暗躍者たち
「――ふわ?」
「お、気ぃ付いたんか」
起きかけの寝ぼけ眼で声に反応し、声の主を見る。
胡座をかき、黒い素肌の手を振っている、黒い単髪に褐色の肌、所々破けくすんだ色の男物っぽいシャツとジーパンに身を包み、そばかすの目立つ顔に赤黒色の瞳はニヤニヤとイタズラっ子みたいに笑っている。
男の人みたいな感じだけど、平均以上はあるだろう胸の膨らみやら、上背はあれどほっそりした体格やらがそれを覆していた。
見慣れたような、そうじゃないような特徴。
――えーと……
どうにも目覚めた瞬間に腰から上だけ起き上がったらしい。きょろきょろ視線を回しながらここはどこだろうベッドじゃない床だしとか考えていると、
「……低血圧撲滅チョップ!」
張りのある意味不明な声と共に、あたしの頭が揺れた。次いでくわんくわん体を上下し、
「……いたいー」
頭を押さえた。
「こんな時でも相っ変わらず鈍いねん! 非常時にいつまで寝とるかこォのバカチンが!」
「……バカチンじゃないもん」
「膨れっ面爆砕クラァッシュ!!」
「ぶーー」
「汚あっ!?」
空気を詰めた両頬をはたかれ、口から空気やら唾やらが正面のメッちゃんに直撃。ギャーギャー叫びながら自分のシャツを引っ張って拭きふき…………
「……あれ、なんでメッちゃんがここに居るの?」
「ツッコミ遅いわぁ! いやもうツッコミとも言えへんよそれ!」
あたしの友達で、泉水の家で冥の世話をしてるハズの御哉恵里ちゃん、愛称メッちゃんが八重歯剥き出しあたしの頭を軽くはたく。
「ていうか、」
あたしは首を傾げながら、冴えてきた頭を動かし、
「まず、此処はどこかな?」
「アンタん家やないけ! 寝ぼけすぎやっちゅうに」
うん、この独特の喋り方、完全にメッちゃんだ。なんかメッちゃん曰わく帝国周辺地域の、少数民族独特の訛りだとかいう。
しかし、あたしの家……?
確かに、どことなく見覚えがあるような気がする微妙な広さの、家具が無く窓も無い、古臭い匂いがする簡素な客室だけど、
「なんであたしが泉水、じゃなくてあたしの家に? それとメッちゃん、冥はどうしたの?」
「いや、アタシも詳しくは知らん、てか事態を把握してへんけど、」
ボリボリと、あんまり頓着してないと言っていたざんばら黒髪を掻き回しながら、若干バツが悪そうに口を開く。
「ここ、アンタん家、何か変な連中に占拠されてん」
告げられた内容を理解、というか意味を咀嚼するのに、少し間が空く。
…………はぇ?
「んで、アタシがここに無理矢理閉じ込められて、次にアンタが放り込まれたんよ」
……呼吸を忘れ、目をしばたかせる。冗談キツいよメッちゃんと口をつきかけたが、こんな冗談を口にする子じゃない。
喉が渇き口を詰まらせ、それでも自分でわからない不安からか口を開く。
「…………冥は? お義父さんは?」
「……アンタのお父は出掛けてたさかい大丈夫やろうけど、」
そこでメッちゃんは一呼吸置き、言いづらそうに口を尖らせる。
言いようの無い不安。
「冥の方は……病人やから動かすなボケ、とは言うたったんやけど、わからん」
「――っ!?」
息を呑み、よからぬ想像で背筋が凍り、反射的に体が動いた。
一つしかない扉に詰め寄り古いドアノブに手を回しがちゃ、がちゃがちゃがちゃ、開かない。
次に叩く。ノックなんてもんじゃなく殴りつける勢いで何度も何度も。それでも、それなりに頑丈な扉はビクともしない。
「――あけろ、開けろ開けろ開けろおっ!!」
「あ、アホ! 無茶すんな!」
「はなしてメッちゃん! 冥が、メイがあっ!」
頭に血が昇ったあたしを、後ろから羽交い締めしてくるメッちゃん。それでも感情は鎮まらず、じたばた手足振り回し暴れる。
「め、メイは、メイは病人、なんだよ? だれか、誰か傍にいてあげなきゃいけないのにっ!」
「なコトぁアタシも解っとるわ! でもしゃあないやろぉが銃とか持っとる連中を下手に刺激したらアカン!!」
でも、と口から反論にもならない感情が出かけた時、扉の向こうからガチャガチャ、って鍵が外れるような音がして、それにあたしたちが反応するより早く、古っぽいドアノブが回転し、
「――あぎゃ!」
「に゛っ?!」
あたしたち側に開いた頑丈な木製扉が、頭を突き出していたあたしのデコに直撃し、背後で羽交い締めにしていたメッちゃんのどこかにあたしの後頭部が当たる。勢いはそれだけに留まらず、二人して転倒。メッちゃんは安物っぽい絨毯に、あたしはメッちゃんの上に倒れた。
「――少しは静かにしろ。いい加減に五月蝿い」
枯れたような声にあたしたちは体を起こし、見た。
