「ヤ」のつく方々
光が、闇を照らした。
白にも金にも見える、夜天に浮いた月のように淡く、どことなく優しい光。
暗闇で突然光を浴びれば目が痛むはずなのに、不思議と眩くない、常識から外れた光。
それを携えた少女は、
「ご苦労、良くやってくれた」
どういうわけかとろけきった表情の少年の手を引き、狭い歩幅を思わせない威厳で保って、暗闇の淵からゆったりと歩み寄ってくる。
おれが異能力者の少女を制圧して、大体一分ほど経った頃のことである。
「うん……ところで、なぜそんないきなり仲良く?」
一分ほど前まで、変質者と罵った少女と罵られていた少年。その二人を繋ぐ右手と左手を見て、自然と首を傾げながら聞いた。
発狂対策。どん引きしたくなる程陶酔……というか茹でてふやけきった軟体動物みたいな表情をしたスズハとは真逆な表情で、リンネが答える。
その表情やら、プカプカと宙に浮いている鏡――神器の無駄な神々しさやらと相まって、なんかシュールな感じだな。と思った。
「発狂作用は俺様がどうにかできる」
「……それが、噂の"月城"の?」
アルカから聞きかじった事。
"月城"は、諸々の遺産や権力とは別に、能力者とも異能力者とも違う特殊な能力を継承している、とか。
それを肯定するように、リンネは昏く――周りで蠢くオカシナ暗黒のように、口元を歪めた。
「人の精神(ココロに干渉するチカラ。その一端だ」
「人の……こころ?」
「限定された方面からの発狂要素位は、媒体程度で問題なく防げる」
媒体……髪の毛のことか?
しかし、なんでそれで能力者でも異能力者でも無いって……そんなおかしなチカラ、どっちかに該当するもんだけど。
唇の端を落とし、すました表情に移行したリンネは、それ以上を語るつもりは無いらしい。
視線を落とし、おれが気絶させたリンネの配下を見下ろす。
やつれた少女。本当にご飯を食べていたのか問いたくなるくらい、不健康に痩けた頬。外套から伸びる手は、骨と皮しか無いくらいに細く、青白い。
色素が判別できる位の光――ヤタノカガミ――で分かった新事実。
痩けた頬は、よく見れば濡れていた。目元から顎あたりまで、くまなく湿っていた。
暴走する要因は、リンネの従者の一人、黒坂 樹さんという人が行方不明になったからだとか。
外部から見ればその程度。一人の同僚、一人の保護者が消えたというだけ。
だけど一人の少女からすれば、我を失うくらいに受け入れ難いこと。
けれどそれを、普通の少女に接するように諫めることも慰めることも、容易ではない。限り無く不可能に近いという意味でだ。
何故なら少女は、異能力者なのだから。
「気付けを」
「ん」
異能力者の――ヤナギという少女の身を軽く抱き上げ、一定の刺激を与える。気付け。
それなりに覚えのある技法。最近はやってなかった、てかやる機会が無かったから微妙に不安だったが、成功したらしい。
衰弱からくる弱々しさからか、か細い咳き込みをあげ、身をかるく痙攣させるヤナギ。
しかし、暴走は――破綻を始めた精神の蝕みは、云わば崖から転がり落ちていく岩にも似たどうしようもなさだとか。
一度始まれば、後は落ちていくだけ。意識が途絶えて中断はされても、それで終わりはしない。
「――ーああ、あ・あ……アア゛っア゛ア゛ア゛ア゛アあア゛ア゛ア゛ア゛あア゛! !?」
人の気配を感知したからか。発狂したように滅茶苦茶に叫び、喚き、暴れながら身をよじりおれから離れ、倒れ、まだ暴れる。神器の光にさらされ、狂ったようにもがき続ける。
狂気の沙汰。意味をなさない、ただただ悲痛で邪で純粋で――破綻を感じさせる音を出し続ける。不協の和音。
痛々しい、などというレベルではない。目をそらし耳をふさぎたい。なのにそれを制限されてるように、何もできない。
「……なにが……っ……?!」
スズハが息を呑み、かすれた呟きを吐いた。
一際大きく、既にヤナギを中心に円形展開されていた蒼い炎壁の中で、ヤナギはよじるように手を伸ばす。痙攣を続けるか細い手を、ナニカを求め渇望し焦がれるように、何もない闇に伸ばす。
「樹は無事だ」
生の感情を放出しぶちまけるような叫びの中、なんの感情も含まない淡々とした声。
それは、おとぎ話に出てくる魔法みたいに小さな声音で良く響き、他の疫を鎮めた。
一際大きな痙攣と共に、猟奇的な身動きと震えと叫びが、収まっていた。
「――――あっ、……あ……ぁ?」
「樹は無事だ。帰ってくる。また会えるのだ」
スズハを左手で引き、ヤタノカガミを中空に携えたリンネは、やんわりとした速さでヤナギに歩み寄る。
痴呆のような症状で顔中をぐちゃぐちゃにしたヤナギは、ただ意味を保たない、嗚咽にも似た言葉の切れ端を口にするだけ。
「樹は生きている。生きているのだ」
「……だんっ、……な、がぁ……?」
理解させるよう繰り返すリンネに、初めて真っ当な言葉を返す。
