泣き虫
「――あっ、シェリーちゃん舞ちゃんーっ!」
広大な月城家の中央にある燐音さまの部屋に到達する手前の通路。相変わらず、完全な女の子にしか見えない――てかメイド服着てるのも相まって――司さんが、可憐な笑顔を浮かべ、小走りに近寄ってくる。
「大丈夫だった? 何か、凄い形相の静流さんとすれ違ったんだけど……?」
と、そこできょとんとした、異性とは思えない少女じみた愛嬌で首を傾げて見せる司さん。
恐らく、あたしと舞のなんとも言い難い引きつった表情を見てのリアクションだろう。少しと云わず、分けられるだけそのかわいらしさを分けて欲しいものだと常々思う。
「……えと、大丈夫?」
「いや、大丈夫……少なくとも、身体の方に害は無いですから。大丈夫です。多分」
まあひょっとしなくても、一般人なら一生レベルのトラウマ体験だったけど。ちょっと腰抜けてただけだし。
しかしこの言い方では納得しなかったようで、司さんは形の良い眉をひそめ、心配そうな声を出す。
「顔色悪いよ、二人とも。医務室に行った方が……」
「だっ、あっ、あたしは大丈夫です」
それに意を唱えつつ、あたしをちらちらと伺ってくる。
多分、あたしは抜けてもいいよってことなんだろうけど……なんだそれ。ここまでついてきたんだから、あたしも見届けなきゃ嘘ってもんでしょ。水くさい。
あたしのそんな心境に気付いてか否か、多分後者だろう。素早く司さんに視線を戻し、続ける。
「あたし、あたしリッちゃんに会わないと――」
「あ、それは無理だよ」
「……へ?」
さらりと予期せぬ否決をくだされ、ハトが豆鉄砲くらったような声を出す……あれ、顔だったかな? ま、いいや。ニュアンス的にそんな表情と声。多分、あたしも似た表情だと思う。
「燐音さま、寝ちゃったから」
何故それを貴方が知っている。舞を探してた筈なのに……何か用事でもあったのか?
「ねちゃ、って、寝ちゃった? まだお昼なのに?」
不満に近い怪訝を口に出す舞。
そりゃそうだ。
なんか道中でかじり訊いた要領わるい話でも、結構色々葛藤したらしいじゃないか。その上それら全部ぶっ飛ばすような障害突破してここまできたってのに、肩透かしもいいところ。
目当てに代わって対面している司さんは、穏やかな苦笑をみせる。
「そうだけれど、燐音さまは疲れているんだよ。多分、昨日帰宅してからも殆ど寝てないと思うの」
「……あー」
成程成程。
それを聞いてあたしは概ね納得したが、前提とした事情を知らない舞は違う。
「……寝てない?」
「うん。泉水家での一件とか。舞ちゃんのお義父さんの後ろ楯が燐音さまだからね、色々と処理が重なってて」
「へ?」
あたしと同年代とは誰も思わないだろう。子供のような表情で首を傾げる姿は、こいつの容姿と異様なまでにマッチしていて、可愛いもの信者な司さんも頬を緩めっぱなしだ。
てかあんた、気付いてなかったのか……?
そも、アンタは誰の紹介で月城に出稼ぎにきたんだってぇの。説明を請うような視線に人差し指たて応えてやる。
腕を組み、唸りながら反芻するように何度か頷いてみせる舞。
「ええっと、つまり、お義父さんは、リッちゃんとお友達……ってこと?」
……まあ、方向性としてはそんな間違っちゃあないけどさ。
「それに、神器行使の疲労も重なっているだろうから」
「じんき?」
……待て、なぜそこで首を傾げる。世界レベルの常識だぞ。
「神器っていうのはね。世界で一番堅いオリハルコンでできていて、いろんな神がかったことができる、とにかくすごいアイテムの事だよ」
「へー」
司さん、えらく端的な説明ですね。それに目を丸めるなよお子さま。
「……っていやいや、それは知っているんですけどね」
なら説明させてんじゃねーよ!