分厚い体格に黒いスーツ、大体三十代くらいの無精ひげした大男が、無表情な顔を出し、仁王立ち。それだけで、足が竦むような威圧感、圧迫感。一目でわかる、恐い男だ。
でも、
「――なんなんだお前、冥をどうした! お義父さんは無事なんだろうな!」
「……我々は、この屋敷を占拠した者だ。無駄な抵抗、及び逃げようとしなければ、危害は加えないと約束しよう」
「……抵抗すりゃ、冥を殺す言うんか」
「いや、致命的な事でなければ其処まではしない、」
メッちゃんの嫌悪感丸出しの問いに、大男は存外あっさり首を小さく横に振り、
「只、抵抗ひとつ、または逃げようとした時、指を一本ずつ落としていくだけだ」
さらに、最悪な言葉を吐かれ――内容を理解するのに若干の空白。
理解すると、一瞬にして頭に血が昇り、ドロドロしたもので目の前が真っ赤に染まり、歯を噛み締め拳を握り締め、
「――っお前ェェえっ!!」
「ちょ、気持ちは解るが止めぇ言うとろーが!」
先の比では無いくらい強く制止されるけど、あたしも先以上に冷静じゃない。我を失って暴走していた。
「はなして、はなしてよ! こいつ、コイツはァっッ!!」
「落ち着きっ! アンタが今下手に手ぇだしても、冥の指が無くなるだけやろぉが!!」
メッちゃんの、聞いた事が無いくらい真剣で、余裕のない叫びに、その最悪な内容に、あたしは体を震わせる。
無力感にか絶望感にか、怒りから憎しみからか。言葉にできない衝動が、口から出る。
「――っッそぉぉ!!」
それだけ。
口から出たのはただ、現実に現状に無力な、暴力に踏みにじられる、嗚咽をこらえ強がるような、ただの叫びでしかない。
それが、堪らなく悔しかった。
「――話が纏まったようで何より」
馬鹿にしたような事を、顎髭撫でながら平坦な声で平然とぼやく男。
怒りのあまり目が眩み、歯茎を噛み締め過ぎて、変な音がした。
「それはさておき、喜びたまえ。君達にお仲間が増える」
……仲間?
男の言葉を怪訝に思った直後、
「――ほれ」
――血まみれの少年を扉の外脇から片手で持ち上げ、あたしたちのいる部屋に、無造作に、ゴミでも棄てるように投げ入れた。
思考も怒りも凍り付くあたしたちに、男は更に脇から四角形の白い箱を取り出し、あたしたちに向かって軽く投げた。
反射的に受け取るあたし。
その四角い箱を見ると、上面の持ち手に赤い十字マーク。
最近、中央国から流通されはじめ、庶民なら辛うじて手がだせる値段で市販されている、救急の医療セットだった。
「死んだら死んだで構わないが、一応それで処置してやる事だ。人質が増えるのも悪く無い」
「……なにを、」
「問答してる暇があるのか?」
嘲り馬鹿にするような言葉の直後、少年が苦し気に呻いた。
反射的に視線を向けると、投げられた衝撃かそもそも傷が深いのか、安いのか高いのか分からない、茶と黒を基調とした色合いの絨毯が、黒い髪の少年を中心に、赤い染みができ始めていた。
「――っ!?」
声にならない悲鳴をあげ、医療セットを手に駆け寄ろうとした直後、古い扉が閉まる、特有の軋む音がした。
「――状況はどうなっている」
「っい、樹のダンナ!?」
ダンナのいつもより若干低い声に、胡座をかいていた姿勢を意味も無く正し、すぐさま立ち上がると、ダンナプラスアルファの体重に重低の悲鳴じみた足音鳴らす、眼下の薄い金属階段に向き直る。
ここは、手狭で小汚いながらも、帝国に複数存在する月城家の近衛拠点屋上だ。
そこで風を繰り、広域まで張ってたからか、ダンナの帰等に気づかなかった。
ダンナは気絶しているのだろう女――名前なんつったっけ――元・同僚を小脇に抱え、堂々とオレ特等席兼寝床の監視屋上に足を踏み入れる。
いやダンナなら良いんだけどよ、そのオンナと、
「――逃走拠点は柳ちゃんが発見できたけど、雨衣ちゃんとシェリーちゃんが捕まっちゃった」
このオカマ野郎がなァ……
ダンナがそうかとだけ短く呟き、小脇の元・同僚をその辺に下ろすと、オレに視線をくれた。空気の振動とかでなく、感じで解る。
「二人の、今の状況はどうだ、柳」
口数少ないダンナなりに、雑兵二人を気遣うというか、そんな感じのする声音。
目が見えない分、そういうトコには敏感にできているオレの私見だが、間違いないだろ。
……しかしダンナの希望に添えないのは心苦しいが、オレは首を横に振る。
「……ダメっスね。どうにも屋内の密閉空間に入りやがったようで、身辺状況はさっぱり。場所は泉水の屋敷ってのは確かなんすが……」
「それに、雨衣ちゃんが重傷を負ったそうです……」
「……どの程度だ」
「……脇腹に、風穴を明けられたみたい」
オレのセリフ盗ンじゃねェこの糞カマ野郎!
