少女は見た
「――ふん、小娘が。殿下に気にいられているからと、調子に乗りおって」
「全くですな。目上を敬うという気心がまるで無い」
「それに加え、自分の部屋を汚らしい下々の血で汚され、まだ表情を動かさないとは。どういう神経をしているのか」
「だのに平民どころか奴隷まで重用し身辺に置くとは。高貴なる者をなんと心得ているのやら」
「やはり母殺し……」
「それは暗黙ですぞ、将軍」
「構いますまい、所詮は、」
――それは、渦中の少女が事件の報告と中央の弁解・弁護を終え、少女と王族達が退席した後の、大貴族たちという名の掃き溜めの現場。
彼等は、少女の報告から中央国の粗を探し、失態を責め、弱みを握りそれを利用しようと、或いは少女自身を貶めようと画策し、集まった大貴族の老人たちである。
無論、ボロを出すような甘い"あの"少女では無い。
虚言混じりに隠蔽、根回し済みの少女の前にはなんの収穫もなかった、ようはその鬱憤を口汚く老人達なりに吐き出しているだけである。
ちなみに、少女の報告中にしろこんな感じだったのも、彼等が下々と呼ぶ存在を家畜と変わらぬ風に呼ぶのも、彼等が典型的な"らしい"貴族だからである。
――帝国は、大陸で三本指に該当する大国である。
純粋な規模・国力では皇国に、技術力・錬金術機関では中央国に劣るものの、歴史は一番深く、三種もの"神器"を公式に保持している、唯一の国家である。
その神器――神の力を内包する器と呼ばれている――を行使する、国守の双璧(実際には三家だが)の片割れ、月城。
その当主にして、"神器"・ヤタノカガミに選ばれた、新たなる適格者は有能であれど、まだ幼く年若い。
云うならば、新たな光明。
喩えるならば、腐臭を一掃しうる春風。
そも、歴史が深いと云うことは、其れだけに重ねてきた膿が、闇が深いということ。
最早、取り返しのつかない、濃厚な腐臭すら発し始めているほどに。
深すぎる旧き闇は、新たなる光明を忌み。
同じく腐臭は、春風を嫌う。
――其れだけに、そこに起こる騒乱と諍いの種には事欠かない。
何故ならそう言った一面を、自覚すらせずにやれ小娘のクセにとか平民や奴隷を重用する貴族にあるまじきとか、国守が政治に口はさむなとか、みもフタも無く一言で言うならば"気にくわない"で忌み嫌悪し排除しようとしているのが、老人達。
その一貫として、彼らは少女の部屋を下々の、人間の血で汚したと言った。
まるで、悪質な嫌がらせとして動物の死骸を家にばらまき勝ち誇って笑うような事を、人間で……
そんな彼らが無意識に忌み嫌う彼女、それは果たして、年若い光、新たな春風、その認識は、
本当に、そうなのだろうか?
まだ幼い少女は。
"神器"を、権威の象徴の一つであるヤタノカガミを、消耗品のように使い捨て消滅させ、一つの小さな、自分本意の可能性を選択した存在は、本当にそれだけなのだろうか?
老人たちは、何も知らない、気づかない。
自らが生まれながらに絶対たる強者であり、それ以下の存在は強者であり捕食者である己の快楽の捌け口であり、蹂躙され貪られ、思うまま好きにできる存在としか認識できない、自覚なき傲慢。疑問にすら思えぬ凝り固まった怠惰。
それ故に気づけない。
幾ら地位が、権力があろうとも、其れだけで弱肉強食の頂点になり得ないと。
「静流」
「はい」
帰国して、色々なゴタゴタが幾分かカタついた数日後のこと。
誰よりも愛らしく、華奢で未成熟なれど独特の威風纏う我らが、というか私の唯一無二の主様、月城燐音様が私の名を呼んだ。何か様が二つ続くと我ながら頭悪いように思える。自重しよう。
「手駒の増員が必要だな。直ちに手配しろ」
資料にバサバサ次々と目を通されつつ、私如きに一瞥する価値など無いような横顔で鷹揚に語られる燐音様に、私は一礼した。
確かに、某貴族に惨殺され、燐音様のお部屋にぶちまけられた――コトに為っている、雲隠れさせた部下たちの補充が必要かもしれません。
「畏まりました、燐音様」
しかしそれが間違っていようといまいと――聡明な燐音様が下した判断に誤りなど万に一つも有り得ないが、心構えの問題である――燐音様の意向に、燐音様御自身の危険が含まれていない限り、私に有無も是非も無い。
唯、狗は主に従うのみである。
「それじゃ、」
燐音様が読み終えた資料を放り、背伸びされながら息を吐かれるように、
「少し、下僕をからかいに行ってやるか。帰国してから一週間以来だしな」
――ッ
心無し、上気した顔で燐音様は語り。
私の胸の奥が一瞬にして黒く黒くおどろおどろしいモノが沸き上がる。持ちこたえ抑えつけるのに多大な労力を要した。
そんな事情を知らぬ燐音様は、専用の執務机から極僅かに楽しそうな顔で立ち上がる。
斜め後ろに立つ私の目が、すべすべで真っ白な素肌を、滑らかに整った長い黒髪が流れる、細くか細い小さな白い肩を捉えた。
人には云えぬ様々な理由で瞬間硬直する私を尻目に、ペタペタと真新しい――中央でメイドの一人にプレゼントされたらしい兎さんスリッパで、出口に向かう燐音様。
……っていけない!
