へたれとお兄さんと変態さんと
きっと気の迷いとか、若気のいたりとかそういう感じのものだったのでしょう。けれども家族の暖かさとか優しさとかどめすてぃっくなばいおれんすとかのおかげで、いつも通りを取り戻した今日このごろ。
同じく何時もの、基本的に優しいんだけど怒りやすいという難儀な性質を発揮したお兄さん。
謝っても泣いても喚いても時既に遅く、何故だか見覚えの少ない帰路(気絶的な意味)から、死路(そのままの意味)へと進路変更したお兄さんを止める術はありません。
かくて半泣きで強制連行された先、衛宮の訓練所である遺跡の最深部にて。
「へろぅ」
馴染みの深い最深部円形広場。半径にしてちょっとした公園ほどもあるここに何があったかは定かではありませんが、何かが有ったような威風を感じる広場、しかして私が生きてきた今までで血に濡れた記憶くらいしかないそこに、月城のお家の何やらよく解らない空間にあった、磨かれまくった鏡ばりにツルテカな壁と、操作端末が忽然と姿を表していました。
そしてそれにカタカタと月城みたいに打ち込む手を緩めず、気安い挨拶をしたのは、つい先日に月城の部屋で対面したばかりのボロ布纏う変態さん。
「なっ、なんっ、貴様、地形修復者!?」
「兄君とはお久しぶりなのだ」
なんだか小馬鹿にするようなからかいを含めたニュアンスは、顔を背けて一心に操作端末を弾いている後ろ姿だけで笑っているんじゃないかという印象があります。
驚愕を隠せないお兄さんいわく地形修復者。彼女の異名の一つで、地形が破壊された際、ある一定の間隔で元通りになっていることがあるという超常現象から肖られた異名だとか。お兄さんもお父さんも、恐らくはマグナさんも何度か世話になっている筈。
密林が更地になったり山脈が逆に抉れたり平地が河になったりするのは、異能力者からすれば切っても切れない繋がりです。残念なことに。
しかしてそんな地形が修復される瞬間には誰も立ち会えた事が無いという話ですが、どうやらお兄さんは現象の原因――彼女を知っているご様子。その矛盾は、私如きでは預かり知ることもできない秘匿事項という事でしょうか。くわばらくわばら。
「まああっしのことは気にせず、くつろぎたまい」
「出来るか不法侵入者! というかどこから沸いてきた?!」
そういえばここ、衛宮の家名を持つ人以外は月城や王室の人々でも立ち入りを禁止されていたような。
物理的にも、確かそういう風なせきゅりてぃを施してあるという話もあったような。
「きゅふふっ、かような障壁如きで、我が徘徊は止められんのだよー。くかきかきゃきゃかきかかか!」
片手に持った蛇の杖を振る、毛玉――月城よりも長い、そして桁違いなまでにボサボサふけだらけな髪の後ろ姿は、失礼ながら毛玉が躍動していれようにしか見えません――が、全体的に上機嫌に躍動。街中で公開すれば通報、連行のコンボは免れないだろう奇怪な笑い。
それよりお兄さんの歯ぎしりする音がこあいです。
「まともに答え、」
「しかしアレなのだな兄君。意外にブラコンの気があるのだな。ひゅーひゅー」
「潰すぞ、貴様」
あのお兄さん。それで何故私の太股を固定する腕に力を……いたいいたいいたい!?
