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謝罪

 静謐な空間に、同じ材質が接触する音が響く。

 対面――将棋盤の置かれた円形テーブルの向こう側に座り、やや疲労した風に頬杖をつかれる燐音様は、やおら緩慢に唇を開かれた。


「静流。貴様、舞の事は嫌いか」

「はい。許可が無くても殺したいほどには」


 うっすらと光沢を反射させる将棋盤、展開された同じ材質の駒の一つ、"成った"歩を回収。ああ、燐音様が触った駒。


「……ならばやはり、司しかないか」


 物憂げなため息を吐かれながら、私の陣中に食い込ませた御身の飛車を、芸術的なまでに――美しいという表現すら足りない御指で、つつと這わした。

 司に任す――例の、変態からの条件か。

 腹立たしいほどに健康な泉水 舞の、病巣に伏せる妹・泉水 冥の、治療。

 それができる可能性のある――言いたくはないが――希有な、というより唯一無二(オンリィワン)な存在。

 ソレが掲示した交換条件。

 火口に生息する魔物、とある焔蜥蜴(サラマンダー)の討伐。

 前提として、異能力者の協力は不許可。月城家の保有戦力のみで討伐隊を結成し、泉水 舞と九咲 雨衣を必ず参加させること。

 意味が解らない。前者も後者も全く意味が解らない。

 何故、病気の治療の対価に魔物の――しかも低級竜に匹敵する強力な魔物の討伐なのか。その程度をできない無能は数多居るが、変態に不可能とは思えない。というか変態の考えることは理解できない。


「指揮官に司。舞と雨衣は前提として、となると相性的にシェリーか。次点にあずき、瑠璃(ルリ)、ユアあたりから一人か」


 特に迷う素振りもなく、つらつらとそれなりに腕の立つ人員(コマ)の名を口にする燐音様。

 そこに私の名が無いのは――先のやりとりで除外されたのだと解っていても――僅かに黒いものがざわめく辺り、末期だと自認する。


「妥当かと」


 私と異能力者は選外として、樹までもが不在な戦力としては、これ以上ない小隊編成だろう。数値の上では。


「ただ、雨衣は使いものになりますかね」


 体裁が取れなくなりつつある自陣の飛車を逃がしながら、問題点を口にする。

 昨日今日、無駄な諍いを起こしてシェリー共々処罰をくらった雑兵の面を思い返す。

 訓練所から追い出して以降は遭遇してないが、アレが改善されているとは考えがたい。


「さて、舞か司辺りが上手いこと緩衝材になってくれれば。それか不確定要素が上手く影響すれば、或いはな」


 燐音様の桂馬が、取捨選択で逃がさなかった私の金将を仕留めた。

 ああ、思うさま蹂躙されている。燐音様に。

 燐音様に……私が……ぃ。


「しかし意が……何故身震いする。何故恍惚としている」


 言葉を止め、怪訝な眼差しで私を絡める燐音様。ああ燐音様、燐音様。


「いえ。燐音様が望むのであらば、私はMにも豚畜生にもなりましょう」

「……………………」


 月夜を思わせる瞳を閉じ、長く艶やかな睫を合わせると、燐音様は何故か天を仰ぐように上を向かれ、自重に負けて折れてしまいそうな細い御首を見せる。

 何か、背筋をかけるイケナイ衝動が私を揺らす、きっかり五秒間。


「……それにしても意外だな。雨衣は足手まとい認定で、見習いの舞はスルーとは」


 聞かなかった事にするらしい。ならばそれに応じるのが私の責務か。

 浅く息を吐き、スルーされた不定形の不燃物にフタをする。


「泉水 舞は、腹立たしいほどに筋が良いのです。些か基盤が偏っているうえに経験も無いのが難点ですが、偏り方が本質と特性に合っています。必要とあらば冷酷になれる素質も。将来的に――司や樹と比肩しかねない器を感じました」


 話が逸れた事に気を治されたのか、燐音様は引きつっていた瑞々しい頬を笑みの形に吊らせた。


「……くくっ。随分と厭そうな面で賞賛するものだな」


 厭、全くもって本当に厭なのですよ。

 面を見る度に声を聞く度に存在を感じる度に殺したくなるのです。しかし有能ならば役立つ。燐音様の為に燐音様の為にと、言い聞かせるのも大変なのです。小娘は衛宮の糞餓鬼程に頑丈じゃないし。