「燐音様。そのまま往かれてはなりません」
あくまでも冷静に、燐音様の素肌を他の連中に視られてたまるかと、面積の小さな上着のみ羽織った、小さな小さな白いちっとも太くない太ももが眩しい素敵姿の……もとい、僭越ながらはしたない燐音様を呼び止めます。
「ん、ああそう言えばこの格好だった……」
割と御自分の身格好に無頓着な燐音様。幼い今はそれで良いかも知れませんが、その様な肌の露出は家以外いけません。野獣に襲われます。その際には私が件の野獣畜生を○○○して○○の後、去○して○殺しますから問題ありませんが。
大して気にしてない風に私を一瞥し、タンスに視線を移し……また私を見られました。
何でございましょう?
そんな姿のあなた様に見つめられると、何か変な気分に為る可能性が濃厚なのですが。
「……貴様、何故鼻血を流してる」
……あらいけません。絨毯に赤黒い染みが。
――静まり返った、だだっ広いけれど何故か質実剛健という四字熟語が脳裏に浮かぶ部屋、ある有名な貴族の本家の一室に、あたしは居た。
あたしは、お義父さんの紹介でここに来て、侍女、ってかメイドさんだけど、まあソレに成るための面接待ち時間な訳なんだ、今。
うん。
それは良いんだけどね。
さっきまで、あたし以外にも人は居たんだよ、十人くらい。
今はあたし一人っきりだけどねっ。多分、その人達皆事前に連絡いれて来てたんだろうなあ。
あたしも含めて全員分の椅子が――シンプルだけど、どことなく高級感漂う、微妙に座り心地のよろしくない感じのが――ずらーって並んでいる。
今はあたしだけしか座ってないけどねーっ……
だだっ広い部屋、空席の高級な椅子があたしの前にずらーって並んでて…………
あたしは、何かと貧乏性であり、妹の冥やお義父さん、悪友メッちゃんが言うところの寂しがり屋である――いや、後者はまだ認めた訳じゃないけど、正直言って慣れない所で緊張と不安、孤独感とかでどうにかなりそうだった。
あたし以外の最後の一人が呼ばれて、一時間は経ったろうか。
時計が無いからわかんないけど、ずっと待ちぼうけだった。
そんな時、あたしはふと悪友の言葉を思い出した。
たしか心を落ち着かせる、まじないだったっけ。
確か、掌に「人」の字を……うわなんか、両手が痙攣して、か、書きづら……うわ汗でヌルッて……
えぇい、もちつ、おち、落ち着けあたしッ!
こういったなんか心が挫けそうな時は……え〜と、
うん、そうだ深呼吸だっ。
我が友メッちゃんも、精神統一の時には、吸うより吐く方を倍やると気が抜けて楽になるでー、とか初めて出会った時の八重歯剥き出し胡散臭い笑顔で言ってたし。
――だましたな悪友めエエエェ!!
実践開始から数秒後、っつーかすーはーはーすーはーはーやってたら息くるしてか明らかに息が先に切れるよね?! と身をもって思い知ったあたしは、今頃家で妹の世話してるであろう意地悪顔に呪詛の言葉を吐いた。そんな時。
「――泉水舞さん。お呼びですよー」
軽いノックの音と、おっとりしたどこか安心感のある高い声。が、えーとイズミマイさんを呼ぶ………って、あれ? あたしじゃね?
