混線
圧倒的ないんぱくとを持った変態さんが、同じく灰汁の強すぎる深裂さん共々退室し、月城とふたりきりになった月城の部屋で、ふと会話が途切れました。
それは悪いような沈黙ではなく、むしろ心地いい類の沈黙。
例えるなら、縁側でまどろみながらお茶をすするとか、散歩道でふと足を止め景色や自然の音に耳を傾けるとか、そんな風情のある感じ。
緊張と高鳴りと恐怖がデフォルトな間の、まったりとした一時。
「そういえば、月城」
「なんだ、下僕」
そんな悪くない沈黙を破ったのは、私のふとした疑問からでした。
「月城のお家に泊めてくれるんだよね?」
「ああ」
「なら、私はどこで寝るの? 適当な客室とかかな」
「いや。ここだ」
不可解な発言に、自然とかたむいていく首。視点がかたむいていても月城はきれいです。白いとかつるつるとか輪郭とか、あげるにもあげつくせない数のきれいとかかわいいとかのパーツが奇跡みたいなバランスで組み合わさり、月城という女の子が出来上がっているのです。閑話休題。
「ここって?」
「ここはここだ。いつから幼児並みの理解力になり下がった」
いつもの皮肉をいつものように軽く流しながら、月城が座る月城のふかふかベッドを眺めます。月城が座る、月城の長くて綺麗な髪が無造作にしかし秩序的に流された月城のベッド。
大事なことのように思えて二回繰り返しりぴぃと。ここは、月城のお部屋。
――ばきゃん。
花瓶が鈍器でかち割られるような音が脳内で反響しました。半狂しました。
「……つツつ月城のノをお部屋でゴざいますこトデスよね、ここコ、こけこっこー?」
「落ち着け。混乱のあまり口調が壊れているぞ」
意味はなくとも鳴く鶏さんの鳴き声を真似た私に、月城は冷たい視線を送ります。
誤解です。声帯が無断で作動しているのです。だってだって、仕方ないじゃないですかくるっぽー。
何故か鳩さんの声が脳内で響く程の激震。先の地震など比較にもならない大地震。月城のお部屋で、お泊まり。
そう思った直後。今度は電球が発光し、落雷にも似た轟音でかち割られるのを頭の中で聴きました。
「そうか。深裂さんの陰謀かお父さんの罠なのですねっ!」
「……とうとうおかしくなったか」
月城のお部屋の真ん中、天恵を授かり天井に吊られた電灯を指差す私に、月城の反応はあくまで冷ややかでした。
それからのやり取りはよく覚えていません。
何故か泣きながら土下座したり、意味もわからず逆立ちしたまま月城のお家を周っている最中に長身な誰かと遭遇して蹴り飛ばされたり、ブリッジしたまま月城のお部屋に帰還した所を発砲されたりした覚えはありますが、いくらなんでもそれらは夢でしょうし。
何がどうあって月城は、おもちゃみたいに小ぶりな拳銃を取り出し、唐突に頭上果物射撃ごっこを強要するほどに怒っているのでしょうか。
現実逃避はさておき、月城がどことなく手慣れた様子で小型拳銃の銃弾を交換してる最中のこと。
「燐音さまっ!!」
「今度は何だ……」
廊下に繋がる扉が唐突に勢いよく開かれ、不思議な接触音と共に切羽詰まった感のあるソプラノが苛立つ月城を呼びかけます。
尋常ならざる足取りで入室してきたのは、いつものメイド服を幾分か泥土で汚し、僅かに息を乱したそれ以上に表情を乱した柏木 司さん、と。
「司に、舞?」
「舞ちゃんが、舞ちゃんがあっ!」
「おちっ、落ち着いて司さん! 恥ずかしいからまず降ろしてーっ!?」
その司さんに横抱き――俗称、お姫さま抱っこされた、同じくメイド服着用の泉水 舞さんが、耳まで頬を染めて絶叫、更にはじたばたしながら羞恥を訴えます。
性別を考えれば男女なので、せくしゃるはらすめんとに該当するやもしれませんが、片方が女性的に過ぎる容姿のため、あんまり、というか全くそのように見えないのは幸なのか不幸なのか。
かような様子にさしもの月城も一瞬面食らったようですが、すぐに持ち直したのも流石月城と言えるでしょう。流石月城。言いました。