「嫌いとは解るが、何故そうまで嫌う」

「生理的に」

「貴様、生理的に嫌っている者が多すぎる」


 衛宮 鈴葉。アルマキス=イル=アウレカ、九咲 雨衣に柏木 司、シェリー=アズラエルに泉水 舞。程度の差はあれど――おっしゃる通りであり、同時に仕方ないこと。

 燐音様に懇意にされる者は全て――柔らかい表現で云うなら、"嫌い"ですから。

 それを口にした訳ではないが、燐音様は形の良い――私が手入れた眉を傾げ、歪めた。


「重い」


 まったくもってその通りだとは思います。


「すみません」

「まったくだ」


 ――燐音様が気付いてない筈がないだろう。

 故に、苦虫を噛み潰した顔を見せる燐音様。でも、そんな面もそそりますよ。

 とりあえず歩を燐音様の陣地に放り込むと、


「静流」


 表情を消した燐音様が、私の手元を指差した。


「はい?」

「二歩。貴様の敗けだ」


……おや。

 二歩――同じライン上に二つ目の歩を配置するのは反則。即敗北を意味する。

 気付けば、そう成っていた。


「……誘導されましたね」

「そこは急所に該当する箇所だからな」

「将棋には熟れていませんから」

「負け嫌いめ」


 ふわりと――誰もが見惚れ、魂の奥に刻まざるおえない極上の笑みを浮かべられる燐音様でした。
















 昼間だというのに、薄暗い。

 カーテンで仕切られているからだけど、なんだかあたしの心境を暗喩しているみたいだ。

 共用の二段ベッドの下、高くはないが安くもない毛布にくるまり、逸らしていた視線を扉の辺りに向けると、真っ直ぐにこっちを見据える同室(ルームメイト)の舞と、視線がぶつかった。


「それで、喧嘩して、そうなったの?」


 安い電光(ランプ)に照らされた表情は、冗談など許さない真顔のまま、舞は私の顔の一部を指す。

 鏡で見たら、青あざが出来ていたところ。


「ち、がう」


 何が違うのか自分でもわからないけど、それでも舞の発する何かが私に首を振らせる。

 かすれた声が、ひどく惨めでみっともないと思った。


「……わっ、私が先に態度悪いって罵って、それで、それで雨衣も怒って、胸倉掴んできて、それで触んなって先に手を出したのは私で、」

「シーちゃん」


 理解できない焦燥に駆られて口から出ていた言い訳が、有無を云わさず遮られる。抗い難い言霊とでもいうべきなんだろうか。言葉が出ない。


「なんでそれで、シーちゃんがそんなになってるの?」

「そんなにって」


 不思議だった。痛みや怪我には月城に来る前からそれなりに馴染みがあったし、理不尽な迫害とかじゃなくとも訓練とかで普通に生傷は絶えない。

 それは戦闘訓練で私に叩きのめされた舞だって、解ってる筈なのに。


「泣きはらした顔してる」


 変な息が出て、完全に言葉がなくなった。

 状態を示されたから、でなく。半分は。言葉と真顔の裏に、混じりっ気の無い熱を感じたから。


「痛いとか喧嘩したからとかじゃなく、もっと違うところ、けどやっぱり近いところで……じゃないとシーちゃんは、そんな風には泣かないと思う」


 そらされない真っ直ぐな蒼い瞳から、目をそらした。それは肯定を示すようなものだけど、見つめあっていた方が、耐えられなかった。

 まっすぐな目が、堪えられなかった。


「……ごめん、ちょっと、用事ができた」


 舞が静かに言うと、備え付けの椅子を小さく軋む音。多分、舞が立ち上がったんだろう。わかったのはそれくらいだった。


「……用事って?」

「ちょっと、野郎の体中の関節を逆方向に曲がるようにしてくる」


 体中の……関節……を?

