悪寒
異能力の暴走。
それは、おれたち異能力者にとって、途方もなく大きな意味を持つ。
元がよくわからない、得体の知れない絶対的なチカラ。
しばし天災とも証される、竜ですら容易く打倒できるチカラ。
人間の範疇を遥かに超えたチカラの暴走は、そのまま自滅――いや、周囲を大きく巻き込んだ、"自爆"へと繋がる、おれたちの破滅の象徴。
それをエサに、スズハ共々連れて来られた先。ちなみにおれより背が高く、なんか妙な雰囲気を持つメイドさんはリンネに何か言われてどっかにいったので、この場にはおれを含めて三人。
リンネの部屋を経由した一つ下の階層の、寝転べば手を伸ばるかギリギリくらい手狭な正四方形の部屋にぽつんとある、金属製の無機質な扉の前。
「この先に、"異能力者の牢獄"がある」
手狭な倉庫みたいな一室に一つだけある、蝋燭程の明かりを淡々と放ち続ける球形電灯が、不規則に揺れた。
「……老後苦?」
ヤな当て字だな、スズハ。
……いや、そもそもがイヤな単語か、牢獄って。
「普通の牢獄など、異能力者にとっては存在しないのと同意義」
解説役さんたるリンネはツッコミをいれず、泣きそうな眼を完全にシカトし、飄々と続ける。
「ならば俺様が口にした"牢獄"は何かと云えば……まあ、見ての御楽しみだ」
おれを見て、何かを感じとったのか。何かを口にしかけたリンネは、曖昧に口を閉ざした。
常識を弄くる錬金術師とも、常識を覆す能力者とも違い、異能力者は常識そのものを破壊して成り立つ。
極論を言ってしまえば、念じる――ただそれだけであらゆる物質を踏みにじる異能力者。
それを閉じ込めることなんか、想像ができなかった。うちのアルカならば話は別なんだろうけど、おれには――チカラを使えるおれには、より一層解らなかった。
「今現在の牢獄には、暴走の危険性が高い異能力者が入っている」
……あ。
その一言でぴんときた。
「その牢獄って、異能力を無効にするのか? 異端審問官みたいに」
「その概念は、異能殺しという」
いや、知ってるよ。神器で使えるアレだろ?
「暴走した異能力者の異能を"殺す"というのは、異能力者自身の精神を"殺す"ことでもある」
……あ。
「え、なに? どういうこと?」
おれはわかったけど、スズハにはわからなかったらしく、色素の薄い金髪をゆらし首を傾げながら、解説を求めてくる。
「異能が一度暴走したら、異能は術者の精神を取り込む、というのが通説だ」
専門に近いことを解説したのは、リンネ。
関係ないけど、僅かな灯りに照らされ反射するリンネの髪は、生き物みたいにきれいだな、と思う。
説明好きなアルカと似た性質だからか、年相応に機嫌良さそうにも見えた。話してる内容はアレだけど。
「つまる所、異能力というチカラに精神、心が取り込まれた状態が暴走なのだ……ここまで解ったか?」
「は、はいっ」
少女のような健気さで、必死こいて説明を理解しようとしているらしいスズハ。
その、頬を染めながら何度も頭を捻る仕草やらから、確信を深める。
――やっぱり、スズハのアレがリンネなんだな。
「その状態で発現した異能を、異能殺しで消せばどうなると思う?」
「それは……え、まさか、」
「そうだ。異能殺しは、取り込まれた精神ごと異能を殺してしまう」
確かに、だからおれはスズハと戦った時、それをするのをためらってた訳だし。
暴走した異能力者の末路は、大抵が神器による異能殺しで、チカラごと殺されて、だとか。
「つまり、暴走した異能力者を生かすための牢獄、ってこと?」
そうだ。と、リンネは肯定した。
「ところで、その異能力者って?」
「内緒だぞ?」
リンネはそう前置き、偽悪的に微笑んだ。
「異能力者の存在は、国家的に云えば戦術級の兵器と同義。だからなマグナ、貴様がここに居ること並みに、発覚したらマズいことなのだ」
う……確かに、ほいほい中央国から外に旅できる身分じゃないけどさあ……アルカや朔から匿えると云えば、リンネくらいしか思いつかないし……つーかおれ、元々東方出身なのに……