「何があった」
「御守りが破れて、舞ちゃんが精神攻撃を受けました!」
無視しないでーと半泣き喚く泉水さんをスルーしつつ、取り乱した様子で司さんは未知の単語を口にします。
そのアストラル何とかになんの意味があったのか私には解りませんが、意味を理解したのだろう月城の表情が変わったことから、重要なことなのだろうとなんとなくは理解しました。
ついでになにーなんのことーと状況及び情報把握ができてないらしい泉水さんに親近感。
「っ、診せろ」
「はいっ」
診せろ、というわりに触診とか問診とかでなく、そもそもお医者さんでも錬金術師さんでもないはずですが。
月城はただ、司さんからベッドにゆっくりと横たえられ、目を白黒させている泉水さんを、間近でじっと視ているだけのように見えました。
「……なっ、なに? なんなの、リッちゃん?」
やはり私同様に訳が分かってないのか、あちこちに視点を移し、訝しそうな不安そうな居心地悪そうな表情を見せる泉水さんに、月城は溜め息を一つ吐き、泉水さんの隣に腰かけます。席を戻したとも言います。
「極めて限定的ながら、記憶改竄の跡がある。だが、これは」
「りりり燐音さま燐音さまわたしの舞ちゃんは大丈夫なんですか大丈夫なんですよね!?」
「おおおちっーおちおォちつィいてぇくだしゃあああーっ?!」
一番大丈夫じゃなさそうな目をした司さんが、偶然隣に立っていた私の肩に手を当て、何故か上下左右に小刻み大刻みに揺らします。
八つ当たりはやめてください。あなただけはそんなキャラじゃなかったはずです。たぶん。
「静まれ」
月城の鶴の一声で、はっ、とか半死人が意識を取り戻したとか変な毒キノコを食した副作用が覚めたとかの劇的さで、女性顔負けなまんまる瞳に理性を宿す柏木さん。
ごっごめん鈴葉ちゃん大丈夫? と謝罪を挿み、そんな些事はどうでもいいから報告、と促す月城に従い、主に目線を向けるメイドさん(男)。ツッコミを入れる暇もありません。
「誰がやった」
「片眼鏡と白衣を着、燐音さまに"くん"付けした錬金術師らしき男と、隻腕なのに剣を持ち、顔をバイザーで隠したシスターです」
眉根が寄り、月城は消していた表情を険しく染めます。突然なしりあすもぉどに、発言力のない私は完全に置いてけぼりです。最初からですけど。
「……木原 八雲に、月城かつての懐刀か」
「私は見た訳ではありませんが、おそらく……それで、舞ちゃんは」
貴様そればかりだなと、ほんの幾分か表情を和らげ、しかしそれでもまだ苦々しい成分をきれいな顔に滲ませた月城は、やれやれと小さな肩を大仰にすくめ。
「記憶の一時的な人為的欠如が見られた。が、それは舞自身のバックアップで補完し、自己修復している。確立された精神防護方だな」
言っている意味はまったく解りませんが、その説明にはあの柏木さんが絶句するだけの威力があるらしいのはわかりました。
「ど、どゆことリッちゃん?」
「貴様の記憶は、恐らく木原 八雲という異常者に都合の悪い箇所を消去されていたが、途中で思い出したのだろう」
木原 八雲という名前を口にするところだけ、異様に不快そうな顔をする月城。よほど嫌いな人なのでしょうか。
それに気圧されたのでしょうか首を傾げ、さらさらした薄い金髪を肩にたらし、泉水さんは語ります。
「う、うん。なんか急に頭に浮かんだんだよ。さっきまで覚えてなかったこと」
「それは貴様が自力で取り戻した記憶だ」
月城の言に、は? と、泉水さんは疑問符を浮かべました。自力で、って。
「それ、普通じゃないこと?」
「専門の訓練を年単位で重ねれば、習得は不可能ではないかも。というレベルの特殊技能だな」
普通じゃありませんね。そも、記憶を自力で取り戻したって、なんですかそれ。泉水さんみたいな、その……普通に見える女の人が、なんでそんな特殊技能を?
