電撃戦 上
――かつて、純白の少女がいた。
その少女は、私が見てきた何より無垢で、純粋で、綺麗で、脆弱で、素直で、愛らしい、護るべき、庇護されるべき弱さを、今の時代では掛け替えのない美徳を持っていた。
少女は、あろうことか少女を護る対象から侵され犯され汚され戯され、そして完膚無きまでに壊された。
蹂躙というにも生易しく、強姦という言葉すら及ばない、身を心を魂を在りようを否定され、弄くられる一連の流れ。
それを仕組んだのは少女の母、主犯、月城 聖。
最たる共犯者、少女の理解者であった、木原 八雲。
そして不特定多数の協力者たち……
――あの無垢な笑顔を、なくした……奪って、踏みにじった。めちゃくちゃにした。
その程度ではない。
真っ白な心を、幼い体を何度も何度も汚し、脳を弄くって記憶を消し、洗う。
汚して洗ってまた汚してまた洗って汚して洗って汚し洗い……
そんな行為、おぞましい所業が行われていた。
赦さない、というありきたりな言葉も無い。
――一人も余さず、できうる限りの苦痛を味合わせた末に、地獄に叩き落としてやる。
――そしてその上で、私は少女の手足になろう。
少女は、酷くか弱いから。
その癖"闇"に好かれる……なのに自分で自分を護る力が無い。
だから、私が護ってみせる。今度こそ……私は少女を護る、剣になろう。
それが、壊れた少女を抱きしめた時の、私の決意だった。
「――侍女長……」
「はい。なんですか、樹」
薄暗い部屋の扉が開く音に振り向くと、黒スーツの巨漢が立っていた。
黒い短髪に武骨な顔立ち。サングラスをかけていて、その意外と穏やかな目を隠していても一目で判る、不快に歪む顔。
それに私は、微笑む。
この男の、そういった愚直なまでに常識的な所は好ましい。それ以上に妬ましいが、それで前者が消えるという事ではない。燐音様に役立つ条件、特性を持つ者は大概が好ましく。
やはり妬ましい。
「……殺したのか?」
短い、口数の少ないながらも、良識的な彼らしい発言。
「何故です?」
それに、感性が狂しいと評判の私は、首を小さく傾げる。
何故私が、この蛆虫を踏み潰し、楽にしてやらねばならないのか。
死なせるというのは、殺すというのは、燐音様に仇なす蛆虫を、苦痛を感じさせる事が不可能な所に逃がす、ということでしかないのに。
「死んでいるようにしか見えん」
「ふふ、生きていますよ。意外と安直で綺麗な死体ばかり見てきたんですね」
「……その肉塊がか」
不愉快を押し殺したような声。
いつもシワが寄っている眉間は、そのいつもより険しいと感じた。
おや、怒っているのだろうか?