 一瞬何を言っているのか解らず、その荒っぽいセリフの意味を考えた。備え付けではない給料で買ったタンスに、同じく桜模様のカーテン。壁にある赤黒い謎なシミを順番にぼんやりと眺め。

 ああ、と答えは出た。

 報復。

 殺人。

 理解が浸透するより早く、ベッドから飛び上がった。


「まままっ、待ってぇ?! それ、死んじゃう、雨衣が死んじゃう!?」


 部屋に一つしかないドアのノブを掴んでいた舞にすがりつく。


「ダメだよシーちゃん。女の子の顔に痣付けて泣かせるような(やつ)は、首と鼻の骨をへし折る勢いでぶん殴らなきゃいけないんだ」

「やめてえ! そんなことしたら、雨衣が」

「なんでそんなに喧嘩した奴の肩をもつの?」


 だって、そんなの、酷いこと言ったのに、その上殴って、喧嘩して……もう、嫌われても仕方ないことをしてる。

 雨衣に、嫌われる。嫌われ……いや、そんなのは、嫌っ。

 認めたくない一念で、見かけ以上に強い勢いで出ていこうとする舞を引き留めていた。

 それを見透かされたような、目だった。


「甘えるな、シェリー=アズラエル!」


 一喝。

 その、メイド長みたいな芯を感じる喝を、誰に云われたのか一瞬、本当に解らなかった。


「雨衣さんが本当に大切なら、余計に。悪い事は悪いって言わなきゃいけない」


 体勢は、怯んで一歩退いた私を、振り向いた舞が見下ろす形。

 射抜くような、引く気がない目だった。悪いことを悪いから、いけないことをいけないからと咎める、いつか見た(イツキ)さんや司さんみたいな眼差しだった。


「脅えてちゃダメ」

「おびっ、脅えって」


 口ごもる。何か口にしようとしてはいても、何も出てこない。真っ白。


「手が出て、傷とか付け合って、ダメなもの溜めてたもの、イヤなくらい汚いもの出し合って、すっきりするのが喧嘩なんだ。ずるずるずるずる後に引きずっちゃ、ダメなんだきっと。そういうのは」


 甘い事を言っている。

 そんなに上手くいくわけがなくて、そんなにうまくできるわけがない。人間ってのはそんなもので、私はその人間だ。

 事実として、私は、ポンコツになってる。

 真っ直ぐ見てくる舞とも向き合えず、同じ屋根の下にいて何考えてるか分かんない雨衣のことを考える。

 胸が痛い。吐き気がして、頭がいたくて体が重い。

 ダメだ。

 いざという時、こういう大事な場面、ダメなんだ、私。


「……ごめん。おねがい、おねがいだから、そっとしておいて。雨衣にも。おねがいだから……」


 最低だ。

 西方人だからとかじゃなく、それ以前の人間として最低だ。自分から雨衣にひどいこと言って勝手におびえて、しっかり心配してくれてる舞とも向き合えずに、逃げて、拒絶して。

 わたし、さいてーだ……

 舞から視線をそらしてすがってすすり泣いて、時間感覚なんかとっくに麻痺してるから、どれくらいの間が空いたか。

 ただ扉の前で静かに佇んでいた舞が、言う。


「逃げる事は、悪いことじゃない」


 穏やかで、どこか芯を感じる声。さして大きくないのに、よく聞こえ耳の奥に響いた。


「人間は弱いから、立ち止まることも逃げることも、たまには必要なんだ」


 受け売りだけど、と、僅かに角張った声をおどけさせる。

 ネガティブな肯定。

 なんだかそれは、日溜まりのような笑顔が似合う友人には、似合わないというか、違和感を伴う言葉に思えた。


「大切なのは、無理して逃げないことじゃなくて、逃げた後にどうするか」


…………


「あの時。あたしを泣かせてくれたシーちゃんだから、きっとあたしなんかより世界の不条理とか、理不尽を知っている。塞ぎ続けても泣き続けても、何も変わらないって、ほんとは解ってる筈だよ」


……身内を疑う事すら知らない天然の癖に、汚れを知らないお子様のクセに、舞のくせに。

 だからこそ……こんな風に、


「――ふ……む。なかなか……興味深い」


 なんかじーんてきてた隙間を縫うように、マイペースで独特で抑揚のない、空気を読まない声がした。


「だっ、誰?!」

「……あやしいもの、じゃない」

「いやあんたが怪しくなけりゃ不審者の半分が一般人になるよ!」


 と、二段ベッドと床との隙間から顔を上半身だけ出した奇人にツッコミをいれる舞。

 いやまあ、あんたの言い分は正しいんだけどね。


「……いつから聞いてた、あずき」


 眠たそうな目は無感動に半開きなままに、小ぶりな丸メガネを撫でながら、蛇みたいな身の揺すりでベッドの下から這い出る――同僚の名を呼んだ。

 ベリーショートの青髪と軽く汚れたメイド服を叩きながら、微妙な間隔をあけて、なぜか女の子座りで口を開くあずき。


「シェリーが、脅えてた辺り」

「微妙だね」


 なんでさっきのを現れ方を見て普通にツッコミを入れられるかにツッコミたい。

 つーか冷静に対応してるなお前らあっ!


