相性の善し悪し
――顔が異常に暑い。触ってみても判る、明らかな体温上昇。火照るなんてものじゃなく、それも限定的に――
というか熱い。
主に……燐音様に撫でられた箇所を中心に広がる熱。頬なんかは炙られてるんじゃないかってくらい熱い。
扇いだところでどうこうならん熱だと、漠然ながらも理解する。
できれば凍る寸前まで冷えた水あたりを顔面から浴びたいところだが、それで冷めるかどうかは分の悪い賭けと云わざるおえない。それほどに熱い。
しかし、代わりに横手からの刺すような視線で、若干落ち着きは戻ってきてはいるが――所で、その刺すような視線を送っている奴。
十代になったばかりの幼さからか、元が中性的な容姿をしてはいた、いけ好かない少年。が、何故に奴は、また侍女服など着ているのだ。
「…………おい、衛宮の」
「私は依崎です、九咲さん」
と、真っ向から俺を見据え――というか睨みながら、丁寧ともとれる女口調で告げてきた。
何時もは俺と目を合わす事すらしない、度を超えて気の弱い筈の、衛宮家次男坊。
………………これは、一体どういうことだ。
依崎……とは確か、中央国に入国する際、衛宮の名はマズいからと付けられた、衛宮の偽名。
何故それが今になって?
「何故今更そんな偽名を使っている。というか何故女装を」
「九咲さん」
質問を強い口調で遮り、咎めるような目で続ける。そこに、竜でも撲殺できる癖にチンピラに脅える小心者の面影は皆無。
「任務を優先してください」
誰だコイツは。
心底から本気でそう思ったが、口に挟む間も無い。
「色黒の方は私が見張っているんですから、貴方はアズラエルさんを介抱してください」
「……………………それはそうだが」
まさか、精神制御――いや、あれは思い込みを意図してかけることによるもの。精々が、自己の性別が逆であると思い込む程度の効果。人格まで捻じ曲げるようなものでは……
「全く、ご主人さまに撫で撫でされたからっていい気になって……」
「なあ、実はメイド長辺りの悪生霊にでもとり憑かれているんじゃないかお前。若しくはメイド長自身か?」
「……何ワケの分からない事言ってるんです。それよりさっさと取り掛かってくださいな」
割と真剣に吐いた台詞に、軽蔑と不信を合わせたような目で吐き捨てられ、これ以上話す事など無いとでも言外に語る様に出入り口の方にそっぽを向く衛宮。
…………成る程、悪意を以て正論でねじ伏せられるとは、まともな反論の仕様がないだけに、これ以上ないくらい腹立たしいものだな。今度シェリーに謝っておくべきか。
行き場の無い怒りを堪えつつ、主からの指名を果たす為、木造の床に片膝をつけ、師匠との訓練などで正座する際に感じる畳の感触とは違う堅さを感じながら、床に横たわる少女二人を看た。
俺と同僚二人を何故か殺さずに無力化した敵性であるベーオウォルフの少女。
何の因果か、当の本人も無力化されて床に転がされ、怒気を通り超す怨念を宿していた赤い目は、今は目蓋によって硬く閉じられている。
俺や同僚二人が無様に叩きのめされた後、こいつをやったのは――メイド長では無いだろう。
あの人が勝ったならば、両者共に五体満足である筈が無い。
単純な戦力を考えると、この場にいない師匠でなくば、この…………衛宮しかいないだろう。
衛宮の変貌と、何らかの関係が有るのだろうか。
何か、途轍もなく悪い角度で頭を殴打されたとか。コイツの頑丈さを鑑みるに、鉄とか砕け散るような強さで。
あのベーオウォルフの少女ならば、それ位の力量は有るのではないかと推測するが…………
そのベーオウォルフに無力化された同僚の一人、シェリーは、頭は殴られていない様に見えるが、大丈夫だろうか。血色は悪くは無いが……とりあえず骨折などの処置は――
「……いやらしい目ですね」
いずれ貴様とは決着を付けねばならんなと、常日頃から考えていたところだ。
床に片膝着けたままで、半眼で俺を見下ろす――いつもとは逆のそれが、言いようのない位に腹ただしい――衛宮を見た。
「……貴様、さっきから何だ。露骨なまでに悪意を感じるんだが」
