報復
国守である衛宮の屋敷は、同じく国守である月城の家と比べて、幾分か――三回りか四周りくらいは――小さな面積の領地をもっています。
その差をたとえるならばそうですね、大国に該当するここ帝国と、一小国ほどの格差があります。
それでも余所の貴族のお家に比べれば随分と大きいのですが、元はもう少し――広がり続ける月城のお家並の大きさはあったらしいのです。
なのに、私が物心ついた頃には、既に全盛期の半分近くになっていたとかいないとか。
まあつまりは、年々領地が縮小していっているわけですね、衛宮お家は。
原因は、背筋が凍るような怪奇現象とか、空想小説も真っ青なお国の陰謀とか、ではありません。
全ては、ちょっと頭が救えない程度に可哀想なお父さんの、ギャンブル狂いに起因します。
あるいは、まだ先にあげたどっちかの方がマシという説もあります。唱えたのが、他ならぬ私の想い人なので、並々ならぬ信憑性と共感性があるのがまた涙を誘うところ。
当然ながら、反論の余地はありませんでした。
まあ、そんな感じの理不尽な家庭の事情で、元は広大だった領地や金品、装飾品などを手放さざるおえない環境下で育った私のお兄さんは、普段は優しいけれど、ちょっぴり守銭奴さんな部分があったりするのです。
さらに余談ですが数年前、初恋の人との思い出の領地を更地にすると語られたお兄さんの形相と咆哮とその後の惨劇は、今でもたまに夢に出る次第。
無論、夢の前には悪がつきます。
「――で、」
そのゴタゴタの最中、巣をつつかれ、自衛行動に出ただけでなんの罪もない竜種族の一種をうっかり根絶やしにし、これ以上やらせるかとばかりに出てきた竜の高位存在さんまで若気のいたりでひねり潰してしまったお兄さん。
お父さんに次いで、私の中での恐怖存在に昇格したのは言うまでもないことです。まる。
「コレはいったい、」
まあ、そんなわけで。
「どういうコトナノカナ、鈴葉?」
おびただしい程の丸が並んだ一枚の書類の記入欄に、きっぱりと私の名前が記入されており、ひいては衛宮家宛てに送られてきたという請求書をひらひらと指先でたなびかせたお兄さんは、にこやかに笑っています。
それはもう、獲物を前に大振な得物を振りかぶった殺人鬼さんのような笑顔でした。
それに対する私の心境。おして知ってください。色々と。
「黙っていては解らないよ、鈴葉。月城ちゃんとこのメイド長さんから聞いたよ。模造オリハルコンの刀をへし折ったって、どういうコト?」
玄関先で正座する私の直上で増大する殺意。
色々なものを吐きながら卒倒しそうなのですが、そこから三回転くらいして免れ逆に冷静な思考と現実逃避ができる始末。
話にのぼっている模造オリハルコンは、真のオリハルコンを筆頭とした精製不可能の希少金属を別とした、精製可能な金属の中では最高の硬度と値段を持ちます。
硬度は並みのドラゴンさんの竜鱗より硬く、値段は手ごろな石ころサイズで大きめな家が二つ三つ建設できるほど。
刀という、一種の工芸品か機能特化した武器のようなものとなれば、貴族の屋敷を使用人ごと奪い取れたうえ、お釣りがくる値段である事は疑いようがないでしょう。
今まさに突きつけられている金額がそんな感じです。
模造オリハルコンの刀を壊した、その請求書。
なるほどなるほど。
帰宅した突如、突きつけられた恐怖と恐慌のあまり、三回転半して冷静になった思考で過去を振り返りつつ、口にした弁明は。
「…………きっ、記憶にござい」
――ません。
お天道様に顔向けできないような事に手を染めた政治の専門家さんのような台詞を最後まで言うより速く、私の体は凄まじい違和感と共に宙を舞い天を往き、雲を突き破っていました。
比喩ではありません。何度か経験が有ることなので、これは、そうなのでしょう。
ああ青空が青い、風がすごいし地表が遠い。あ、一瞬列車が見えました。
――顎を打ち抜かれた反動の、浮遊の極み。
まあぶっちゃけとんでもない馬鹿力でとんでもなくぶっ飛ばされただけなのですけど。
揺れたことを認識できないほどに頭の中を揺らされ、瞬間単位で吐き気や痛覚を突き抜け朦朧としていく意識の中。
何故か、まん丸なだれかの瞳と、目が合った気がしました。
「と、いうことなんだよぅ月城ぉ……」
場はうつろい、どういうわけか怒り猛るお兄さんの待っていたお家に帰宅するまで、何故か居座っていた月城のお家の、使用人食堂。
