泣け
――……ぅ、う…………
……あれ、何だろう………………揺れる?
というか、あたし……何で――!!
脳裏に蘇ったのは、白い、コワい男の子。それに雨衣さんが……で、あたしとっさに――それで……それで?
ざーー、って降る、激しい雨の音がやたらと耳に入る。というか、背中や頭に当たっていて冷たい。なのに、前はあったかい。ついでに、なんか揺れてる気もする。
何なんだろう。
冷たさにうめきながら目を開けると……
「あ、気付いたの?」
…………ええっ、と……
誰かの、背中。薄い紫色の髪、歩きながら、おぶられてるの? その人からの声、薄紫色の……えと、あ!
「シーちゃん?」
「……はいはい。元気そうでよかったよまったく、心配させて」
「あー、えと、ごめんなさい?」
初めてできた西方生まれの友達の名前を呼ぶと、ちょっと拗ねたような声。
謝りつつ、疑問に、というより状況が解らず首を捻る。
開けた視界は夜でもないのに薄暗く、雨はざーざー背中を叩く。水分を含んで張り付いた衣服と髪が気持ち悪い。
「……どう言う状況なの?」
「私に聞くな。私だって、さっき起きたばっかなんだ」
そぉ云えば、シーちゃん気絶してたよね。メッちゃんに……殴られ、て……
――まさしく、頭を思い切りぶん殴られたようなショックを感じ、気付く。
「つーか、起きたんなら自分で歩け。私は、」
――メッちゃんやリッちゃん、冥たちは、どうなったの?
気付いて、思い出して。血の気がひいたあたしに、シーちゃんの言葉を聞く余裕は無く、すぐ近くにあったシーちゃんの肩をつかみ揺さぶり、
「メッちゃんは?! 冥は!? リッちゃんもみんな、ねえどうなったのシーちゃん!?」
「ば、馬鹿! こんな体勢で揺ら、揺らすんじゃ――ぇあああ゛っ!?」
「ひあっ!?」
転倒。
あたしをおんぶしていたシーちゃんの肩を思い切り無我の境地で揺らしたせいで、二人して雨水でべちょべちょの地面に転がる。
その際におんぶから投げ出されたけど、地面に手をつくシーちゃんの肩が不気味に震えている事には気付いた。
「――な・に……考えてんだこの馬鹿野郎ォ!!」
「ご、ごごめんなさいぃッ!」
転倒した痛みから冷静になったのか、それとも純粋に、逆三角形に目を怒らせて胸倉掴むシーちゃんに気圧されてか、あたしは殆ど反射的に謝っていた。本当にあたしが悪いし。
しかし当然というべきか、唯でさえ雨水でべちょべちょ、それ以外の原因でもボロボロだったメイド服が駄目押しとばかりに泥と路傍のゴミが付着し、沸騰したような怒りの表情は収まらない。
「――ッたく、ロクな説明はされないわ、雨衣は司さんが担いでくわ、なんか起きたら家は焼けてみんなずぶ濡れになってるわ、散々だっつーに!」
頭掻きむしりながら、苛立ちをまくし立てるシーちゃん。
薄紫が舞い、飛沫が飛ぶ。いくつもいくつもぶつかり合って小さくなった雨粒が目に入って、まばたき……
――え?
「……ヤケタ? ヤケタ、ってなに?」
「…………あ」
シーちゃんが、翠色の目を丸めて、自分の口を押さえた。
まるで、言ってはいけないコトを言ってはいけない人に言ってしまったような、引きつった雰囲気。
沈黙。痛いくらいの不自然な沈黙は、あたしに時間を与えた。
沸騰しかけた頭で、断片をかけ集める時間。
……ヤけ、た…………焼けた?
あたし、家、どこ、白……
とにかく、恐ろしくて、怖くて、わけがわからない、寒々しかった、白。
気絶する、前。
――それは、ドコ……?
