兎とメイドとロリコン? と
静まり返った食堂での、味のしない食事をなんとか完食したあたしたちは、先程チラッとだけ見えた舞の泣き顔がなんとなく気になったあたしは、死の淵から復活した、異様にやる気の司さんや仏頂面の雨衣たちと、手分けをして捜していた。
ふざけた広さをもつ月城本家の中庭は、内壁や階層に隔てられ、合計三つある。そのうちの一つに向かう道中に、三階にあるT字廊下がある。
その廊下の丁度中心あたりで、ふらふらと半泣きで蠢く捜索対象を発見した。
化粧っ気皆無な唇はへの字にひん曲げられ、横顔はキョロキョロと忙しなく動き、なんだか小動物チックな様子。というか、あたしには気付いていないらしい。
見つけたことに安堵の息をひっそりと吐き、声をかける。
「……舞、あんたどしたの?」
呼びかけに反応した舞が振り向き、半泣きの瞳をあたしに向けてきて、
「――っ、シーちゃああああん!!」
泣きつかれた。
――はてさて、どうしたことだろうか。最初、走っていた表情や気配からは、一目で尋常じゃないものが読み取れたんだけど。
「……うぅ、広い、広すぎるんだよう、なんか見た目が違うお庭が三種類もあるし……」
今、燐音さまにまた会いたいとかぬかすアホの子を伴う、くっちゃべりながらの道中。
何だろう。話した感じ、別にそんな深刻に見えない。というかアンタ、あたしらが異様な空気の中、味のしないご飯を必死こいて処分してる間に、なに中庭制覇してんだ、原因が。つか、庭の一つ一つが結構離れた場所にあるんだぞ。高い身体能力を無駄に使ってんなっつーの。ってかあたし、迷子の保護に来たのか?
「……っつーかあんた、何で迷子になってんだ。一応、世話係はあたしって事になってんだけど、燐音さまは――」
燐音さまの部屋で面会してたあんたが退室するんなら、あたしが呼び出されるハズだけど……何で泣いて飛び出してんのさ。
「あ、ぇっとそれは、あたしが、逃げ出しちゃったからで……」
「逃げ出したぁ?」
不可解なことをオウム返しに問うと、あたしにしがみついた際、頭に小さいたんこぶこさえた舞は、微妙に目線を落とした。
「……うん。リッちゃんを叩いちゃって、それで色々堪えきれなくなって、逃げてきちゃったんだ」
……………………は?
とんでもないコトを口にされたような気がして、しばし思考と脚が硬直。
その間、僅かばかりの間隔で遠のいていくちっこい背中。
「……シーちゃん?」
子供っぽい顔が立ち止まったあたしに振り向く。不思議そうに首を傾げるなバカ野郎。というか、聞き間違いだよね、ねえ?
「…………いま、なんつった?」
「え……あ、えと」
ヒドく言い難そうな様子。涙の跡が残る目元に、活発の色は無い。
…………聞き間違いじゃなさそうだよ、まったく。
「…………叩いた、って。燐音さまを?」
「え、…………ん」
さらに言い難そうに頷く舞を見て、流石にちょっと立ち眩み。事態の深刻さを読みとれば読みとるほど、それはヒドくなっていく。
――ああああ、あの料理長の料理を全て残して逃亡レベルの重大事だっ……!
「ど、どしたのシーちゃん。顔青いし、ガタガタ震えて」
「……アンタそれ、絶対誰にも、特にメイド長に言うなよ」
「はぇ?」
ええい、人の気も知らず脳天気な顔でっ!
「いいか、あたしゃあね、同年代に見えないけど同年代のあんたが、グロテスクになるところなんて見たかないんだ」
「ぐ、ぐろ……?」
「だ・ま・っ・て、おくこと……イイな?」
「は、はいっ」
あたしより一回り小さい肩を掴み握り上から睨みつけ、目を白黒させて頷く舞にあたしも頷きを返し、念のため振り返り辺りを見回し見回し注意深く見回し……確認。よし、メイド長は居ないな。
こういう、聴かれてはマズい話を大概に後ろか、こっそり隠れて盗み聞いている事が多い、最大の恐怖と絶望を擬人化して黒を基調としたメイド服を着せたような姿がないことを確認し、胸を撫で下ろす。
「……ふーっ」
「ナニを捜しているのです、シェリー」
「そりゃアンタ、あの鬼畜で外道で燐音さまオタクのメイド長だけにゃ知られる訳に、は……………………」
舞でもあたしでもない、第三者への返答の後――死にも等しい静寂が訪れる。
「ほう、誰が鬼畜で外道なのでしょうか?」
背後から、あたしからすれば向き合っている舞の背中の方向から紡がれるセリフに、覚えのある濃密な気配。てか燐音さまオタクは触れねぇってのがソレっぽいいいい!?
