半透明
――何故か、半ばからへし折れたレアメタル製の刃物という相当に希少な物を手に、それ以上に珍しく、本当に珍しくも呆然としているメイド長以外の視線が、僕に集中した気がしないでもない。
「――ま、平たく謂えば、何の変哲もない只の死体が一つ出来上ガったという訳ですよ」
「――、……………………うそ」
一メーター半はいってないだろう、華奢というよりは子供みたく小さい体が棒立ちになり、呆然と吐かれた単語に、眉をひそめる。嘘呼ばわりは不愉快ですね。
「嘘じゃありませんよ。医療に携わる者として、診断結果に嘘は吐キません。泉水 冥の生命活動は、停止しました。なんなら見て確認してクださい」
医療錬金術師としての僕の宣告を聞き、瞳の焦点を失くし意図的かそうでないのか脚の力を抜いた泉水 舞は。
――ふわり、とかそういった擬音が聞こえそうな感じで、いつの間にやら近くまで寄って来ていた柏木 司の手によって、横抱き――俗に云うところのお姫さま抱っこ、とやら――で支えられ、転倒を免れた。
「舞ちゃん」
「…………うそ、めい、めい……が…………めいが、」
歯の浮くような声音で呼び掛ける柏木 司に応じず、精神的に致命的な損傷を受けたように焦点の合わない濁った目で何かを呟く泉水 舞。どうしたのだろうか。
――たかが身内が一人、妹が死んだと聞かされたくらいで。
別に自分が何らかの損害を被った訳では無いというのに。一般人の感性は理解できない。と首を傾げる僕に、珍しくメイド服以外の服に身を包む柏木 司が――女性と見間違わない者の方が稀な顔でにこりと笑い、僕を見た。
「――グラハム先生。言葉には、気を配ってくださいね?」
ただし、その眼は――まるで御主人に投石した愚者を見下ろすメイド長に匹敵するような、対象を物理的にグロテスクな肉塊にしたさそうな、尋常からはかけ離れた眼差しだ。
正直、震えが止まらない。戦場で銃を敵に突きつけられても、ここまで生々しい恐怖は感じないだろう。爬虫類に睨まれた両生類の心境を今日だけで何度味わったことか。あれ、間者としての潜伏生活よりヒドくね?
「……少し鎮まれ」
溜め息を吐くような、曖昧な発言。
されども芯のある幼い声は、確かな迫力と熱を帯びているようないないような。とかく、厳かに場を征したのは、この場で最も小柄で最も麗しく最も幼く最も聡い、並みのロリータコンプレックスならば一目で骨の髄まで魅了されるだろう御主人・月城 燐音様だ。
その御主人の溜め息を吐くような一言で、魔眼や邪眼の類じゃないかって眼差しが、明らかに弛む。
「……燐音さま」
「冷静になれ。対象の事になると熱くなるのは貴様の悪癖だぞ」
「…………はい」
嗚呼御主人、今ほど貴女に感謝した時はありません。
……ってあれ、なんかちょっと貴女も顔色悪く無いですか?