カチリ、という音が、聞こえた気がした。
「――ッッ!」
踵を返し、走る。
ここは知ってる道筋だと、あたしの中の冷静なトコロが判断して、走る。
「なっ、おい舞! 止まりなさい!」
シーちゃんの静止の言葉も聞かず――全力で、走った。
「………………あ」
目の当たりにした光景に……言葉は、ない。でない。
ただ心臓の音が、雨の音よりよく聞こえる。
何も、何も考えられない。思考停止……
――只の焼け焦げた跡に、なった、あたしの……――泉水の、お家。
重なる、わたしの、焼かれた、わたしとめいとおかあさんとおとうさんのいえ……おんなじ、あのときとおんなじ、アメがふっていた、
おとうさんとおかあさんがコロされたヒと……おなじ――
「――――舞ィ!!」
――……あっ……
肩を思い切り揺さぶられながら名前を呼ばれて、少しだけ意識を取り戻す。荒い息を吹きかける背後に振り向くと、ベタベタに張り付いた髪にも構わず肩で息をする、ずぶ濡れていてどこかキレイな、シーちゃんの姿。
「……シぃ、ちゃん?」
「……あっ、アンタっ、脚速すぎだっての……ったく」
「どうしたの、そんなずぶ濡れで――」
「アンタが走ってくからだろが!」
耳にくわんくわんくる声に、鈍い頭で納得する。
あ、そういえば、シーちゃんを置いて、走ってきたんだよね……シーちゃん、なんだかんだ言って優しいもんね……
「ねぇ、シーちゃん……みんなは?」
今聞くべきかどうか、というより単純に、いっぱいいっぱいな頭が思い付いたコトが、口を通して出た。
「……冥って子も、燐音さまも、みんな無事だよ。司さんが、そう言ってた」
雨はまだ激しい。今が朝なのか夜なのか解らないくらい、空を覆って、ナニモカモを水びたしにして、凍えさせる。
シーちゃんはそんな中でも優しいと思う。こんな寒い中で、こんなあたしに付き合って、応えを返してくれる。
「メッちゃんは……メグリちゃんは?」
「…………」
聞こえるのは、雨風の音ばかり。
応えは、返ってはこなかった。
……なんとなく、わかってた。
あの、あたしの話を聞かない、聞いても、押し通そうとしてきた、強い……何だろう、とにかく、強い何かで、メッちゃんは……リッちゃんを、殺そうとしていた。
だから、それがしたいから、メッちゃんは……メッちゃんは、
「……ヤケ、ちゃった」
次に口から勝手に出たのは、水が詰まったような呟き。
「……あの時みたいに、ヤケちゃった」
――お義父さんのおうちが、あたしの、おうちが、
「おうち、ヤケちゃったあ……」
視界が、かすみきって前が見えない視界が下がって、ふらふらして吐き気もして、立っていられなかった。
――冥のおへやがあったのに、
――メッちゃんのおへやがあったのに、
――あたしのおへやが、あったのに……っ!
みんないっしょだった、かえるトコロだった、のに……だっておうちはそういうところ、なのに、なのになんで?
「――また、これじゃあ……みんな、かえって、かえってこれなぃよおおっ……!」
――なんで、なんでまた、なんで、なんでなんでなんでぇっ――
「……舞、」
かたい声に反応して顔を上げると、霞んだ視界の先に、真剣なシーちゃんの、顔。
「私は、家ってもんを持った事がないし、扶養する家族もいないから、解らないけど……アンタが今、壊れかけてることくらい、解る」
区切って、シーちゃんは、呼吸をひとつ。翠色の瞳は真っ直ぐ真摯に、あたしを見据え……
「だから、泣きなさい」
「……しーちゃ、」
「四の五の言わず、泣きなさい。
理屈はいらない。
悲しくて悲しくてどうしようもないでしょうけど。アンタが泣いたところで、世界も、理不尽も、何も変わらない」
雨粒のせいか涙のせいか、目を開けてられないくらいに潤む。
でも、そんな目でも、そんなあたしでも、シーちゃんの雰囲気が、凛としていてキレイだってことと、
「――だからこそ、今は……今くらいは、泣きなさい。思い切り」
今のあたしが抗えないことをいってくれてることは、解った。
――だから、あたしは、この‘友達‘に縋って、泣いた。
未だ晴れない雨空の下で、あの時と同じように、泣いた。