要望の通り、なるべく優しく拷問した筈だが。
出血も抑えてあるから、放置しても丸一日は保つし。解体した部品も、裏市場で流せばそこそこ儲かるし。
「原型は留めていますよ。
ほら、えーと首と頭と胴が有る所とか。それに、ゴミ袋にギリギリ入るサイズで、とてもリーズナブルでしょう?」
「…………もういい」
何故疲れたように溜め息を。
「任務だ」
私に命令を下せるのは、剣の持ち主――燐音様だけ。
しかも任務……さて、このタイミングでとなると。
「それと……せめて楽にしてやれ」
「おや、相変わらずお優しいですね、樹」
私の軽口には応じないとばかりに、樹はその巨体を反転。広い背を向け、疲れたように告げる。
「……武装して、方陣まで。泉水邸に攻め入るそうだ」
やれやれ、拷問の次は強襲・繊滅ですか。
出来る女というのは、忙しいものだ。
塵の始末をサクッと付け、隠し通路から階段を早足で駆け下り、武器庫の厳重な扉を開ける。
けたたましい耳障りな音が、武器庫内外に響き反響する。
――ほろ暗い地下室は既に電光で照らされていて、武装点検当番によって手入れされ、埃一つ無いだろう拳銃から対物質小銃まで、並びたつ数多の銃火器に、刀剣や槍などの近接武器、小ぶりな投刃や仕込み刀などの暗器まで。台形状の、若干手狭な月城家地下武器庫は、いつも通り多種多様な武装が並べ立てられていた。
――さて、武装と云っても軍部が使うような重装備は必要ない。
敵地の直中に赴くというのに軽装も、無駄にかさばるのも問題外。
しかし経験からさして思考せず、自然な動作で使い慣れた東方モデル、対魔獣用・突撃銃と、折り畳み式の対集団用大型散弾銃を一丁ずつ。どちらも大抵の合成獣を撃ち殺すのに不自由しない逸品。
背中に、専用の頑丈で柔軟な魔獣皮製ベルトを回し、両方装備。
さらに常備している愛用の二丁拳銃、それぞれ東方の辺境、砂漠地域に生息する猛毒魔獣・バルジコックの堅いウロコを抉る破壊力で有名なデザートイーグルに、射程と命中精度に定評がある、ポピュラーな軍用ベレッタ。
銃火器はこれで十分だろう。
それとそれぞれに対応する弾薬を適量抜き、投刃も数本補充、エプロンドレスの長いスカート部分の、専用暗器ポケットに仕込む。この月城家特製のメイド服は、対弾対刃性に優れ、並みの鎧よりは頑丈な作りになっている。出撃もこのままで問題無いだろう。
私のスタイルは樹や、捕らわれの雨衣程接近戦に特化している訳では無い、接近寄りの万能型。だけどこれ以上は重量過剰。動きが少なからず鈍ってしまう。
そして長袖の下にある、仕込みの感触を確かめ、振るう。
鋭い金属音を鳴らし、空間が一瞬裂かれる。
――仕込みは上々。
仕上がりは、実戦で確かめるとしよう。
踵を返し、歩を進めた。散弾銃と小銃の棚を通りながら、ふと思考の隅で救出対象の少年少女を思い浮かべる。
――燐音様が悲しまれる事になっていなければ良いが。
思いながら、武器庫の中の石壁に偽装されたスイッチを押し、更にリズムを刻んで押し、押し、押す。
そして背後から、隠し階段が開く重い音。
目を向けると、入り口の真横に、パックリと口を開く下り階段の暗い穴。
いつ見ても、人を小馬鹿にした所に配置するものだと思う。なんだ、入り口の真横にとは。
内心で毒を吐きながら、隠し階段に向かう。
――近衛隊などの極一部の者しか知らない、空間転移装置の端末に繋がる隠し階段。
その階段内の、俄かに馴染みある闇に少しだけ瞑目し、足を踏み出した。
まず、泉水邸の間取りは当たり前だが、有力な貴族の月城邸に比べればそんなに広くは無いとか。年季のはいった木造二階建てで、病弱な妹は二階の自室に寝かされているらしい。そして客室は一階にしか無かった筈、らしい。
細かい間取りを訊いていく中、使用人は資産の都合上、いない。と泉水 舞は語った。
強いて言うなら、とある事情で居候に近い立場にある悪友の、泉水 舞曰わくメッチャンなる東部辺境の少数民族の一つ、ベーオウォルフの少女が泉水妹の世話をしているとか。
立て込んだ事情を感じたので踏み込みはしなかったが……曰わく、三体も並べば竜種最硬の竜鱗を持つ地竜ですら撲殺されたという、伝説に名を刻む絶滅した魔物、鬼皇俄と、凡庸な刃物と鈍器だけで互角に闘ったという、かつての東部辺境民族最強の戦士たちであり、今は滅ぼされ、根絶やされた筈の民だ。
「それで、その友人が用をたしに行ってどれぐらい経つ」
血止めの薬用ガーゼは兎も角、なってない包帯を自分で巻き直しながら、何故か正座をしている泉水 舞に、我ながら少し言うに憚られるも、情報提示を促す。
「え、と、」
唇に手を当て、情景を思い浮かべるように眉を寄せながら少し唸り、
「そだ、雨衣さんが起きるちょっと前だね。扉の前でうろうろしてたら急にうめき声がして、びっくりしたんだよ」
……のほほんと人差し指伸ばして語るが、無視できるような証言では無い。
「……俺が起きて、もう五分以上は経過している筈だが」
「……大?」
…………大真面目な面で、年頃の女子が言う事か?
