪状の硬質の右腕を強引に振り回し、型も何もなくただ打ち下ろす!
吸収した熱量変換による怪力、鋭利な爪先から伝わる超高熱に、確かな手応え!
迎撃は成り、岩塊じみた巨体が苦痛にうめく。
衝突に角度が変わり、目が回る回転、胃から込み上げる浮遊感。
「――い、シェリー!」
甲高い声が、間近のか細い悲痛を上書きし、意識がより鋭敏に。
移ろう角度とタイミングを歯噛み伺い、落下していく焔蜥蜴を視界の片隅に、急速に近付く大地の血脈を捉えた。一瞬。
タイミングを合わせ、殴りつけるように右腕を突きおろし、
「――砲火ァアアアアアアーっッ!!」
焔蜥蜴のどこかを抉り付着した炎のような血が根こそぎ蒸発させ、音速超過の収束炎熱がマグマを衝く。
飛散するは大地の鮮血、人間が近寄れぬ自然の領域が猛り踊る。
対価は凄まじく、師匠に投げ飛ばされた時のような急速の浮遊感。途切れる悲痛と左手から伝わる藁掴みが如き握力。
せめて同僚に警告でもしておくべきだったかと舌打ちを――仕掛けてこらえた。舌を噛む。
平行して空中で姿勢制御、同僚を離さぬように通常に戻った両手で抱き締め――狙い通り、広めな足場があるポイントに転がる。
収束炎熱の反動反作用に逆らわず衝撃に耐え転がり、熱く厚い岩壁にぶつかり止まる。
……っつ、肩を打った。
「……ぅう、く……」
月城家侍女服並みの性能を持つスーツにはこれといった傷もないだろうが、派手にシェイクされた中身がキツい。
そして同僚は……駄目だ、白目剥いてる。
嘆息しながら身を起こす、同僚は痙攣しているがまあ大事無いだろう。白目と泡吹きくらい日常の範疇だ。
それよりと辺りを見回せば、やはりちょっとした広場並みの奥行きがあり、しっかりとした地盤のある地点。
多少は暗記した地図と照らし合わせれば、ここは焔蜥蜴の溜まり場の一つな筈……だが、居ないのは偶然、なのか?
「――いや……一匹居たな」
獣の威嚇音に視点を合わせれば、憎悪に濁った目で此方を見据える魔性の姿。
感じるのは害意を通り越した殺意で、僅かながら流血する顔面の凶悪さはそれだけで威圧効果がある。
明確な、そして避けえない驚異である。此方には意識不明の同僚が居て、幸にも出口に繋がるだろう獣道ならぬ蜥蜴穴から逃走は困難。
なれば、独りで迎撃せねばならんわけだが。単体の"人間"が打倒できた記録の無い、焔蜥蜴を。
まして、通常の焔蜥蜴からは考えられない能力を節々に見せる――恐らくは頭抜けた個体を相手に……
しかしさて、驚異だとは思いながら恐怖の変わりに――高揚を感じるのは……
我ながら現金なものだとは思い、放射して普通に戻った右腕を見て、肩をすくめた。
「強力な武器を得て、気が高ぶるとは……本当に現金なものだ」
自嘲に、僅かばかり弛んだ頬を締める。
蛇のような睨みを見せる蜥蜴に睨みを返し、いつでも飛びかかれるだろう姿勢に、右腕を伸ばす。
「だが、武器を持った人間の恐ろしさは……貴様らなど及びもつかない」
戦意には殺意で返され、コンマ秒の一動作で放たれる、過剰殺傷な炎熱の吐息。
しかしそれは最早驚異ではなく、衝撃すら後ろの同僚と退路に通すこともなく、吸収。
莫迦がと嘲笑い、音声入力と脳波入力。
「炎熱開放」
右腕が、焼けつく痛みを代償に硬質化する。
五本の指は根元から伸び、まがまがしく鋭利で、美しい程に攻撃的な鈎爪状に。
炎精杖……やはりどこからどう見ても杖には見えないそれを見て、
――ああ、これだ。
これならと、これなんだと思う。
力だ。
これは力だ。
待ち望み、渇望した、俺以上の力。
望んでいた熱に、吊り上がる頬を抑える事ができず、力を手にした歓喜に――もっとあのお方の、燐音様の力になれる――背筋を伝い心を震わす、望んでいた夢にさえみていた、感じた事のない歓喜に酔う。
――臆病者の衛宮鈴葉なんかより、もっと、俺は――
くつくつと笑いながら、こちらを観察か警戒でもしているように見据える産まれながらの魔性を、毒々しい鈎爪の隙間から眺める。
「来るが良い、蜥蜴野郎。新人の妹の糧になるせめてもの礼に――害する武器を手にした人間の怖さを教授してやる……!」