電撃戦 中
――合成獣という、錬金術師に依って造られた歪な生体は、それ故に短命である。
異端の生体錬成にあたる合成獣製法に基づき、多種多様な魔物たちの一部、有用な部品を寄せ集め、ある一定の生態をつなぎ合わせ錬成された、錬金術師の、仮初めの従僕。
合成の材料となる魔物、魔獣たちの一部を壊死させない内に、或いは壊死できないように保護し、材料が揃うまで一つ一つ腐らせないよう保存する必要がある。
また、生体を形成する為に強靭な魔物を合成のベースにする必要もあり、生命――肉なる器を動かす意志や魂という概念は、原則として錬金術では創りえないもの。よって、合成獣のベースとなるのは、生態合成に耐えられる強靭な生命力、複数の異物を宿されてなお、本能が多少の原型を留められる魔物。それを錬成まで生かして措かなければならない。
でなければ、合成獣錬成が成ったとしてもそれは只の、魂のない巨大で歪な肉の塊が出来上がるだけである。
無論、それでは失敗作だ。
よしんばその過程をこなし、合成獣錬成に成功したとして。さらに専用の保存培養液に満たされた機械機器設備も必要であり、その一つ、生命維持装置から一度でも出ると三日と保たない短命な上、培養液を維持するにも錬金術師の管理の手と、金が必要。ついでに東西中央問わず、どの国でも製造所持を公に違法とされ、発覚したら最低禁固云十年、異端審問部の本拠がある西方に至っては異端審問に掛けられ、事実上の極刑になる。
それが合成獣だ。
総合してわざわざ語るまでも無く、合成獣製造を成功させるには、途方も無く手間も金も人手もかかる作業である。
リスクもコストが高すぎるが、それでも一部の錬金術師たちは合成獣を製造・保持している。
何故ならば、それらリスクやコストを上回るほどの魅力、利益があると、製造に携わる外法の錬金術師たちは皆、一様に考えているからに他ならない。
そも錬金術師に為るには、生まれついた素質が――物質の概念を、元素構成を見通す、"眼"が必要だ。
それが錬金術師とそれ以外の人間を隔てる、壁だ。
"眼"を保つ者は、何時しか物質の元素を手探りで組み替え、ある程度弄くれることを、自然に学ぶ。
それが錬金術と、錬金術師である。
つまり、色々端折るが錬金術師は、それ以外の人間とは見えているものが基本的に異なる。
只の人間は、初めて見た物質の材質を視る事はできないし、まして見えないものを弄くろうなどと、普通は考えもしないだろう。
"視える"錬金術師は、それ故に変人が多数を占める。これは割と有名な事実である。近年ではアルマキス=イル=アウレカという少女が、その手の論文を出し、曖昧だった錬金術師変人変態論をある程度立証したりもしている。
――話を戻そう。
錬金術師はその性質上、人より知的欲求が――知らないことを知りたいという欲求が強い者が多数を占める。
錬金術師にして見れば、合成獣は、生物の異端――魔物、魔獣の生態に触れられるという、知的欲求を刺激するに有用な手段、研究対象になりうるのだ。
また錬成を繰り返し、新たな物質を見てそれを錬成し、理解を続け、無知を既知に変えるという事は、錬金術師の眼と、錬金術そのものを上達させる事にも繋がる。
さらに合成獣のメリットとしては――主に従順であり、自衛に役立つくらい、単純に強力な事である。
大型で強靭な魔物――例えば魔獅子や密林巨狼、更にオークの上位統括種等。人間が銃を持っていても勝てない可能性が高い、強い生命力と戦闘力を保つ魔物を中心に、他の魔物の部品――長所をつなぎ合わせ、強化したものなのだから。
合成獣一匹の戦力が、火器で武装した軍の一部隊を撃退し得るものである事はザラにある。さらに設備と素材が在り、製造に携わった錬金術師の腕前次第では、より高等で強力な合成獣を造りだす事も可能。
つまり合成獣は、生身の人間が勝ちえない、高位の魔物レベルの力を持つ錬金術の異形である。
――だから、それは有り得ない事だった。
鋼鉄の硬度を持つ牙と爪を剥き出し、獅子と猪の双頭を持つ、体長三メートルを越す草色の体毛とむき出しの表皮。自然界には有り得ない、正しく異形。
そんな二匹の巨大な合成獣が、威嚇の叫びをあげながら、侵入者であるひとりの長身なエプロンドレス姿の女性を潰さんと、時間差で襲い掛かる。
人間に数倍する体重が、野生の獣じみた速さで、女性の掌程もある爪を、獲物の喉元どころか首を喰い千切れるだろう牙を剥き、魔物に抗する銃火器さえ持たぬ女性に迫り――
凄惨な衝突の一呼吸前、女性が、一歩脚を前に――迫る異形に向け踏み出し、腕を一閃させた。踏み込みから振り終わりまで、紫電とも云える疾さ。女性の手に何が有るのか、というかそも女性が何をしたのか。振り終わり、一瞬の硬直まで視認できない、そんな一連の動きの、疾さ。
だから、合成獣は野生に生きた本能と野性でもっても、理解できなかった。
自身の視界を永遠に閉ざした凶器が、何であったのか。
女性はそれに――真一文字に鼻先から両目の奥まで裂かれた獅子頭に、場違いなまでに涼しく微笑みながら、流れるように行動を続ける。
女性が、前方に踏み出した右脚を支点に、斜め前方の――合成獣の真上の空間に、跳ぶ。簡単に束ねられた黒髪をはためかせ、ロングスカートだろうと構わず、しなやかに疾く、跳躍した。
