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久々のお兄さん



「稽古をつけてください」


 まず、誰の言葉かと思った。

 それまで募っていた怒りとか罵りとか諸々の黒い感情さえ忘れ、目をこすり、頬に張り手を入れ、もう一度目をこすり、再び見下ろす。

 その景色は変わりなく、門戸を開き数歩進み、玄関口の上に立つ私を見上げる、よくよく見知った気弱な目。

 稽古をつけてください。

 再びリピートする有り得ない台詞。自ら絞首台に赴く罪人を見るような心地のまま、気弱でへたれで度胸がないくせにたまに墓穴に突進したりとかする、弟を見る。

 気弱な瞳なれど、物理的にもそれ以外にも何かに揺れている様子を見せる私の弟、鈴葉は、それでも逃げずにそこにいた。





 ――あの瞳は結局何だったのだろうと思う程、稽古中の鈴葉はいつも通り、というには僅かだけれども兄である自分の目から視ても何なんだろうと首を傾げるような差異だけを抱かせる程度には、やっぱりいつも通りだった。

 悲鳴をあげて逃げまどい、無様に転けて、稽古場である"遺跡"の鈍色の内壁に張り付く。

 その面は、汗と涙と鼻水を若干血色に混ぜた液体でぐちゃぐちゃ。いつもの恐怖で歯をこすらせ、嫌な音をたてる。

 私自身は、それなりの評価をしている弟、鈴葉。

 なにせ拳の一振りで軍勢を薙ぎ払える衛宮(わたしたち)。その血を分けた弟だ。私と比べても身体的な能力には決定的な差がない。

 稽古相手として成立する数少ない対象。

 それでも、戦略的な価値があるにせよその気質故に失敗作(できそこない)と陰口をたたかれ、他国にはその評価で固定されている。

 臆病、というよりは勇気の欠落。それは、戦士として致命的な欠陥。

 振るえない拳に意味はない。

 ヤケになり、暴走寸前とかパニック状態とかでしかその異能を行使できない弟。

 振るえない拳に意味はない。

 故に矯正しようとしても、その分だけより貧弱になっていったような気すらする鈴葉。

 そんな如何ともし難い弟が、自分から稽古してくださいとか言ってきたのだ。

 どうせ弟の主兼友人兼、見え透いた想い人が関与しているのだろうとしても、驚きは半端じゃなかったし、それ以上にもしかしてと期待が湧いた。それ以前の弁償金問題で沸騰していた熱が別のものにすり替わるくらい……ああ思い出したらぶり返してきたよ。

 期待からの落胆分も含め、苛立ちが増す。

 恐怖に駆られ放たれた拳の衝撃波を片手で払い、接近。絶叫をあげて殴りかかってきた鈴葉の裏拳をいなし、流れるような回し蹴りを紙一重で交わし――損ね、しかしそのまま脇腹を蹴り抜く。渾身の一撃。

 肉が骨が内蔵が一緒くたに潰れる手応え。血が噴出し、へし折れた骨が肉を破り、絶叫が遺跡の中に響く。べちゃりという粘り気のある音がして壁に張り付き、小さな体がずるずると粘り気のある音をたて、ゆっくりと下がっていく。

 意識など既にありはしないだろう死体、じゃなかった肢体が、力無く遺跡の床に横たわる。一泊遅れ、口は元より白目から耳鼻から、というか全身から血が噴出。

……やりすぎたかな? とうっかり思ってしまうくらいの手応えと有り様。

 頬から垂れる汗混じりの血を、竜種や軍勢を相手にしても出た事がない自身の鉄分を舐め、傷跡を撫でる。

 既に癒えていた頬は、少量の残血だけ、ぬるっとしていた。


 気絶した鈴葉の傷跡を一応看てやり、鈴葉(こいつ)なら今日中には確実に治るだろう程度の損傷だったので止血だけしてやり、背負う。

 少なからず血を無くした鈴葉の体は、平常よりも幾分か軽かった。

 初めて自身から稽古を乞うてきたのに免じ、私個人の鬱憤は水に流してあげよう。小遣いの有無は別だけど。

 うーんうーんと苦し気に呻く鈴葉に苦笑しながら、衛宮の家に残された数少ない――故に必須な施設、既に調べつくされた先史文明の小さな遺跡の通路を歩く。反響はしない。希少金属に分類される遺跡の壁は、父が全力で殴っても傷つけることすらできない硬度を保つ。

