……友達?
口にされた名前は、私にすらすぐに該当記事が思い出せる高名なものでした。
――ヴェルザンドの蒼魔。
中央国にいる、停戦の英雄。
異能力者、マグナ=メリアルス。
絶句――なぜか見覚えがあるどころか会った覚えすらある錯覚も手伝って、驚愕のあまり声すら出ず、深裂さんに踏み潰されたままな私のななめ前。
「それなんだけどさ、聞いてよリンネ」
なっ、呼び捨て?!
つつつ月城のふぁーすとねぇむを、呼び捨てですと!?
「アルカがひどいんだよ」
「聞いた」
私の動揺をよそに、月城は英雄さんを相手に平然と語りかけます。
「何でも、暴漢を撃退したらしいじゃないか」
「「……?」」
意味のわかりかねる台詞に、私と連動するみたく、英雄さんは怪訝な表情をうかべ、首を傾げます。私もですが。
「そこから、助けた女と仲良く食事したらしいな」
「あ、ああ。そのことか。確かに、なんか路地裏に連れ込まれかけてたとこを助けて、そのお礼にって」
思い当たるところがあるらしく怪訝を晴らし身振り手振り交え解説を口にする英雄さん。
月城は、何故か深々と溜め息を吐きました。
それはもう、大量の鬱憤が溜まっていそうな、ちょっと胸が高鳴る溜め息。
「わかってないようだから言ってやるが。アルカがキレたのはそれが原因だ」
アルカ――というと、月城の中央国のお友達でしたね。
なんでも、物凄く意気投合したとか。
そのお友達を語る月城の顔から、まず本当に仲の良い、親しい間柄と想像できました。
微笑ましさと安堵と、背筋が凍る思いです。
その友人さんがキレた。というと、今のお兄さんや現在進行形で私を踏みにじっている深裂さんに付属する属性、驚異なのでしょうか。月城のお友達ということからして。
それが英雄さんと何かしらの関係があるのでしょうか。
「……へ?」
「あいつは常々、貴様が女と仲良くすると機嫌を悪くしていたろう」
……ひょっとしたとどのつまりは、ただの嫉妬なのでしょうか。
「確かに、何故かおれが女の子と接するたびにそんな感じになるけど」
むう、さすがは英雄さん。納得できるような雰囲気は一見して無いのですが、その実モテモテなのですね。
「……って、なんでリンネがそれを?」
「その度に愚痴られる」
月城は不快そうに舌打ちします。
あの月城がそこまで露骨かつ本気で嫌がるとは、どのような愚痴だったのでしょう。
「一応聞いてやるが、何故逃げてきた」
「……いっ、いやそれは、その」
「言い逃れは許さないし、出来るとも思ってないだろう?」
口の上手さと悪知恵の廻り具合には定評がある月城。
有無をいわさぬ追及に、頭をかかえしばし煩悶する英雄さん。
「…………じ、」
「女装か」
煩悶していた頭をわずかに上げ、月城を見て肯定をしめす英雄さん。
「…………それと」
「そういえば、ヴェルザンドでは隠し芸大会があったな。それの催しか」
頭だけでそこまで推測発展できるという月城は、いったいどういう頭の構造をしているのでしょうか。
「つまり、隠し芸大会のトリで、貴様の女装芸が披露される運びになっていたから、逃げてきたと」
「そうなんだよ。ひどいだろ? な?」
……確かに酷いですね。女装はまだしも、衆目に晒されるなんて。
……月城、何故にそんな哀れんだ目で私を見下ろすのですか? 同情しているなら助けてください。私、いつまで踏みにじられてなきゃならないのですか?
