変わってない
――風は、意のままだ。
敵が、獲物がいる。複数、武装した部隊。相対するオレは丸腰で、独り。
だから空間を指先でなぞる、それだけで十分。
指でなぞる度、風が吹き、鮮血が、手足が、臓物が、生首が、人の一部が、飛ぶ、トブ、飛ばす。数秒もしない内に、動くモノは居なくなった。
――ひゃは、はははひゃひゃ。
歓喜に愉悦に快感に人の暖かさに、酒など飲んだことはないが、或いは酔ったようにかもしれない、浮ついた思考になる。唇が抑制なくつり上がり、欲求に従い、舐める、舐めた。浴びたての血は、さっきまで生きてた血は、美味い。
「――ーっ」
閉ざされた視覚に変わり発達した他の四感のひとつ、聴覚が、捉えた。生きている、かすかなうめき声。死で満たしたこの空間で、哀れに蠢く愛しい獲物が居る。
唇が意図せず、つり上がる。笑みのかたち。舌なめずり。
――生きているというコトは、殺せるというコトだ。
異能の風を繰る手を指先を伸ばし――止める。
伸ばそうとした先の空間を、鉛玉が横切った。
「――だぁめですよー、柳ちゃん」
場にそぐわない、のほほんとしたソプラノ。
盛大に舌打ちする。
「……邪魔すンな、オカマ野郎」
「わたしはオカマじゃありません」
女物の服を好き好んで着る男が、どの口で言うのだ。
「ともかく、邪魔すンな。テメェも殺すぞ?」
凶器を向ける。オレの凶器は、風を繰る指先で十分だ。それだけで、銃弾も魔物も人間も、バラせる。どんな刃物、銃火器より優れた凶器だ。
しかしそんなオレの凶器を向けられちらつかせても、野郎はたかが狙撃銃を下ろさない。怯えた空気も感じとれない。ムカつく。
「いいんですかぁ、柳ちゃん」
何度ちゃん付けするなと言っても聞かない奴だ。ムカつく、殺したい。バラしたい。無闇に甘い奴だが、野郎の血まで甘かないだろう。
「あんまり聞き分けないと、静流さんと樹くんに言っちゃいますよぅ?」
――指先が空を切る。それだけ。瞼にサングラスがマッチする巨体と、メイド服の怪物が浮かぶ。精神的な発汗と冷却、それで能力の制御が乱れ、空振り。
再制御しようにも、こんな白濁した思考では無理。屈辱と怒りに、歯を噛み締める。
「……テメェ、卑怯もんが!」
「め、女の子がそんな口聞いちゃ駄目なんだよ」
「テメェにだけは言われたくねェよ!」
視界が閉ざされてるから見えこそしないが、風や空気の流れ、衣擦れや関節の軋みなどから相手の動きを読むコトもできる。だから解る。野郎、なんかムカつくポーズしてやがる!
「そんな事よりお仕事、だよ。君は早く次。わたしはお片付けしなきゃあだよ、柳ちゃん」
「チっ、わあッてんよ……」
殺しは好きだが命令はムカつく、けれど命令には逆らえない。
目の傷跡を触る。最後に"視た"、あの糞デカオンナの無機質な顔。剣を一閃。それでオレの目は潰され、二度と光を視ることができない。たまに夢にも見る。ちょっとしたトラウマだよ畜生。
――あの糞デカオンナにすらまだ勝てねぇ、異端審問の連中には歯がたたねぇ、半端な異能力者のオレじゃぁ、月城という飼い主無くては、直ぐに狩られて殺されるからな。
だからオレは、悪趣味な月城に従う、猟犬でいるしかない。
――なら、精々悦しんでやろうじゃねぇか、猟犬は猟犬らしく、大好きな御仕事をなァ……!