しかし、まずいかもしれん。
聞いた話が本当なら、なかなか使えそうな人物だったのだが、分断された可能性が出てきた。
最悪、人質が増えているかも知れない。幾らベーオウォルフの生き残りの少女かも知れないと言えど、二重に人質を取られているのでは手だしも出来ないだろう。
……本当に立て込んだ"大"という可能性も無い訳では無いが、事は急を要する。準備が終わり次第、泉水 舞の友人が未帰還でも強行やむなしだ。
と、思ってる間に準備が終わった。巻き直した包帯の上から、派手に穴が空いた尾行用にと着てきたラフな黒シャツを改めて着る。外の気配は先程から探っているが、見張り以外の気配は無い。
「……よし、準備は終わった」
自分自身に気合を込める意味も兼ね、ゆっくり立ち上がる。そのまま扉の一歩分前に、微調整も兼ねて歩を進ませ、その度に痛む脇腹で、内蔵が傷ついていないまでも、予想以上に体の調子が悪い事を改めて痛覚する。
「どうしたの?」
怪訝そうな声音に、今説明をする気は無い。頭が回っていなかった当初は気付かなかったが、見張りが聞き耳をたてている可能性がある以上、行動と説明は平行して行っていく。
主がよくやる手――事後承諾というやつだ。
というわけで。
「――ほぉぉぉ、」
構え、爪先から指の先まで、気を込める。呼吸で整える。空気を取り込み、流れるような動作。体内部の筋繊維、細胞の動きを活性化させ、血の流れを心臓の鼓動を掴んだような感覚――
しかし、やはり"右腕"……
拭えない異物感に、どうしようもない違和感。
どうしても、いつもの精神統一が上手くいかない。ここ最近の、右腕を亡くして、新たな右腕を得た悩み。身体的な重量バランスの変化。意のままに動きはするが、血肉の通わない、身体の気の流れを遮断する。腕の形をした、軽量化したという鋼鉄の塊。
――っ、
もどかしいやら苛立だしいやらぐちゃぐちゃした感情、雑念。
振り払うように、振り払いたいがために、腰を落とし、構えと動作だけは体裁を整え、息を吐き――歯を噛み締め、"右腕"を振り抜いた。
古風ながらも厚い、数十年は前に伐採されただろう硬い木の扉を、[軽量鋼鉄の塊]が、呆気なく破壊した。
当然ながら、肩に僅かな反動が返るだけ。"右腕"は、何の痛覚も反動も感触も感じない。何も、感じなかった。
「――え、えええ!?」
「ッ貴様、莫迦げた真似を!」
叫ぶソプラノで我に還り、罵声じみた怒号の主――師匠と少しだけ、体格だけ似た黒スーツの敵性巨体を見・懐に踏み込み、左手の掌底を当て、更に踏み込み踏み抜き――自動拳銃で狙われるより早く、全体重と突進のエネルギーを鳩尾に叩き込んだ。
師匠直伝の掌底は、常時の半分以下の体調、根元的な体格差があるに関わらず、巨漢を吹き飛ばし、狭い通路の壁に背中から衝突させ、嫌な音をたてて廊下に叩きつける。手応えは上々。確かめるまでも無く、気絶した敵は動かない。
「――え、えええと、」
「往くぞ」
尚も混乱した声をあげる泉水 舞を敢えてスルーし、さして長くないくすんだ色の廊下の、とりあえずどちらに行っても中央玄関に繋がっているというので、右側に向かって歩を進めた。孤軍で敵地に居る以上、迅速な行動と判断が必要だ。無駄なお喋りをしている暇は無い。
気配を探り、警戒しながら早歩きで曲がり角に差し掛かろうとした時、泉水 舞がもぞもぞとして止まっていたが漸く動き出し、俺に駆け寄ってきた。
「どういうつもりなの!」