「なんでそんなものをリッちゃんが、いつ?」
「……神器を使わざるおえない事態だったからね」
司さんらしからぬ重い口調。それに否応なく思い返されるのは、昨日目の当たりにした光景と、泣き崩れる舞の姿。
その原因。
人の形をした災厄、異能力者。
それと対峙したという、燐音さまやメイド長たち。同じ異能力者である鈴葉くんも居たというが、結果はあの通り。
詳しいことはあたしもまだ知らない。
その手の話題も意図して避けてたから、というかこいつに係りっきりで知りうる機会すらなかった。
「異能力者の攻撃を防ぎ、一時制圧した時には大分長く具現化してたから、その負担はすごいよ」
「具現化? 負担って、」
「ああ、あのね。まず最初から説明すると、神器を構成する希少金属、真なるオリハルコンは、半幽物質とも呼ばれているの」
その単語はあたしも初耳だ。
だってそんな、雲の上というか超常現象というか、そんな感じのジャンルに詳しいってわけでもない。錬金術用語かなと推測するくらい。司さん、錬金術をかじってるし。
「半幽物質と名付けられた訳は、それで形成された神器と呼ばれるものが、私たちが感知できる物質と、感知できない非物質の中間と云われているから」
「……中間?」
そう呟くように疑問符付けたのは、さっきからアホ丸出しに首を真横倒してクエスチョンマークを浮かべている舞ではなく、あたし。
「そう、中間」
説明できるのがちょっと嬉しいのか、頬を必要以上に――訂正。いつも以上に緩め、司さんは続ける。
「物質であり、物質でない。故にドコにでも存在できるし、ドコにも存在しない。私たちが知る常識や法則が適用されないもの」
――それが神器。
様々な名で呼び称される、神聖の器具。
既存の常識の外にあるもの。
異能力の対とされるもの。
「だからこそ意思をもって手を伸ばせば、言霊で呼びかければいつでも其処に具現するけど、神器に選定された保持適格者以外、それを具現――物質化し、超常の能力を行使することはできないの」
「……それをいっぱい使ったから、リッちゃんは余計に疲れてる?」
「正解! 冴えてるねー、舞ちゃん」
神器の具現と行使は、それを成す保持適格者の精神力を酷使する。
それを、長い前置きに誤魔化されず言い当てるとは。やはり、妙なところで頭のまわる奴。
「まあそんなこんなだから、今日は出直してね。お願い、舞ちゃん」
「……はい」
気落ちしたような返事。それもそうだろう。司さんや燐音さまに他意は無いものの、完全な肩透かしをくらったのだから。
「そういえばー」
そんな中、この空気を変えるために敢えて空気を読まない、弾んだ声を出す司さん。
「静流さん、誰かを追ってたみたいだけど、誰を追ってたんだろうね。舞ちゃんとシェリーちゃんは知ってる?」
しかし脇目から見て少々、話題のチョイスを誤っている気がしてならない。なんでよりによってあの殺戮メイド長を話題にのぼらせるか。
「あっ、なんか旅人みたいな格好した、白い髪の男の人ですよ」
と、特徴をあげはじめる舞――って、アンタも乗っかるなよ! さっきもさっきの恐怖体験をもうなんでもないようにて、どんだけ神経太いんだ!
「…………ああ、成る程。あの人ですか」
そう、いつものおっとりした口調と表情で呟く司さんだが――なんだ? 言いようもない違和感というか、表現できないしこりのようなものを司さんから感じるような。
「あの人なら、静流さん相手でも長持ちしますね……なら、丁度良いかな」
何だろう。穏やかな独り言なのに特定人物に向けた棘があるような気が。
「……えっと、あの人、あたしは知らないんだけど、司さんの知り合い?」
あんな、メイド長と渡り合うような奴、一度見たら忘れないと思う。多分、合う機会がほぼ存在しない月城の外部協力者だとは思うんだけど。
「まあ、知り合いではあるね。うん。彼は、燐音さまの外部協力者の一人だから」
なにその歯にもの挟まったような言い方。憶測が的中したくらいしか判明したことないよ。
「それより、今なら静流さん――」
話題をそらしながら、辺りを見回す司さん。多分、鬼畜メイド長が居ないかのチェックだろう。聞かれたくない話題に限らずとも、いつの間にかそこに居る場合が多いからな、あの人。
やがて首を回すのを止め、司さんは再度にっこりと花が咲くような、年上の男を形容するには根本がおかしいというのにそう思わざるおえない微笑みを浮かべた。
「居ないみたいだし、ちょっと燐音さまの部屋を覗きにいかない?」
――悪戯以外に受け取りようがない申し出に困惑を返しつつ、断るだけの材料も無かった為に流され、結局は燐音さまの部屋の前に立つあたしたち。
……べっ、別に燐音さまの寝顔とかに興味があったわけじゃあないんだから。誤解しないように――てかなんかニヤニヤ笑うな司さん!