「考えられるとしたら、かつて居た孤児院か」
どんな孤児院ですか。
「そっ、そおいえば銃火器の知識とか暗殺者の手口とか一般教養とか効率的なチンピラの叩きのめしかたとか尋常じゃない方向にひねくれた哲学とか以外にも、何故かたまに糸で垂らした硬貨を延々真っ暗な倉庫で振り続けてたような……あれ、結構な密度で……?」
「まともな教育二割以下?!」
異常な教育比率は、健常な精神云々でなく、ちょっと聞いただけでもストレートに道を踏み外してしまった時とかに役立ちそうなものばかりです。
「……やはり、まともな孤児院ではなかったか」
「やはり、って?」
「そもそも、俺様が居たという孤児院だぞ」
「魔窟ですか……ごめんなさいすいません嘘です冗談です殺さないで」
月城のお家の実情を多少なりと知っているからこそぽっと出た意見は、心臓が凍りつきそうな一瞥で封殺されました。
「俺様は、外観だけでも結構な価値がある。以前非合法の奴隷市場に潜入した際、この身をオークションにかけられたのだが」
「どれっ、オークション!?」
「ちょっ、何ですかそれ?!」
インモラル極まる発言にいきり立つ私と泉水さん。
なだめるように細い手を伸ばし静めようとする月城ですが、流石に看過できるものではありません。
「どういう事、それ!?」
「非合法な奴隷取引の摘発だよ。ちょっと手出ししずらい事情があったんだけど、国守が商品に混ざれば絶対に言い逃れできないから、って」
誤魔化そうとした月城に代わり、説明したのは柏木さん。
「私も静流さんもみーんな猛反対したんだけど、燐音さまの独断で強行されちゃった作戦だよー」
「……司」
余計な事を。視線だけでそう訴える月城は、あくまで詳しく話すつもりは無いらしいです。
話題に出してしまったことすら悔やんでいるやもしれません。月城ですから。
「リッちゃん! どうしてそんな、」
「効率的で即効性があり、かつ、確実だったからだ」
冷然と語る彼女は、前々からどこか自分自身をぞんざいに扱う節があるような。非常によろしくないことに。
まだも納得してない私と泉水さんですが、事は既に過ぎた事。解決した事。それより今は別の事項があるといわれれば、しぶしぶにも引き下がらざるおえません。
「――話を戻せば何が言いたかったかというと、俺様は外観だけでも高額競売が発生する。いわば超高級ペットに該当するワケだ」
「……うがーっ!!」
続けられた話にも、私同様思い切り気分を害したらしく。
やり場の無い義憤を月城の枕に噛みついて晴らそうとしている泉水さん。
私はどうすればいいか分からず、視線をあちこちにさまよわせるだけ。見れば柏木さんも、いつもの微笑みデフォルトな女顔を曇らせていました。
「……とかく、そんな無力な高級品がただの孤児院に在籍していたら、すぐさま浚われているだろう」
「……実際、誘拐されたしねっ」
月城の枕を噛み千切りながら、喧嘩腰の勢いでそう言う泉水さん。ちょっと怖いですが、共感はもてます。この人は月城のために怒っているのだから。
「数年も保った方が不自然なのだ。何らかの圧力が動いていたか……それはそれとして舞。減給半年」
高級そうな枕の中身、羽毛が――多分ハルピュイアの羽毛が舞うのを淡々と、しかしどこか厳粛に眺めながら当然の罰則を述べる月城。
にぎゃああーっ、まるで魂を抉られるように悲痛な悲鳴が響きます。
「それに孤児院が取り壊された後、院長の所在もまったくの不明とされている」
「あああ……って院長先生が?」
復活早いですね、泉水さん。
「因みにだが、消息に心当たりはあるか?」