 故に、異能力者、"衛宮"の訓練所として有用な場所。

 鈍色の壁に時折幾何学的な先史文字が連なるのと、途中ぱっかりと空いていた落とし穴を塞いだ蹟が特徴的な通路を歩く。

 夜になれば自然と光る、けれども人々が広く知る夜光石とは異なるらしい蜂蜜色の天井は、今も煌々と光を放っている。

 何とはなしに、月明かりを思わせるそれを見上げ、歩を進めていると、鈴葉が意識を取り戻したのか、涎をすするような音がした。


「気がついたか?」

「ふえ?」


 キョロキョロと辺りを見回す気配。

 そこからもついさっきまでのダメージは伺えず、やれやれと溜め息を吐く。本当、身体だけは"衛宮"に相応しい規格外れ。

 鍛錬で培われない精神面に代わり得た、パニック状態になった前後を都合よく忘却する能力は、私やお父さんすら持ち合わせていないレアスキルだ。


「あ、おはようお兄さん」

「今は夕方だぞ」


 ピントのズレた発言を訂正しつつ、さて、今訊くかどうか検討する。


「あれ、あの、稽古……は?」

「もう六時間はぶっ続けでやってたんだ。そろそろ夕飯にしとこう」

「……うん」


 さて、どうしたことか。

 返事にいつものような当たり前な気弱さというか、精細がない。というかきっぱりと気落ちしている様子が見て取れる。

 本格的にどうしたのだろう。稽古で血達磨肉団子にされる事なんて珍しくないしそも詳細を覚えてるわけないから関係ないとしても……何なんだ?


「月城ちゃんと、何かあったのかい?」


 背中からの返事は無い。けど何か、煩悶しているような、僅かばかり息苦しい沈黙。

 絶対に落ちてはいけない落とし穴は今は蓋がされていて、その上に差し掛かった。かんかんかん、お父さんが拾ってきたという黒ずんだ鉄板に二人分の体重が乗り、わずかに弾む。