肩を怒らすあたしに肩をすくめる司さん。そして、ゆっくりと慎重に扉を開けた司さんは再度後ろ、あたしたちの方へ振り向き、しーーと口元に人差し指当て、静かにするよう合図を送ってくる。頷くあたしと同様の動きをする舞の姿が視界の端に見えた。
それはさておき扉が開く。
燐音さまの部屋。
完全な防音処理がなされた手狭な部屋の中は、一見した内装こそ質素に近いが、その実そこらの屋敷並みの資金を費やした設備が備えられているとかいないとか。
とかく、基本的に出入り禁止されているだけあって、様々な噂や陰口たたかれる燐音さまの寝室。
中に窓は無く、光源である電灯も今は消されていて、昼間だというに薄暗い。
入室したさいに開けた扉からの電灯が唯一の光源となり、数少ない家具の一つ、小さめなベッドまでの道筋になる。
そのベッドで寝息をたてる目当て。僅かばかりの光源では暗くてよく見えなかったが、やがて目も闇に慣れてきた。
そこで、どういうわけかメイド服着た少女のような少年の頭を胸に抱いて眠る主は、童話で伝え聞く眠り姫のような、愛らしく安らかな寝顔だった。
それはもう、うっかり呼吸を止めて見惚れてしまった程に。同性だとかそんなの関係ない、同性でも見惚れる美貌というやつ。それと相まって、常日頃からの俺様ーな人格とのギャップだろうか。しぐさとか無防備さとか、普通の、外見相応の女の子みたいな表情が、言っちゃあなんだが凄いかわいい。かわいいなんてレベルを通り越してかわいい。
メイド長を筆頭に、大勢が……雨衣が入れ込むのも、納得してしまう姿だな。
そう思った。
……いや、別に悔しいとかじゃないけど――ってなんで今、雨衣の顔が浮かんでくるの?!
いいいいいやいやいやっち、ちがうちがう、雨衣とかスきとかそんなんじゃないあたしはそんな、ーッちがうんだってばああああーっ!!
内心で自爆して悶えるあたしの横、
「――ぅっ」
堪えるようにかすかな、しかし切羽詰まったようなうめきが、あたしを正気に戻した。
「……ま――ッ!?」
うめきに視線を向けた直後、驚愕が口から出るのを堪えるのに、結構な労力が必要だった。
それは司さんも同様らしく、あたしが動揺を鎮めようと勤めていたタイミングで息を呑む音が、舞を挟んだ向こうから聞こえた。
慣れた闇の中、僅かな光源を反射させるもの。頬に代わり、嗚咽を堪えるように口元に当てた手を指を濡らす、感情の雫。
こいつは、泉水 舞は、また泣いていたのだ。
「――んっ、……だっ…………ぁあ……ッ」
部屋の外に連行された舞は、あたしに手渡された白いハンカチに顔をうずめ床にへたり込み、嗚咽のような言葉をもらす。
「……りっちゃん、だあぁ……っ……」
言葉の意味はわからない。
意味は理解できないけど、その姿は、その嗚咽は。
長く永く、探し求めていた大切な大切な何かを見つけたもののような……悲しみや痛みによる涙ではなく、心から溢れ出て許容量を越えた、歓喜の嗚咽。
そう、感じた。
だからか、かけるべき言葉を何も思い浮かべることができないあたしは、ただ、嗚咽が止まらない友人の背中を撫でてやることくらいしかできなかった。
こいつは一体、さっきの部屋で、何も言わない燐音さまから、何を感じたのだろうか。