誰が望んだ
――噴出した激情の余り、真っ白になった頭で、割り込んできた障害を薙ぎ払い、最速、最短で'奴'の首を、'奴'の狗の得物で、望みうる最高の動き、速さで、斬り落とそうと、した。
しかし、確実に間合いに捉え、得物を振るった瞬間まで目測できていた筈の'奴'の姿は、其処になかった。
狐に摘まれたような気になったのも、一瞬。
コンナマネができる奴を、
「なんのつもりや」
あたしはこの場で、一人だけ、知っている。
「――舞」
今まで決してアイツに、悪友に向けた事のない声を、たったひとつ馴染みのある気配のする方向、背中越しに、向ける。
「邪魔するんか」
「――っ、わかんない、よ」
絞り出すような、懸命であろうと気張る、切羽詰まった声。
やたらに重く感じる体を動かし、振り向く。
ちょうど部屋の中央を挟んだ、鏡合わせのような反対側に、'奴'を横に抱き抱えた、小さな、見慣れた後ろ姿が在った。
それを見た瞬間、焼け石に冷や水ぶっかけられたように、僅かばかりの一瞬、本能に支配されてた理性が戻る。
「……わかんない?」
――そんなんあたしかてよー解らんわ。
見られたない奴に、見せたないトコ見られて。なんや怨敵に……'メグリ'の仇に言えへん事解った風に弁解されて。
正味、よぉ頭で理解してへんのよ。
でもな、いっこだけは、やることだけは解っとんねん。
此処まできた存在理由は……忘れられへんのよ。
「――なら、そいつを離せや」
「……離したら、殺すんでしょ……?」
――弱い、小さい背中やな……
なけなしの気力を振り絞るような弱い声に、震える背中に。一瞬、瞑目する。
――誰や、舞にあんな似合わん姿させとんのわ……?
――あたしがさせとるんや。
あの、阿呆みたあな笑顔と明るさが取り柄の、ガキ並みの体格震わせて、守ろしとるモンを……アタシが!
――奪おうしとるんや!
あの時、あの時の彼奴らみたァに、今度はアタシが……あの、バカに、あのお人好しにッ…………ッッ!!
――ダレガウバッタ?
――ドクン、と。心臓が一回だけ、高鳴った。
……奪った……奪った、奪ったうばったウバッタウバッタウバッタ――
あたしから、なにもかも奪い尽くしたのは――
「――そぅや」
呟きと同時に、認める。
「そうや」
自分自身の、意志を。胸の奥渦巻いて収まらん収集つかんドロドロを、認める。再認し、身を焦がす。
――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎憎憎憎憎憎憎怨怨怨怨憎怨怨怨怨……
舞に阻まれ、行き場無い感情に噛み締め過ぎた歯の奥から変な音して、鉄の味が舌先まで浸透する。
目を限界まで見開き、奪い取った同志の血ィこびり付いた長物を'悪友'に向け、
「――そうや! アタシは、そいつを――月城 燐音を、バラすッ!!」
宣言する。吠える。絶叫する。
「それを、それを――っ!!」
――わけわからん、憎悪以外になんか入り混じった感情に泣き叫びたなるんを誤魔化すように。
「それを邪魔するんなら! 手前かて、ブチ殺すッッ!!」
力任せに激情任せに、目測から大きく離れた場所を、振り下ろされた長物の空振る音が、虚しく空虚に木霊する。
それを果たせばどうなるか。頭の隅で朧気に理解していながら、止まれない。止まらない。
「――ょ、」
小さい背中が一瞬大きく震え、小さく何かを呟いた。
更に、続ける。
「わけわかんないんだよ」
小さい背中が、ゆっくり緩慢に動き。
舞が、振り向いた。
「リッちゃんに会えたと思ったら別人みたいになってるし、メイドさんは怖いしシーちゃんは優しいけど変な子だし、変な女の人には殴られて気絶させられて、連れてかれた先はあたしのお家で、お家は変な奴らに占拠されてて、冥はどうなってるかわかんないし、」
理不尽を、堪えてきた煮え立つものをゆっくり噴き出すように、ぽつりぽつり、淡々と語る。
「雨衣さんは怪我してるのに扉ぶち壊すし、シーちゃんは無事だったけど司さんは男で、バケモノは死体で女の子転がってるし、お家なのに、また、またお家ぐちゃぐちゃになって……メッちゃんは、そいつらの仲間でリッちゃん殺すとか言うし……ッ!」
嫌々する子供の様に、'奴'を抱えたまま首を振るい、色素の薄い、短い金髪を揺らす。
それに混じって、雫が飛んだ。武器を持つ事で発達・拡張した動体視力で、それを捉えた。
――泣き虫が、また泣いている。
涙を流して、嗚咽を堪えて泣いている。それだけ、それだけのことやろ。
よく泣かすやろ、自分。
よくやる事やろ、あたし。
――なんで、ッッ、よくあることでこんな、胸が苛つくんねん!!
