襲撃 後編
――つ、きし……ろ……?
……ねえ、なんで、たおれているの?
はやく、にげよう。でなきゃ――
「――……ぅぅ」
つらそうな、くるしそうな……
なんで?
あなたは、もっと、もっと――
「――つきしろ、つきしろ……つきしろつきしろ――りんねちゃん!!」
――いたい。
なんか、おとがして、あたまがすごくいたい――
ふりむく、そうだ、こいつら、にげなきゃ……
――何故?
くろくてほそいなにかがひかってとんでくる。
ちいさくてさきがとがったのが、たくさん――
りんねちゃんにも、あたる。
あぶない、
ぜんぶ。
「――なんで?」
つかみとったあぶないものをすてる。いらない。
こんな、りんねちゃんきずつけるの、いらない。
なのに、なんで――
「――なんで、いらない、いる?」
いらないは、あぶないのをまたたくさんまいた。
――いらない、りんねちゃんをいらないいうの――そんなの、
「……いなくなれ」
「――おや」
少し青みがかった、長く、柔らかな銀髪を揺らし、何処か冷たい雰囲気のある処女雪のように白い、精巧な西方人形か、妖精のように美しい少女が、僅かに驚いた様な声を出した。
「――ドウも。初めマシて」
少女の視線の先から、出来の悪い、いろんな音をごちゃ混ぜにしたものを使って人が声を出している様な、明らかに肉声ではない音声。
「ふん。帝国の秤の国守か。なんの用だい?」
あどけなさの残る、けれど人形のように整った白磁の肌を持つ幼い少女は、空色の瞳をチャシャ猫の様に細め、華奢な肢体を覆う白衣に手を入れたまま、観察する様に声の主を見ようとした。
在るのは、暗闇だけだった。
「――ナゼ、くにモりと?」
暗闇は、何処か探る様な口調。
「余計な問答をしている余裕が在るのか?」
鷹揚に、総てを見透かす様な口調で、言外に語る気は無いと云う少女。
「……あナタの、'番犬'ヲお借りシタい」
「何故かな?」
面白そうに。言葉遊びでもしているような雰囲気を隠そうともせず、少女は説明を要求した。
「現在、こノ'理解の塔'デ、月城家使用人の異能力者ガ、月城ノ当主を連レ、暴走してオりマすのデ」
少女は、肩を大仰にすくめた。
要は、国の姫君を、暴走した化け物から引き剥がし、暴走を収めたい。
さらに双方共身内だから、内輪だけで処理したい。
けれども戦力が足りないから、それを借りたいと、そういう事だ。少女は即座に関連付けた。
「……それで、その月城家の使用人――たしか、衛宮の次男坊に似た侍女だったな。それが異能力者だと? は、面白い偶然だな?」
明らかに、そうは思っていない言い方。
「で、そいつの捕縛を助けて、私に一体なんのメリットが有る?」
少女の、華奢な体躯。
化粧など不用な位、整ったきめ細かな白い肌に、芸術品と見紛う均整のとれた顔立。
最高級の白糸を幾重に束ねた様な、艶やかな長髪。
それら総て相まって、幻想に訊く、誰もが魅了されて止まない妖精の様な風貌の少女は、それらの要素を根底から裏切る陰険な口調で、その上綺麗な顔に嘲笑をうかべている。
「彼女ガ暴走シた原因の一つ、所属不明ノ武装集団襲撃……あレらハ、主にあナタを狙っテキたノでは?」
「ほう。で、証拠は?」
少女は、自分が疑われ、露骨に探られているというのに、何処か面白そうに返す。
「――連中は、月城の当主ダケを狙ッてイル訳ではナク、散逸カツ無差別に襲撃、殺戮活動をシてイます。まルデ、そノ行為自体のテストのよウに」
暗闇の主は、少しの間を挟み。
「賢人会出席者、アルマキス=イル=アウレカ……西方の'悪夢の妖精'。あなタの周辺デ、幾度カ同様の襲撃ガ発生してイルこトは調べガついテイまス」
要は、お前の巻き添え食らって周辺に被害が及んだのではないか。
それを公表されたくなければ、事態収拾の戦力を寄越せ。
という事だろう。
かぎりなく、強迫に近い。
なのに、少女の表情は動かない。
「――五十点だな。秤の」
「……なニを」
いぶかし気な、明らかに人間の肉声でない声に、少女が、華奢な肩をおどけるようにすくめさせた。
「私が、犠牲者を出すと解っていて賢人会に出席したと?」
暗闇の主は、何も言わない。
「私は他者の命を尊ぶ善人でも、無垢な人格者でもない。
だが、不要な争乱の火種を巻く愚者でも、無関係な犠牲を厭わぬテロリストでもないのだよ」