「……あのー、泉水舞さんは居られませんですか?」
「ひゃ、ひゃいこきょいまふでひはい!?」
首を傾げるようなイメージの声の人が再度ノックする。それに呂律無き声で応答せざる負えなかった、馬鹿友のダメな助言でなく虚言のせいで、ダメな風に混乱真っ最中なあたしである。
「――いやー、ごめんなさいね。随分遅れちゃって。慣れない部屋で緊張しちゃったでしょ?」
「い、ぃいいえぇ?! 大変高級かつ高貴で広大なお部屋で待たせていただいてなんかちょっとえーとその」
有名貴族のおうちを優雅な足取りで先導しながら、割と気さくとさえ思える感じで話し掛けてきたのは、呼びに来てくれたメイドさん。
しかし緊張しきってるあたしは、とっさに変な言葉で応える事しかできない。
訳もなく泣きたくなる私にクスクスと、上品なのに何故か嫌みな感じがないどころか優しげな微苦笑で、メイドさんが振り向く。
「そんな緊張しなくて大丈夫。此処は貴族の本家だけど、みんな可愛い子ばかりだから」
「いや、カワイイてなんスか?」
思わずツッコミを入れてしまう程にどこかズレたことを語る、それこそ可愛い顔立ちをした微笑みメイドさん。
「うふふ。良いツッコミ神経だね。それなら静流さんも認めるよ」
「……なんすか、ナンタラ神経て」
「大丈夫。あなたのツッコミなら、雨衣ちゃんレベルでもクスって笑ってくれると思うの」
「いやあの。あたしってば何処に連れてかれるのでせう?」
のんびりした笑顔で出てきた意味不明な単語の羅列。
確か、あたしはメイドさんの面接に来たんじゃなかったっけ? と首を傾げる。ついでにメイドさんも、あたしじゃ真似できない可愛いらしさで首を傾げる。
お義父さん、何か伝え間違ったとか……?
「舞ちゃんは、月城家に仕えるメイドさんの面接に来たんだよね?」
「は、はい。なのに何でツッコミとか笑うとか云う単語が? 確か、メイドさんて家の掃除とか主人に付き従うとかが仕事なんじゃあ?」
「あはは。それはそうだけど舞ちゃん。生活習慣としてツッコミかボケの固有スキル一つくらいなければ、月城のメイドさんは勤まりませんよ」
……どんな貴族邸?
そう言えば前試験で、筆記はともかく、なんでメイドさんになるのに銃とかの射撃テストが在るの?! とか反射的にツッコミを入れざる負えない事態になってたけど……今更ながらなんだろう。
高給とはいえ、激しくお家に帰りたい気配。
「舞ちゃん舞ちゃん。着きましたよ」
「――はっ!?」
メイドさんの親しげな高い声に、意識を過去に飛ばしてる最中も足は動いていたと悟る。心無し逃げ腰で顔を揚げ………………瞬間的に頬を引きつらせ、悲鳴をあげた。
「――なんで扉がグチャグチャ蜂の巣になってんの?!」
「いやー。狼藉を働こうとした方が居てね」
「なんかよく見れば大部分拭き取った跡があるのはそれ?!」
血痕か血痕なのかちょっ曖昧に微笑まないで、
「気にしない気にしない。家のメイド長の静流さん、人体解体の次に殺さずいたぶるの得意な人だから死人は出てないの」
か、帰りたい! 激しく帰りたい!
てかなんたら解体とかその微笑みで普通に語らないで!?
根源的な生命の恐怖におののき逃げ腰をさらに深くおとすあたしの耳に、声が届く。
「――何をしている。さっさと入れ」
――え?
高い、どこかなにか根本的に違う声。
でも、聞き覚えが、何、なんで、重なる……この声?!
