道化師は嘲笑う
――沈黙、沈黙、沈黙。
誰も何も喋らない。
昨日までは、想像する事もできなかった、胸が痛むくらい静かな空気。
答えを待つあたしはもちろん、問われたメッちゃんは俯いたまま沈黙を、そんな空気を保つ。
「――ねぇ、」
まず堪えきれなくなったあたしが、その空気を揺らした。
破ったのでなく、静かな水面に波紋をつくるように、無感情に揺らした。
――仲間。
この家を占拠したという男の人たちの、犯罪者達の仲間。なのかもしれない。
あたしはそう、疑っている。
メッちゃんを、疑っている。
冗談無しに、疑っている、のに……なのに、
「なんで、何も言ってくれないの……?」
悪友。
一緒に暮らしていた、居候。
小憎たらしかったけど、決して心から憎めはしなかった……楽しかった、悪友。
――あたしを騙していたのか。
変だとは思っていた。
大怪我した雨衣さんの手当てをしてる時、ずっとおかしな顔してたし。
そもそも、武器さえ持ったらあんな強いメッちゃんが、大人しく捕まっていたり、トイレとか言って出してもらって、戻ってこなかったり…………ずっと変な行動してたんだ。
――騙されてるあたしを嘲笑っていたのか。
疑問が、疑念が、懐疑が湧く。
不思議となんの感情も沸かないのに、冷ややかな疑念だけが膿みたいに、鈍い心の痛みと一緒に、ジクジクジクジク。
悲しいのか虚しいのか怒っているのか諦めているのか、考えられない、のに……どこか圧迫されている気がする。
硝子の破片が散らばる舞台で、裸足で踊ってるみたいに、言葉を重ねる度に傷口が広がっていく感じ、なのに……
「――やっぱり、」
――また一つ、ステップを践んだ。
だって止まっていたら、何もしなかったら、痛いから。
それが我慢できなくて、また別の硝子片を践んで……
「そうなんだね……」
――っッ。
あたしの心境を映すような、深い、沈黙が流れる。
メッちゃんは、顔を俯かせて、何も言ってくれない。
否定して、違うって、言ってくれない……
泣きたくなるように冷たく、喚きたくなるくらい重たい、誰も何も喋らない、身動きもしない、無音の空間。
――そんな沈黙は、ひどく唐突に破られた。
「――その認識は、色々と適切ではないな。というか、早計と云える」
――強い声。
音にしてみれば、ほんの小さな声なのに、何故か心が奮え湧く、曇り空から射す天光のような、芯の通った強さを感じた。
それに自然と、振り向く意外の動作ができなかった。一種の吸引力みたいなものかな。
吸い寄せられた視線の先に、引き込まれるように深い、暗闇より真っ黒で、何故か月明かりを思い浮かべる、乱暴なまでに強い力を詰め込んだような瞳を視た。
いつか見たあの日より、何か、根本が違うような変わらないような、ぐちゃぐちゃ混ざっているのに真っ直ぐに純粋な瞳。
見惚れずにいられない、純粋な黒。
「――っ、燐音様?!」
雨衣さんが、信じられないものを見たような声で叫ぶ。
月城 燐音……今、倒れ伏す司さんから少し離れた所に、他人の助けは要らないとばかりに、堂々とした二本の細い脚で立つ、小さな小さな女の子の名前。
矛盾にまみれた純粋な瞳の、かつてあたしがリッちゃんと呼んでいた女の子の名前。
「……貴様」
漸く聞けた、メッちゃんの声。
親しみや、明るさというものをどこかに置き忘れたような、怨念のような声。
「くく、僅かながら理性は残っているようだな。その辺は、賭だったが」
そんな凄みの在るメッちゃんの声に、小さな小さな女の子は、呆れたように肩をすくめさせただけ。不適切なまでの笑顔。
「だが、どうやら俺様の読みは的を射ているらしい。ま、当然だが」
「……黙れ」
「断る。貴様の弁論なんだ。貴様こそ黙って聞け」
怨念じみた声にも取り合わず、有無を言わさない口調で不思議な事を語りながら、つかつかと優雅な歩きで横に移動し、小さな小さな人差し指をたてる。
――当然ながら、かつての小さな小さなか弱い白い女の子の面影は、無い。
「最初から聞いていたが、先ず雨衣。貴様の見解……そこまで頭を巡らせた事は誉めてやるが、失笑せざる負えない程に穴だらけだ」
「……は、はぁ……?」
「連中との繋がりについては否めんさ。だがそれ程までに、連携が行き届いていた風にも見えんのだ」