そして盲目の目でナニカを探すように首を緩慢に回し、
「だん、な……だんなぁあ、だんなだんなだんな…………どこ? だんな、どこおっ?」
ここにはいない対象の名を呼ぶ。
元々の性質なのかはわからないが、その反応は極めて不安定だった。少なくとも、リンネと一緒に近寄っていたスズハが息を呑むほどに。
「聞け。この場にはいないが直に、」
「――やだっ、やだやだやだやだあ! くらいのやだひとりい、ひとりヤダこわいのいたいのさむいのこわい……やだ、ヤダヤダヤダあああアアあアーッ!!」
「落ち着け。大丈夫だ」
そのまま再度暴走しそうな境界線。
思わず駆け寄ろうとしたが、リンネの迷いのない手で制される。
そのリンネから、異能力への対策を任されたと同時に、それ以外はヤナギを知るリンネがやるという、打ち合わせを思い出す。
けど、と僅かな迷いが鎌首をもたげる間。
そのまま臆した様子もなく、滂沱の間近で膝を着いたリンネは、四つん這いで狂乱しかけるヤナギの頭を、抱き締めた。
嗚咽が、僅かに小さくなる。
「寒いか怖いか、独りは嫌か。わからんでもない」
どこかあらぬ方向を見据えながら、一緒に膝を折ったスズハと繋いだ手はそのまま、あいた手で落ち着かせるように、ヤナギの頭を撫でた。
「……だんな、だんなにあいたいだんなはどこ? ドコにいるの?」
そのまま何もいわないリンネは、片手だけの抱擁を解かない。まるで、イヤイヤと駄々をこねる我が子をなだめるように。
「だんな……だんなぁ……どこ? さみしい、よ……くらいよ、いやだよやだよ、だんなぁ……だんっ……な……ぁ…………――」
そのまま、力無くどこかに伸ばされていた手が、事切れるようにだらりと下がった。
嗚咽は止み、静寂が場に満ちる。
「……鎮静状態には持ち込んだ」
ゆっくりとヤナギを横たえたリンネは、溜め息を吐きながら立ち上がる。
鎮静状態……以前リンネが"塔"でやってみせた状態だろうか。
「つき、しろ……あのっ」
「暴走した要因は、柳自身が"要"と定めていた、樹の行方不明だ」
聞きたい事は分かっているとばかりに、リンネはスズハの戸惑いを最後まで聞かず、説明を始めた。
「カナメ?」
「多くの異能力者が無意識で定めた自己の要……あれが、あいつが無くなれば自分を保てなくなる。"暴走"の最終防波堤。そういう対象だ」
その人がいれば大丈夫で、その人が居なくなれば破滅する。依存と言い換えてもいい、心の支え。
常に破綻と隣合わせな異能力者の、極端な性質の一つ。
おれ自身はよくわからんけど。スズハは、リンネがそれに該当しているっぽい。
「それを無くした異能力者……その"軽症"が、あれだ」
「なっ……?!」
あれだけの狂態を見せられ、それはまだ軽症でした。あーいうのを見慣れていないのだろう。
リンネは、そんなスズハを下から見下ろし、可憐な唇から平坦に淡々と、しかし刻むように。
「――努々(ゆめゆめ)忘れるな、刻め。あれが、異能力者の性質の一つだ」
闇。それはまさしくドロドロとしたおぞましい闇でした。
その、得体が知れない牢獄という場所に転移した時。先に転移していた月城から直ぐに手を握られて、それに関する事で一杯になっている間は、気付かなかったのです。
辺りは、月に照らされて尚どこかに潜む夜闇みたいに、視るだけで肩が震えてくる得体の知れない闇が、蠢いていました。
怯えからか、色素が黒以外見えない足場からは、ぶにょぶにょした気持ち悪さから、どことなく浮遊感まで感じてしまう始末。
当然ながら月城に云われた内容を反芻する余裕もなく。
月城に握られた柔らかく温かく安心できる手の感触だけを拠り所に、次なる転移方陣へと、唯一場所が解る月城を先頭に進みます。
そして、通された場所は――
「デっ、データベース!?」
と、マグナさんが心底から驚かれるような場所でした。
でーたべーす。その単語の意味はまったくわかりませんが、特殊な場所であるという事は、凡人の私ですら判る程に変な空気と外観。
というかそもそも、三人……マグナさんがおんぶしている柳さんも含めて四人。全員が一度に転移できる方陣など、聞いたことがありません。
生活臭の欠落した部屋というのは、他所貴族のお家ではそう珍しくもないらしいです。
しかしここは、そんなかけらすら存在しない、ひどく無機質な感じ。
外装や家具の云々でなく、まん丸いボールの中に入ったような曲線を描く壁と天井。家具の代わりに在るのは、用途不明のチューブ状の何かが、積もるほど大量に部屋周りを覆っているくらい。
後は、何故かヤタノカガミが浮かぶ部屋の中央。
そのヤタノカガミの真下で、月城が操作盤みたいなものを、指でつつく。
かた、ほんの僅かな音がした途端、下手をすれば鏡面ほどにすべらかな壁周りから、謎の物音が断続的にっ……!