「いじけるな。これから異能力者相手の壁になる奴が」
うずくまって"の"の字描くおれに、リンネは穏やかなせせらぎみたいな声で、割とこっぴどいことを言ってきた。
「……かべ?」
「ああ、鎮静の材料が出来たからな。会話ができるまでの防波堤を勤めてもらう。肉壁その二」
……おれ、その二? つーか、ラディルさんみたいな物言い、ってことは……
「あの月城、ひょっとしてまさか」
おれと同じ予感が浮かんだのだろうスズハは、飼い主に怒鳴られた子犬みたいな顔。
「言うまでもないだろう。肉壁その一」
下から見下す目で、リンネはスズハに新たに不名誉な二つ名を刻んだ。
二人の体格差は歴然なのに、貫禄とか迫力とかがそれを覆している。
……いや、両極端すぎるだけのような気がしないでもないけど。色々。
「まさか大の男が雁首揃えて、凶刃にさらされるであろうか弱い美少女を庇えん。などとは言うまい?」
リンネ、美少女とかそういうのは、自分で言うと価値が下がるらしいよ。
それとか弱いって表情じゃないからね、それ。
「それはそれとして、ほれ」
幼いなりに整った顔立ちとマッチしてしまっていた小悪魔的な邪笑から、むっつりした真顔になったリンネは、懐から何かを取り出し、おれたちに見せる。
細長い……灯りの反射で僅かに光って見える、糸みたいにきれいな……髪の毛?
「月城の髪の毛!」
「……なぜ一目で解る?」
女の子の髪の毛を即答で言い当てたらしいスズハ。友達付き合いってやつを、ちょっと一考すべきなのかもしれない。
「い、いや違うよ?! なんか違うからね!? わかったのは、いつも月城を見てたからで――」
「五月蝿い。狭い所で喚くな、変質者」
冷たい目と冷たい発言で一蹴。
ちがう、ちがうんだようと白い床に突っ伏してうめくスズハに、差し伸べるべき手はあるのだろうか。
「それはさて置き、マグナ。貴様にこの髪の毛を贈呈しよう」
「何で?」
絹糸より綺麗に見える髪の毛の主にそれを手渡され、当然ながら困惑する。
おれは、女の子髪の毛を貰って喜ぶような特殊趣向者じゃない。
だからスズハ、そんな羨ましそうな目でおれを見上げないでくれ。どう対応していいのか本気でわからない。
「牢獄に何の対策も無く入れば、発狂は免れない」
発狂って……どんなところなんだ、本当に。
……んで、この髪がその対策、って言いたいのか?
「そうだ。できれば地肌に付けておくのが効果的だぞ」
理解が早くて助かる、と薄く笑うリンネ。
理屈は……や、後でいいや。そんな発狂しそうな所に閉じ込められた異能力者が心配だ。
渡された髪の毛を千切らないよう落とさないよう気を配りながら、とりあえず手首に巻きつけ、先を促す。
「相変わらず、お優しい事だな。見ず知らずの人格破綻者に気を配るとは」
……好きで人格破綻者になった奴なんていないだろ。
からかうような中、何か観察するような気配が無くもないリンネに、憮然と返す。
「……くくっ、その言葉を白濁の焔の前でも吐けるか?」
「……いやだ」
人格破綻者も人格破綻者。狂人の鏡みたいな宿敵の名を出され、口にしたリンネを見据える目線は、自然とキツくなる。
「――やはり、貴様でも奴は憎いか」
笑みを消し、真顔で問い掛けるリンネ。
その意図は掴めないけど、
「おれは、聖人君子じゃない」
どうにも、人から誤解されがちな事に対する弁明を口にした。
天然とか温厚とか優しいとか、よく言われるけど、ちがう。
おれは結局、奴に見せられた事を否定したいだけ。受け入れたくないだけ。あがき続けているだけ。
それが結果的に、狂人とは違う方向に進んでいるだけ。
かつて、おれの居場所を、故郷を友達を家族を、奪って踏みにじって笑いながら燃やした、奴――白濁の焔、雪深 冬夜は今でも憎い。殺してやりたいほど憎い。
それはきっと、いつまで経っても変わらない。多分、それを達成しても。
「成る程」
まるでおれの思考を読んだみたいに、納得した風に頷いたリンネ。
胡乱な視線を送っても、曖昧に微笑み受け流されただけ。
なんなんだ?