「――そノ言葉を信じロト……?」
初対面――というには色々と語弊があるだろうが、少なくとも少女の能力を知る暗闇の主は、自身のことは完全に棚上げし、嫌疑の姿勢を崩さない。
それに少女は、九本の長い尾を持つ女狐を連想させる素敵な笑顔を向けた。
「少なくとも、聡明な我が友人、燐音ならば信じるだろうよ」
暗闇の主は、少しだけ、不自然に押し黙る。
「ともあれ、私としても友人の危機に手を差し伸べるのはやぶさかではない。どうにも、手に余る事態らしいからな。助力しよう」
「……では、番犬ヲ――」
「却下する」
「…………」
沈黙が、剣呑な空気を放出する。
「怒るな、助力すると言ったろう。だが今番犬を出す必要はない」
少女は、唇を片端だけ吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「化け物には、化け物に対応させるまでだ」
「まサか、あナタはあの方マでヲ」
「そう、細工は流々だ。ヴェルザンドの蒼魔を使う」
少女は、自らが寄り添う英雄の二つ名を口にした。
――静寂が満ちる……
そんなわけがない。
なのに、周囲から未だ聞こえてくる銃声は、何処か遠くに聞こる。
酷く、静謐な世界に足を踏み入れた。そんな気がする。
眼前の少年が発する静かな威圧感と、赤黒い、新鮮な血のこびり付いた外套と長剣の存在に。
脳が、肉が、四肢が、血が、凍りついたかの様に、まるで云う事を聞かない。
――理解したくない。
けれども本能は、理性は、恥も外聞もなく、それを絶叫している。
――恐い……
「――……んぅっ……!」
腕に抱える負傷した同僚が、苦し気に呻く。
そこでようやく、私が同僚を抱える腕に、力を過剰に入れていた事に気付いた。
「その人、ケガ、してるのか……?」
そう、剣を下げ、心配そうに声を掛けたのは――
「――え?」
眼前の、血濡れた少年だった。
「……ごめん。なんか、あいつらの仲間じゃないみたいだね。
なら、おれに戦う気はないよ。
だから、そんなに――その」
少年は、曖昧な笑みを浮かべて、申し訳なさそうに肩を沈める。
――理解を越えた少年の変貌に、脳内が先とは違う理由で凍結する。
「その人のケガ、大丈夫?」
瞬間的に意識が回復する。
同僚。
静止する間もなく急いで逃げていたから、応急処置すらできていない。
弾丸が蓋になっているのか、出血は緩やかだが、良いわけが無い。
事実、もう同僚の意識は無く、脂汗が吹き出ている上顔の血色も悪い。
危険だ。
「早く、応急処置を施さなければ……」
思わず、口から零れる。
だが、ここは敵地。足を止めていたら――
「……処置、やりなよ」
少年は、真摯に真っ直ぐな目でこちらを視ていた。
「連中が来ても、おれがなんとかする。だから、」
「信用しろと?」
半分以上とっさにでた言葉は口下手な自分らしい、随分と冷たいものだった。
「――この状況でその人を助けたいなら、それしか無いよ」
少年は、視線を逸らさず、真っ直ぐに私の目を見据え――
「信じてくれ」
――愚直なまでにひたむきで、誰かを救う事しか頭にない。
そんな、愚者の強い意志を内包した声であった。
――嘘偽り無き、強いコトノハは、なにかを動かす言霊に生る。
少年のそれは、ひどく、――に似た言霊。
「――私は、同僚を助けたい。だから、」
言霊に流される様に、口から出たのは素直なコトノハだった。
「うん」
――少年の意志に動かされた訳ではない。
とはいえ初対面の者、しかもいきなり剣を突きつけてきた少年に言うのは、どうかと思う内容。
だが、同僚を生かす可能性を上げるには、これがベストには違いなかった。
だから、
「――頼む」
「おうっ!」
少年は、年相応の無邪気な笑顔で返答した。
同僚を、神秘的な色合いの床に横たえ、応急処置を施しながら、視界の端に捉えている少年の、戦闘とも云えない戦闘を見て思う。
私は、月城家の使用人達の中で、トップクラスに射撃の腕がない。
というか、火器全般が苦手だ。
だが、接近戦関連はなかなかのモノと自負していた。
火器を持たない相手ならば、達人や異能力者以外ならば三人同時に相手をしても勝てる自信がある。
つまりは、そんな私の目から見て。
「そういえば、キミ、名前は? 年いくつ?」
「――雨衣、年は十六。お前は?」
「おれはマグナ。十五歳だから、ひとつ年上なんだね。さん付けした方が良い? 雨衣さんて」
