変態襲来
あの、幾何学的で円形で不思議な部屋から転移したのでしょうか。
いつの間にか月城のお部屋に、月城と一緒に突っ立っていました。
その瞬間を待ち構えていたように発生した地震も収まり、月城にしがみついていた所を、流れる小川のような規律の良さで現れたメイド長さまに引き剥がされ、いつものように足蹴にされている最中。
「燐音様」
まるでそれが自然な、とるにたらない事のように、私を足蹴にしている本人が、主である月城の名を呼びました。
ちなみに、メイド長さんはメイドさんたちの長であるが故に、メイド服の、すらりとしたロングスカートを着用している訳で。
スカートをはいている人に足蹴にされれば、必然的にその、中が見えてしまう訳ですが。
しかしそれは罠である事は明白なのです。闇に馴れた生物が太陽を見上げれば目を灼かれるのと同じく、もしまかり間違って私が見上げつしまった場合。覗きやがったなこのへたれ餓鬼とかいちゃもんを付けられて更にボロクソにされるという方程式が出来上がるのは自然なことなのです。
その手の関連式には、涙が止まらないほどに慣れきっているところ。天国か地獄かでなく、死んで地獄逝きな流れなど、最早私には通用しません。
従ってここは大人しく、先程しがみついた時感じた柔らかさやら小さくささやら香りやらをリピートし刻んでおきながら、視点だけは横から覗ける月城に固定しているのが、なによりの賢明でしょう。まる。
「重要な報告が」
「なんだ」
いつの間にか自分のベッドに、小さな腰をかけた愛らしい月城が、鷹揚に応じます。
「変態を発見しました」
「どの変態だ」
どの、ってそんな候補が多すぎて判別できないみたいに。確かに周りにその手の人は多いですけど。
「上の存在しない変態です」
「奴か」
え、それで通じるんですか? てか頂点?
「詳細は?」
「二日前に発生し、情報規制された科学災害」
何やらえらく剣呑な単語が出てきました。科学災害って、錬金術の実験ミスとかで発生するアレですよね?
「ご存知の通り、非合法の実験場を中心に広域がウィルス汚染され、村二つが全滅したと推定されていましたが。件のウィルス汚染が全て浄化され、村人も一人残らず保護されました」
……なんですか、それ? そんな村二つが全滅してて、でも村の人が全員生還って……というかそんな大事件、私、初耳なんですけど。
「奴だな」
困惑する私を視界に入れているかどうかすら定かではありませんが、明らかに機密っぽい情報から何らかの確信を以て、月城は頷きました。
「死人でないとは云え、広域を汚染したウィルスを浄化し、ウィルスに侵された人々の脳構造を再生。それを村二つ分。その手の規格外変態は、俺様は一人しか知らん」
科学災害をどうにかして、人々を助けた人。それが、メイド長さんや月城の言う……って、え、変態さんなんですか? そんな立派でとてつもないことやってのけた人が?
「で、二次被害と足取りは?」
「はい。村を救った報酬にと、下着を要求」
はい?
「二つの村の民から一人一人、紙オムツや褌も含め、総勢一七七着の下着が消えました。また最後の変態目撃証言によると、巨大な風呂敷ごと高笑いしながら地中に消えていったとか」
ド変態ですね。て言うかなんですかそれ、なんで最後にそんな変質者的なオチが? てか二次災害って、普通に災害呼ばわりですね。
確かに、名だたる功績や偉業を成した人々は得てして変人だったり変態だったりとかいうパターンがありがちらしいですけど。うちのお父さんとかお兄さんとか。
「……ちなみに、その掘った穴はどうか」
「変態が消えたと同時に消失したと。また掘り返してもまるで掘った痕がなく、完全に只の地面であったそうです」
かっ、怪奇現象?