「聞き耳をたてられている可能性があった。そして迅速な行動が今は必要だ」
「メッちゃんは?! なんで待たないの!?」
「本当に用をたしていただけなら直ぐに合流できる。違うなら救出対象が増えたという事。それと声が大きい」
「救出……対象?」
「別所に移されたかも知れん。ならば待つのは時間の浪費でしかない。そしてこれは人質の首に手を掛けられ、動くなと要求されるまでの勝負だ」
俺は説明をするが、でもさあとぼやく、感情的になっているらしい泉水 舞。俺の相談無しの決行にか、不安の裏返しか、友人や妹が自分共々に捕らわれているという状況そのものにか、それとも元から鬱憤が溜まっていたのか。どれだろうな。
「所で、何を弄っていた」
「え?」
泉水 舞は、きょとんとでも擬音が付属しそうな声をだし、
「デッカい黒服の奴から銃を拝借してきたんだけど」
当たり前の事を平然と語るように、逞しいというか生き賢いことを、子供のようなソプラノで口にした。
返答が無い俺を訝ったのか、そのまま首を傾げるように続ける。
「え、変かな? だって丸腰じゃマズいでショ?」
……同意を求めるような声に、頭を抱えたくなった。
そういえば元孤児と……ならばそういった生き賢さや抜け目の無さは、なかなかのモノだろう。意外だが。意外で仕方ないが。
現実逃避気味にそんなことが頭をよぎる。
別に不自然な事は言って無い。
無力化した敵の武器を剥ぐなど、戦場では珍しい事では無い。戦力、装備の増強、当たり前な事だ。
当たり前な事に、戦闘訓練も実戦も経験してないだろう泉水 舞ですら気付く当たり前の事に、気づかなかった。
暗澹とした気分になる。俺は、其処まで冷静じゃなかったのか……
重い足取りで先行し、廊下の門を曲がり、
「――動くな」
分厚い突撃銃を突きつけられた。
呼吸をする間もなく、身体中の行き渡る脳神経が停止し、筋肉の動きが止まり、身が冷気を帯びて硬直する。
――何故。
気配は常に探っていた。通路には、誰も居なかった筈――というか。
「……何をしているのですか。侍女長」
「反応が遅いですよ、雨衣」
突撃銃の口径を向け、平然とした無表情のまま、月城家最強の侍女長、深裂 静流はのたまった。
「どしたの雨衣さん――っッ!?」
背後の声に首だけ振り向けば、侍女長を指差し口パクパクさせる泉水 舞。
「落ち着け、声が大きい」
「――なんで落ち着いてるの?!」
俺の苦言に対応して、声量を潜めて絶叫するという事をやってのける泉水 舞。割とコイツは器用なのかも知れない。
しかし孤軍で、気配を探知できない相手に銃口を突きつけられたと思ったら、身内最強の侍女長だ。脱力せざる負えんだろう。
「コレは味方だ」
「ならなんで銃口突きつけられてるの?!」
「コレとは何ですか」
泉水 舞よ。それは俺も聞きたい。
そして侍女長、コレとはきっと言葉の綾だ。
だから、突撃銃の分厚い銃口を、林檎くらい貫けそうな勢いで押し付けないでくれ。
「それで何故侍女長が此処に?」
「下っ端の尻拭いというのは、なかなかに面倒な作業だとは思いませんか?」
…………嫌みな台詞に、返す言葉も無い。
負傷し、捕まったのは俺の失態だ。
「……仲間に対してそんな言い方、」
「問答をしている暇はありません。雨衣、アナタは一階の調理室に直行。私は二階を掃除します」
泉水 舞の台詞を遮り、矢継ぎ早に指示を無機質に出しながら、肩に下げた大型の散弾銃と突撃銃を外す侍女長。
「コレを。突撃銃の方はイズミさんが。使用方はいきすがらアナタが説明なさい」