「ケきゃきゃきゃ、やめたまい。希少かつ繊細な機材にまで被害を与えたくはないハズなのだ。うけきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!」
肩を痙攣させて殺気立ち、弟の太股を潰そうと躍起になっているお兄さんに、流石あの……あれ、そういえば名前知りません。とりあえずは変態さんというべきでしょうか。なんでもいいからタスケテください。
私の懇願と悲鳴に応答はなく。変態さんは奇声をあげ続けて笑い流します。
比例するようにお兄さんの苛立ちメーターも上昇。そろそろ私もガタガタしている時間と拘束された両足の感覚が無くなってきました。
色々とマズいことは、お兄さんの声音が某メイド長さま並みの低温で低音になっていた時点から察知していましたが、気分を害すとちょっとやそっとじゃ人の話を聞かなくなるという特性を持つお兄さんをどうしたものでしょう。タスケテ月城。
『とりあえず、無様にすっ転ぶなり話題を変えるなり兄を絞めるなりしてみるがいい』
SOSに対する唯一の応答は、脳内月城のめんどくさそうなお声だけ。幻覚か幻聴か走馬灯か。月城らしくまともな選択肢じゃないとこはこの際スルーしましょう。切実に千切れそうです。
話題を、話題……そうです!
「あのそういえばあなたのおにゃまっ」
……かっ、かんだああああああああ!?
「くふふ、れでぇに名前を聞く時は自分から名乗るものなのだよ、への字くん」
……すっ、すべった間違いを理解してくれたのは素直に嬉しいのですけど、への字くんてなんですか。後にタレでも付くんですか。
疑問には思いましたが、今はこの状況を打破すべくなんとか別の話題に……
「え、衛宮 す、」
「それは兎も角、諸君らはゾウリムシについて、いかな感情を抱くのだ」
うわ見たことないくらい強引かつ意味不明な軌道修正!?
てか名前教える気はありませんか。そうですか。
「草履というのは廃れたながら愛用者がほどほどに居てだね」
「さっきから何なんだ貴様は!?」
「くふふ、ではでゅは――本題に入るのだ」
――ひっ……
何の比喩でもなく、呼吸が止まりました。
一瞥。毛玉がほんの一瞬だけ振り返り、私と――未だ拘束されているのですから或いはお兄さんにかもしれませんが、それでも多分、私と、目が合いました。視線というにも生ぬるい矛先を、向けてきました。
「オモシロい奴にオモシロいコトを言っていたのだ、兄君。仕方ないからなんなのだ? 運命だの宿命だのがどうなのだ?」
お兄さんが息を呑む音がどこか遠くに聞こえ、何時の間にか端末を弾く音が消えていることに、ぼんやりとした心地で気づきます。
「気にくわないならば、何故潰さないのだ? 邪魔ならば、何故断ち切らないのだ? 諦観は賢明と停滞の温床となるというのに」
「貴様、突然何を、」
「所詮、全なる一とて束縛を望む。完全なる自由などどこにも存在しない。それが本質の一端であり、真理の断片。この百万世界の理のひとつなのだ」
杖を片手に、両の手を仰ぐように開き、演説でもしているような後ろ姿は、どこか祈りにも似ていて。
何故だか厳かで神聖な唄を拝聴しているような気分になる。異様。まるで、先日の、先程までのやり取りが完全な擬態であるような。
「しかして、絶対など存在しない。それこそが唯一無二の絶対」
仰ぐ手を下ろし、振り向く。ボロボロで洗った形跡すら無い髪が神官の法衣みたいに翻され――混じりっ気の無い金色の瞳を、私達に向ける。
「その体現である異能力者が、」
杖を持つ手が、小さいのに抗い難いものを感じさせる腕がこちらに、ゆっくりと伸ばされ、
「――そコまデダ」
この場の誰でもない声がして、闇が横切った気がして。
眼前の腕が、不自然に宙を踊った。例えるなら、川から跳ねた魚のように、腕だけが――切り離されていた。
「……のだ?」
陶酔がとけたような間抜けた表情で、腕を離された本人が金色を細め、
「――秤の?!」
お兄さんが僅かに身を屈めながら、驚愕を吐き出したのと、同時。
眼前の錬金術師さんが、"闇"に呑まれました。
一瞬、瞬きする程度の間で、小さな肢体から切り離された腕と、無機質に転がる蛇装飾の杖だけを残して。底冷えのする奈落みたいな暗闇に呑まれました。
唖然と、声を出す間もなく、その昔、とある錬金術師さんが見せてくれた"みきさあ"という機具が、肉と骨をぐちゃぐちゃに交ぜるみたいな音。
それが何なのか理解に及びません、理解してはいけないもののように思えて、身が震える。
「秤の国守……何を、そして何故」
赤黒いものが床を染める中、困惑よりも煮え立つものを口にしたお兄さん。
……"秤"の? 国守? あの、得体の知れない黒いもやもやが?