「……ンで次はナンだったか」
オイコラ、なんだそのやれやれ仕方ないでしゅねー的な空気は動作は。
「――次は、泉水舞ちゃんの周辺監視をお願いね」
…………コロシじゃねェ、だったな。そういえば。
あー、テンション下がる……
陰鬱な溜め息を吐きながら、風を繰る。探知もまぁ、それなりに得意だ。
「――ん、って……をいをい……」
オレの能力をもってすれば、この帝都中から、特定個人の大雑把な動向を探知すンのも訳ネェんだが……
「どうしたの柳ちゃん?」
惨殺現場の後始末を済ませたオカマ野郎のソプラノが、鼓膜を揺する。
探知関連で集中してたから少々驚いたが、顔や動きに出す程未熟ではない。肩を軽くすくめた。
「アレ、人間か? 飛竜とか糞デカ女辺りでも追跡困難っぽいスピードでかっ飛ばしてンだがヨ。ダンナですら引き離されてるし」
「……はい?」
首を傾げるオカマ野郎。
それもそのはずダンナ――黒坂樹サンは、基礎能力方面じゃ月城の兵隊たちン中でもズバ抜けてんだから。オレもビックリだゼ。
――んを、
「あ、止まった。ンでなんかダンナ以外にも多数、対象に接近してンぜ」
別に見える訳じゃないが、顔を野郎に向ける。
「ンで、どうスんだ?」
――まいおねぇちゃん――
瞼を閉じたら思い出す。
でも年月を、日を重ねるごとに薄れていく。記憶。
あの頃の暖かさを、失った悲しさと絶望を、守れなかった自分自身への失望と罪科を、あたしと冥を救ってくれた笑顔すら、曖昧になっていく日々。
……あの笑顔を、もう一度見たかった。
ごめんなさいって、あの時、護れなくてごめんなさいって謝って、それで昔のあの笑顔を見せてくれて、いいんだよって……そんな都合の良いコト考えちゃいけないと思っても、心のどこかで抱いていた幻想。
浅ましい、汚い執着。
でもそんな執着が支えだったのは、救えない程に間違ってないコト。
そしてそれはやっぱり幻想だって、現実はそんな甘くないって、今回も思い知っただけ……
思っただけで、努力しただけで叶う、優しい世界なら……お父さんもお母さんも死ななくて、冥はいつも病気で苦しんだりしなくて、孤児院の子供たちだってもっと幸せに生きられて、リッちゃんは…………
でも違うんだ、そうじゃないんだ。
いくら願ってもお父さんは帰ってこない、いくら後悔してもお母さんは生き返らない、いくら祈っても冥の病気は治らないし、いくら頑張っても貴族たちに連れてかれた孤児院の友達は戻らない……おんなじように、あたしがどれだけ泣いても、変わってしまったリッちゃんは戻らないんだ。
どこをどう走ったのかまるでわからないけど、息が詰まる高級な屋敷から早く逃げたいという願いが、こんな時に叶ったのかあたしは外を走っていた。
体力はある方だけど息は激しく、体はだるい、そして拭っても拭っても涙は止まらない。なけなしの、張り詰めた気を抜けば、崩れ落ちて嗚咽を始めちゃうとどこか冷静なあたしが囁く。
だからか知らない、わけがわからない、感情が激情で吐きたいくらいぐちゃぐちゃな頭で、あたしは街中を走りつづけた。
――あんな子じゃなかった、あんな顔する子じゃあ……あんなコト言う子じゃなかったのに……!
誘拐されたからか、年月か、環境か誰かが、だれが!
だれだなにがなんでどうしてイヤだイヤいやいやいやいや、
「――っかぇせよぅ……」
――りっちゃんをかえせ――!!
走って走って走ってついに転けた地べたで、あたしは七年も前と同じ言葉を口にした。
ダレに言っているのかわからない、ただ言わなければどうしようもなかった。言ってもどうしようもなかった。
あたしは結局、なにも変わってない。
あたしの中の最も冷静な冷たい部分が再び囁く。
何も護れない、何ひとつ取り戻せない、泣いて喚いて駄々をこねて醜態を、無知を無力を晒すだけ。
……あたしは――
「――無様、所詮は平民上がりか」
……え?
冷たい、無機質な女の声、あたしじゃない、今、ダレが?