「落ち着いてスズハ。これはデータベースの……機械の駆動音だ」
マグナさんが、しがみついた私の頭をポンポンと撫でます。
……機械の?
そういえば、どことなく列車の音と似通った連続性があるような気がしますね――ってななななんか壁が光って……な、なんか文字が流れていきますよマグナさんっ!?
「そういう設備なんだ。なあリンネ、ここは、そうなんだろ?」
「ああ。此処は東方域・情報保管施設――データベースだ」
かたかたかた、なにやらマイペースかつリズミカルに操作盤らしき台をいじくりつつ、月城は簡潔に答えました。
その間にも、発光する壁は目まぐるしく、おそらくは遺失言語の、私では解読不可能な文字が流れていきます。
「……五百? なっ、千だと!? マズいな、想定以上に正気を失っている……」
そんな中、さらなる異常が発生しました。
流れていく遺失言語を解読したのでしょうか。月城は、驚愕に引きつった声をあげました。
――異常は、止まりません。
『マ゛ァズゥダー!!?』
「わっきゃああああーっ!?」
「――ぐはっ?!」
どこからともなく響いた、この場の誰とも違う叫び声。
自然と私の口から吐き出る絶叫。ぐきりという不吉な音と、マグナさんの鈍い悲鳴。
「……喧しいぞ鈴葉、九十九」
一連の流れでよろめきうめくマグナさんに対し、その反応はどうかと思います月城。
『だってだってマスターだってええ! あの人本当まじジョーダン抜きで怖いんですもん!』
どこからともなく響き渡る声は、月城のようにマイペースに、私のように悲観にくれた感じで、いっそ親近感すら感じます。
それに対応している月城が平素なのだから大丈夫なのでしょうけど……一体?
……それはそれとしてマグナさん。若干冷静になってみれば、さっき首の辺りに力を入れてしまった気がしたのですが、大丈夫でしたか?
えあ、首の骨?
…………すすすすいませんすいませんすいませんすいません……!
「……ああっ、んな土下座なんかしないでくれ。いいから、能力の制御が難しいことくらい解ってるから、な」
なっ、なんという……平謝りや土下座をして、無視されることや頭を踏みつけられることはそう珍しいことではありません。が、やや曲がってはマズい角度に首を曲げてしまった私に、何の邪気もなく微笑みながら手を差し伸べてくれるなんて……アナタは天使さまなのですね?
「いやあのスズハ? 天使とかじゃないし、なんで拝む?」
「――AIがビビるか……いや、それ程までに?」
『だって、現在進行形でメールが送られ続けてるんですようう。一分に一・二通の割合でえっ、二時間の間途切れることなくうう!』
少年の形をした天使さまを拝んでいる最中にも、月城と謎な声の会話に、かたかたという操作音と機械の物音は続いています。
「……中央に回線繋げ。そしてマグナ、柳を鈴葉に渡せ」
なんだか、唐突にすわった声でした。
拝むのを止めて、とっさに月城の後頭部を見てしまうほどに。
「直ぐだ」
「「はっ、はい!」」
背中越しなれど有無を言わさぬ月城に逆らえる道理などなく、戸惑い気味なマグナさんから、おんぶしていた柳さんとやらを受け取ります。
身長はともかく、異様に細身で軽い体でした。しかし月城のような、僅かばかりの柔らかさもない冷たく骨ばった感触を背中に回すと、見計らったように周囲の壁が明滅。
解読不能な文字は消え去り、代わりに、壁画よりは写真のような鮮明さで、白い、青がかった銀にも見える髪の、月城と比べても遜色ない美貌を、某メイド長さんのとある形相と比べても遜色ない形相で染めて浸して出来上がった女の子の肩から上だけが浮かび上がり――腰が抜けました。
傍らから愕然とした吐息。それはすぐに取り乱した声に変わります。
「……あっ、アルカ?!」
麗しい顔立ちは、それだけに一度歪めば取り返しがつきません。天使さんが絶句するほどです。
『……っ』
今は廃れた弓矢の弦を引くように一旦はその形相を緩めると、反動のように先よりヒドく、描写不可能なほど表情が歪み。
その時点で、ほろ黒い床に柳さんを横たえ、素早く前方に頭から突っ伏し、自ら視界を消しました。
見たくありません観たくありません。
ていうかなんですかアレ、壁なのに、なんで壁に人間? の女の子が居るのですか?