「……何が言いたいの?」
自然と口から出たのは、自分でも驚くくらい冷たい声。
「くく、なに。突き詰めて言えば、公私は分けるタイプ――かどうかは知らんが、貴様の戦闘能力と民族の性質を鑑みて、そういう状況だったのではないか。ということだ」
「…………ッ!?」
よく解らない台詞に、誰かが息を呑む音が、背後から聞こえた。
「……くく、その反応だと、そうだな。例えば……貴様、今回の占拠に襲撃の作戦。随分と急拵えな強襲だったが、その概要。事前に仲間から知らされていたか?」
唐突に訪れた、引きつるような沈黙、無音、静寂。
声も物音も消えた。
けれど完全に悪い気はしない、そんな間が、頭の悪いあたしに、考える時間を与えた。
「………………え?」
困惑。
先まで、静かな水面みたいに落ち着いていた心の中が、再び波打つ。故意でなく、自然発生した、
――感情という、波。
「時に、舞よ」
「ふぇ?」
自分で掘った穴に入りたくなるような、間抜けな声が出た。
「貴族憎しと、その手の有象無象集う組織に属しているというのは、堅気の身内には割と言い難い事だとは思わないか?」
意味を、朗々と語られた言葉の意味を、鈍い頭を使ってゆっくりゆっくり咀嚼する。
「――それ、って……」
「くく、そうだ。同じ沈黙の秘匿でも。そこに秘められた意味、理由というのは多岐に渡る。それは無論――悪意だけとは限らん」
「……あ」
悪意だけとは限らない。
裏切られたわけじゃあ……無い、かもしれない?
メッちゃんは、何も言ってくれない。肝心な事は話さない。話してくれない。けど、ならそれで、信用できないのか。あのふざけた笑顔の裏に、悪意が有ったのか……
そんなのわかんない。
けど、何も言わない、話さないという事は……まだ本心が悪意か、やったことが本意かも、何も決まってないという事だ!
選択肢が増えた……いや、最初から、そこにあったのに、わかんなくなって、あたし…………あたしは、でも!
そう、教えてくれたんだ。リッちゃんが、教えてくれた!
「……メッちゃ――」
反射的に振り向いた先、目に入ったのは――
「…………何の、」
一目で言葉を呑みこんでしまう程の、無機質な顔。それとは対照的なもので満ちた、その眼光。
「何の、つもりや…………月城 燐音」
何故か、見たことがないハズの、悪友のその眼差しが、誰かと……いつか見た誰かの目とダブった気がした。
「皆で生き残る為の計略だよ、御哉――恵理………………御哉?」
凛とした強い声が、急に呆けたような声に取って代わった。
ずっと冷徹な感じを崩していなかったメッちゃんも眉を顰める程、変な変化。
「――御、かな……御哉ミカナみかな――ミカナ?」
繰り返すリッちゃんを見ると、まるで、幼子が難解な問題を苦心して解いたような――小さくて幼い見た目とは合うのに、内面のナニかが致命的にズレた雰囲気のリッちゃんが、ぽんと手を合わせる。
「――なるほど、」
さっきまでと別人のような、危ういくらい焦点が合ってない眼差しをあたしの方に、あたしの背後の悪友に向け、
「わたしが、"ミカナ"を殺したから、憎いんだ」
――少なくとも、あたしにとってはなんのことか、意味が解らない台詞を呟いた。
だけど、――楔を撃ち込まれた野獣のような、純粋なまでの憎しみに満ちた絶叫をあげるメッちゃんにとっては、そういう意味があったんだと思う。
予期も何もしてなかったあたしはそれに驚き、振り向くと、さっきの繰り返しみたく吹き飛ぶ雨衣さんの後ろ姿と、
「――ぁぁぁああああああああぁアアッッ!!」
あまりの悪意に、肌が沸く程の殺意に目を濁らせ、黒ずんだ殺刃を手に、あたしの先――リッちゃんだけを睨み据え、全速で突進してくる、いつもとは変わり果てたメッちゃんの姿。
それだけ、見て。
その迫力を、威圧を、一目で解る鬼気を見て、深く悟る。
例えば、コメカミに突きつけられた拳銃の引き金を引くような。
首筋に突きつけられた刃物を押し込むような。
丸腰で魔物に挑むような。
その先に見える、結末。
それらと同じように、リッちゃんは――死ぬ。
メッちゃんに、殺されて……死んでしまう。
反射的に、そう確信した。
確信して、あたしがとれた行動なんて――ひとつしかなかった。