「月城の忌児と縁ある者よ」
忌児という単語に首傾げるより早く、チキっ、金属が擦れるような音が、転倒して起き上がる気力もなかったあたしの真上から聞こえた……
「同行してもらおうか、平民」
面を上げ、声の主を視た。
黒色のロングストレート、同じく吊りながの黒目に、何の表情も浮かんでない整った顔の肌は真っ白で、服装も白を基調とした、気品ってやつを感じるシンプルスーツ。全体的に白と黒で固められた中、血のような紅で塗られた艶やかな唇だけが白黒じゃない、二十代くらいの美人さん。知らない女なのは言うまでもない。
路地裏みたいな汚れた雰囲気の場所、辺りに人気は無い。目の前に、どこか冷たく綺麗に立つこの女のヒトには、似つかわしくない感じ。
「……だれ?」
「答える必要は無い。立て」
有無を言わさない声音。
聞き覚えがある響き。
同じ孤児の子たちが連れてかれる時の、相手のコトなんか全く考えてないヒトの、冷徹な冷たい声だ。
冷たい……リッちゃんみたいな……目の前が重なって、思い出して回想して……思考が白濁する。
直後、女の人の細くも頑丈そうな黒い靴に、あたしの頭が踏みつけられた。
「――っ?!」
「……平民如きが、手間を掛けさせたいのか?」
なんだ、このヒト……まさか貴族、なの?
余りのぐちゃぐちゃした感情で色々思考が麻痺したのか、恐怖やら痛みの感覚やらが希薄だった。
あたしが今踏みつけられているというのも、殺意と嫌悪を向けられているのも、現実感が無かった。
ふいに、頭の感触というか、圧迫感がとかれ、代わりに浮遊感。ついで、
「――ああ、別に遠慮する必要もないか」
鋭利な発言の内容を理解し咀嚼するよりも早く、何か硬いトコロに打ちつけられ、
「――あぅ、」
あたしの意識は、暗転した。
「――お、"人払い"が張られたゼ」
人払いというのは俗称だが、錬金術師によってのみ創られる非売品で違法の品、粉末状の物質。
細かい理屈を省いて云えば、ソレを撒き水で垂らした地点に、人を侵入させ難くする、心理に訴える類の効能がある。コレを突破するには、明確に其処を立ち入る意志を持ってりゃ問題ない。まあ邪魔なカタギを巻き込まずにコトを済ますにゃイイ道具だな。
「ふむ、樹くんは間にあいそうですかね」
ダンナをくん付けすんな、ムカつく。歯軋り立てつつも、集中は絶やさず現場指揮監ドノに答えてやる。
「……接触は、後……二十秒以内ッてトコだな」
流石ダンナ。能力無しの人間とは思えんくらい速いぜ。って、ン?
……オイオイ。
「――は、厄介な奴が来たモンだ」
「誰かな?」
「元・同僚だヨ」
対象を確保した直後、気配を感じた。野生の魔獣が如き殺気と、訓練された戦闘者の気配を合わせたような、独特の……近くの配下に対象を渡し、気配の主を見る。
其処に、三十台程の巨漢が仁王立ちしていた。
「――樹か」
「援護は?」
「要りません。あなた達はソレを持って撤収を」
「了解」
配下に指示を出しながらも、眼前の男に警戒は怠らない。
配下達が対象を連れ、下がる。
その間にも、男は微動だにしない。
特徴の無い黒いサングラス越しに色濃い眼光を感じる。黒いスーツが内包する巨大な体躯の一つ一つに無駄が無く、無骨な表皮に纏う気配は荒事に対する膨大な経験が伺える。
「――久しぶりだな、黒坂樹」
「生きていたか、白崎朱叉」
かつての同僚にありきたりな挨拶を交わし、私は自動拳銃を、黒坂樹は仁王立ちのまま、見たところ丸腰。彼我の距離はおよそ十メートル。
考えるまでもない。
――私が、不利だ。
捨て石……まあいい、私以外にも頭は在る。
「まさか、貴様が出てくるとは、」
「――悪いが、」
微塵もそうとは思っていない口調。
いや、或いはこの無口で変に生真面目であった男は、これでそう思っているのかも知らない。そして、それを私が汲み取れないに違いは無い。
黒坂樹が仁王立ちのまま、サングラスを突っつく。丸腰のまま、姿勢を変えず。
「口の上手い貴様の話には、付き合えんのでな」
――致命的な危険を感じた。
照準を合わせていた自動拳銃の引き金を引くのと同時、地面が爆砕するような音。視覚的になんの前動作もないが、黒坂樹が地を蹴る音。野獣の如き速力で以て、黒坂樹が直進し・吐き出された鉛玉を素手で弾き、反らし、踏み込み、ついでのように次弾を弾く。化け物め。
「――むんっ!」
僅か数瞬で懐に踏み込まれ、最小の動作で貫手が突き出された。
受けたらば防弾性の素材ごと肉を裂き骨を断ち内蔵を貫かれるだろうことは判っている。バックステップで交わしつつ、余った手に毒が塗られたナイフを抜きながら自動拳銃を発砲――する前に突き出された黒坂樹の貫手が滑らかに翻され、自動拳銃を握りねじ曲げられた。化け物め!