「好きに呼べば良い」
「じゃあ、雨衣で。敬語とか、苦手だから」
――以上の雑談をしながら、重火器で武装した襲撃者共を、長剣一本で簡単に仕留めていくこいつは、規格外としか思えない。
……雑談に応じる私も私か。
しかし、友好的に笑いながら、武装集団を塵屑の様に蹂躙する少年に雑談を持ち掛けられたら、何か応じざるおえないだろう。
連中は銃弾をバラ撒いていると云うのに、跳弾の一発たりとこちらに届いてないのは、どういう現象なのだろう。
それを問うてみると。
「そりゃあ、全弾おれの所で叩き落としてるから」
単純にどうかしてる返答が却ってきた。
というか、そんな雑談をしている間に連中は全滅したらしく。近場の銃声は途絶え、先以上に鮮血塗れになった少年、マグナが、悠々とこちらに歩み寄る。
それに私が身を強ばらせたのは、人として当然の反応だと思う。
「その人、どう?」
「あ、ああ」
柄にもなく、一瞬、言葉に詰まった。
恐怖ではなく、罪悪感。
何故なら、私が身を強ばらせた時、薄紫の目に自嘲の色が見えた気がしたのだ。
そんな内心の動揺を抑え、私は同僚の容体を語る。
――出血は緩やかになったが、一時凌ぎに過ぎない。そも元の失血量を考えると、早急に設備の整った病院に連れて行く必要がある。
だが、現状では……
難しい顔で押し黙るマグナに、私は続ける。
「そのためには、ここ、'理解の塔'最上階から地上まで、敵も居るだろう二百階もの距離を降りるか。敵が占拠する転移方陣を奪回するか……」
どちらにせよ、難しい事だ。至難の、いや、不可能と云い代えても……
「――うん。じゃあ、転移方陣の方に行こうか」
マグナは、こちらを安心させる様に笑いながら言っ……待て。
「即決か。どういう根拠だ」
「いや、そういう予定だったし」
疑いを混めた睨みを向けるも、マグナは不可解な発言を、隠す気は無いと云わんばかりにあっさり返す。
「――予定?」
「うん。おれが暴れまわってる間に、アルカが――あ、おれの仲間ね。ともかく、アルカが戦力を集めて、転移方陣を奪回する計画」
戦力を?
ここは封鎖された敵地たぞ。そんなもの、どうやって……それに、アルカとは何者だ? こいつの、仲間?
――そもそも、何故こいつとその仲間が、こんな所に?
「お前、どういう理由で賢人会に来た?」
私の詰問に、マグナは変な声で唸った。
「んン――ー。……そいつらの死体、間近でよく見てみ」
「……何を、」
「いいから。そっから説明するんだよ」
――余り、見ていたいものでも無いのだが……
恩人の要請に、やむなく死体に歩み寄る。
最初に見たのと合わせて、二十は下らない斬殺死体。
首、心臓、頭――皆、致命的な人体急所を的確に両断されている。
正直、少し吐きそうだ。心臓の生の断面など、初めて――!?
…………待て。これが、心臓?
この、緑色が――?!
「それ、オークの心臓だよ。雨衣」
マグナの言葉に、豚と猪と熊と人を混ぜ合わせたような、醜悪な容貌の魔物が頭に浮かんだ。
――莫迦な。
「……こいつら、一体、なんだ?」
何者ではなく、なに、と問う。
マグナは答えず、顔の付いた死体の無傷のゴーグルと、妙なチューブの付いた歪なマスクを毟り取る。
無機質な表情で事切れた、年の頃二十位の青年。
「――おい?」
マグナは、さらにもう一人、二人と、死体の死に顔を露わにしていく。
そのいずれも、同じ年頃の青年で――?!
――全員同じ、顔……
「――こいつら全員、錬金術の人工生命体、ホムンクルスなんだ」
マグナは、硬質なものを含んで、告げる。
「……ホムンクルス?」
聞き慣れない単語を呟く。
マグナが頷いた。
「うん。おれは錬金術師じゃないから、聞きかじりの話だけど。一人の人間の遺伝子をベースに大量生産された、感情の無い、身体障害もある不完全な人間」
……私は、錬金術の専門家ではない。だから、そう深くは理解できないが……
可能なのか。そんなこと……
「――臓器の一部欠損、呼吸器不全なんかは見られるらしいけど、必要な臓器は魔物の。呼吸器不全は補助マスクで補完し、大量生産可能な、忠実な兵隊。
だってさ」
淡々とした口調の中に、嫌悪感を感じた。
――思い返すと、確かに動きは洗練されていたが、何か単調な感じもした。
しかし、何故そこまで詳しい?