私の懇願をよそに、月城は英雄さんを促します。
「ぱつんぱつんのすくーる水着に犬耳つけて、特設ステージでなんか女の子っぽく歌って踊るなんて……お前らも無理だと思うよな?」
一方の事態は、私の想像を遥かに超えて深刻だった模様です。
確かにそれは不可能。どれだけの尊厳とか羞恥心とか、人として大切なものを棄てねばならないのでしょう。
英雄とは、かくも苛烈で凄絶で壮絶なるものなのでしょうか。
「司が以前やった隠し芸を参考にしたものだな。奴の場合はフレアスカートに肩から背中丸出しのピンク色ドレスだったが」
「さらには狐耳まで付けてました。本人は猫耳と言い張ってましたけど」
英雄は身近にいたようです。
あまりの偉大さに、今後どんな顔して面を合わせれば良いのかわかりません。
「……まて。それって、リンネがアルカに吹き込んだから、おれはすくーる水着と犬耳を差し出されたのか?」
「だから、少しは負い目を感じているのではないか。詫びに半日くらいは匿ってやるよ」
「短いよ!? つーかメイドさんも、いつまでスズハ踏みつけてんの?!」
微塵も表情変わらぬ月城にそうツッコミを入れました。
舞と書いてまいと読む、一見して少年のような幼馴染で孤児院仲間な少女は、成長期に生き別れた面影をそのまま大きくしたような出で立ちをしていた。ぶっちゃけ言ってガキっぽい。
たとえば、在りし日はそのガキよりも低身長であった義弟であり、孤児仲間である昂なんかは歳相応に伸び――それでも同年代と比較すれば小さい方なのだが、それでも眼前のチンチクリンよりは大きくなった。
俺当人にかんしては、昂と違って成長期の頃は大半が奴隷だったため、栄養は常時不足していたのだが、何処にでも生え伸びる雑草よろしく、普通に伸びた。義弟との身長差は規格を変えただけ、変わりないように見える。
つまり、相対的に見て最も体格的に成長していないチンチクリンは、以前にも増してチンチクリンに思え。
俺を俺と、昂を昂と認識したらしい瞬間、大きな瞳に溢れた涙の量で、より一層その認識を深めた。
だから……泣いて抱きつかれた時、鼻腔を衝くほのかな甘い香りに、装束越しに感じた柔らかさに、壊れてしまいそうな観念を刻む小ささに、動揺を覚えたのは仕方のないことなのだ。
それから、限りなく殴り合いに近づいた感動の再会は、昂が鼻息荒いチンチクリンをいさめることで一段落を終え、茶番じみた劇をプロデュースした仕掛け人どもと合流。
かくて説明会は開始された。
「――あけの、とり?」
成長期から別れ、数年経って尚あまり変わってないちんちくりんが、説明された単語を幼児そのままのように復唱。
「そ、明けの鳥。反貴族組織だよ」
俺と昂の、一応の身請人であり、姉気取りの変態嗜好者であり、件の反貴族組織の幹部でもある女が続ける。
反貴族組織――一般にはテロリストともレジスタンスともとらえられる、非合法組織。
それを受け入れ、意味を理解するだろうくらいの間をあけ、
「…………え゛?」
舞が息を吐く。
次いで俺、昂、キャリー、司とかいうメイドの順に、救いを求めるような視線を向ける。
俺は小馬鹿にする視線を返してやったが、昂の奴は俺の真横でうめいた。
こいつは昔から――盲目であった孤児院時代から、特にこのちんちくりんへと心を開いていたから。懐いていた姉のような対象にそんな目を向けられることに、戸惑っているのだろう。多分。
その根幹に在るのがどういうものかまでは、俺の知る所ではないが。
「つまり、私たちの敵、てこと?」
舞が自分と同じ姿のメイドから説明を受け、まとめを口に出した。
そこにこもった色は、困惑か不安か。
「立位置的には敵ですよ、ねー?」
「ああ、そうだね」
敵と言いつつもフレンドリーな様子の彼女ら。
それがむしろ俺には恐ろしいのだが。
何がしかの言い訳で舞を俺たちと同じように連れ、引き合わす。孤児院仲間という確信はあっても確証がなかったという、万一の保険のためか、詳細を知らせず。決闘とかいう名目で。
しかも多分、あくまで俺の勘だが。この二人、俺たちの間柄が思惑から外れていた場合、本当に決闘していたかもしれんのだから。
「ええっと……」
舞は反応に困ったらしく、俺に視線で説明を求めてきた。
知るか。自分で考えろ。
昔とそう変わらぬ、気にいらないくらい真っ直ぐな目に、視線をそらすことで答える。
「月城は、わたしたち明けの鳥と裏で繋がっているんだよ、舞ちゃん」
「……へ?」
俺たちをここに連れて来る際、口にしたことを舞に告げるキャリー。
そのあっけらかんにふざけた口調の内容としては、素人に毛がはえた程度の裏知識しか持ち得ない俺ですら重要とわかる情報。
帝国の知恵であり、大貴族である月城家が、非合法の反貴族組織と――砕いて言えば、テロリストと繋がっている。
それがどれだけ重要か、
「ええぇっと……」
まるでわかってない風に首を捻る単細胞。脳みその大きさは体の大きさに比例しないはずだが、さて。
「まあ、だからつまりね。バレたらすごくまずい関係だから、こんな辺鄙な所で待ち合わせしていたわけだよ。こっそり会うために、ね」
「ええっ、司さんたちの趣味で選んだ場所じゃなかったんですか?!」
「舞ちゃん。あなたは私たちを何だと思っているのかな?」
独特の思考からあげられた問題点に、整っていながらも温和そうな顔を僅かばかり崩す司さんとやら。
しかしてこの人、一体いくつだ? キャリーより大分年上だと聞いたのだが……
「宗介ちゃん、"れでぃ"の歳を詮索するのはいけませんよー?」
……はて、俺はどこかの万年幼児体系と違い、思考をもらすような単純構造をしていないのだが……というか、なんだ"ちゃん"て。俺はそんな付属品が似合うキャラじゃないぞ。
運動音痴でインドア派の弟分より遥かに色白く、人形のようにすべらかに見える頬の前に指を当て、子供をしかるような不愉快なポーズをとる月城のメイド(の頭)に首をひねっていると。
「誰が"れでぃ"だ。アンタは男だろ」
呆れたとでも言い出しそうな仕草で、キャリーがメイドにツッコミ…………………………ん?