妙な、微妙な空気が流れる。おれのせい?
「あっ、あの! 月城!」
それを読んだのか、割り込むように身を乗り出したスズハは、リンネを真っ直ぐ見下ろし、
「私には髪の毛くれないのっ?!」
…………スズハ。
空気を変えたくて必死なのは解らんでもないが、その発言は、なんて言うか、まるで、好きな女の子の髪が欲しくてしょうがないアレな子、みたいだぞ。
「貴様、そんなに俺様の髪の毛が欲しいのか」
リンネも同意見らしく、友達に向けるべきでない目をスズハに向けていた。
「ち、ちちちちちがちがいますよぜんぜん全くこれっぽっちも! なんで私が月城のといえど髪の毛なんて私的に――」
「なら、不要だな」
狼狽えるにも程がある様相のスズハを、リンネは冷然とバッサリ切り捨てた。
「というか、スズハも行くんだよな」
その、発狂するような牢獄に。
でなけりゃここまで連れてくる筈ないし。
「ああ。だが、手段は他にある。髪の毛に固執する理由は無い」
なあリンネ。スズハが今にも泣きそうな顔で見てるんだから、もうちょっと……
「さて、行くか」
聞く耳もたないリンネは、小柄すぎる体躯の倍はあるように見える、鉄のような鈍い色の扉のノブをつかみ……がちゃがちゃと捻る。が、開かない。
「……ええっと、」
「力が足りんから開かないわけではないぞ」
あの、おれはまだ何も言ってないんだけど。
「扉はフェイクだ。規定の回数と間隔でノブを回し……あ、おい貴様ら、移動して部屋の隅に立て」
説明と指示をだしながら、がちゃがちゃと何回か不規則に回し続けるリンネ。
ワケは分からんけどとりあえず従うべく、うなだれたままのスズハを誘導し、隅っこに寄る。
「よし」
それを確認したリンネがノブを捻ると、鍵を開けたときみたいな音がして……
「……転移方陣?」
どういう仕掛けなのかはわからないけど、部屋の中央、直径にして一メートルもない円形の幾何学模様――錬金術の転移方陣みたいなのが、蛍のそれより幾分か小さく細かい燐光を漂わせ、浮かび上がった。
……本当に偽物だったんだ、その扉。
しかしなんか、人を食った仕掛けだなあ……
明後日の方向に念入りすぎる機密保持に苦笑しつつ、小さな体を振り返らせ、堂々と立つリンネに視線を向ける。
「一度に転移可能な人数は、例によって一人」
ああ、"塔"でもそうだったよね。
なんでも、転移した先の障害を減らす為の措置だとかで。
「さて、まず高確率で出会い頭の一撃を貰うだろう先鋒は、マグナ。任せた」
「あいよー」
そういう危険な役目には慣れてる。だから指名にも即答したのだけど……スズハ、その目は一体?
まあ、後は可愛い子ちゃん同士で、ね?
まるでお見合いの席を外すみたいな口で散歩を命じたのは、保護者二人。
そーくんが難癖つけるも、キャリーさんから組織の上官命令が下され、しぶしぶ従う。
二人で機密を話すらしいから、下っ端は邪魔らしい。とはそーくんの弁。
かくて始まったのは、真っ昼間とはいえ心霊スポットまがいのじめじめした廃墟という、散歩には絶対に適さない所での散歩。
しかしそんな悪い気はしないのは、懐かしの二人と一緒だからか。
「――舞姉さんは、そんな風に笑うんだね」
散歩が始まってやおら、再会したら目が見えるようになっていた弟分のこーくんが、そんな独特な事を口にしてきた。
「そんな風、って?」
「見るに耐えん、という事だろう」
さらりと失礼なことを抜かしたそーくん。
前方を先行く不届き者に上段回し蹴りを放つも、振り向きもせず前に屈み、かわされた。
……後ろに目が付いてんのか、こいつ?
