暗転
「あ」
一歩間違えれば無機質ととられかねない、色彩に乏しいのにやたら長い廊下イン月城のお家。
その曲がり角で脚を止めた先頭の一人、泉水さんが、短く驚いたような声をあげました。
「お」
どうやら曲がり角で人と遭遇したらしく、向こうからも低いうめきが聞こえました。
声の低さから男の人と推測できます。
「昨日のガキか」
あらわした姿を見てみると、やはりその通り。すらりとした体格の男の人。
何か、粗雑というか旅人さんか旅行者みたいな服装と口調なのと、鋭い目つきのわりに年齢を掴みかねる綺麗な面立ちをしていたのがとっさの予想の外でしたが。
「な、ガキって、あたしは十七ですよっ」
受け入れられない単語だったのでしょうか。泉水さんが見知らぬ旅人さん? 風の男の人に語調荒く対応します。
「十代なら十分ガキだ」
「……むっ」
「相変わらずですね、あなたは」
バカにしている見下している云々ではなく、どうでもよさそうに吐き捨てた男の人。
年上とは連想し難い柔らかそうな頬を膨らませた泉水さんに代わって言葉を発したのは、以前からの知り合いのような気安さ――というより、意外なトゲトゲしさをはらませた、柏木 司さん。
「……知り合いなのか、同僚」
不信さを隠しもしない声で、みんなが気になっているのやもしれない問いを口にしたのは九咲 雨衣さんです。
問われた柏木さんは何故かため息一つ吐き、改めたような笑顔で後ろの九咲さんに向き直り。
「はい、不本意ながら知り合いの幼児性愛者です」
「オイコラ」
「舞、こっち来な」
「はぇ?」
割と重要かつ不自然な単語を口にしました。頬が引きつるのは無理なからぬこと。
ロリコンさんが頬を引きつらせてツッコミをいれますが、聞く以前の即座に泉水さんを引っ張って男の人から離すアズラエルさん。
迅速な対応に、柏木さんへの信頼と泉水さんへの配慮が伺えます。
「……テメェ」
「睨まないでくださいな、本当のことなんだから」
「違う!」
怨念すらこもった否定の眼差しにも堪えた様子無く、黄昏時の逆光を背負っているのも含めて、いっそ恐怖すら感じるほどに晴れやかな笑顔でたおやかに少女じみた手を振る柏木さん。ただ者ではありません。
「つーか女装趣味の変態に変態言われたく無ぇよ!」
「私は可愛いものを分け隔てなく愛するだけです」
「何の関係がある?」
「女の子の衣装って、可愛いじゃないですか」
いや柏木さん。堂々と胸を張りながら語るのはご立派なのですが、その解答は如何様なものかと。
「それに女装趣味ならあなたも共通――」
「趣味なわけがあるかアアアア!! ってか誰から教わったッ?! いやそうか奴かヤツしか居ねえってかヤツなんだなこのド畜生!!」
な、なんです? 何故突然、古傷をエグリ返されたような凄い形相で怒鳴りはじめたのですか?!
えらく勢い良く息を吐き出しすぎたためかすぐに息を切らし、肩で呼吸を開始した男の人を、アズラエルさんの斜め後ろに立つ泉水さんの背後から覗き見ました。
「……で、結局の所、貴様は何者なんだ」
皆さんの心境を代表して口にしたのは九咲さんです。
「ああ、テメエらの主人の外部協力者だが……」
息を整えた男の人の、さっきの取り乱しツッコミ様とは打って変わった観察するような視線が九咲さんをまじまじと眺め、
「目つきの悪い小僧、テメエが雨衣か」
「目つき云々であなたに言う資格は無いと思うの」
あんまりな口に当人である九咲さんが何かを言いかけましたが、柏木さんが先回りして揚げ足を取られました。
男の人が舌打ちしそうな勢いで柏木さんを一瞥しますが、まっ白い髪に手を突っ込み気だるげな手つきで掻きむしると、改めて九咲さんに視線を向けます。
「ちっと、訓練所まで案内しろ、ガキ」
「……何?」
何故に貴様の案内をせねばならん、そんな意図が透けて見える声でした。
嘆息がひとつ、場の――といっても通路ですが――なんともいえない空気に溶けて消えました。
「テメエを叩きのめすよう、テメエの主に頼まれたんだよ。樹の奴が居ないからと、面倒臭ェ」
けだる気な口調とは裏腹な剣呑さが、場を一瞬以上は凍らせたのは言うまでもないこと。
かような成り行きで、途中遭遇した三人、俗にいうところのケンカを売られた九咲さんと売ったお兄さん、そして心配だからと同行した柏木さんたち。
要はアズラエルさん以外と別れ、なんやかんやで何故か再び月城のお部屋に居ます。
いつまで私はエプロンドレスなぞ着ていなければならないのでしょうか。
申し送れました、衛宮 鈴葉です。
「…………」
「…………」
三点リーダーで満ちた静謐な空間、埒もあかないことを考えるのもやむなしかと思われます。