「で、結局足取りはどうなった」
「今日昼頃、帝都巡回中の兵が計二八着の下着を路地裏で発見しました」
二十、うわあ、明らかに無関係とは思えませんねそれ。
「くっく、静流」
「はい」
麗しい顔を偽悪的に歪め、私の上に立つ(文字通りの意味で)メイド長さんに声をかける月城。
「そこまで迫ってきているということはだ」
「はい。居ますね」
なにがですか。主従でのみ伝わるようなコミュニケーションは止めてくださいな。
「掴めるか」
「しばしお待ちを……もう少し」
何か、瞑想するような緩やかさで私の足首を鷲掴みにするメイド長さん。
あの、両足を首から退けてくれたのはありがたいんですけど、何故そんな張り詰めた感じに――
「そこっ!」
視界がブレ、頭が回る、とか知覚するより速く、砂の塊に岩をぶつけたような音がしました。
「ぶげらっ!」
ついでにカエルさんが潰れたような悲鳴と、人が勢い良く壁にぶち当たる聞き慣れた音。
さらについでに背中から壁に叩きつけられ、床に沈みながら把握します。
メイド長の深裂さんが、私を鈍器代わりに何者かをぶったたいたのだ、と。鼻頭の地味な痛みで把握しました。
「うおー、いきなしなにするのだねこんちくしょー!」
先程まで居なかった筈の何者かが、私と同じように寒い床をのた打っています。
何故か、清潔というより質素な月城のお部屋で、存在しないはずの異臭がしました。
「というか我輩殴るならせめて己の手でやりたまい。痛いじゃないのだ、鈍器放って衛宮トカ」
「黙れ侵入者」
「まいはにー、狗の躾がなってないのだー。というかわてがはにー躾ていい? いいよネ!」
「死んでしまえ」
ずたぼろな外套――いや、もうボロ布と言って良いのかもしれない物を纏う、浮浪者と戦災孤児を足して二で割ったような後ろ姿の侵入者さん。
ふりくねと不可解な動きで手に持つ二つの蛇が絡み合う装飾が施された長大な杖を振りながら、はにーだのわてだのと奇怪な言動を繰り返します。
おそらく、鼻をつくゴミ溜のような異臭の原因はアレでしょう。ボロ布。無秩序極まるボサボサ長髪にも蠅が集ってるような。
対する月城と深裂さんですら不快に引きつった素敵表情を深めていますし。
「相変わらずツンデレーなのだー、まいはにー。いや、そんな所がハァハァなのですガね? いやもうしばらくぶりで、なんかもう辛抱堪らんと言う」
「黙れ寄るな。地震と一緒くたに不法侵入してきやがって。よもや貴様がおこした災害ではなかろうな」
関係ないのにうっかり土下座したくなる迫力で凄む月城に、侵入者さんはへらへらと笑います。実際へらへらと口に出しています。
「地震を起こして何になるのだ。それではにーのおっ○いをもみしだける道理もなし、のだ」
セクハラに該当するだろう手つきで空気を揉む変質者さん。
深裂さんが、何かやたらと危険な目つきと手つきでその変質者さんににじり寄ろうとして、月城に制されました。
「ただ、今度地震が起きたら、そうだ、はにーに逢いに往こう。とまいるーるを定めていただけなのだよ」
あの、ひょっとして"はにー"って月城の事なのですか?
「貴様、地震を察知できるのか」
「そういえばデカ狗ころはうさぎの角、何故はにーの部屋に衛宮のが居るのだ? よもや二股? 二股なのだマイはにー!?」
話題は豪快に逸らされ、何故か焦点は私に。いや、二股て。
「ようようようにーちゃんようよー、人の女に手え出したらどうなるかわかっとんのか、あー?」
ボロ布を揺らし、蛇の杖を肩で担ぎながら私を見上げるその姿は、臆病な私ですら怯えることが難しい迫力でした。しかし臭いが酷い。お父さんのお部屋以上です。
「簀巻きにして逆さに吊して鼻から団子喰っちゃうぞ、このやろー」
「いやあの、それはただの隠し芸では」
何故か鼻で嘲笑われました。正当なツッコミの筈なのに。
「ふ、ツマラナいツッコミなのだ。ギャンブル狂いな親とか守銭奴な兄とか居そうな貧弱さなのだ」
「……月城おおぉ」
対応に窮し、月城に救いを求めました。やれやれと華奢な肩をすくめ、月城は動きます。
「いいからさっさと俺様の要請にイエスかはいと答えろ。それ以外は認めん」
「おおう、流石はまいはにー! そりは独創的な二択なのだ! そのバリエーションから無限の可能性が排卵されるというのだね!? ザリガニの繁殖がごとく!」
いや、実質一択です。果てしなく真っ直ぐな道が一つあるだけです。
不可解な人物が不可解なテンションで両手を天井に伸ばし――掲げられた蛇杖の下、ボロ布とは対象的に真っ白な素肌が、私とそう変わらないけれど華奢な体格に不釣り合いに豊かな胸が、一糸纏わぬスレンダーな肢体が、衆目に晒されました。
「ってキャアアアアアアアアアア?!?」
「ふおう何事?! うぶーな少年の野獣ソングなのだ?! いやんばかん?」
いやいやいや、アナタなんでボロ布だけ捲ってて素っ裸ですか!? アナタ、女性でしょう!? 破廉恥ーっ!