メイドさんや執事さんが主に利用する白い円テーブルの上に突っ伏しながら、我ながらこれがみしよな溜め息を吐きました。
何故か主従で肩を並べサラダを頬張る、意外に菜食主義気味なうえに見た目通り小食属性の月城に、潤んだ目を向けます。
状況説明というか、あっさり出戻ってきたやむなきいきさつの説明は終えました。
要は空中で失神して、月城のメイドさんに保護された、という内容。
何故かお風呂に入る必要がある程頭が粘着質で臭う液体でべちゃぬるになっていたのか、何故首筋あたりをぐるりと囲うような歯形みたいな痣ができていたのかが激しく気になるところ。
しゃくしゃく、何かしらの説明を待つことおよそ三分。月城の倍程――断りなきよう説明すると只の定食ですよ――頼んだ私のお食事がとっくに終了している中、可愛らしい粗食音が未だ続いていて、割と淡白に無視され続けているのにかかわらず、若干心癒されます。ああ可愛いなあ……
「……あの」
でも声かけなきゃ、と先程から延々と無視され続けている危機感に従い、小さく声をかけます。
小さなあごの上下運動を終え、喉を小さく鳴らすと、優雅な動きで共用カップに可憐な唇をつけ、お茶を啜る月城。
ちなみに、視線は未だ交わりません。意中の彼女はテーブルに置かれた資料に釘付けなのです。ずっと。
……そろそろ泣いていいですか?
「……ふぅ」
サラサラと何やらサインらしきものをテーブルに広げられた資料に記しつつ、溜め息と共にようやく私に向けられ目があったその視線は、鬱陶しいと雄弁に語る冷たいものでした。
「つまり、貴様が空中で何にかじられていたかが知りたいのか」
その上返ってきたのは、得体のしれない内容の問い返しでした。
てか、かじられ……まさかこの歯形みたいなのは…………
「…………ごめん、勘弁して」
気になる。激しく気になるけどなんか怖いから聞きけないっ……!
なんだヘタレめと月城は嘆息するけれど、誰もが君みたいに強いわけじゃないんだよ。
人間っていうのは、とてもとても弱いんだから。
「……貴様がそれを語るには、激しく違和感がつきまとうところだがな」
相も変わらず口にだしてない思考を読心のはやめてくれないかな、月城。
「ん、じゃあコレを」
「……了解」
私の咎める視線を柳のようにさらりと流した月城は、同席していながら何も注文していなかった寡黙なメイドさんに資料を手渡します。
…………泣いていいでしょうか。真面目に。
「テーブルを汚すな」
「月城ぉ……ひどいんだよぅう」
「それは俺様のことか、それとも兄のことか」
「両方」
鼻の穴へ強引に突き入れられたドレッシング塗れのニ岐フォークをひどく理不尽と感じるのは、決して私だけではないと思う。
「さっきから鬱陶しい……模造オリハルコンの刀の弁償請求が送られてきたら、誰だってキレたくなるだろう」
いやまあ確かに、あの零の羅列を見たらそうなるかもしんないけど……
「というかそもそも、そんなの壊した覚えないんだよぅ……」
月城のフォークを鼻から抜きつつ、テーブルをドレッシング以外の体液で汚しながら、ようやくの無罪表明。
大体ここ数日、どういうわけか記憶が曖昧な箇所が多いけど、殆ど一緒だったじゃない、月城と。
一体いつ、それに何で私が……
しかし月城は皮肉気な表情。やれやれ、と呟きながら手元の木製スプーンでスープをかき混ぜたりなんかしつつ。
「わからんぞ。案外、女装することによって芽生えた第三の人格がそれをなしたのかもしれん」
「どうあっても私を犯人にしたいんですかっ!?」
適当な感じに戯れ言を語る月城をさすがに認められずツッコミをいれるも、まあ動じた気配もなくスープを啜られるのもまた道理なのでした。
「しかし、現実として模造オリハルコンは破壊されている。それは俺様も確認しているし、静流の事だから破損した現物の写真も請求書に付属させていたはずだ」
そ、そうなのかな? 私は見てないけど、確かにそれならお兄さんの問答無用っぷりも……
「模造とはいえオリハルコン。破壊が可能な者自体が、しかも折ったとなると相当限定される」
「……う」
既存の錬金術師が加工できる中においての世界最硬金属は、それ故に途方もなく頑丈です。
ミリ単位に薄いものでも、人間とは比較にならない馬力をもつドラゴンさんが折り曲げるに苦労するとか。さらにいえば千切ることは爪か牙を利用しないことには難しいらしいです。
そういった理屈からして、へし折られた、となると、物理的に私の、衛宮の家系しか……はっ!