常軌を逸した判断。
自分に倍する異形の突撃を、衝突する刹那にも満たぬ間、タイミングが寸分でもズレたらば衝突は必須という瞬間。後方は論外、横に避けたとしても、時間差に迫るもう片方の合成獣に食いつかれるだろうという判断を、そも回避事態が可能かどうかという刹那にこなし、最適で難解な回避パターン――異形が迫る前方真上に跳ぶという、人外じみた跳躍力と判断力で、衝突すれば行動不能、死は揺るがない状況に陥るだろう極限の判断を、微笑みすら浮かべながらこなした。
跳躍した女性と、突撃した合成獣。お互いがお互いの方向に向け身を捻りながら乗り出し、一瞬にも満たない交錯の瞬間。
宙で身を捻る刹那にも満たない瞬間、再び、女性の腕が一閃され――
次の瞬間には、双方共に着地――いや、合成獣の方は、女性が立っていた向こう、階段の下に、生々しい音をたてて落下していた。しかし合成獣なら、数メートルの地点から落下しようと、活動になんら問題も支障も無いだろう性能を持っている。
――頭の一つを斬り裂かれ、太い胴体を、骨や内蔵毎半分斬り裂かれていなければ、だが。
女性は、下を、合成獣が落下した先を見なかったが、確信していた。
それは事実と寸分違わぬ確信。
女性は、満足そうに何度か唸る。
「――流石は、世界最高金属。なかなかの仕上がりだ」
女性が両手一振りずつ持つソレに、微量ながら付着した紫色の液体を振るい、木造ながらもくすんだ白でペイントされた壁に紫色を散らしながら、冷気さえ漂う程悠然と、もう片方の時間差で僅かに遅れて突っ込んできていた合成獣に向き直り、ソレの切っ先を向ける。
――次は貴様だ、と。言葉を介せずともその威圧で、気配で、殺気で雄弁に訴え宣言する、告死の切っ先。
女性が持つソレは、二振りの、細身の刀剣だった。
微妙な曲線、剃りがあり、短い間隔で切れ目のようなものがある、女性の身の丈半分程の刀身。
それに紫色の液体が当然と云わんばかりに付着し、その隙間から覗く金属特有の輝き、鏡みたいな光反射で、一層妖しく光る。
不屈の至高金属の複製、オリハルコン・レプリカの刀身。
女性、深裂 静流自身が、とある塔の崩落した地下の材質から持ち帰り、高位錬金術師に大枚はたいて錬成させた、二振りの仕込み刀。
それが、並みの突撃銃では表皮か肉の表面を抉るしか出来ない、強靭な肉体を持つ合成獣の頭を、胴体を容易く斬り裂いた凶器であった。
それに合成獣は、慄くように動かない。
主からの、錬金術師からの命令遵守を、錬成の際、根底にインプットされている異形の従僕が、同じく根底に座す魔物の野性で感じ、警戒していた。畏れてもいた。
自らの半分以下の体積と、自らと同じ縄張りで闘える、自分を殺しうる牙を持っただけの、脆弱な人間の女。まるで、自身より食物連鎖の上位に座る者を避けるように、その殺気を威圧感を元来の野性と本能で敏感に感じ取った合成獣は、微動だにしない。できない。
睨み合う――いや、蛇と蛙のような、睨み睨まれる奇妙な数秒間程の空白と緊張感。
それを崩したのはどちら側でも無く、深裂 静流が立つ通路の向こう、人がたてる物音が、木がほんの僅かに軋む足音が、切迫感に満ちた男女の声が――
それらのどれかが引き金となり、国守の侍女の長は無音で無造作で唐突に、野生の魔獣が獲物を一息で狩るように速く、暗殺者が対象の首を刈り取るかのようにすべらかな動きで駆ける。
合成獣は、邸全体が揺れるような、断末魔じみた雄叫びをあげる。
眼前の敵と衝突すればどうなるか、天敵と遭遇したような恐怖。刃向かえば狩られる、此処にいれば喰われる。ならば逃――
なのに、本能に刻まれた異形の服従観念が退路など無いと、侵入者を抹消しろと囁く。そんな本能の矛盾。
右に行けと言う指示と、左に行けという指示を両方同時に両立させるような真似は、不可能。
その本能の矛盾が、致命的な間を生んだ。
その結果は、わざわざ云うまでもない事。
それは、襲撃者の存在に気付いた者達も辿る、同様の結果だった。
…………暇だ。
監視だの盗聴だのとちみちみちみうざったいし、あー、肉とか切り刻みてぇ。
つーかオレの"風"で監視っつーたって、邸とかの建物、密閉空間にゃ意味ねぇっつーに。なんでオレが、変化も無ェ空間を延々と監視盗聴してなけりゃなんねぇんだヨ畜生。
監視拠点兼オレの根城の屋上で大の字に寝そべりながら、律儀に命令をこなしつつも愚痴をぼやいていると、腹のネが鳴る間抜けな音。
盗聴中の"風"が運んできた音でも、オレ以外の誰かが出した音でもない。
この場にはオレ独りしかいないからな。
「……、腹減った」
オレは誰かの呟きを聴く術をもっているが、オレの切実な呟きを誰かに届ける術は無い。
……樹のダンナ、まだかな。ダンナが帰還してまだ二時間もたってないが、まだかな。
食料は有るが、ダンナの寿司の為だ。腹に何か入れるワケにゃいかねぇ……
「……カッパマキ、イカ、ガリ、ハンギョマキ、イクラ――」
とりあえず、ダンナに「……安物ばかりだな」と云われた好きなネタを口に並べ始めた、直後の事。
「――んぁ?」
"風"が、異音を運んできた。
……魔物のような雄叫び、か?