「……妙な言い回しだったな。『只』の? 貴様にしては不自然に、前後の発言が食い違っている」
相変わらず聡い見解に不自然を感じつつも、まあ問題はないかと頷きを返す。
「ああはい、説明は僕の専門分野なんですガ、どうにも、いやいや一度見てもらった方ガ良いですね、コのケースは、異質でして」
我ながら要領を得ない発言だとは思うが、場合が場合だ。有能な僕とて錬金術と同じく万能とは程遠い。
階段の奥を――只の死体が横たわるだけの部屋を親指で差すと、御主人は一度だけ鷹揚に肯いた。
「よかろう。鈴葉、貴様は――」
「――ッっ!?」
御主人の台詞の途中で、ちょっと骨折していた月城の従者の、より重傷だった方が起き上がった。
何か悪い夢でも見ていたのか、僕よりも背の高い少年は、触診した時よりコンディションが悪そうな顔色で辺りを見回し、びっと当の少年を指差す御主人に、顔を向けた。
「………………り、燐音さま?」
「丁度良い。雨衣、貴様も鈴葉と一緒に此の場で待機。メグリを見張り、シェリーを介抱しておくように」
「…………は、え?」
「了解しました」
気絶明けから呆然とした様子の少年と、不必要なまでに似合うメイド服を着て一礼を返す少年――随分と人格が違う気がしないでもない、衛宮の次男に対し、御主人は平然と告げた。
「あの、舞ちゃんは」
女顔を曇らせて伺う柏木 司に、御主人は表情を変えずに面を合わせた。
「連れて来い」
「でも、そんな」
身内の死体を身内に見せる事に抵抗があるのか、二の句を濁す。やはり、僕には解らん心理だ。片手間に学んだ心理学に当てはまりはするけど、僕は相当に一般から外れた精神をしているらしく。全く共感できない。
「……観測するまで、結果は解らん。連れて来い。或いは解消できるかもしれん」
「………………はい」
かなり渋った様子で頷きを返した。その横で、
「…………あ、あの、えと……」
「何だ」
何故か口ごもったような黒い髪の少年。心無しか冷淡に返す御主人。
「…………あの、申し訳、ありません」
「下らない事をほざきたいんなら後で聞いてやる。それより遣る事は?」
「………………了解」
一切の現状説明をスルーし、微妙に苛立っているような感じの御主人が、哀れっぽく頭を垂れた少年に、宜しい、と言いながら歩み寄り、白く細い手を伸ばし、その少年の頭を撫でた。
「……えっ……燐、音……さま?」
「…………ふん」
紅潮した顔を上げた少年は、御主人に呆然と呼びかけも取り合われず。表情を硬直させた女装メイド異能力者を一瞥してスルーし、御主人は踵を返す。階段に歩を進めた。やはり身内や、気にいった相手には結局甘い……というか、飴と鞭?
「――何をしている。行くぞ、錬金術師」
「ああ、はいはい只今」
いつの間にか、突撃銃を何処からか回収してきたメイド長と、未だ放心状態の泉水 舞を横抱き、優雅に佇む柏木 司と僕を伴った御主人は、年季の入った階段をのぼる。
「……掃除はしたようだな」
と、階段をのぼり終えた所で言ったのは、御主人。
「綺麗好キなんですよ。余所サマでもゴミとカほうっておケませんし」
僕程の錬金術師でなくとも、死体を原子にまで分解することくらいは容易だ。人間の基本的な人体構成の解読なんて、初歩の初歩。達人や天才が趣向を凝らした美術品を創るのは難解でも、崩すだけならいとも容易い。それと同じだ。いつだって、築く事より壊す事の方が簡単なんだ。例え話にせよ、美術品ほど人間は美しくないけど。
まあ兎に角、輸血の血を錬成ついでに、清潔にしておいたのだ。
「そうか」
あれ、なんでそんな生ゴミでも見るような目で一瞥されたんだろう、僕。
綺麗になった廊下を進みながら、聞いてるだけで陰鬱になる、泉水 舞の呟き声のリピートを聞きながら(強制的)、首を傾げる。
血とか臓器とかの汚れをとって綺麗になったとはいえ、大元が古びた廊下。メイド長を最前列に、小さく軋む年季の入った床を踏み進む。
やがて到着した最奥の扉前で、先頭のメイド長がノブを無造作に捻る。因みにゴツい比較的最新型の突撃銃は肩から下げられている。シュールな絵だな。
低く、耳障りな軋む音をたて、メイド長がゆっくりと扉を開けた。
『――おねえちゃん?』
頭が、目の前が真っ白になって…………浮遊感。あたしはなにをしていて、今どこにいるのだろう。
わからない。
色々なことが、ワカラナイ。
『ねぇ、おねえちゃん、どうしたの?』
――幻聴……かな。なにか、どっか遠くで、かすみがかかったみたいに…………冥のこえが、聞こえる。
真っ白になったあたしの意識を、揺らす。
『ねえ、おねえちゃん……お〜い』
……なんだか、頭が揺さぶられた気がして、寝ているみたいにどこか遠くに感じていた景色が変わり――横たわる、日光を浴びることのない病的な肌が、色なんて殆どない、あたしが切って整えた髪が、閉じられたあたしと同じ色なのに固く閉じられた目が、中途半端に開いた変な色の小さな唇が、清潔な寝間着を着た、小さな体が……あたしの妹の、かすんだ視界でも、間違えることのない、けれど前見た時よりも弱々しい、生気を感じない冥の、姿――
『――おねえちゃんってば、どうしたの。ないちゃって』
――と、全く同じ顔が、視界の真ん前に入ってきた――
………………………………あれ?
