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夢から覚めて 上

 

 

 

 

 

 ――はあい――クン、●●取り出しますよー♪


 陽気な声。


 暗い悦びの声。


 声は出ない。


 悲鳴も出ない。


 カラカラと喉が鳴る。


 唇が痙攣するだけ。


 開いたままの口に何か入る。


 汗か鼻水か涙か判別がつかない。


 体が小刻みに震えて、震えて、手足が痙攣する。


 笑顔、エガオ、えがお。


 しろ、白衣に、刃物。


 泣き叫ぶ。


 声は出ない。


 唯ないてないて泣いて涙を流す。


 たすけてゆるしてだれかたすけてと何かに祈り声無き声で助けを乞う。



 祈りは届かない。

 

 助けは来ない。



 深淵に、光は差さない。




 ――そうだ。


 なんで忘れていたんだろう、こんな怖い、恐い、コワいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい、


 ――はい、メス入りまあす。


 しゅるしゅると、刃物が肉を裂く音。

 

 わたしの、にくをさくおと


 嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌イヤイヤイヤイヤいやイヤイヤ嫌イヤ痛いいたいいたいイヤいたい痛い痛いいたい痛いいたいいたい痛い!!!


 ――はい、●●ですか。注入しますね。


 嫌イヤいやイヤいややめていや痛い厭いやゆるして厭やめて止めて嫌いや厭いや、



 ――――  あ、  っ


  ―― ァあア、――ーッっッ!!


 ――●●さん、拒絶反応でましたよー。


 ―― ー あ あ あ あ あ

  ア ァ ア あ ァ ァ あ ア ア !!?!


 ――うわめっさ暴れてますよ。拘束具が壊れますぜ木原主任。

 

 ああ燐音クン燐音クンイイ燐音クン

 

 ……駄目だ聞いてない。

 

 ――●●●。ーーを投入なさい。


 ――はいよ。しっかしエグいっすねー、まさかこんな、うわ、心臓が膨張してますよ。えっ、誤差の範囲? でもなんか口元からも血ぃ出てますよ。



  や だ   い た い   こ わ い


 た す け   て


 ――あ、なんか意識が飛びますよこれ。


 ――駄目です。意識は残させなさい。


 ―― た す け て 、 お か あ さ ん




 ――大丈夫よ、燐音お母さんはここに居るから。



 

 ――繰り返されていた。

 

 子が犯され侵され冒され、そして母が微笑む。


 総てを見届け指示した母はいつも微笑む。


 そしてその都度記憶は消され、また繰り返し。


 そんな日々。


 微笑みを浮かべる母に子は笑顔を返す。


 周期を迎える度に母は同じ風に微笑み、子は恐怖と絶望に染まる。


 いつしか涙は枯れ、


 そして子は絶望を鉛玉に変えた。






 













 




「――…………最っ悪な、寝覚めだ」


 汗で服はべちょべちょ、喉はカラカラ、体中の鈍痛、頭はガンガン、呼吸は荒いし握った拳は出血。

 それでも、涙は出ない。ナゥスラとの約束を反故にしてしまった時のように。


「……ちっ」


 舌打ち。

 女々しい。全くもって女々しい。

 なんだあんな(あくむ)くらい。ディティールは思い出せんが、どうせいつもの昔の事だろう。

 不確かな事で、どうするんだこの有り様。


……やはり、奴が生きていたからだろうか。


 幾ら自分を律しようとしても、タガが外れたように、体中の震えは止まらなかった。

 情けない。俺様らしくも無い。


「――燐音さま? まだ寝ていらっしゃいますよね……?」


 ――こんこんガチャ。

 極小さなノックからほぼ間を置かず。小さな独り言をこぼしながら一人の侍女長が滑るように入室して来た。


……何故か、中央国ではかなり流通しているらしい映像投影機器――カメラを片手に持つ、長身の姿が朝日の光に晒される。

 無断侵入者と目が合い、一瞬にして黒いツリ長な目が見開かれ、膠着。

 しかし直ぐに持ち直したか姿勢を正しカメラを懐にしまい一礼。


「おはようございます燐音さま。本日初めて拝見させていただいた人が貴女さまの御尊顔で、この深裂静流、何よりの幸福」

「……歯の浮く台詞で誤魔化せるとは思ってないだろ、静流」


 半眼で睨んでやると、わざとらしい笑みを浮かべた。


「なんの事でしょうか?」

「懐に何をしまった。出せ」

「なんの事でしょうか?」

「出せ」

「なんの事でしょうか?」

「………出せ」

「なんの事でしょうか?」

「……貴様、それで通す気か」

「そんな事より、」

「流すな」

「おほん。そんな事より燐音さま、今はちょうど小鳥畜生共が安眠を妨害するに値する騒音を発する糞喧しい時分ですが」

「貴様、鳥の類に何かしら怨みでもあるのか?」

「いえ怨んではいません。ただ根絶やしたいだけです」

「……そうか」


……頭が別の意味合いで痛くなってきた。

 何故に寝起きで無断侵入者からそんなどす黒い単語を訊かねばならんのだ?