「男?」
舞を連れ、この場に遅刻しながらもやってきたメイド服の物体を、改めて観察。
手入れの行き届いたさらさらの髪。つぶらな瞳に、まつげが控えめに見える。
綺麗というよりは愛らしいというのが正しいだろうなれど、某チンチクリンなどは問題にならないくらい艶やかな唇。
下手をすれば、十代前半の中で小柄な昂よりも、上背はともかく華奢な体格が身に纏うは、白と黒、さらには独自のひらひらが付属したエプロンドレス姿。
まごうことなき女物を見事に違和感なく着こなしている――少なくとも、横できょとんと棒立つなんちゃって十七才児よりは――物体。
「――えっ、えええええええっ!!?」
昂の間抜けた絶叫を聞き流しつつ、判断材料を模索し。
首元の、巧妙に隠された喉仏のあるべき場所がわずかに、本当に極わずかに膨らんでいることを確認。
一つの真理を学んだ。
「――世界とは、広いな」
「……おーい、もどってきてー、そーくんー」
開けた樹海から覗く蒼穹を見上げ、所詮一人の人間が認識できる臨界の外、世界の広さを再認している最中、それを阻害する幼稚な声が鼓膜を振動させる。
……お前は男じゃないよな、舞?
不躾が過ぎたか、まじまじ喉仏を確認する俺から身を縮めつつ距離をとる舞。
「……すけべー」
なんのことだ。
メイド(男)の影から頬を赤らめこちらを睨む、なにやら良からぬ誤解をしているらしい舞。
それに対し、いれるべきツッコミは思いつく。しかし何故だかツッコミをいれるべき声帯がまともに機能しなかった。
しかもどういうわけか、ツッコミを思いつくたび、その台本が瞬く間に消えていく。頭に消しゴムなど存在しないはずなのに。もどかしい?
無言の見合いに耐えられず視線を逸らすと、異様な輝きに満ちた目で俺をにやけ見る義姉と目が合ってしまった。
「……何だ」
打って変わってすんなりと出た言葉。されども生態の不思議に探求心を覚える余裕は無く、本能からのおぞけが先立つ。
「いやいやー、わたしの見る目は、やっぱし間違ってなかったー、ってね」
本格的に意味がわからん。ついでに昂よ、お義兄さんにそんな微妙な眼差しを向けるのはやめなさい。
気味悪く笑う義姉からちょっと副長に似てる、などというありがたい意見を脳内忘却ゴミ箱に投じ、本題に移行。
「――能力者、ベーオウォルフの少女、メグリちゃんねえ」
それが私たちの本題とばかりに、メイド服の男女が肯く。
いわく舞の友人で、月城に――燐音に怨みがあり、かの異能力者・白濁の焔 と共に、いずこかへ消えていったという少女。
燐音。月城が、あの燐音。孤児院に居た時、わずかばかり一緒に過ごした少女。
それに思うところがないわけではないが、今はそれより……
「背丈は大体、そーくんと同じくらい」
「ずっ、随分大きいんだね」
チンチクリン並みに小柄な昂が、驚愕の面持ちて合いの手をうつ。
確かに。俺は割とガタイが良い方だが、俺並みとは。
……あー、そんなへこむな昂。どこぞのまな板と違ってまだ伸びる余地があるだろう。どれだけ矮小な可能性だろうと。
「んで肌が黒い美人で、胸もおっきいの」
たどたどしい口調、自体はこのチンチクリンらしいが……随分と辛そうに口をひらく。
いや……当たり前か。
こいつは、昔から身内に甘かった。
「そんで、そーくんより意地悪なんだよ。食い意地ははってるし、服はぬぎちらかして部屋は掃除しないし」
妹分への復讐を口にし、虐殺者と共に消えた友人。
その行方を、一縷にも満たぬ望みを賭けて問う気持ちは、俺には計ることもできはしないだろう。
「たまに魔物のおにくいっぱいもってくるし、まな板はまっぷたつにするし。ひとがきにしてることつつくし、胸がでかいからって……」
押し殺した声に、だんだんと嗚咽が混じってくる。
近く、隣に立つ司が、小さく震える舞の肩を撫でるように叩く。しゃくりは止まらない。
当時を回想しているのだろうか。感受性は、昔から強い奴だったが。
「……メグリちゃんのこと、好きだったんだね」
舞にしがみつかれた司が、腫れ物に触るように……いや、傷ついた我が子に接するように、頭を撫でる。