「喧しい」
誰よりも早く悲鳴をあげた私の顔面に、月城のふかふか枕が命中。視界が閉ざされます。
「静流。その変態を風呂場で洗浄してこい。話はそれからだ」
「御意に」
「おおう、半年と五六五日ブリなお風呂なのだ? ふはひやっはー、僕様の色に汚しまくってやるのだー!」
主に応答したメイド長さまの声は、本気で嫌そうな感じでした。
深裂さんが騒乱の種を(嫌そうに)引きずりながら退室し、ふたりきりの間に訪れた微妙に気まずい静寂。
「……えーと、あれ、あの人、月城のお友だ」
「知り合いだ」
「あの、」
「断じて友達ではない。不本意極まりない知り合いだ」
私のセリフを遮る月城。その態度からして、何がなんでもお友達と見なすつもりはないようです。お兄さん曰わくの友達は選べですね。よくわかります。
「あの人は一体……それに何故、はっ、裸?」
脳裏に強制再生された映像を振り払いながら、聞きました。
生ゴミを見るような目は止めてください月城。不可抗力なんです。
「ああ、以前会った時には、素っ裸だと愚民共の視線独り占めできて興奮する、と要約できるようなことを延々語っていたな」
「只の露出狂?!」
やばいですかなりやばいです。或いはお父さんや深裂さん以上の危ない人かもです。
というか何故治安維持機関にしょっぴかれないのですか? 公共物なんとか罪は?
「残念ながら、奴を捕まえるのは貴様の父兄でも難しいだろう」
まず、植え付けられた身内への認識から真っ先に浮かんだ。ありえないという答え。
しかしそれを口に出すより早く、先のやりとりが頭をかすめます。
「っ、そういえば、科学災害をおさめた変態さんって」
「貴様も聞いたことくらいはある筈だ。翼の無い双蛇の杖を持つ、徘徊者の噂噺を」
双蛇の……?!
悪そうな笑顔で吐かれた特徴的な単語から、直ぐに脳内辞書が索引を開始。返答は早いものでした。
双蛇。錬金術師さんたちのシンボルの一つで、絡みつく二頭の蛇の上に一対の羽があるという旧くから伝わっているデザインだったハズ。
それからさらに、羽を折ったデザインの杖。それを持つといわれるのは、一人の錬金術師。
単体でありながら数多の偉業を為し、錬金術師でありながら暴走した異能力者を討ち、数多の疫病を駆逐し、世界中の英知を持つとも錬金術を極めたとも不老不死の完成者とも銃火器の伝来者とも云われる、数百年に渡って語られる伝説の徘徊錬金術師……
「まっ、まさか、」
「そうだ。奴があの、」
「何でそんな伝説レベルに凄い人が露出狂で幼女性愛者で浮浪者チックで一人称がランダムに変わるド変態なの?!」
「いや、貴様の家も大概だろうに」
そこはいま問題じゃないハズですよ月城。
「錬金術師というのは、大概が変態という法則がある」
……いやまあ、確かに、うちに居たお父さんのお友達とかいう錬金術師さんも、結構、というか相当にアレな人でしたけど。
当時飼育していた金魚の金ちゃん。そのきれいな赤と黒い模様を、紫と深緑な歪コントラストにされた恨み、今でも忘れていません。
「ならば伝説の錬金術師は、伝説のド変態であるというのもまた一つの法則、だと思わんか」
ノーコメントで。
確かあの錬金術師さんは一人称安定してたなあと回想しつつ、そう答えました。