「いや、宗兄さんが言ったのは違うからね、舞姉さん。おれが言いたかったのは……」
何故か口ごもるこーくんに、唇尖らせそっぽ向いてみせるあたし。
なに、気持ち悪いとか言ったら、いくらこーくんでもぶん殴るよ。
女の子の心は繊細なの、硝子細工なの。笑ってる顔まで貶されたら拗ねもするの。
「いやそうじゃなくて……えと、ほら。とても素直っていうか、想像してた通りっていうか」
なに。想像してた通りって? 目が見えてなかった時期、さんざあることないこと吹き込まれてた筈だけど。
皮肉っ子なそーくんのせいで、負の方面を想定してしまう。
「そうじゃないんだよ。なんか、ありがとうって言いたくなる」
……うん?
言ってる意味がよくわからない。
隣を歩くこーくんを覗き見ると、なんだか少し恥ずかしそうに、もじもじしていた。
しかしあたしの視線に気付いたのか、意を決して開き直ったような笑顔になり。
「笑顔がね、すごく自然に笑顔なんだよ。綺麗とか可愛いとか以前に、本当に嬉しそうって、素直にわかる感じで……とても素敵な笑顔だ、って思った」
いわれた内容が理解できなかった。進めていた足を止めてしまうほど。
やや前に進んだ形で足を止めたこーくん。
以前は開かなかった、親に虐待されて光を失い盲目だった目は、今は綺麗に澄んだ光を宿す。
水に近い青が、あたしを見下ろしていた。
そう、見下ろしていた。
出会った頃は、あたしよりずっと小さかったのに。
弟みたいな少年は、何時の間にあたしを追い抜かしたんだろう。
……なんか、なんかが無性に悔しかった。
「……舞姉さん?」
「ん、いや、なんでも――」
「誰だ!」
うわっ、なにそーくん?!
唐突に叫んだそーくんにびっくりして視線を向けると、険しく緊張した表情で懐に手を入れながら、廃墟の一角を睨んでいた。
「……そこの、出てこい」
「――や、脅かすつもりは無かったんだが……」
そーくんが睨んでいた所、数メートルくらい離れた廃墟の壁の上に、人が現れた。
「睨まないでくれよ、少年」
教会のシスターさんみたいな黒い法衣。
しかしやや動きやすそうに所々カットされたもの、例えるならシスターの不良みたいに変な衣装を纏った女の人が、仮面みたいな黒い……ゴーグル? に隠されてない口元を歪め、ニヤリと笑った。
「何やら取り込み中のようだったからね。通りすがりが邪魔をするのもどうかと思い、話しかけるタイミングを伺っていただけなのだよ」
「冗談は格好だけにしろ。こんな廃墟に通りすがる酔狂な者が偶然に鉢合わせるなど、万に一つの確率もない」
「兆に一つくらいはありえないかい?」
「話にならん」
飄々と語るなんちゃってシスターさんに対するそーくんの口ぶりは、非常に淡々としていた。その中には明確な敵意と、警戒が伺える。
……いや、なんでそんなに?
過剰ともいえる対応。
真剣な顔と、温度差が在りすぎるにやけ顔を交互に見て、面食らい混乱するあたしに、
「……舞姉さん、注意して」
傍らに寄ってきたこーくんが、耳打ちをしてきた。
「キャリー姉さんたちはこの廃墟で密談しているんだ」
「……だから?」
「密談する為に選んだのが、人の寄り付かないここなんだ。そんな場所に、潜んでいるとしたら……?」
……うんー、そりゃあ、あたしたちみたくなんか目当てがあったからで…………目当て?