思わず起き上がり、思案する。
泉水邸から反響するように響いた、人ではだしえない類の"音"。
感じとしては、大陸中央部の大草原に生息する、よく合成獣のベースにされるという強靭な魔物、魔獅子に似た……合成獣?!
ここ東方帝国には存在しえない魔物だ。なら錬金術師に使役される合成獣以外有り得ない。
「……どういう状況だ――って、んン?」
発生した異常事態、雄叫びに首を傾げながら、その現場に集中していたのが幸いした――のかどうかは知らんが、そいつらに気付いたのはそれのおかげに違いなかった。
現在、"人払い"の結界が張られている現場、泉水のボロ邸。
其処に、結界を通過して侵入してきた者たちが……
「…………なんでテメェらがそこに居る?!」
その、あまりに非常識な人物に、届かないだろうがとりあえず絶叫した。
調理室と云えば、あたしには愛着のある場所だ。
料理は得意な方で、冥もお義父さんも、安物をあたしなりに上手く調理した料理を、美味しいと言って笑顔で食べてくれる。冥は病気で、お義父さんは仕事や社交場で、二人ともとても疲れてるから、料理で美味しいって笑ってくれるのはとても貴重なんだ。
メッちゃんは最初、お前そんなキャラやったんか?! と失礼なまでに目を白黒させてたけど、今ではあたしが作ると、がっつんがっつん行儀悪く美味しそうに食べる。居候で嘘吐きでイジワルで悪戯っこな悪友だけど、どこか憎めないというか、愛嬌があるというか……
当初料理も出来なかったメッちゃんに、冥の世話を頼む際必死に料理を教えたのも、当然あの調理室。包丁で真っ二つにされたまな板、ひん曲がったフライパン、大穴の空いたお鍋、砕け散った火打ち石……ああ泣いて良いのか笑って良いのかな、思い出沢山の調理室。
そしてその調理室じゃなくても、自慢じゃないけど、料理が得意なあたしにとっての調理室という所は、あたしがあたしの家族を笑顔にできる、大切な場所だった。
――其処で。そんな場所であろうことか、友達が最低な狼藉を働かれようとしているかも知れない。
それを止めてやると、無言で訴える真っ直ぐな黒い瞳に一も二も無く頷いたのは、当然の事。
いつもは――泉水家に来てからのいつもは、家族や悪友の御飯を作るために向かう道筋を、寝坊とかいう平和な平時の理由じゃなく、やや遅れて併走する雨衣さん共々、もっと切羽詰まって緊張して、それこそ死ぬ程急いで走っていた。
そんな時、あのコワい感じのメイドさんと別れやや離れた調理室に向け走り始めてから、十秒たってるかたってないかといった、調理室を目前にした時。
何か、巨大な生物が思いきりぶちまけられたような、生々しい厭な音が、遠く、背後から響く。
それに動物的な本能か何かで、思わず脚を止めて振り返ってしまう。それは、やや遅れて付いてきてた雨衣さんも同じみたいだった。
どちらがその音に何か言うより早く……
――おどろおどろしい、身震いせずに居られない"何か"の叫びが、木造の邸全体に響き反響する。
その、得体の知れない恐怖が浸透するように、身が自然と震える。
「……合成獣か。侍女長なら問題ないだろうが……」
「……え?」
身を竦ませるだけのあたしに対し、雨衣さんの冷静な口調……
どういう事だろうと訊ねる前に、あたしの口は塞がれた。
背後からの、冷たい手袋をした誰かの手によって、物理的に塞がれた。