「……葉山(はやま) あずき」

「え? あ、新入りってか見習いの泉水 舞です。よろしく」

「……知ってる。それはそれとして、シェリー」

「何さ」


 錬金術師並みに変な空気を放つ少女のぼんやりとした目が、あたしに向く。


「……そろそろ、立ち向かうとき……てかそうせざるおえない」


 その目には妙な確信があって、しかし結局意味はわからず。


「はあ?」

「大丈夫……今回にいたって、壁は脆い……わたしもその子も居る」


 わかるようなわからないような事を口にしながら、健康的とは言い難い指先を舞に――いや、その後ろの出入り口に向け。


「……というわけで……聞き耳たててるキミ。入りなさい」


 淡々と綴られた台詞の意味が、やはりとっさに理解できず。

 理解できないけれど僅かな空白を挟み、使い古された扉が緩慢に開き。

 ――姿を現した少年に、更に思考が凍る。


「ッ、雨衣!」


 もはや敬語もどきの面影すら無く、敵意すら孕む友人の声にも、不思議となんら感慨を抱けず。


「……盗み聞きをする気は無かった」

「言い訳は無用……そして泉水 舞。今は止した方が良い」

「……でも」


 納得できないように言いよどむ舞に、あずきは静かに首を振るう。有無を云わさぬ色を、眠たげな瞳にたたえて。

 あたしはそれを、他人事みたいに眺めていた。


「……まず、黙って聞いていた事を謝罪する。すまない」


 頭が垂れ、粗雑な黒髪を揺らす少年に、視線を向けた。

 驚きも悲しみも動揺も感じない。余りの事態に、完全に思考が死んでいた。


「その上で、言わせてくれ」


 面が上がる。片方、左目が見えない程に腫れ上がり、青あざを所々にこさえた面。あたしがつくった、あたしが殴った痕。

 右腕がないのをいいことに、あたしが傷つけた。


 ――何時までもうじうじうじうじ、右腕が無くなったくらいで、いい加減にしろこの根暗!! ――


 身が震える。

 自分で言った言葉に、自分がやったことに、震えた。

 強くなる事は、強いという事は、強さは、少年が――闘う事しか知らなかった雨衣が、大好きな燐音さまに示せる唯一のものなのに……だから落ち込んでたのに、任務の失敗に荒れてたのに、あたしはそれを抉ったんだ。

 なのにふさぎ込んで、友達に励まされて心配されて、あたしは――あたしは。

 惨めで馬鹿で愚かで、泣きたかった。それより消えてしまいたかった。雨衣の面を見るのも、雨衣に見られるのも耐えられなかった。

 でも、そんな権利はないと強く根付いていた。

 せめてあたしが傷つけてしまった雨衣の断罪を――或いは明確な拒絶さえ――受けなければいけない。

 それでも、あたしは――

 堂々巡りの激しい感情。忘我していたあたしの耳に雨衣の言霊(コトバ)が通る。

 頭がそれを翻訳するまで、間があった。


「……ごめんなさい」


 意味がわからなかった。それは謝罪で、悔いているようにすら聞こえて、発した雨衣は子犬みたいに沈んだ目をしていて、結局意味も解らなかった。


「……は……ぇ?」

「……事は俺の不徳と未熟から端を発した。それでその、お前を泣かせてしまった。お前は心配してくれていたのに……だから」


 一瞬だけ、慣れない事に焦るように困惑しているように恥じらうように視線をさまよわせ、


「……心配かけて、ごめんなさい」


 最後に、再び頭を下げる。

 ぎこちないけどきれいな、矛盾したものを感じる姿勢。ひょっとしたら、ここに来る前に練習していたのかもしれないと思い。

 それに一つだけ、うすぼんやりと理解した事があった。


 ――あたし、雨衣に嫌われてないんだ。と。


 現金で最低で最悪なあたしは、そう理解しただけで決壊した。






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