「……!?」
そうだ! こんな辺鄙なトコの目当てと言ったら、バレたらマズい話をしてりあたしたちじゃないの!? ってことは、
「敵なの?!」
「……何を言っているのか解らんが、」
思い至った結論を口にしたあたしに、額から鼻の下あたりまでカバーしてる黒いゴーグルが向けられる。
「私はただ、此処が何処なのか聞きたかっただけなのだよ」
「……どゆこと?」
敵、かと思ったけどあまりに敵意が無い様子や言動。ワケが解らなくなってきた。
あたしに面を向けたまま、おどけた風に肩をすくめる敵? に、気付く。
――この人、右腕が――
「私はとある"遺跡"の探索中、転移トラップにかかってしまってね。気付けばこの廃墟に突っ立ってたという次第さ」
がらんどうな右腕を隠す事もなく、女の人は自身の事情を口にした。
何の事かはよく解らないけど、こーくんが息を呑んだりそーくんが表情を固めたりしてるから、それなりの意味は有るんだろう。たぶん。
「……突飛な単語で煙にまく積もりか? それにしてもお粗末だな」
さっ、さすがはそーくん。訝りはしても全く気を許してない。猜疑心の塊だーっ!
「……あくまで信じようとしないつもりだな、少年。世の中には、信じる者は巣くわれる。という教えもあるだろう」
あの、スクワレルの字が違いません? 神サマのなんたらたるシスターからすれば、やっちゃいけない発音だったよ?
「違うな。そこは"掬われる"、だ」
そーくん、きみは一体何時からそんな、人間のねじくれ領域に片足突っ込んだのかな。
「ああ、それも有りだね」
ツッコミ所を誤り、ツッコミ所を増やしたそーくんに白い目を送っている間にも、ツッコミ所は増えていく。てか同意して頷かないで偽シスター。
それは台所をメインに増殖していくアノ虫にも似ていた。
「二人とも、宗教的には間違ってますからね」
だね。厭な現実を説いてるだけだもんね。
こーくんの冷たいツッコミにひっそりと頷く。
「それは兎も角、証拠でも有るのか? 貴様が今、不慮の事故で現れたという証拠は」
あ、軌道修正した。ちょっと目が泳いでるし。
「証拠、といってもね……私はそこの隅から転移――」
私たちからそれた方向、くたびれた廃墟よりは密森に面する辺りを指差した途端、隻腕の似非シスターは、ぴたりと動きを止めた。
何事かと、硬直した黒ゴーグルの先をみんなで追ってみる。
そこには崩れ落ちた瓦礫と、境界線でもあるように生えまくった樹木群と、ひょろ長い白衣姿と片眼鏡が特徴的なおじさんが、気持ち悪いくらいにこやかに手を…………
「「……増えたー!?」」
更なる不審者の参上に、あたしとこーくんの絶叫が高唱した。
「……なぜドクターまで此処に?」
あたしたちの様子に構うことなく、女の人は白衣のおじさんに話しかけた。知り合い、なんだろうか。でもどこかトゲトゲしい感じ。
「アナタが消えたから回収に来たんじゃないですか、全く」
よく見れば所々が破けたり汚れたりしてる白衣を、芝居がかった動作で揺らすおじさん。
「というと、」
「ええ。逆転移で回帰できます」
「ありがたいな。またあの道筋を行くのかと鬱になっていた」
「はっは、そんな質面倒な手間を僕まで負う訳無いじゃないですか――おや」
意味不明な会話に、わけも分からず聞き入っていたあたしたち。
それに今気づいたのか、片眼鏡越しの目が、あたしたちに向く。
――ぞわり。
なんか、得体の知れない悪寒とおぞけが背筋をよぎった。
何? ただの視線……で、寒気が?