「悪意なんてそんな……私はただ、ご主人さまに撫で撫でされて羨ましいなこの狗畜生とかこのロリコン野郎がにやけてんじゃねぇよこのムッツリとか思ってませんよ? 心の底でしか」
思ってるよなそれ完全に思ってるよな。ついでに心の底でとか抜かしながら悪意とか嫌悪とか普通にだだ洩れてたし。
よもや完全な別者――というのも違和感があるが、この苛つきはどうしようもない。以前から私的に腹立たしい奴ではあったが――
「――はぅっ」
妙な間合いをとりつつ合った空気を、同僚の高い声が引き裂いた。
どちらかと云えば怨敵同士が睨み合うような目で見合っていた俺と、衛宮だか依崎だかの女装小僧の視線が、声を発した同僚に向く。
吊りがちな目を瞑ったままの同僚は、気絶しているからか心なし上気した頬で、何やら体をくねらせながら。
「……ーん……だ、だめ……ういぃ、そんなとこ、まだ……んん、恥ずかしいよぅ」
何の夢を見ている。
「…………け、ケダモノっ!?」
誰がケダモノだ。
赤面して後退りながら意味の解らん事を吠える衛宮だか依崎だかに、じと目で返した。
「――コンカクハクリ?」
「魂殻剥離だ」
何が違うんだろう。
きりっと言っただけじゃん。
人と人の間にある言い方の違いに首を傾げながらも、血だるまになったおじさんを――ああ、あそこ後で掃除しなきゃあ――足蹴にするリッちゃんに問う。
「それより、そのコンクリートが冥の病気……ってかこの半透明の正体って?」
「魂殻剥離だと言っている。今度は完全に間違ってるぞ」
肩をかっこ良い風に上下させながら、リッちゃんが半眼で訂正を一つ。だって、長いしむつかしいじゃん。
「ま、魂殻剥離なのは殆ど間違いない。症状――というには語弊があるが、とかくかなり珍しい症状だ。しかも最後に確認されたケースが相当古い情報なのでな。この、」
足蹴にしていた白衣のおじさんを、細くて白いけど所々痣ができていたり、ちょっと擦り切れた感じのある――メッちゃんから逃げてる最中、あたしから落ちた時の傷だろうな――脚で蹴り上げ、ちょっと揺すった。
「この錬金術師は知らなかった様だ」
「それより、その……」
――治るの?
そう訊きたかったけど、言葉が詰まった。
清潔にしてあるベッドの上、呼吸もせず死んだように横たわる自分の体の上で正座している半透明の冥が、不思議そうな表情であたしを見ているのを横目で確認。
――訊き難い……いや、この冥の手前もあるけど、本当は……こわいんだ……尻込みしてるんだ、あたし。
冥は助かるの、元に戻るの治せるの。
そう訊いて、首を横に振られるのが……コワいんだ……
そんなあたしの心境を見透かしたような、透き通るような黒い眼が、あたしを見る。
「――謎が多い。如何せん、参照した記録が古過ぎるものでな。治療法は……詳しく閲覧してみんことには、何とも言えん」
…………?
なんだか、なんだろう……再会してから、随分変わったと思う……リッちゃんだけど、なんだろう。変わった、変わってしまったリッちゃんらしくない……何だか誤魔化すような、濁すような……なんとなく、変な感じ。
病状が良いのか悪いのかも、わかんなかったからかな。
「――所で、泉水 冥」
『……はい?』
違和感に首を傾げるあたしを余所に、謎な病気で半透明になった――精神と肉体が離れたとかなんとか――妹に語りかける、リッちゃん。
「具合はどうだ。吐き気とか、めまいとかは」
『あ、ぜんぜんへいき、です。むしろこうなったのにきづいた時から、らくになったというか……』
「……ふむ、まあ肉体と離れている以上、感覚が無いのも道理だが」
一人納得するように呟きながら、つかつかと短パンから覗く細い脚を動かし、冥に歩み寄っていくリッちゃん。その間、真っ直ぐじっと冥を見つめながら。
『……え、っと…………あの』
「俺様は月城 燐音だ。好きに呼べ」
『……はあ、ってあれ、リンネ……? ていうかオレサマって』
困惑する冥を余所に、ベッドの傍らのリッちゃんは、おもむろに手を伸ばし――半透明じゃない方の冥のほっぺを、つねった。そりゃそっちは普通に触れるからねーって何してるのかなリッちゃん?!