それと云うのも、入室を許可されるなり、控え目な電光の下、何故か無言で向き合い、睨み合いと見つめ合いの境目のような雰囲気を醸すのは、出入り口からさほどの距離がないベッドの上に胡座をかく部屋の主・月城と、後ろ手に閉められた扉のすぐ手前で立ちすくむ訪問者・泉水さんの二人が原因なのは明らかです。
されど何故かはわかりません。
何故、入室と同時にこんな空気になっているのか。
何故、チキンな私はおろか、ついてきたアズラエルさんまで形容し難い表情で沈黙を守っているのか。
何故の解答はわかりません。
何故なら全員が黙りこくっているからです。
「………………」
「………………」
……視線と首だけ動かし、月城の無表情から、わずかに斜め前の泉水さんを伺います。
人工の明かりに照らされた横顔は、何故か、思いつめたような許しを乞うような泣きそうなような、それら全てが当てはまり、同時に当てはまらない。ぐちゃぐちゃした表情。
そんな表情を見て、ふとした考えが思いうかびました。
「……もしや、ケンカしたのでしょうかはば?!」
『はば』の部分で声に出してしまったことに気づき自分で自分の口をふさぎますが、手遅れなのは誰の目からみても明らかでしょう。
沈黙の場の音声は、必要以上によく聞こえるものですから。
一拍置いて、総ての視線が私といううかつなチキンを射殺します。
「……くくっ、ま、ケンカと云えばケンカと云えるのかもしれんな」
黒いワンピース姿の月城は、口元にたおやかな手をあてつつにやにやと笑いました。
人がうろたえているのにフォローの一つもしてくれない月城は、とても月城らしいですねはい。
しかも一通り私のうろたえ(例・手を震わせ痙攣させ視線を回しあうあうあうとうめくさま)を見守ったと思ったらば、ついと視線を移されます。
「舞」
さらりとした艶やかな黒を僅かに揺らし、真っ直ぐにさめた眼差しで、泉水さんの名を口にする月城。
「――そろそろ、はっきりしようではないか」
「……リッちゃん」
なんでしょう、ひょっとして何か本題が始まるのでしょうか。そんな空気です。
というか、今さらこの格好をどうにかしてください、とか言える気配ではありませんが……どうしましょう?
「まず、何かいうべき事はあるか?」
「あるっ……その、ごめん」
「構わん。そういう方向に誘導したのだからな」
私とアズラエルさんがだんまりを決め込む中、何やら流れはつかめないけれどシリアスっぽい対話が展開されています。
というかまず、なんで泉水さんは月城に謝ったのでしょうか。
「……なんで?!」
「下手にため込ませるより、爆発させて発散させた方がマシというものだ」
「っ、え?」
「嘘だ」
セリフの内容を呑み込むのを待ちかまえていたようなタイミングの良さで、前言は撤回されました。
「半分の理由は、嫌悪だよ」
「……けん、お?」
「貴様が気にくわない、ということだ」
――月城?
月城らしからぬ、露骨がすぎる拒絶の言葉に驚きよりも違和感を感じました。
が、拒絶を突きつけられた当人である泉水さんは、当たり前のようだけど違うようで、悲哀をあらわに肩を震わせ、一歩後ずさり。
「俺様は、変わったろう」
「…………え?」
「そうしなければ、自身の急激な変容がなくば、生きられなかったからだ」
――それがあったからこそ、"俺様" はココにいる。
月城は言外にそう語ります。
変容、今の月城は、泉水さんが知る弱い少女ではないと、月城は言った。
なんであれ、急激な変化は強い痛みを伴う……どこかの誰かもそう言いました。
ならば、月城も痛かったのでしょうか。
……痛いのは、イヤでしょう。だれだって、
「なのに――貴様は、変わっていない」
だから、月城は――
「俺様が俺様として変容せねばならなかったのに、貴様は、変わっていない。何一つというわけではなく、美点はそのままに、変容ではない、あるべき成長をした……だからこそ、忌々しい」
「……それで?」
再び静まり返った、お日様もお月様も届かない部屋の中、沈黙を破った発言者に、再び視線が殺到します。
はい、私です。
「え、ぇぇあのぅ、続き、あるんですよ……ね?」
「何故、そう思う」
何故って月城、そりゃあ……
集まった注目による緊張が産んだ動悸を収め――るのは無理だから多少マシにしようと勤めつつ、
「だって、えと、月城は……そうやって、単純に誰かを……えーと、あと……なんていえうか、うん、嫌いとか好きとか、そういう、こと、誰にでもいわない、と……おもう、だから」
――だって、月城は――
思ったこと感じたことをリアルに口にしていたら、ナニカが噴出しそうになりつっかえつっかえ。
でも、がんばって最後まで口にしました。
なぜか、月城の顔を見ていたら、そうしなきゃいけないような気がしたから。
「……くくっ、ま。下僕の言う通りだ」