「不法侵入者ヲ始末シたマでデスが」
女性とか男性とか以前に、人間が出せるのか疑問な、声とは思えない音。
霧、というにもはばかられるような不定形。名状し難いナニカは、目も面も体も無いのに、私達を一瞥したと認識させます。強く、鋭く有無を云わせない視線。
――ん? あれ?
「不法侵入? どの口が謂うか!」
「私ハ例外デす。筋違イな八ツ当たりハ止めテ貰イタい」
先程とはくらべものにならない歯の軋む音。それは指摘が的外れではないことを暗に苛立つ所作。
それが意識に入らない、違和感。いや、既知感?
はっきりとしない漠然としたもの。だけど何か、なんなんでしょう?
私は、
「……知ってる?」
ともすればあの暗闇に消されてしまいそうな違和感を、至近にいるお兄さんにすら聞こえないだろうささやかさで、定義するように呆と口にした。
あの暗闇を、知っている?
見覚えはない。一度見れば忘れようもない非常識。なのに何故か、なんなのでしょうかこの違和感は?
「ソレにしてモ、遺跡ノ機能拡張とハ」
視線を外したのでしょうか。言いようのない圧力みたいなものが消えて、漂う漆黒がツルテカを撫でるように覆う。
「トモすれバ月城ヲ喚ぶ必要ガ、」
「そんなものは無いのだ」
靄がかった不確かな音声を否定する、明確な声。
視線と驚愕が場に浸透するのは、至極当然でしょう。
「いきなし問答無用でヒトをミンチにするとは、随分やんちゃなのだ。異能力者」
意識に割り込むように、最初からそこに存在していたように、闇と私たちの間に立つ、闇に呑まれたはずの変態さん。
「……ほゥ」
「先代あたりに教わらなかったのだ? 手を出しちゃあいけない相手を」
いつの間にか左手に収めた杖で肩を叩き、自身の切り離された血が滴る右腕を、きれいな右腕で持ち、異様にリアルな玩具みたいにぷらぷらぷらぷら弄びます。右腕で。
「……右腕が二つありますよ?!」
「いやツッコみ所が違う!」
え、え? 何かおかしいこと言いましたか私?
「いやいや、なかなかゆにぃくな目の付け所なのだ」
お兄さんのツッコミをやんわりと無碍にしつつ、変態さんは独立した右腕を放り投げ、双蛇の杖を振り、数秒前の自分の右腕を、無数の粉末状のナニカに、軽い破裂音と共に"分解"します。
キラキラさらさら、光を反射し舞い散る粉末吹雪。重なり反発しあい不可思議な幾何学模様に転じ、粉雪みたいに宙を踊り舞う。
元を考えれば風情も何もあったものではありませんが、それでも幻想的なみてくれは目を惹きました。
その端で闇が瞬き、萎縮したような気がしたのは、気のせいでしょうか。
「……っ、異能殺し……」
「茶番に付き合う気まぐれは無いのだ」
果たしてどのようなやり取りが暗黙に執り行われたのでしょう。不定形の闇の存在感が薄くなり、舌打ちするみたいな音がどこからか。
……舌もなければ口すらない闇がどうやって舌打ちしたのでしょう。いやそれ以前に喋れてますけど。そして存在事態が詳細不明。謎は深まるばかりです。
「錬金術師風情ガ」
「遺跡の機能を"生きて"教授して欲しいなら黙っておくのだ、異能力者風情」
「…………」
嘲り笑う変態さん。お兄さん同様、押し黙らずにはいられないらしい謎な闇。奇妙な緊迫が強まります。
ああ息苦しい。
「まあ、機能という肝心な機能はくたばってる所なのだがな」
変な胃痛すら催してくる緊迫の中、おどけたように肩をすくめた姿に、どういうわけか大道芸とかの道化師さんの幻影が見えました。