「……いや、あたしに冥を連れて逃げるようにいったきり、まるきり会ってないから」
言葉の端から想像してみれば壮絶としか言いようがない過去を、随分に飄々と語る泉水さん。
かわいらしい見かけに依らぬ豪胆さは、流石月城のメイドさんと言えるでしょう。
「えっ、いやだってあの院長先生だし。火にまかれても銃持って追いかけ回されたくらいじゃ、てか殺されても死ぬような人じゃないよ」
私の視線の質に気付いたか、曖昧な微笑で手を振り、とんでもない評価を語る泉水さん。
というかどんな人ですか。私のお父さんじゃあるまいし。
「登録表に記載されたデータもデタラメだらけ」
流れる黒髪に付着した栗色羽毛を指先で摘みとり、青眼の位置で手放す月城。
ひらりひらりと、微妙な抵抗を続けながらも重力に負け、魔物の怪異から離れた栗色は床に落ちます。
「死体があがってない事から死んではいないと推察されているが、足取り自体は静流の腹心が調べても不明。そして半ばボランティア運営していた孤児院の孤児は特殊な訓練を受けていた。オマケにかつては俺様も居た。と」
並べたててみれば、えらい不思議事項ばかりですね。というか何故、そんな孤児院に月城が?
「とかくそんな孤児院だ。そこの孤児であった舞が、特殊な精神防護方を持っていても、納得はいかんが筋は通る」
「特殊な、というと?」
「まず、こいつには常に面に出ている平常な表相と並行し、全く同一に育み経験を蓄積している、並行人格とでもいうべきものがある。それが今回、不備を起こした表相を補完したのだろう」
更なる補足を求めた柏木さんは黙って聞いてますが、私はというと泉水さんと同じく、首を真横に傾げていました。チンプンカンプンというやつです。
「例えば、白紙に情報を書き足すとする」
面倒臭そうに頭を掻き、艶やかな至宝をぞんざいに扱いながら、月城は私と泉水さん、交互に視点を交え。
「書き記したそれを一部消されたり、上書きされてデタラメな内容にされた時のために、同じ事を書き記していた白紙をもう一枚常に用意し、必要に応じて修正しているわけだ。分かったか低脳ども」
「ひどっ」
「人の枕をずたずたにした貴様のが酷いわ」
どこか不機嫌そうにため息を吐く月城。それに流石に、バツが悪そうな顔をする泉水さん。確かにベッドを中心としてぶちまけられた羽毛の山は、少々やりすぎたといえるのでしょう。
「うー、ごめんよリッちゃん……ホントにキツかったのはリッちゃんなのに、ごめんね……ごめん」
なにか、謝っている最中にドツボにハマったように、自沈していく泉水さん。
はたから聞いてるこちらも泣きたくなるような弱々しい声でした。それは普段の泉水さんの振る舞い、陽気で無邪気なイメージからくるギャップでしょうか。柏木さんがおろおろとうろたえていました。
しかし、
「ふん」
月城だけは不機嫌そうに――しかしどこか悲しそうに哀しそうに、大きな目を半眼よりもさらに細めます。
「たかが囮になったエピソードだけ聞いてその様ではな、貴様が遭遇したという木原 八雲の所業を、とても聞かせられるものではないな」
「……所業?」
訝る視線に答え、月城はうっすらと自嘲します。それは多分、初めて見る質の表情。今までの中でも、最高に月城"らしく"ない面。
「月城 燐音という弱者はな、木原 八雲という悪意に、滅茶苦茶にされたのだ」
それは、自分が何をしているのかよくわかってないような弱々しい自失の表情にも、失い奪いつくされたものの幻影を儚く幻視ているようにも、それ以外のよくわからないもののようにも見えました。