塗り潰す白
血を噴き、血を吐く、塗り潰すような白が、血色の赤に染まる。
どれだけ殺戮を繰り返しても、血の色は変わらない。
白濁の焔と呼ばれた狂人が、災害とも呼ばれた異能力者が、見る影もない無様な姿を晒す。
決着。紛れもない、決着。
ひとつ、緊張と共に溜まった息を吐きながら、一応、磔にされている以上、動けしないだろうが、念の為。ヤタノカガミの上から糞野郎を軽く踏みにじっておく。
「――ぐぉうえっ!?」
潰された爬虫類のような雑音を無関心に聞き流しながら、燐音様の命令を待つ。
異能殺しが発動している以上――異能力者が異能力を発揮できない以上、コレは只の塵だ。頼りきっていたモノを封殺した今、処分はいつでもできる。
しかしさて……処分か、拷問か……? 一応に、後者の可能性も考慮して、吐くに必要な内臓は潰してないが……
「――ンで、神器がぶっ壊れテんだょ……」
その弊害が出た。息も絶え絶えな塵野郎が、確認するように独りごちる。
五月蝿い。
踏みにじる足により体重を込めると、一際聞くに堪えないうめきが、木造建築によく響く故かそれとも単純に老朽化の影響か、或いは両方か、木霊する雨足の音にまぎれた後、静かになった。
しかし、反抗的な目は変わらない。
それに、内臓を抉るか、より苦痛を与えながら内臓を抉り出すか真剣に悩んでいると、燐音様が近寄ってくる気配を感じた。
背中で申し訳ありません。
「――命令する」
……これは、私にではないな。燐音様の視線は――この塵屑に向けられている。
つまり、この塵屑糞野郎に対する命令。
「死ね」
「えらい率直?!」
激しくなってきた外部の雨音程度の声量だというに、誰も聞き逃さないだろう声。後者の絶叫はどうでもいい。
了解、駆除します。
凛々しい一声に応え、錬金術師のようなツッコミの声を聞き流し、さてこのまま神器ごと踏み潰すか腑を抉り回すか――
「……飼い主」
そう、雨足に紛れた呟きがあったために、止める。
……うん、吐く気か? どっちにしろ、死刑に変わりは無いが……
「……テメぇが、オレの飼い主と言った奴の……情報。は――」
「いらん、死ね」
「り、燐音さまあ?」
了解。直ちに。
即断即答での命令に快く肯いた瞬間、司らしき声が聞こえたが無視。さて、とりあえず大腸から――
「――テメぇが、思ってる奴だョ」
――そんな事は当たり前だ。
燐音様ならば、どれだけの修羅場であろうと、言動や行動などから、背後関係のプロファイリング推測が片手間にできる。
それより貴様、燐音様を汚い目で視るんじゃ……燐音様?
燐音様が、息を呑まれるかのような気配に、反射的に死刑執行の手を止めてしまう。
心無し、この泉水邸全体に、穏やかとは言い難い雨足が浸透していく気がした。
「……そォ、何人と居ねぇぞ。半死半生のオレを拾い……動かし、反貴族組織とパイプがあり、ンなフザケたプランを組みィ……テメェを殺すな、ナんてェフザケた事をオレ様にヌかす奴ア」
…………殺すな?
不可解な発言。何故、燐音様……木原 八雲か? 無くはないが……
「――燐音、さま?!」
思考に頭を埋めていた頃を見計らうように、司が悲鳴じみた声をあげた。
――燐音……さま……ッ?!
異様な衝動が頭を打ち、顔を――地に這いつくばってなお警戒すべき対象からそらし、背後を――燐音様を、視て……声もだせず、硬直。
そこに、居たのは――
――涙を流す、燐音様――
小さな右肩を小さく震わせ、つぼみのように小さな唇を開き、片目から透明な雫を、とめどなく流す。その表情に浮かぶのは、恐怖のような自失のような忘我なような――あまりに、あまりに弱々しく――あまりに引き寄せられ、見惚れてしまう……燐音様の、姿。
燐音様の、しかし、燐音様からは想像する事すらできない……威厳も威容も自信も、強さの一つもなく。
ただ、一押しするだけで崩れ落ちてしまいそうな、儚さを感じた。正逆の――美しさが、網膜に焼き付いた。
どうしようもない、今すぐ駆け寄って抱き締めねば壊れてしまうのではないかという姿への衝動と、普段とはかけ離れすぎた表情に対する停止と、この場を動いてはいけないという理性からの静止が、一度に頭ではじけ、思考と行動が凍結。
ただ、反響する雨音ばかりが耳につき――
――カチャガチチ――
――凍結は、その雨足に紛れた、聞き慣れた重厚な音と――感じ慣れた殺気で以て、解消された。
視線をずらす。憎たらしく忌々しい白濁が笑い、その白い手が構える――二丁の黒い、自動拳銃。
――ッ、異能力者の癖に、小道具などをォ!!