「それより燐音さまです」


 思いの外真摯な声に、顔をあげる。


「ちゃんと睡眠をとってなさいますか?」

「…………三時間は寝れた」

「無茶です。その前に一日完徹してるではないですか」

「仕方ないであろう。十日の空白にアレだけの事件、お上の連中は俺様本人が報告せねば喧しい。中央との取引次第だが与える情報の区別もある」


 知恵の国守。

 読んで字の如く知恵で国を支え守る貴族。

 俺様程の適役が他にいないとはいえ、年齢が年齢、有能極まる成人前の若者な俺様は、無能以下の老害連中から風当たりが鬱陶しいのだ。


「……ですが、(はかり)連中が聞き耳を立てている以上、情報操作は危険かと」


 やれやれと大袈裟に肩をすくめてやる。切り口を変えて来たか。

 こいつは稀に、てかよくよく心配性だ。


「連中の琴線に触れるような――国守の役目から外れる事ではない。(まつりごと)に関する、国家間に於ける和平、国交維持の為の処置だ。危険視されている事は確かだろうが、その程度で俺様を切る程莫迦じゃないだろう。王室連中と違ってな」


 顔をしかめながら応える。

 鬱陶しい、厄介な個人、または連中。

 武力と知恵に、狭間に立つ――秤の国守。

 役割は、他の国守の監視と調整。

 不安定に暴走の可能性を秘め、切れ味鋭い両刃たる武力の国守に、謀に政を駆使し国の脅威に成りかねない知恵の国守の両家を抑止する秤を持つ帝国(ステイト)の守護者。

 その役割以外、特性に個人の名前、異能力者かどうかも不明な、帝国最秘奥の暗部に相当する。


 全く以て邪魔な連中(複数かは多分)。

 奴らが存在するお陰で、水面下での暗躍が困難極まり遅滞する一方なのだ。

 忌々しい。

 そして国家転覆は遠い。

 いつか根絶やしてやる。

……む。


「――どうなされました、燐音様」

「……いや些事だが、どうにも夢見が悪くてな」


 少々言いづらい事だが、爪が食い込んだ掌の手当が必要だった。

 俺様が傷口を見せると、過保護の顔色がまともに変わる。

 少量の血が垂れた。


「……直ぐに手当をッ!」

「騒ぎすぎだ」

「動かしては成りませんっ! 傷口が悪化します!」


 険しい顔に唾を吐かんばかりの勢いで詰め寄られ、手をやんわりと捕られる。

 もう片方の手には携帯医療セット。いつの間にだ。

 しかし、相変わらずにデカい手だ。包帯を巻く手。絶対に性別を間違えて産まれたと、よく形容される奴だけのことは有る。


「……だから爪の手入れはキチンと、」

「している。だから非力な俺様でも肉を抉れたのだ」

「そういう意味では有りません。爪を刃物並みに尖らせないでくださいと何度も」

「護身用だ。致し方ない」


 非力な虚弱体質俺様は、まともな護身用武器も持てん。大した効果があるとは思えんがまあ気休めにはなる。

 その気休めと悪夢のせいで掌が少々抉られた訳だが。

 その事を突いて、大仰に溜め息を吐く静流の目は咎めの色。

 悪夢と云えば、話を逸らすついでに。


「それよりもだ、アルカから何か連絡はあったか?」

「……いえ、あの暗黒腹黒ザ・サドスティックミトコンドリアマスクいつか惨殺からは何も」

「そうか」


 初対面から割と険悪な仲らしいアルカと静流。この手の悪口はいつもの事。ツッコまんぞ。

 そういうボケ倒しな台詞にツッコミは鈴葉か雨衣が担当だ。精々命賭けでツッコむが良い。


 ――しかしアルカの奴、まだ時間を取れないか。


 あれから――理解の塔、極秘の地下が崩落してから十日。

 材質が幸いして未だ塔は、中央国(ヴェルザンド)の象徴の一角は健在。

 だが、賢人会出席者は死傷者多数。俺様も十日近く昏睡状態であった上、現在も自力で歩行する事すら困難な状態。

 俺様の手駒も大半が負傷し、現地で医療錬金術師から治療、酷い者は人体錬成を受けたそうだ。

 人体錬成とは、人の体の構造を錬金術によって弄くる事全般を指し、欠損した人体構造を根幹から再構築し似せた異物で代用し適合させる処置も指す、てか一般には医療行為としてこれが伝わっている。拒絶反応が起こる可能性、単純な錬成ミスなどリスクは高いがせざる負えないケースが多々有る。

 閑話休題。

 中央国最高の腹黒、アルカとの共謀により嵌めようとした犯人たちに、目的(エサ)の脳を奪われはしなかったが奇天烈な戦術と桁違いの戦力により、忌々しくも頭を取り逃がしてしまった。