『……不味いな。逃げの準備をしておけ、鈴葉』
脳内月城が呼びかけもしてないのに退去準備を勧めてきます。
末期なんでしょうか。色々と。
「……くたばる? 遺跡の機能がか?」
遺跡の壁は、異能力者であるお父さんお兄さんがどれだけ暴れても傷つける事ができないという常軌を逸した頑丈さを誇りますが、その内面――錬金術師の皆さんがどれだけ頑張っても解析しきれない機能というのまでその限りであるかどうかはわかりません。
「何故でス?」
しかしてその内面に秘めたる情報技術がどれだけのものか。
既存の錬金術の技術、銃火器のノウハウまでその元々が遺跡の解析からきていることからしても、論ずるまでもありません。ゆえにそれが失われたとあっては――国家的な損失と見て過言ではないでしょう。多分。
「まああっしがトドメ刺したんでスけどネ! てへ!」
そんな損失を誘発したとかいう変態さんは、悪びれた様子もなく。
空気が軋む幻聴が耳の奥にこびり付くほど剣呑な問いを発する二人――片方は人かどうか不明ですが――に、空気を逆に読んでいるかのようなターンを決め、神経を逆撫でするようなステップを刻む変態さん。
そんな変質者さんを最初から気に食わないらしい謎な闇のヒトと、容赦の二文字をたまにはずみで忘れるお兄さん。この二方の次なる行動は、いくら凡庸な私でも予測は容易でした。
「……衛宮、援護ヲ」
「……いいだろう、秤の」
『――逃げろ、直ぐだ』
――脳内月城というある意味危ないような感じのする指示もあり、臨戦態勢に弛んだ拘束から脱出し、遺跡の退路へ向かって脇目もふらず全力疾走。
落雷みたいな轟音と、揺れる筈のない壁が震えたような衝撃波を背に、巻き込まれたら死ぬ! という脅迫観念は十分な説得力がありました。
「ふははははーっ、速いもんなのだ弟くんや」
「って何で居るんですか?!」
背後霊みたいな希薄さなのに陽気かつテンポがおかしい笑い声をあげたのは、先の轟音の当事者の一人。
いつの間にか、本当にいつの間にか私の背中にしがみついていました。てか体重を感じないのはどういうことでしょう。
「些細を気にするとハゲるのだ。実際親指くらいの跡があるのだ。その歳で」
「些細?! ってハゲ?! いやまさかそんな!?」
お先真っ暗な指摘を受け、些細と称された異能力者なお兄さんと謎な闇の脅威とは別のベクトルからの恐怖に、血の気が引きました。衛宮 鈴葉、もうすぐじゅうさんさい。
「冗句を間に受ける余裕があるのだ? 流石はまいはにーのぼぅいふれんどなのだ」
「ぼぅいふれ、いやあのそんな!?」
いやあのだってそんな言い方、確かに西方じゃ普通に男友達という意味らしいですが東方じゃちょっと微妙なニュアンスがえええっとお……
「煩悶してる所、特に悪いとは思ってはいないのだが、一応形式上は恐縮する形で気色悪いなあという心胆を隠しながら言うのだ」
いやあの、少しは隠してくれません?
「後ろ」
「……後ろ?」
疑問に思いながらも、脚の回転を緩めず首を回し後ろを向き――――前を向き、脚の回転を上げました。全力を超えた極限。生存本能が見せる火事場のなんとやら。
「鈴葉ー、今止まるんなら、熔岩漬け三日くらいで赦してあげるよー?」
「い゛い゛い゛ぃ゛や゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?!」
「おおぅ、まっはー」
絶叫。絶叫。絶叫。
竜とか殴り殺せる笑顔が素敵なお兄さんを見た人だけが出せる、魂の咆哮でした。