「……侍女長は?」
「深手を負ったアナタが心配する立場ではありません」
冷たい声音で吐き捨てるように火器を手渡してきた。そして突撃銃を云われた通り泉水 舞に渡すと、神妙な表情をしていた。
「あの、冥と友達が――」
「状況は概ね把握しています」
泉水 舞の切羽詰まったような言葉に、首を横に振り取り合わない侍女長。随分と自信有り気だが……
「問答よりも、急ぎなさい。シェリーが壊されたくなければ」
「なっ……!?」
偶然かどうか知らない。かつて俺に拷問の件を説いたのは、この侍女長だから。そんな事は知らないだろう泉水 舞が、俺と同じ、最悪な例えを語った事に、絶句した。
「泉水 舞、」
そこに、俺は声をかける。自分でも固いと解る声。
「調理室は、どこだ」
それに、泉水 舞は表情を引き締めた。
真剣な表情。
決意した者の、強い気迫すら感じさせる表情で、真一文字に結んだ口を開く。
簡単に人の言葉を信じる。
若い、というよりは青く、欺瞞に満ちた戦場では生き延びることのない未熟。
何故居場所まで解っているのか、何故手持ちの武器を渡したのか、何故此処にいるのか――それらに、何一つ解答していない私を信用するとは。
やれやれ、と嘆息しながら肩を竦める。
手持ちの武器を与えたが、生かせるだろうか。増援を待つ時間が無いのが悔やまれる。
そして私もそこそこに気張らねばなるまい。
ガルルロレレレ……
くぐもった、幾つか重なったような低い唸り声をあげ、魔獣特有の悪臭を漂わせ、獅子と猪の双頭を持つ、体長三メートルオーバーの、草原色の体毛を持つ、ポピュラーなタイプの合成獣を視た。
二体、一つしかない二階への中央階段を上った先のT字路の左右に、鎮座し、此方を二面二対の鋭く粘こい眼光で此方を視ている。
両方共唸り声をあげ、威圧感と殺気を放出して威嚇しているが、さて――
合成獣は、基本的に拳銃では殺せない相手。
というかプロの軍人がスタンダードな突撃銃を装備し、一対一で闘っても殆ど勝ち目のない頑丈さと生命力、敏捷性を持つ。
さらに複数の魔物を組み合わせ、造られた歪な生体であるが故に、急所である野太い首が複数有り、全て潰しても絶命しないパターンすらある生命力に加え、心臓もどこにあるか解らない異形。
手持ちの自動拳銃で心許ない相手なのは、疑いようもない事実。
アレだけの体格、マトモにやれば殺すより先に弾が切れてしまうだろう。
さて、後一歩。
一歩前に踏み出し、階段を上りきれば、二つ首の異形は双方共に私を完全な侵入者とみなし、始末しにかかって来るだろう。
別段、乾いてない唇を舐め、思考する。
――まあ、いい感じの試し斬りにはなりそうだ。
両腕を振るい、長袖に仕込んだソレを解放。
「――来い、」
呟き、殺気を放つ。
加減は無い。
刹那、異形の巨体が二つ、人など造作も無く噛み潰せよう牙と爪持つ、錬金術師の番犬が、萎縮するように震えた。
「燐音様に仇なす者の僕よ、」
無造作に、一歩、最後の一歩を、見えざる境界を踏み越す一歩を、踏む。
瞬間、脅えた獣が恐怖を払うように、術者にインプットされた本能を呪うように、虚勢に満ちた雄叫びをあげ、空気を空間を震わせ、何より自身が震えながら、木造床が大きく軋む音と、異形なりに渾身の殺気を纏い、飛びかかってきた。
それに私は、圧倒的な肉の塊を、幾重もの魔獣の集合体を――
なにより、上質な獲物を見て。
うっすらと笑いかけながら。
「――私の前に立った不運を呪い――逝け」