慌てて駆け寄ろうとしたところ、後ろから肩をやんわりと掴まれて、止められた。後ろを向いて犯人を見ると、曖昧な笑顔を浮かべた司さんが。
『――あ、あぅぅ? りゃんあいりゃぃ……』
「成る程。精神体は肉体に依存している……にパイプが確かに存在…………ならば」
『……ぃ〜、はりゃひへ〜』
泣きそうな感じの情けない声に視線を戻すと…………なんか半透明の冥のほっぺた伸びてるうっ?!
「……ん、痛かったか。すまんな」
半透明になった妹の、青白いほっぺたが独りでに伸びるという異常事態に――いや、半透明になって若干ふよふよ浮いてて二人? に別れてる時点で十分すぎる程に異常事態だけど――ビックリして硬直してる間に吐かれた謝罪の言葉と同時、元に戻るほっぺた。
え、なに、どゆこと?
『……うー』
「悪かったよ、痛かったな。よしよし」
うっすら微笑みながら、ちょっとぐずり始めた半透明の冥の頭を撫で撫でするリッちゃん…………ってあれ?
「………………っンのコムスメガッッ」
「静流さん静流さん自重して自重――いやあの、八つ当たり気味に睨まれても困るんですけど、いいじゃないですか可愛いんだから、ってグラハム先輩をそんな振りかぶらないでくださ」
後ろから聞こえてくる絶叫と、生肉を押し潰すような音を聞かないようにしながら、リッちゃんに話しかける。
「ねぇ、なんでリッちゃんは冥に触れるの?」
あたしが抱き付こうと(二度目)した時、すり抜けて向こうの床に顔面から着地した痛みはまだ、というか現在進行形で、司さんが差し出してくれたちり紙突っ込んだ鼻が、よく覚えている。
魂は基本的に不可視なもの――何故それが肉体から離れているのはわからないけど、基本的に理解できないし、見れもしなければ触れないもの――とはリッちゃんの弁、だけど……両方破られてない? みんな、はっきり青白い半透明な冥が見えるあたしやリッちゃん以外、輪郭がぼやけて性別が分からないようにだけど、見えてるって云うし。リッちゃんは触れてるし…………あれ、リッちゃんだけ?
「ああ、俺様の専門……いや、得手の一つだからな。精神体だの感情だのといった類は」
あたしにはわからないことを言いながら、感触が気にいったのかな?
冥の髪を、優しい手つきでゆっくり撫で続けるリッちゃん。
『…………ん』
目を瞑って、気持ち良さそうな顔。本来の肉体以上に肌が青白いから、頬が赤いと余計に目立つよ、冥。
「それは兎も角、いい加減に実りのある話をしようか」
流れを切るように前置き、リッちゃんは、あたしに目を向けた。
相変わらず、見つめられると言いようのない感覚になる。宝石みたいに綺麗な目。
「貴様ら姉妹を、連れて帰る必要がある」
「…………それって、冥も……?」
少し間を置いて、真っ先に思いたった疑問を聞いた。だって冥は、えと……なんかこんなんなってるし。
「その冥が、こんな状態だからだ。設備の整った所に移した方が良い」
「リッちゃん……!」
助けてくれるんだ……!
そう思ったら、目頭が熱くなる。視界の先が霞んで潤んで、リッちゃんの綺麗な目がよく見えない。なんかたまらくなって、うずうず――
「――リッちゃああぶあ゛ッ!!」
『お、おねえちゃあん!?』
――ぎゃあああああああああああああ!?!
――衝動に従って抱き付こうとした瞬間、何か、視界の下の方になんかにゅって伸びてきて……んでそれが、突っ込んだあたしの首に、カウンターで直撃したんだ……と、痛みのあまり絶叫することさえできず、首を押さえて床をのた打ちまわりうめきながら整理した。ついでに、
「…………静流、何をしている」
「いえ、」
――ああ、
「害虫を叩き落としただけです」
この、生ゴミでも見下ろすような目であたしを見下ろしながらいけしゃあしゃあと語るメイドさんとは、仲良くできそうにないなあ……そう、なんとなくという本能で、理解した。