――ん……ぅっ
吐息のような肯定が吐かれる。
それはまさしく肯定。
しがみつき、すがりついた存在への、百の言葉より雄弁な信頼の証。
そしてなくした、過ぎ去った友愛への、千の行動より率直な発露。
男女であると認識できる以前に、まるで姉妹か、母子の抱擁のような侵しがたい、神聖な儀式にも似た光景。
それ以上、双方ともなにも言わず、悲痛な嗚咽はだんだんと鎮まっていく。
頭の片隅がそう理解し、いつの間にか、中途半端に伸ばしかけていた、どこにも伸ばす先のない手を下ろした。
「落ち着いた?」
「……はい。すいません」
「うふふ、ありがとうの方が嬉しかったんだけどなー」
「あ、えと……ありがとう、司さん」
「どういたしまして」
艶やかに笑うメイド姿の男は、どの角度から見ても舞以上に女にしか見えない。
その傍らで涙を拭いつつはにかむ舞には、安堵以上に理不尽とわかる苛立ちが沸いてきた。
「……生憎だが、俺たちにメグリなる少女の心当たりは無い」
とっさに口を吐いたそっけない台詞だが、事実だ。
メグリなる特徴的な少女が、欠片でも"明けの鳥"の情報網にかかっていれば、詳細は既に知らされているだろう。ついでに個人的な面識も無い。
「……そっか」
「舞姉さん……」
期待を外され、うなだれる舞。
つられて昂も情けない声をかける。まったく、嫌な連鎖を……声をかけるべき年長者は、かけるまでもないと視線を俺に送ってくる。
嘆息。
何故、俺に押し付けるかね?
「……まあ、今後とも含め全く情報が入らんとも、その友人に対面しないとも限らん」
きょとんとした間抜けな面もちが、俺を正面に見据える。
相変わらずそこらの子供のが大人びているだろう童顔。親しみはあるが、色気や女らしさとは無縁もいいところ。
しかしまだ涙の跡が残り、どこか得体の知れない儚さを……いや、ありえない。
儚さ云々はとかく、それが無性にイラつくのは、なんでだろうね?
いや、考えるまでもないか。
「見つけたら、とりあえず問答無用で一発殴ってお前の所に連れて行く。それでいいか?」
「……いっ、いや、あんま手荒なことは止めてほしいかなー、なんて」
「無理だ」
「なんで?!」
「そいつは、お前を泣かした」
泣き虫ではあった。感情の起伏が激しい奴でも。
だが、あんな風に悲しみを引き摺るような奴ではなかった。
だから、
「元凶に拳の一つでも入れてやらねば、腸の虫が治まらん」
「……だっ、ダメだよ!」
何故だ。一発くらい良いじゃないか。
「それやるのあたしだもん!」
………………
「成る程」
「納得する所なの?!」
何かおかしな所でもあったのか、昂よ。
自分の手で、自分を裏切った友人をぶん殴りたい。
健全な衝動じゃないか。
「いや、あのね……」
「しかし、それでは俺の気が治まらん」
提案を口にすべく、鈍色の手甲に覆われた人差し指を、指揮棒のように突き立て。
「間を取ってだ、俺が対象を一発殴り、お前も一発殴るというのは」
「どこの間をとったらそんな乱暴な提案が!?」
いや昂よ。お前には聞いていないぞ。
どうだろうか、舞。
「うん。それで良いよ」
「いいの?!」
ツッコミとなると途端に口数多くなる昂の諸手が、拳と拳を付ける俺たちの間で物悲しく響いた。
「まあ、折角不法入国して来たのだから。貴様に珍しいものを見せてやろう」
かつて私当人に無断で敢行された違法行為を皮肉気に口にする月城。
痛いところを突かれたようなうめきを発し、頭頂を衝くアホ毛を揺するマグナさん。
ちなみにファーストネームで呼んでと言われたので、なんだか数少ないお友達気分でドキワクなのは内緒。
何でも英雄とか呼ばれるのは嫌いらしい彼は、不法入国という行為に罪悪を感じる心を持っているようなのです。
ひどく基本的に常識的なことですが、この場でその常識を常識と捉えているのは五分五分っぽいのがまた恐ろしいところ。
「……いいもの、って?」
厭な予感をこらえているような感じで聞くマグナさんに、月城は偽悪的に微笑みかけ。
「異能力者の暴走――興味が無いか?」
ろくでもないことを口にされました。