「――舞ちゃん?!」
後ろからの制止の声も訊かず、自分でもわからない焦燥と衝動に駆られ、蜂の巣になってボロベロにな、元は高級だっただろう扉を、蹴飛ばし開く。
直後、一瞬だけ目の前に何かが映り、視界が回る。
高い天井が見えた。
さらに回る。
投げられたと気付くのに、少し時間が掛かった。
打ち付けられた鈍痛にうめき、体を動かそうとして……動かない。
うつ伏せで、後ろから腕をキメられてる。
「――何のつもりです。泉水舞」
「ーッなにすんだ放せこのばかあ!」
真上から聞こえた、突き刺すような冷たい、見下ろす声。
それは小動物じみたあたしの直感にビンビンクる、おぞましく怖い気配。
とっさに立場を考えぬ罵声で返した。
返してしまった。
直後――なんだろう、体中から汗が噴き出すような、本能が恐怖を通り越し絶望の断末魔じみた悲鳴をあげる、先以上に凶悪で異常で異様な圧迫感。
「……ほう、私もまだ未熟ですね」
嘆息のような、自分自身と一緒にほかの誰かを嘲り笑うような台詞と共に、あたしの後頭部に、何か硬い物が突き付けられる。
――銃。
基本、街中では貴族か軍人かその関係者くらいしか持つ事を許されてない、錬金術師たちが造った、魔物に対する自衛と殺しの象徴。
「――ひっ」
多分当たってる想像に青ざめ、自分のやったことの恐怖に息を呑み、出来損ないの悲鳴みたいな声をあげる。
「アナタのような幼稚で粗暴で未熟な粗忽者を、我が主の御前に立つ判を押すようでは、ね」
凄みとドスの利いた声で、不快不機嫌を隠そうとせず、さらに強く銃を押し付けてきた。
なにか、小刻みにカチカチと音がする。
最初それが、あたし自身の歯の打ち合う音だと気付かなかった。
「ならばこの失態、とりあえずはアナタの血で償うしか在りませんね」
冗談とは思えない、暗く怖い、死を意識するに十分な声。
――大丈夫。此処は貴族の家だけど――
何故か脳裏をよぎる、さっきのメイドさんの台詞。
何が大丈夫、だよ!
そりゃあ貴族の家だし、機嫌を損ねたりとか、下手したら貴族の気分次第で殺されたり、それより酷い目に会うって、覚悟はしてた。
あたしの友達だって、気まぐれに連れてかれたり殺されたり……いっぱい貴族たちに酷いことされてる。
それに、あの子だって……
でも、ここの貴族は違うってお義父さん言ってたのに。
あの優しそうなメイドさんだって、大丈夫だって言ってたのに!
緊張感と恐怖でぐちゃぐちゃになった思考がぐるぐるぐるぐるする。
あたし、此処で殺され?
……やだ、いヤダようそんなのヤダよ、あたしは、あたし……!!
「――メイド長、」
ただ死にたくない一念、本能で動かない体を動かそうとじたばたしようとした時、涙でふやけた視界に、ロングのスカートとほっそりした脚が映る。
「ヤリスギ・言い過ぎですよ?」
「……司、あなたはどちらの――いえ、愚問でしたね」
「はい。私は可愛いものの味方ですから」
「この少女の粗相、あなたも見ていたのでしょう?」
「衝動的刹那的なものは感じましたが、害意は感じませんでした。メイド長の処置は過剰です」
「しかし、」
……あたし、あんまりな恐怖に、気でもふれたのかなあ?
あたしには理解不能なやりとりが、真上で……
「――止せ」
ーッ!
囁きにも一喝にも似た幼さを残す、けれど何か普通と違う声に、あたしは状況を思考を忘れ、目を限界まで見開いた。
「どちらが正しいとも言えんが、とりあえず静流、司と変わってそいつを起たせてやれ」
「はぁい♪」
「燐音様、しかし」
「不服なら、不審を見張ってろ。話が進まん」
……燐音、サマ。
おかしいと思ってたんだ、おんなじ、同じ名前、あの子と!
あたしを拘束してた腕がなくなり、やんわりした手つきで起こされ、何か言葉を掛けられたけど、聞こえなかった。耳に残らなかった。
私の全神経は、眼前の小さな小さな少女に――いなくなった筈のあの子に、瞼に浮かぶあの子と重なる、けれど何か違う、女の子に向けられている。
当たり前に自然のように、意味も無く込み上げしゃくり泣き出したい気分を抑え、あたしは震える口を開く。
「――リッちゃんっッ!!!」
――あたしが孤児だった頃、いつも一緒にいた、小さな小さな、か弱くかわいい女の子の面影を、外見と体格だけ残す、小さな小さな少女は、うっすらと笑う。
「貴様は、月城以前の俺様を知っているのだな、泉水舞」
――底の知れない、まるで根本が違う笑みで、言った。
第二章、とある少女をメインにスタートです。