あたしの心境を知る由もない泣き虫は、翠色の澄んだ瞳をあたしに向け、化粧っ気の無い頬を濡らしながら、震える唇を開いた。
――なんや、なんかキレイやな。
苛ついて浮ついて叫びとぅて、ごちゃ混ぜの頭ん中は、場違い極まりない感想を抱く。
「――わかんない、わかんないことばっかだけど。それでも、」
言葉を重ねる度、目に力が、意気が増していく。
「それでもッ!」
大粒の涙を、頭を揺すって振り払い、あたしを……'睨んだ'。
「それでも護りたい、なくしたくない人は、笑っていて欲しいひとは、もう見失いたくない! 絶対に見捨てない!! 護ってみせるんだ、今度こそ、絶対!!」
意気。強い、意志……しかし、それは――
何かが崩れ落ちる音が、どこか遠くで聴こえた。
…………はっ。
口を真っ直ぐ結び、それ以上にあたしを真っ直ぐに見据える舞を、自分でも可笑しいくらい冷ややかに見返す。
「……邪魔、するんやな」
「……あたしはね、リッちゃんが居たから……冥と、生きてここまでこれたんだ。だからッ!」
……あんたの身の上、目の前で両親を貴族に殺されて、家焼かれて……そんで'リッちゃん'とかいうガキに会って、ちっとはマシな状況になって……はは、ははははははは……
「……違うなあー」
舞が……'敵'が、眉をひそめた。それを面白おかしく見下ろす。
――あんたの身の上、最後だけあたしと違うんねんなあ。救いがある……
――目の前で家族殺されて、家焼かれて……そんで唯一残った妹まで誘拐されて……死体になって帰ってきて。
どこに、その犯人許せる道理あるん?
……あんたにゃ、生きる真っ当な理由、在るんやね。心を支えてくれる奴が、
「…………は、あは、あははははははははははははは……!!」
「……メッちゃん?」
――泥沼が過ぎたか。
鬱屈を通り越し、いっそ清々しい面持ちで、目を丸めこちらを見る、'奴'を守護する、啖呵をきった、'敵'を見る。'敵'を見て、一歩前に踏み出した。
「――解らへんやろなあ」
あたしにも――もう、あんたの、そういう気持ち……解らへんもん。
――奪われ僅かばかり遺され、苦難の果てに大切と云える存在が戻ってきた奴の気持ちは、自分以外の一つも遺さず奪い尽くされ壊された奴にゃ……あたしにゃ、理解できへんのよ。
――気付きた、なかったなあ……
光、って……眩しいんやね。
「……止められ、ないの…………?」
ひとつ、息を吐き。
既に涙はない、しかし未だ跡が伺えるくらいに赤い、真摯な目を向ける'悪友'に、
「――あたしにゃもう、復讐しか残ってへんのよ」
最後に、決別を告げた。