「実はこっそり私のお父さんあたりがやったとかじゃないかな?!」
「……そこで自分の父親に擦り付けるのか」
だって私には覚えが無いですし、それ以前に動機がありません。
だから通り魔的犯行――特に理由もなくやったと考えるならば、お父さんくらいしか居ませんよ。能力的にも精神的にも。
「確かにそれは無くはない説だが」
ほら月城も同意してくれた!
「だが、貴様に動機が無い?」
喜びはつかの間でした。月城の追及者の目が、チキンな私を串刺しにします。
「貴様、静流から毎度のように虐められているではないか」
……月城。それはまさか、怨恨の線を疑っているのですか?
日頃の児童虐待の一歩……いや、千歩先の所業の恨みつらみ……それでこっそり、深裂さんの私物を破壊したと。
ふっ、貴女ともあろうひとが愚問ですね、月城。
そんなことはありえないのですよ。
何故なら、
「私に、そんな度胸はありません!」
「そうだな」
くわっとお目目開き弁護士さんが声を張り上げるように己の釈明をすると、さも当然のようにあっさり納得されました。
……あの、それはそれであれ、なんか傷つくんですけど……
「ま、どうでもいいが弁償だけはきちんとしておくのだぞ。下僕よ」
さらりとそよ風のように言われたので、一瞬内容を理解できませんでした。
「――何で?!」
私じゃないって言ってるのに!
嘆きのあまり頭をねじくるも、月城は意見を取り下げるつもりは無いらしく、僅かに残ったスープのぶつ切り野菜を口に運びつつ。
「そんな事を言われても、目撃者が居るしな」
今までのやりとりを根底から覆す、衝撃的な証言を口にしました。
「もっ、くげきしゃあ!?」
「唾をとばすな馬鹿野郎」
テーブルに乗り出し驚愕する私に、月城は非難がましい目をちくちくと刺してきます。
「ご、ごめん――じゃなくて! 目撃者って?!」
「目の前に居るだろう」
ちなみに、月城は壁を背おう位置に座っており、同席していた見慣れないメイドさんはいつの間にか居なくなっていたので、月城の対面に座っていた私の目の前は、必然的に月城しか存在しません。
「どっ、どおいうことさ月城?!」「言ったろう。女装することによって貴様の内に目覚めた第三人格、伊崎 鈴葉の手によって静流の私物はへし折られた」
「さっきの戯れ言まさか本当だったの!?」
ありえない話が何やら真実味と現実味とお小遣いの危機とを一緒くたに呼び起こし、動揺によって上がった血液が垂直に下がっていくのを感じました。俗に語り継がれる血の気のひく音でしょう。聞き慣れました。
……え、ていうか何、いつの間にか私多重人格者?!
私自身の預かり知らない所で付与されていた、今後の人生を左右しかねない情報に、当然ながら混乱する私。
素知らぬ顔で手を合わせ、ご馳走さまと行儀良く料理人と食材に感謝する月城。
………………泣きました。
「ま、守銭奴な兄上殿への言い訳くらいなら考えてやるさ」
想い人のそんな言葉を寄りどころにするしかないという成り行きに、とりあえずまたむせび泣き。
「あー悪かったよ、少しからかいすぎた」
ぽんぽんと頭を撫でられ、どちらかといえば無視された事の方に泣いていた私はそれだけで若干救われました。それ以前に掬われた気がするのは脇においておいたり。
月城は、普段は色々とあれですが、泣いている人に優しくできるよい子です。
「大丈夫だ。俺様が口添えすれば、せいぜい……さんざたこなぐりにされた上で小遣い半年抜き程度の罰におさまるだろうよ」
…………よい子、なのです。