八つ当たり気味の感想を吐くより早く、拳銃が鉛玉を吐くより早く、迎撃もトドメも間に合わないと無意識で反応した体が得物を手放し、進路上で燐音様を抱きかかえ、最速で離脱する。
――銃声、銃声、銃声銃声銃声。
ひっきりなしに、機械的に単調なリズムで連発される弾幕は、全弾こちらに向けられているらしく。相手は寝そべって磔にされているというに、私の肩を掠め防弾性にも優れたメイド服を焦がし、貫通はしないまでも二発ばかり鋭い衝撃が背中を襲う。走行バランスを崩さないよう、歯を食いしばり苦心しながら一定距離まで撤退する中、私が反転するより早く、
「――ベェーオ゛ォお、ヴォルブゥウ!!」
――背後から、磔にされている筈の雪深 冬夜が、能力者の名を、絶叫した。
「起きてンだろぉがァ、ベーオウォルフッっ! 助かりタキャ、」
――マズい。
ミカナ メグリには、当たり前だが一応、万一サッサと意識を取り戻した時のため、錬金術師に薬物投与させてはいるが――厭な予感が背中を撫で、弾幕も止まない。
牽制しようにも、私が反転すれば、万一にも、燐音様が……くそっ!
「――復讐を果たしたきャぁッ、サッサと立ち上がってコレ退けろゃアアアアアッっ!!」
――背後から、誰かが立ち上がり、床を蹴る音が聞こえ。
乾いた弾幕の音が枯渇するのとほぼ同時に、肉から刃物を勢いよく引き抜く音が、背後から――否。今し方、振り返った視線の先から、聞こえ……見た。
私の得物を再び手にした、忌々しい能力者の威容を。
中空に放り投げられ――表層から姿を消していく、神器を。
――やはり、辺境の脅威に曝され馴れている能力者には、神経毒など……ちっ、だから、泉水 舞などを考慮して、緩いやり方で……いや、私の……一時でも奴から注意を逸らした私の、失態か。
「――ィひヒャァハぁッッハハハハハハハハハハーあッ!!」
舌を打つ中、哄笑をあげ――幽鬼のように立ち上がる、否、不可視の糸に引かれた人形のように直立で浮き上がる……戒めを解かれた白い異能力者の、姿。
忌々しいと睨み据える先で、異能力者の血は……止まっていた。ベクトル焼却の異常は、出血にも適用される……いや、それだけだとしたら――傷が塞がっている理由にならない。
「――形勢、逆転だァなあ……人間?」
口元の赤を拭いつつ、歪な形相で笑いながら……異能力者は、愉快で堪らないといった口調で、現状を朗読した。
「……アンタ、どういう」
「質問は後で聞ィてやんよ、能力者ァ……先ず、こっから退散すっぜェ」
……何?
「……何でや。アンタなら、」
「ンだよ、復讐くらィ、テメぇでやり遂げたくネぇのか? 何のタメにオレに呼応しタんだよ」
「…………何、考えとんねん」
……忌々しいが……この状況、恐らく多少消耗しただけの忌々しい異能力者に牙を剥かれれば、全滅は免れない。
癪だが、ミカナ メグリの非難がましい指摘は、敵性から見れば正しい。
――何故、この場で退く?
というか、何だ……この会話、まるで……
「――ンじゃ、コイツは連れてクぜ、人間共」
仲間では……無い……いや、無かった?
情報が足りない……表情を伺うことの叶わない燐音様は、未だ肩を震わせ、何も云わない。
悠々と二本の脚で立つ異能力者が、自分より長身で色黒の能力者を伴い、踵を返し――
『――まっ、待ってえッ!』
声が――頭の中に直接叩きつけるような少女の声が、聞こえた。
『そんな人と……どこにいくというんですかっ、メグリおねえさん!』
「……ああ゛?」
「…………冥?」
訝し気な反応を返す、敵性二つ。
二つの視線は、私と……意識がある司と、錬金術師の視線と、同じ。
力無く、床に横たわる泉水 冥。
『――メグリおねえさん! その人は……コワい人ですよ!』
霊体の姿すらない……完全なサウンドオンリーで、泉水 冥と思わしき音声は、続ける。
「――……冥……なんか?」
『そうです! わたしを……おねえちゃんをおいて、そんな人とどこにいくというんです!』
動揺したような声を返す能力者に、少女の声は真摯で、真っ直ぐだ。
説得……なのだろうか?