青筋がたつが、落ち着けとオレの頭をポンポンするダンナの手前、怒鳴れん。畜生。
「……さて、どうしたものか……一度帰還し、策を伺うのがベターだが」
「……そっすね。丁度、ダンナが生け捕りにした捕虜から情報も絞れるでしょうし」
「そうだね、」
どこか苛立ち舌打ちするように方針を提案するダンナに、賛同するオレ。無論その間も"風"による泉水家監視を怠っちゃいなかった。
だから、注意力散漫になっていたから、ゾッとした。
何にと言えば、オカマ野郎の声音と、言葉にできない圧迫感にだ。
そんな気配を伴い、加減など忘れたようにソレを放出しながら、野郎は続ける。
「樹くんは先に戻ってください。それと柳ちゃん、燐音さまと静流さんに"風"で伝えてください」
何をだ。
そうオレが問うのより、野郎が次の口を開くのが早かったのは、断じてオレがビビっていた訳ではない。
「――ちょっと、泉水の家に潜入してきますね、と」
「待て」
普段の変態的のほほん言動とはかけ離れた、異様な迫力の野郎。
その言葉の冷気に、反射で頷いてしまいかけた直前、待ったをかけたのは樹のダンナだ。
「独断専行は慎め」
「わかっているよ。だから伝言を柳ちゃんに頼んだの」
確かに、オレの"風"ならば、ちょっとした伝言くらいは暗号紛いの形式でだが、リアルタイムで伝えられる。
そしてその場で"声"の空気振動を拾えば、指示を仰ぐ事も出来る。オレの異能限定の、ぶっちゃけ盗聴の応用だな。
「さ、早く伝えてね。多分オーケーが出ると思うから」
あくまで普段とはまるで方向性が違う、不敵に不気味に語るオカマ野郎。
どっからその自信が出てくるのか首を傾げながらも、一応従い"風"による伝言を行う。
ややあって、返事が返ってきた。 この高い声を低く抑えたような、傲慢で偉そうな貴族、というには何か震えがクる異質な声、月城の現当主か。内容は……マジか。
「……オーケー、だトさ」
「……そうか」
ダンナが嘆息するように呟く。
「ならば、俺は一度こいつを連れ、帰還する。柳は引き続き任務を継続」
継続、って事ァ、まだカンヅメかよ。流石に文句の一つも言いたくなったが、
「……そう尖るな柳。今日中に寿司でも差し入れてやる」
その辺は付き合いの長いダンナ。直ぐに不満なぞ霧散する事を掲示する。
「マジっすか!?」
「その変わり、引き続き任務を頼むぞ。お前はどうか知らんが、俺にとっては両方とも手のかかる部下、だからな」
ダンナの分厚い手に頭を撫でられながら、やりィー! と、喜び拳を突き上げるオレ。
ダンナの握った寿司は美味いからな! カッパマキとかチュートロとか。
交換条件も退屈な任務も苦にならないってモンよ。
「それと、司……あまり無理は――」
「可愛い子ちゃんたちに仇なした罪……万死を通り越した報いに値しますよ。ふふっ……」
明らかにこの場に居ない連中への呪詛か変態じみた何かを笑みに似た形で吐き出しながら、この監視屋上唯一の出入り口、金属階段に足を踏み出すカマ野郎。
ダンナの言葉なぞ、聞いちゃいないなアレ。
「……全く」
それに、頭を片手で抱えたダンナが、何かを堪えるように呟いた。
なんとはなく、気の毒になり、背伸びしながらダンナの広い肩をポンポンと、労り気味に叩く。
「大変ッすね。奇人変人変態に囲まれた常識人は」
「……解っているのなら、謹め」