「どーいうことだリンネ!?」
憤慨と驚きと恐怖が入り混じり、裏返った声をあげる天使さん。
対する月城は、いつものように冷静でした。
「たかが数日で四桁のメールが一人から送られてきたら、誰だって対処する」
「めーるってなに……なっ、なありんね、アルカ喋ってるみたいなんだけど、声っつーか音が」
頭抱えてガタガタしてる私と違い、依然立ったままらしい慈悲と勇敢さを合わせもつっぽい天使さまは、気づいてはいけないナニカに気づいてしまったように――例えるなら、月城と仲良くしている所を、物陰からじーーっと観察している、エプロンドレスを着用した天使さまの反存在を発見した時みたいに――明確に声を震わせていました。
「ああ。等間隔で何度も何度も囁いてるような口の動きだが……」
平坦で平然で平常な声音は、いっそ直前で見たあの、鉛玉の弾道以上に真っ直ぐすぎて異常にコワかった視線諸々を忘れることが出来たらば、平時のそれと認識できたでしょう。
付き合いの長いからこそわかること。月城はやや、無理して取り繕った声音でした。あの月城が。
「九十九。音声をカットしてるな」
『イエス。余計でしたか?』
「いや、よくやった。そのまま流していたら、俺様の下でガタガタ震える下僕が只ではすまないところだった」
……そう思うなら、私の背中に相変わらず柔らかいお尻を乗っけないでください。足を肩に回さないでください。慎ましき体重をかけないでください。寸前とは全く違うベクトルでどうにかなりそうです。
「向こうには届いてるな?」
『肯定』
「よし。では」
平然と話を進めないでください。無言の訴えは、何重の意味でも当たり前に聞き届けられることはなく。
「アルカ。マグナは保護しただけだ」
『――なぜ。おまえがマグナのとなりにいる』
――ハスキーに抑えられた声は、奇妙に少女らしき高音とあどけなさも含み――それで隠そうとして隠せてないナニカで息が詰まり、聞いているだけで呼吸が困難になりました。
『……ハッキングされました』
なんだか、月城が頭を抱えたような気配がしました。相変わらず目を塞いでいるので、多分ですけど。
「……おい、話を」
『ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなそこはわたしだ。わたしがいるばしょだふざけるなふざけるなフザケルナ』
「……おい。話が通じないぞ」
なんでしょう。ただ子供のようにはっきりしない発音、大きくはない声で意味の伝わらない事を言っているだけなのですが、どういうわけか体中の震えが止まりません。
「お、おおお落ち着け、落ち着こうアルカ。な?」
『……わたしはおちついているよ、まぐな。だからはやくワタシにモドッテキテ?』
まるで、求婚でもしているような艶やかな声色でした。
イメージ的には右手に花束、左手に刃物を持っている感じの。
うろたえまくる天使さまの印象からもピッタリきて、正直意識を失ってすべて忘却してしまいたいほど、感心してしまいました。
「……じょっ、女装とか、もう言わない?」
『ジョソウ?』
掲示された不法入国の動機に、多分原因だろう女の子――アルカさんとやらは、不可解なことに首を傾げるような声を出し。
納得して手と手を合わせたような音が、ひどく場違いに聞こえました。
『……ああ、ソウイウコト。だいじょうぶよ、まぐな。もうそんなささいなこと、あたまのスミにもそんざいしていないから』
「そ、そうなのか……?」
『うん。ところでまぐなは、かはんしんとじょうはんしん、どっちをトッテオキタイ?』
「なに!? その二択に答えたらおれの下半身と上半身はどうなるんだ?!」
唐突極まる、不可思議ながらも不吉なセリフに、さしもの天使さまも動揺した様子。
「……おいアルカ、その辺にしておけ。いくらマグナでも、半身を切断されたら死んでしまう」
「……あっ、あはははははーっ。冗談キツいよリンネってば。アルカがおれに、そんな猟奇的なことするわけないじゃんか」
あ、あははははは……旋風に晒された灯火のような願望を込めた笑い声が、異様な空気をわびしく揺らし、挙げ句に増幅させました。
その後、天使さま直々の平謝りに、月城の口車をもって説得に成功したのは、およそ三時間ほど後のことでした。