「おれとアルカはね、ひと月位前から、こいつらの襲撃を受けてきたんだよ」
ひと月前から。
――確かに、こいつの規格外の実力ならば、連中の手から逃れる事も不可能ではない。
そしてその過程で連中の情報を集積していった……か。
「で、連中の目的を何度目かの接触で見当を付けたアルカが、それを確かめる為に、丁度招待されてたここに来たんだ」
――アルカ。賢人会出席者なら、理解の塔に通されるだが、
「今回の出席者の中に、アルカという名は無い」
どういう事だ。
私の疑惑の視線に、マグナはバツが悪そうに後頭部を掻き、笑った。
「アルカってのは、愛称だよ。あいつ、そう呼ばないと怒るんだ」
「……そいつのフルネームは?」
私の白い目混じりの詰問に、マグナが何か答えようと口を開いた時――
鈍い、鈴に似た音が場に混じった。
反射的に警戒し、身構えたが――視線をずらさず、音源を視た。
「――あり? まだ時間にゃなってないはず……」
視線の先、マグナは、自分の外套を弄っている。
そして何やら四角形で、端の方からチューブみたいな細長いものが突き出た謎の黒い機械を取り出す。
マグナは、それを口元まで持っていき――
「……おい、何やって――」
「あ、アルカ? どしたの? 非常時?」
何やら、訳の分からない事を独りで話始めた。
と、思って少し引いた時。
『――ああ、計画を前倒しする。配置は?』
既知の如何なる声にも当てはまらぬ、雑音入り混じる、声変わり前の少年か、年若い少女の声が聞こえた。
マグナの持つ、灰色の四角い機械からだ。
「――え、配置……まだだよ」
『なら急げ。タイミングは任せる』
…………会話している。
「解った。ほら。行こうぜ、雨衣」
「おい」
私を促し、歩を進め始めたマグナに、慌てて同僚を抱え、追従。
殆ど早歩きのマグナだが、機械はまだ離していない。
『同行者か』
「ん。メイドさんみたいなエプロンドレス着た二人組。片方は雨衣で、も一人は負傷して意識不明」
『月城家のメイドか。こちらにも重傷者がいる。早急に転移方陣を奪回すべきだ』
少年、なのだろうか。喋り方からして。
しかし、重傷者……主や、ほかの同僚は大丈夫だろうか。
腕の中の同僚が、うなされたように呻いた。
『所で、マグナ。お前には転移方陣奪回後、即時単独行動してもらいたい』
「……うん?」
マグナが、怪訝さを隠そうともせず首を傾げた。
『――現在暴走中の異能力者、エプロンドレスを着た鈴葉という少年を、ちょっと襲撃してきてくれ。幼女にしか見えん少女を連れているから、直ぐ解る』
……………
「「はあ!?」」
聞き覚えのある名前に、私は意識せず絶叫した。
マグナも同様だろう。
暴走?
あの、衛宮のが……
ちっ、燐音様は大丈夫だろうな……!
――異能力者。
何らかの異常な能力を保持した者達で、錬金術の素養を持つ者より希少で、強力。
衛宮の血筋は全員該当する、莫迦みたいな戦力の代名詞。
武力の国守。
それが、暴走した――?
異能力者の暴走は、精神に異常をきたした末、その常軌を逸する力を周囲に撒き散らす事。
「異能力者を襲撃、ってお前」
それを知っているのだろう。狼狽した様子。
『その暴走した異能力者が連れているのが――私の、友達なのだ』
マグナの動きが、私の心境と重なる様に一瞬だけ静止した。
友達?
あの燐音様と?
『異能力者が守護しているつもりでも、暴走している以上、どうなるか――解るだろう』
マグナは、何も云わない。
『お前なら、できるだろう?
頼む。私の友達を、救って欲しい』
マグナは、ひとつだけ嘆息を零した。
「……アルカの友達なんて、滅多にいないもんな」
呟くマグナに、私も何か言おうとして――止めた。
私が何を云うまいと、こいつは承諾する。
「――転移方陣を奪回したら、直ぐに下の階層だな? もうすぐ、指定地に――あ、見えた。通信、切るよ」
身内に友達を助けてと頼まれ、こいつはきっと暴走した異能力者に、襲撃者として挑むだろう。
逢って間もなくとも、解る。ひどく解りやすい。何故なら、こいつは――きっと、愚者なのだから。
私の主と同じ――
四角形の、先端部からチューブみたいなのが突き出た機械。未だ世界に伝わってない、通信機と呼ばれることになる機器。
それを口元から放し、妖精のように可憐な美少女は、形の良い唇を歪め、
「――……ちょろいな」
悪魔でも浮かべないような悪辣な表情で呟いた。