「――せっ!」
拳銃から指を抜き、戦慄を振り払うようにナイフを鋭く、大雑把に振るう。ナイフの仕掛けが働き、刃が勢い良く抜ける。黒坂樹に向かい飛び、
「――温い」
――そして呆気なく、バレルがねじ曲がった拳銃のグリップで叩き落とされた。
「――負け、か」
黒坂樹に近接された以上、逃げる事は不可能。そして対抗するにも最後の打つ手は潰えた。悟り、諦めを口にする。自害を実行しようとした、直後、
「――悲観しろ、白崎朱叉」
無愛想な幻聴が聞こえ、歯に仕込んだ毒を噛み砕くより早く、鈍い音が頭の中で厭に反響した。
「殺しはせんし自害も許さん。貴様は連れ帰る」
寡黙な男の無愛想な言葉を最後に、私の意識は暗転した。
「――ッ、くぅー! 流石、カッケェぜ樹のダンナ!」
あのいけ好かねぇ弟子辺りなら負けてたぜ。それを絡め手も含めて一蹴。マジカッケェ!
それでこそダンナだ!
手足で拍手を贈る。届かねぇだろうけど。
「……戦勝報告は良いんだけど、舞ちゃんは?」
「あ゛ー? ンだよテンション下がるなぁオイ」
「おさーぼりはーわーるいこー、いーつきくんにー言っちゃうぞー?」
……っの野郎。
オレを小馬鹿にしたようなオカマ野郎の遣り口と存在そのものに対する尋常ならざる殺意を苦心して抑えながら、軋む歯をゆっくり開く。任務任務、これは任務……
「……待て、今追走中……ん、雨衣とシェリーは予定通り、無事捲かれたな」
ダンナと一緒に遅れながらもこっそり出て、誘拐者を尾行していた月城の雑兵駒二人。まぁ裏の意味でも秘匿されてるオレが、より遠くから確実に監視しテんだから只のポーズなわけだ。尾行失敗は前提、捲いたと判断した連中は帰路に付くだろう。そう、少なくとも連中のアジトの手掛かりになるトコに。
月城の下から離れた餌が食いつかれるだろうコトぁ策略の内。
姦計に長けた月城らしい、なんとも賢しい手口だ。その辺に唾棄しながら、風を繰る、流れを肌で六感で感じ、暫し監視を続ける。
……ん。止まった……あの地点は――
「……大穴だァな」
「…………大穴、ね」
月城の奴の予想の一つが的中していた。けれどそれは野郎に望ましくないもの、故に湿気た声を出しているオカマ。
「我らが飼い主サマも最悪なケースっつぅてたな、餌に掛かったのが――泉水家ッてのァな」
ヒトの不幸は蜜の味、たまんねぇなぁと嘲笑う。
耳を引っ張られた。
「――ッつぉ、ナニしやがる!!」
「人の不幸を笑っちゃいけません」