喉の奥が干上がり、唇が渇き、全身から汗が吹き出し、体中が小刻みに痙攣する。
それだけの恐怖が、濃密な殺気をまとい、あたしたちの背後に立つ。
振り向けない。見たら死ぬ、動いたら死ぬ、呼吸しても死ぬ、てか殺られる。それ以外連想するコトが不可能な、血なまぐさいと錯覚する空気。心臓に刃物か銃器を突きつけられたような気配。メイド長の、殺気。
「……まあ、それに関する追求は後でじっくりと行うとして、」
空気の発信源がそう呟きながら、惨殺の殺人現場翌日よりは殺伐としていると断言できる空気を和らげていく……ケドあたし助かってないし!?
しかも、悪魔か悪鬼が目の前にいるような気配は完全に消えた訳ではなく――あたしの間近に、ピンポイントで突きつけていた。
「それで、リンネサマヲタタイタ、とは……ドウイウコトナノデショウカ?」
――やっぱり最初っから聴かれてたああああ!?
てかどこに居たんだこの人?!
脳内の絶叫が、実際にこの、戦場より殺伐とした空気を揺らすコトは無かった。
そう、尋常じゃない。恥も外聞も無く悲鳴をあげて逃げ出したいのに、意識に反して体は全く動いてくれない。
そういう、威圧感。
濃密な、あたしに直接向けられたわけじゃないのに肌が泡立ち冷や汗も乾き、伝わる圧迫感。
そんな、揺らぐことすら考えられない空気は、
「……どうもこうもなく、そういうことです」
あたしより遥かに子供っぽい声が、緊迫感を煽るように揺らした。
「あたしは、リッちゃんを……叩きました」
……鎮痛な声、だが普通、声どころか、呼吸することすら困難な圧力の中で……意思を、吐いた?!
刹那的な驚愕が萎縮を上回り、声の主を見る。あたしより小さい後ろ姿しか見えなかった。
それは、つまり――
「……ほう、では、」
「だから、謝りに行かなきゃいけない。ちゃんと、ちゃんと話をしなきゃいけない。のです」
あたしでは目を合わせるどころか姿を直視する度胸もない、メイド長と……面を合わせている?
「……それで?」
零度以下の声。寒さが過ぎると凍えではなく、痛みを感じるというけど……まさに、そんな痛い声だ。冷た過ぎて心がへし折れそうな声で、表面だけは先を促すメイド長。それに、対抗どころか立ち合う事すら難しい筈の素人が、
「――そこを、どいてください」
有無を云わさぬ絶対者の意図を汲まず、或いは理解しながら、自分の意を、かちかちに固い声で、口にした。
――ぴしり。
我らが月城家の全面防弾ガラスに、はいる筈の無い亀裂が広がるような幻聴が、死合にも似た静寂の場で、聞こえた気がした。
「――――な……」
幽かな音。音にも近いハズの僅かな声は、相変わらず顔を見る勇気がもてない対象が発したと、一瞬以下の刹那で理解する。
「……フザケルナ」
――言語化して表す事が不可能と断言できる、強くて強くて強すぎる、悪意に満ちた声。舞の背中が、一瞬震えた。あたしが見ることのできない形相を視た少女は、小さな悲鳴を発した。
――警鐘。さっきから逃げろ逃げろ逃げろの三文字が、災害に見舞われた民間人が発する悲鳴のように繰り返し脳内で響きわたる。しかし、恐怖に支配された心は体は、下半身にそれを反映させることができない。
「…………ふざけるなふざけるなフザケルナフザケルナフザケルナ」
――恐怖。
そんな考えも感情も浮かんでこない。強すぎる悪意が強すぎる感情と入り混じり、強すぎる狂気に変換された空気は、吸い込むだけで何も考えられなくなる。
そしてゆっくりと、場の暴君が動いたような音がして、
「ワタシの、リンネ様に――」
「その辺にしとけ」
――男の声が、狂気を吹き飛ばした。
張りがあるわけでも強さがあるわけでもない、若干にやる気の無さを感じる程度の、普通の声。
それで空気が変わり、見えざる束縛は解け、自由が戻る。ふらりと、近くの窓際に寄りかかり、抜けた腰を奮い立たせ、転倒を堪える。前方の舞はへたり込んでいた。
「お前の負けだ、多分」
「…………何故、貴様が此処にいる?」
「野暮用だ。それよか月城のマセガキから聞いたぞ。ついでにンな、しち面倒な事も頼まれた。手を出すなと命令されてんだろうが」
「黙れ。燐音様に近寄る害虫を駆除して何が悪い」
「悪ィに決まってんだろが。だから部外者の俺まで使われてんだよこの馬鹿野郎」
「…………」
「……止めとけ。どっちか死んだら、お前の大好きなリンネサマが悲しむんじゃないのか、少なくとも不利益しか無いだろ。え?」
……………………だ、誰だ、あの人?