拙いが、鼻につくくらい純粋な、意志を感じる。
「……っとるよ」
それに、足を止めて顔を向け、けれども微妙に俯いく能力者は、雨足に敗北する呟きをはっす。
『……え……?』
「ヤバい話やっつー事、解ってんねん」
『だったらっ、』
「……冥、何でアンタの声が聞こえるのか解らんケド、アンタなんやね。なら、アンタも解るやろ」
無機質な面をあげながら、能力者は間をあけ――どこかが吹っ切れたように、口を開く。
「例えば、舞が殺されたとして、殺したヤツ、アンタは赦せるか?」
『……え』
「例えば、その舞を殺したヤツが解って、今ものうのう生きてる思おて、アンタは、何も思わんか?」
『……それは、メグリ、おねえさん……あなたは、』
淡々とした口調に、それを語る乾いた雰囲気に、日常レベルで接点があるだろう泉水 冥は、何を思ったか。
「あたしは、赦せん……それだけの、ことや」
……復讐。ありきたりな理由だ。
しかし、ヒトはそのありきたりで、道を踏み外す、か。
『…………でも、でもそんなの、おねえちゃんがっ』
「…………っ」
――ミカナ メグリは、泉水 舞との繋がりで、この泉水の家に止まっていたと聞く。
どういう繋がりかまでは定かではないが……繋がりがあろうと、あの暗い怨念がブレるとは思えん。しかし、
「……待て、貴様は、それを――」
私が根本的な疑問を発しようと口をはさんだ瞬間――灼けるような殺気を感じ、首を真横に傾ける。
無造作に放たれた閃光のような白焔が、頭の在った空間を灼き、私の頬を浅く、耳を深く裂く。後ろの建物が貫かれ蒸発する音が、激しくなってきた雨音と耳鼻中に血が溜まる感覚に紛れ、無傷の片鼓膜を揺する。
――野郎……喋ったら始末する……ってことか……
「……なんか解らんが、時間稼ぎはゴメンだぜ。さッさと先イけや、能力者」
「…………」
私の見解は間違ってはいないらしく、いけしゃあしゃあと命じる異能力者に従い、無言で背を向ける能力者。
そこに、誰かが身じろぎするような、雨足に紛れ、かき消されるほどの微かな音が。
「……んっ」
「――……っ」
――若干麻痺した鼓膜では、泉水 舞が何か寝言を吐いたとしか分からなかった。
そしてそれに肩を震わせ、歩みを硬直させた能力者は――
「…………っッ」
何も云わず、私の得物を手にしたまま、風穴の空いた勝手口の成れの果てから、雨足激しい外へと走り去っていく。
その後ろ姿は、女性にしては高い体躯だというのに、私とまともに闘える能力者だというのに――ひどく、矮小に見えた。
その矮小を拐かすような白が、視界を遮る。
枯れ木のように細く、白い両手をゆっくりと大仰に広げながら、白濁した異能力者が、嘲りを浮かべながら此方を見下ろす。少年的というより少女的な体格だというの、悪意と威圧と傲慢でもって、こちらを見下ろす。
「――ざまアネェな、月城 燐音、ついでに人間ドモ 」
…………貴様……
「結局、オレは目的を果たし、テメェらはそんなザマな上、ヤタノカガミがぶっ壊れてるッて情報も漏れたシなぁ゛……だァら、サッサト引き渡せッつーたんダょ」
「……黙れ」
私の声に、異能力者は嘲笑を深める。
嘲笑。悪意に満ちた、低い嘲笑。勝者が敗者を踏みにじり悦に浸る嘲笑。
「ヒャ、ヒィぁハハハハハっ!」
呼応するように、嘲笑と雨足のリズムにノるように……異能力者の体から、まがまがしい程に白い燐光が、異常が、舞う。
――マズイ――逃げ……ッ?!
後退し、逃げようと力をいれようとした瞬間、機先を征するように、私が抱えていた燐音様が、力をいれてもがいた。
「――逃げるな」
何時もの、どれだけ小声だろうと雨足や雑音に負けようがない力強い言霊に、思考と体の動きが止まる。
――なっ――ッ、あ……そうか……燐音様は、
「……さぁて――時間はネぇが、このまマ帰んのもシャクだかンなァ」
その間に、広げていた両手が翻され――
「――あんまりィぃッ、シィなねェとイイなぁアあッ!!」
――白が、はじけた。