「……え?」
「嫌悪だけでは説明ができない、ということだ。我ながら、な」
人工の光を反射し煌めく黒瞳を細め、ナニカに対し愉快そうにくつくつと笑う月城。
「……つーか、完全に思い出してますよね?」
「シーちゃん?」
そんな主人の様子に呆れたみたく眉をしかめて口をはさんできたのは、今まで事の成り行きを見守っていたはずのアズラエルさんでした。
……思い出している? 一体なんの……
「なに、人間の記憶領域というものは多岐にわたる。後付けである知識と僅かな残滓だけで補完したそれを、完全な記憶とは呼ばん」
相変わらず何を言ってるのかわかりません。
それは、表情をさらにひきつらせたアズラエルさんや、目をしばたかせる泉水さんも同様なようです。
「……せめて、舞にわかるように説明してやってください」
「舞、ねぇ? たかが数日で随分と仲良くなったものではないか、シェリー」
「! わ、話題をそらさないでください」
若干ほっぺたを赤く染め、特色のない寒々しい床あたりに視線をさまよわせるアズラエルさん。
ニヤニヤとイタズラっ子の笑みで眺める月城の視線に気づいているのでしょうか。
「ま、つまりはだ。記憶喪失になったからと、それまでに染み着いた癖や言語などの全てを忘れる、というわけでは無いということだ。依然として、舞。貴様に関する思い出と呼べるだろう記憶は確かではないが、貴様の人となりが、かつてとあまり変わっていないということは解る」
「……だから、あたしが嫌いなの?」
「用事の片手間に行った自己分析の結果ではな」
そう……と健康的な肌を白く染めうなだれる泉水さん。
さすがに心配になって打開を求め月城に目をやると、シミ一つない天井をぼんやり見上げていた当人は、だが、と続けました。
「単純な嫌悪だけなら、舞、貴様が友に裏切られ……」
そこで不自然に止めて、まるで躊躇うような、そのまま人差し指の先でつつきはじめそうな、月城らしくない、少女らしい迷いみたいな雰囲気を醸し。
「いざ貴様が変容しようと――壊れかけたあの時……形容し難い不快感、いや、忌避感のようなものを抱くのは、不自然だ」
……つまり、えーと……変わったら変わったで、気にいらないということ?
それって――
「――つまりは結局、貴女様は受け入れている、という事」
そう補足したのは、いつの間にか音も無く入室していたメイド長さま。
アズラエルさんが悲鳴に近いうめきをもらし、視界の先に立つ泉水さんは驚愕したようにのけぞり、月城のベッドに当たってすっ転び、月城の眼前に伏しました。
まるで、丸腰で魔物さんにでも遭遇したようなリアクションですが、この、何故か普段の四倍程に圧倒的な存在感と威圧感を前に、誰が笑う事ができるでしょう。
かくいう私も発作的に逃げかけましたが、後ろから首筋に添えられた万力がそれを不可能にしています。
――つきしろさまタスケテオネガイぷりぃず。
視線にかなり本気でメッセージをのせますが、苦笑するような黒曜に応答はありません。
「ま、そうなんだろうな。むずがゆいものだが」
「燐音様がそうおっしゃられるのであらば」
「というわけだ、舞」
「はいっ?!」
つかみ取り方に戸惑うやり取りの最中、唐突に名を呼ばれた泉水さん、ベッドに四つん這いから正座にシフトしました。
「俺様としては、そんな心境なのだ」
「……とっ、戸惑ってるってこと?」
その時私は、首筋を握り締め潰さんとする握力が掛かっているに関わらず、驚愕を禁じえませんでした。
いえ、月城のお話からある程度の意図を汲み取った泉水さんにではなく――
ふい、と。拗ねたように顔を背けるという、月城の反応にです。
「――リッちゃああああん!!」
驚愕はなお続きます。
感激した様子で月城に抱きつこうとベッドのスプリングをハズませる泉水さん。
それを迎撃しようと、カウンターを叩きこもうと神速の回し蹴りを繰り出したメイド長さまという名の超悪魔さま。
「――んとおぉぅ!」
――そして、奇声をあげながらその回し蹴りを上に跳び交わしたという――魔物さんのような躍動感で、回転しながら月城を飛び越え笑う泉水さんに、何よりの驚愕。
「ふっ、あたしに二度も同じパターンは通用しないんだよ!」
何ですかそのテンション。
そしてメイド長さま、何故に無言で、一度は放した私の首筋をもう一度握り締めしめしめつぶれるうううううう!!?
鈍痛に息が比喩でなく詰まる中、ぐるんと視界がまわり回り、回転というには一定方向に脳が揺れます。
というかなんでそのまま持ち上げられ――
「滅殺、衛宮爆弾!」
――直進する視界、あがる悲鳴と怒号と風切り音。
ついで、堅い物に硬い者が衝突したような音がどこか遠くで聞こえ――
本日何度目かの暗転です。