「……月城が、ね」

「うん」

「ひどいことされてた、って」


 まるで懺悔でもするような沈みこんだ声に、黙って頷く。

 色々と突っ込みたい箇所はあったが、それより今は。そうすべきだと思った。


「もう済んだことだからって、月城は達観してて。詳しくは言ってくれなくて。でも、見たことないくらい……沈んだ目、してた」

「うん」

「それに、一緒に聞いてた泉水さんは怒ってた。月城のために、怒ってた。そんなことは許せないって。過去だって、割り切れないくらい怒って、悲しんでた。柏木さんも」


 でも、と。多感な声に、(ノイズ)が混じる。


「私は、わたしは……怒れなかった。ただ、たぶんだけど悲しいだけで……怒れなかった。わたしは、」


 ――想い人のためにも、"怒り"が湧かない。


 それは、仕方ない事だとは思う。

 私たちは、異能力者。伝説に名を刻む事を約束される力に代わり、感情の断片を欠落させている存在。

 故に鈴葉には、勇気が無い。

 立ち向かう勇気がないから、力を振るう覚悟もない。

 だから、怒れるだけの激情も、無い。

 怒りは力を使う源、流れになるから、その流れ自体が中途半端に止まる。

 だから鈴葉は良く云えば穏やかで、悪く云えば臆病だ。

 異能力者故の精神的欠陥。

 それは男が女を愛するように、女が男を愛するように、太陽があるから月が輝くように、生きているから死ぬように。

 最初からそう、当たり前の構造――宿命とか運命とか揺るがないこととして存在している。

 同じ異能力者である以上、私だって精神的欠陥はある。お父さんは言わずもがな、忌々しいヴェルザンドの蒼魔だってそうだろう。

 それは世界に数えきれないほど存在する、"仕方ない"ことの一部。だから仕方ない。

 それはきっと鈴葉だって、頭では理解しているだろうこと。理解と納得は別物なのだ。理性で感情を押し込むのも限度がある。今の鈴葉はその限度を越えた状態。その発散か解決か、何かを求めて大嫌いな筈の稽古を請うほどに。

 一見、傾向としては悪くないように思えるが……

 どうする。年の離れた兄として、泣きじゃくる弟に、何ができる。何をしてやれる。


「泉水さんが、うらやましい……わたしは、わたしは……っ」


 肩に当てられた小さい手に、力がこもった。


「鈴葉は泣けるじゃないか。月城ちゃんのために」


 最早癇癪に近い。わめきながら駄々をこねる幼児のように首を振るう気配。背負っているから表情は見えないが、さぞぐちゃぐちゃな面をしているだろうことはわかる。


「ちがう、ちがう……わたしは、」


 だからか、


「理不尽を怒るだけが、間に入って守るだけが、誰かのためになるわけじゃない」


 柄にもないを通り越して、思ってすらいない言葉が――自分のやってきた事を真っ向から否定する言葉が口から滑り出る。


「誰でも彼でも剣だの銃だの取って戦う必要はない。怒りに身を任せて、怨みに我を忘れて、誰かのだろうと自分のだろうと優しさを殺すんじゃない」


 耳が痛い言葉だ。今は私が言ったんだけど、かつて私が言われた台詞でもある。

 優しさを殺すな。なんて優しい言葉だろう。あまりにも優し過ぎて、竜種の一端を根絶やしてしまった私からすれば、ある種の呪詛にすら聞こえる。初恋の人の呪詛に。


極端(おまえみたい)になりたいとは思わないけど、そういう意味じゃ、おまえが少しだけ羨ましいよ」

「お兄さん?」


 振るわない拳に意味はない。されど無要に振るわれる拳は害悪でしかない。

 それは真理なんだろうけど、そういうのを完璧にトレースできる程、人は完璧じゃない。

 難しいもんさ、色々とね。


「昔言われた言葉だよ」


 胸辺りから顔に昇ってくるものを気にしないよう勤めつつ、言を続ける。だだ滑りを続けるとも。


「まあ、どれだけ欠陥がひどくても、やっぱり見れる所はあったりするんだ。だから欠陥を気にするなってわけじゃないけど、だからって自分のいいところを傷付けるなってことさ」

「…………」


 染み入るような沈黙が訪れながらも、その昔私が描いた落書きのある地点を横目に捉える。

 今にして思えば意味がわからない、いや意味なんてないんだろう乱暴で稚拙な残り痕は、随分と低い位置にあった。


「あの」

「ん?」


 Y字に別れた通路の、分かり易く矢印がかかれた方へ進む。


「ひょっとして、ひょっとしたら、慰めてくれてるの?」


 出口まで後少しという汚い字が描かれた壁を少し過ぎたところで、足が止まる。


「いやだって耳が赤……あれ、何でUターンするのお兄さん?」

「気が変わった。稽古を続けようか」


 先程通った落書き痕を横目に歩いていく中、背中で絶叫しながらもがき始める愚弟の股を逃がさぬよう固定し、進む。


「だっ、だれかたすけてええええーっ!?」


 というか鈴葉、自分から言い出したのを忘れてないか?

 すぐにへし折れる(精神的に)へたれの絶叫は無視し、早歩きで遺跡の奥を目指した。


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