「そのエプロンドレス……もしや燐音クンのメイドかね?」
「りっ、燐音……くんっ?!」
独特のしわがれた声で吐かれた予期せぬ人物、それに付属した馴れ馴れしい呼び方に、頬が引きつる。
それにおじさんは、我が意を得たとばかりのにへらとした緊張感のない、のになぜだか全力で逃げたくなる表情。
「……おいドクター、余計な事は、」
「これは丁度イイ。ならば愛しの燐音ク」
「聞けよド変態」
口止めっぽい台詞に取り合わず、相変わらずなんか嫌な目であたしを見ながら何かを続けようとして、いつの間にか至近に近寄っていた似非シスターさんのツッコミをくらう。
ツッコミ――隻腕でふるすぃんぐされたのは、刃渡り一メートル程の巨剣の一撃だった。
ちなみにその似非シスターさん、変な服装してる割に細身で、明らかに女の人っぽい体格してるため、その大質量を片腕で振り抜くなどと、現実味が無かった。直撃したおじさんがたたらを踏んだだけで、吹っ飛ばされもしなかった事も含めて。
騒然とする間も無いのは、仕方ないと思う。
――転移方陣で転移した先は、真っ暗な空間だった。
光が全くない。立っているのか座っているのか寝ころんでいるのかわからなくなる、距離感も前後感も全く不確かな、自分の手足すら見えない完全な暗闇。
イヤ……暗闇、というだけでは説明のつかない、この悪寒は……
身を襲う、名状できない疑問を考える間もなく、風が吹いた。
風。しかしそれは常識に囚われず、常識を踏みにじる異能の風。
――竜巻を対人用にまで縮小凝縮したような威力だろう。軌道は不明、とりあえず転移と同時に異能を使用するように――
と、リンネから指示を受けていなければ、細切れにされていたかもしれない。
不可視の風を灼く、蒼い炎。
それは僅かばかり闇を照らすが、その蒼く照らされた範囲に、他人はいない。
どこまで広いのか、少なくとも壁も天井も見当たらないし、足場も……何だか闇で出来ているような色合いで不気味。というかこの暗闇自体、なんか……なにかオカシイ。
これはたしかに、やがて発狂しそうな空間。
風の異能力……百年くらい前に神器・クサナギノツルギで討たれた告死の風の系譜。
しかしおれの役割は、そいつの制圧。そんで話を聞かせる状況に持っていく事。
同じ異能力者であり、しかも盲目の故に発達したというそれ以外の五感で、遠隔からおれの居場所は筒抜け、さらにあちらは暴走していて見境も容赦も無し。
大概に不利な状況だと思ったが思いの外、息吹く異能の風は弱々しい。
多分、衰弱だろう。
一週間以上もこんな場所に入れられていたという。食料は前もって与えられていたらしいけど、それでも衰弱は免れない。
腹が満ちても、心の隙間が埋まるわけじゃないんだから。
しかしこれなら幸い――容易く制圧できる。
全身から球形に放出していた異能の蒼い炎をそのまま、その炎という灯りを頼り、歩を進める。
常識外の炎で灼かれ灰になっていく異能の風は、その悉くがひどく直線的だった。
まるで、爆心地を中心に広がる爆風のように。
ならこの向かい風に向かっていけば、爆心地にたどり着けるはず。
それはぴたりと的中したらしい。
変わらない景色の中、小走りして一分と経たず、幽霊みたいな人影を見つけた。
小柄な少女だった。
目元が完全に隠れ、鼻先に付くほどに長い前髪。後ろ髪は肩ほど、或いはおれよりボサボサかもしれない髪は、荒い息と相まって威嚇する猫みたいな感じになびいている。
言葉は――少なくとも意思疎通のできる言葉は――無く、旅人の外套と宗教的な法衣を合わせたような衣装から、手が伸びる。
それはまるで、激情にかられた剣士が、怨念のまま剣を引き抜く動作にも似てる。ように思えた。
「―― ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁぁぁぁー!!」
――狂ったような咆哮と同時に、剣戟の代わりに凝縮された異能の風が打ち出された。
それは、蒼炎の結界を揺らす程に膨大な風ではあった。
しかしそれだけ。
百年にも及ぶ年月で薄れた異能。
覚醒したてた蒼い炎が、恐れる必要はない。
リンネの台詞を思い出しながら、一足。剣戟を加える時に行う、裂帛の踏み込み。体内に巡らせた異能により、常時と比較できない程に強化された、常識を踏みにじる踏み込み。
技術と異常が総じてより速く。一足跳びで疾く間合いを詰め――
「ァアアアアァアァァアアアァア――」
「お休みっ!」
狂乱の絶叫を上げる少女の首筋に、手加減した手刀を叩き込んだ。
身体を補強するとか、そういう異能じゃないらしいから加減が微妙だったが、上手い事昏倒してくれたらしく、耳を塞ぎたくなるような絶叫と異能の烈風が止み、少女の華奢な体が力なく崩れる。
それを支え、制圧完了。
安堵の息が、広さも解らない静寂の空間に溶け、消えた。