思考停止からある程度立ち直り、恐る恐る。
こちらに背を向け、おそらく殺意を前方に集中させているだろうメイド長をうっかり視界に入れないよう気を配りながら、そのメイド長と渡り合う男を視た。
キレイな顔立ち、すらりとした長身痩躯を黒いコートにつつみ、くすんだマフラーを首に捲く、旅人のような格好。
腰に刀を差した青年。
見知らぬ青年。しかし、
「ほれ、アホらしいだろ。止めようぜ、深裂 静流」
小悪党のような笑みすら浮かべて、成人男性二人分もない距離でメイド長と相対し、そんなコトを言ってのける……ありえない青年。
あたしに、そういった知識はあまり無い、が……異常の中で平常を保ち続けることが、どれだけ異常なことか。くらいは朧気ながら理解できる。
「…………………………」
メイド長が無言で、肩をミリ単位で脱力させたのを視界の端で認め、さらに驚愕。
お、おさめた……?
あの、燐音様くらいしか穏便に鎮めるコトができない、暴走したメイド長を……口車でおさめた?!
ありえない、飛竜をよちよち歩きの子供が乗りこなすこと位ありえないことに、硬直。
……これが、一流のやりとりだというのだろうか。
「……小娘に好かれたいからと余計なことを。野良ロリコンが」
ものスゴい不機嫌そうな悪態も耳に入らな…………ろりこん?
「誤解を招くような事をほざくな!」
今、幼児性愛者呼ばわりされた青年は、小キレイな顔台無しな悪人笑いを止め、叫ぶ。やけに必死に。まるで、叫び馴れた事をリピートするような倦怠も含めて……
「そういう弁解は燐音様に色目を使わぬ者が言うことだ」
燐音さまにっ!? え、えええまさかそんな、折角キレイな顔してるのに、またそういう残念な人?!
「誰がいつどこでどの幼児に色目使ったあああああ?!」
「燐音様を視界に入れた瞬間だ、ロリペド野郎」
…………ひ、一目惚れってやつなのか? 確かに、燐音さまは人間の限界を色んな意味で突破した感じがする美少女だけど……
「テメェはあのドチビに近寄る奴全員をロリペド呼ばわりするつもりかよ!?」
ど、どちびて、なんて気安い言い方?!
「…………ドチビ、だと?」
そして主人の悪口を赦さぬ悪鬼がまた覚醒。今度は顔面をひきつらせ蒼白させる青年。
「――畜生ッ、付き合ってられるかよ!」
チンピラ風の捨て台詞を叫び、反転して長い白髪を靡かせ、通路の脇から逃げ去っていくロリペド疑惑の青年。
……というか、背中にへばりついてる薄い桃色の長い髪の毛の塊に、手足が付いたようなのが見えたのは……極限状態を脱したばかりの幻覚だろう。きっと。
ついでに、逃げられると思っているのか……? 今度こそ引導を――とかいう、メイド長の囁きのような耳なりも幻聴だろう。多分。
そしてすぐさま防弾ガラスを素手で粉々に――割ったのではなく、粉状に――して、窓から飛び出して入ったメイド長の後ろ姿を気にしたら負けだ。うん。此処は三階だとか気にしても負けだ。
そんなことより、
「…………舞、大丈夫か?」
「………………」
女の子座りの形でへたりこんだままで、返答も反応もない舞に訝り、回りこんで表情を覗き込むと……
口は半開きで八分開きくらいの瞳は焦点合わず、目の前に立って手のひらを揺らしても、ポンと頭を叩いても拳骨で殴っても微動だにしない。
何やら、放心状態に見える。
…………いや、解らんでもないけど。あのロリペド疑惑の彼……多分、同僚たちとの噂に何度かのぼった、燐音さまの有力で信用できる外部協力者なんだろうけど。でなけりゃこの月城家に立ち入られるワケがないし。
彼が助けに入らなければ、相当にヤバかった。何がヤバいって説明する必要が皆無なくらいヤバかった。
そんなヤバいことを身内にやられかけたという事実も相当にヤバいものがあるけど……くっ、やはり燐音さまにチクるしかないか。
しかし我ながら、実力なき平均的下っ端の思考だなあ……
しかしさて、どうしようかこの子。今、あんまり足腰に力はいんないから、おぶって医務室に連れてくのは無理だし。
「…………こっ、」
あ、復活した? てか、こ?
「……こっ、コワ……こわかったあああああ…………」
じょびじょびと、滂沱の涙と鼻水を流し始める舞。
いや、情けないんだけど……仕方ないよねぇ。
むしろスゴいよ、あんた。あの状況で、あそこまで我を通せるっつーか、意見するなんて。
少なくとも、完全に凡人のあたしにゃ、できない。
冗談抜きで尊敬に値する。怖いもの知らずを傍で見たまんまの心境だけど……うん、よしよし。
あたしよりちっこくて無謀で、勇敢な友達に。
労いと賞賛と僅かばかりのやっかみを込めて、その柔らかい髪を撫でた。