なんかひらひらと目の前で、微妙に透けて見える、青白くて小さい手を振るう、…………のは………………
『――おーい、おねえちゃんしっかりしてってば』
「…………………………めい?」
『うん』
と、可愛く頷きを返す妹。の、半透明の向こうにうっすら見えるのもおんなじ顔………………はえ?
「…………めい」
『うん』
「……めい」
『う、うん』
「……めい?」
『……おねえちゃん?』
「…………冥?」
『おねえちゃん、だから、』
「――め゛ェエ゛ィイい゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛! ? !」
『きゃっ』
決壊した感情の赴くまま、何故か半透明な冥にすがりつき――あれ、素通り?
「――はっ!」
「へぶらっ?!」
歯が何本か抜けたんじゃないかと思えるくらいの鋭いような鈍いような衝撃を頬に受け、床に転がるさなか、冥の悲鳴を聞いた気がした。
『きゃあああああ?! おねえちゃあんっ!?』
「ま、舞ちゃん大丈夫?!」
「――任務完了しました」
「……いや、んな親指立てながら誇らし気にされても、遣りすぎとしか言えんぞ、静流」
「……がーん」
「自分で効果音付けても駄目だ」
う、ううん……なんか、人が転がったことで寸劇が形成されてる気がするんだよ……
なんか優し気に助け起こされながら……ああ司、さん? ありがと。
………………ねえ司さん。
「はい? なんですか?」
あの、可愛らしい顔で優し気に微笑むのはいいんだけど…………あれ、この人男だったような……いや今はそれより冥のこ――…………い゛っ?!
「――なんで冥の部屋に血だるまさんが転がってるの?!」
「説明不足の説明役に対する、躾?」
いやあの、可愛いらしくいわれても、あの血だるまさん、なんか曲がっちゃいけない方向に関節とか曲がってんですけど。てか躾って。疑問符付けられてたし。
「ほら、猫ちゃんとかにだって、おいたをしたら叱るでしょ? それと同じだよ」
「いや、んな次元と違いますって」
悪戯した子供とかに対する叱りと、ヤの字の方々の私刑くらい違います。だって頭からえらいどくどく流血してるし。お尻の辺りからなんか突っ込まれてるし……
ベッドの、丁度冥の足元から先の、ベッドの上からは見えない位置に転がり痙攣する血だるまさんと朗らかに笑う司さんに割と本気で怯えながら、ツッコミ所が在りすぎる発言にツッコミをいれた。
それを理解してくれたのか、司さんわかっているよとでも言いたげな、満足そうな笑顔で何度か頷き。
「そうだね。猫ちゃんは可愛いもんね」
「あ、それはそうですね。前にバイトしてた料理店の裏によく集まってたシャム猫も――って論点がズレてるよ!?」
「わあ、ノリツッコミだね!」
致命的に焦点がズレた発言を重ねる司さんをじと目で見つつ、はて最初に何か見たような血だるまさんのインパクトで忘れているような……と思いいたり、考えながら視界を回すと――ベッドの上から、悲し気にあたしを見つめる、半透明の冥の姿……
「………………あれ、なんで冥ってば透けてるのかな?」
『…………いまさらだよ、おねえちゃん』
何だろう。そこはかとなく馬鹿にされたような溜め息がかわいい妹のものも含めて三つ聞こえた気がする。