 こちらの戦力は相当痛めつけられた以上、痛み分けと思うには甘い結果だ。

 なのでこのまま終わる訳にはいかない。という訳で中央国がホームであるアルカの網に掛かったか、それに――とかく、報告待ちなのだ。

 いやこちらはこちらで十日のブランクのせいで徹夜する程に忙しくはあるが。


 ――っと、静流が掌の処置を終えたか。流石早いものだ。


「――御苦労。それと静流、行く所が在るから車椅子を」


 片脚を骨折している為、車椅子か松葉杖くらいしか移動手段が無い。

 その内後者、松葉杖で出歩くと高確率で転倒、立ち上がれなくなるという惨事が発生するだろう。

 腹立たしい。虚弱体質腹立たしい。


「かしこまりました」


 侍女(メイド)というより、噂に聞くホストのような優雅な笑みで一礼する静流。


「御手洗いで?」


 第一声にそれを尋ねるか。


「それと見舞いだ」


 

 ――はて、そういえばいつの間にか震えが収まっているなと気づいたのは手洗場で掌の包帯どうしようかと首を捻った時だった。













「やっほー♪」

「…………、」


 妙な気配を感じ、眠っていた所だったが覚醒し、目を開けた所。

 何故か、やたらと輝かんばかりの笑顔の同僚が……カメラだったかガメラだったか機械端末を構え、随分と間近に立っていた。


「……何をしている」

「可愛いもの観賞はおねーさんの日課だよお」


 何がカワイい誰がおねーさんだ。

 眼前の、一点の曇りもない少女のような笑顔を白い目で見る。

 確かにこの同僚は、整った女性的な、いや少女的な顔立ちである事は認めよう。それに華奢な体躯がエプロンドレスにマッチしているという他の皆の意見も、ある一点を除いて反論のしようが無い事実。だが、


「男がおねーさんと語るな」


 月城家の執事兼女装侍女。

 それが俺と、この同僚の肩書き。


「えー、似合わない?」

「俺に聞くな」

「むー、可愛い女の子が俺とか言っちゃいけません」

「もう女装と芝居をする意味もない」


 パスを偽って他国で入院するのは色々と問題がある。されども人員の大半が重傷を負っていた以上、医療設備に医者は必要。

 よって燐音様の友人、アルマキスとか云う小柄な少女の根回しで、情報操作に融通の聞く病院に人員を回してもらったそうだ。

 結果、幸いな事に月城の(しもべ)たちは死者ゼロと相成った。

 錬金術機関全般に秀でた大国故に、三日でほぼ完治した者も少なくないと聞く中、人体錬成が必要な少数は長期にわたって他国に滞在し入院を余儀無くされたが、俺含む。


…………流石に、右腕を切断されるとな。


 潰れた右腕は、神経が修復不可能という致命的な状態であったそうだ。 

 故に再構築するにあたり、完全に切断された。


「……ねー雨衣ちゃん。やっぱり本気?」

「……ああ」


 ――十日、考え悩み夜もうなされた。

 そして出した答え。


「考え直しなよ。そんな責任の取り方、雨衣ちゃんらしくない」

「…………」


 その台詞には、口下手な俺に話すべき舌は無い。


 ――酷い環境だろうが女装を強制されようが、俺にとって、燐音様の居る月城に仕える事は誇りだった。

 俺を救ってくれた燐音様の手駒である事が、傍にいられる事が何より嬉しかった。

 あの方の為ならば、血を吐く程の訓練も、硝煙と血煙に満ちた戦場に赴く事も、不快感しか催さない女装も苦では無い。

 どれだけ肉体が精神が傷付こうと、燐音様の為になる限り、燐音様の目的に近付く限り。それは何物にも替えられない勲章だった。


 ――だが、俺は守れなかった。

 利き腕を駄目ににしても、命を賭けても、十日近く昏睡する程に疲弊していた、それでもかすれた声で告げられた主の"我が儘"ひとつ叶えられず……利き腕を無くした武術家に、役立たずと為ってのうのうと生き延びた。



「――俺は、燐音様の脚を引っ張りたくない」


 さらに錬金術師の医者は言った。

 代用品(ぎしゅ)がくっ付いたとしても、元の腕の感覚とは程遠いだろう。

 数年間のリハビリを挟み、ようやく肌に馴染み一般人のそれと同じになると。

 手業を命とした、接近戦がメインの武術家である俺にとって、それは死刑宣告も同然。

 役立たずの無能は、あの方の傍に居てはいけない。

 あの方の信用に、願いに応えられなかった俺に、従者の資格は無い。

 俺が、認めない。だから、


「……俺は、月城の……燐音様の従者を辞める」

「……お馬鹿さん」

「…………なんとでも言え」 

「――ならば言おう。ふざけるのも大概にしろこの大馬鹿野郎」


 幼くも凛々しい、威厳と憤怒に満ちた第三者の声。

 気付かなかったのは自分の未熟さか、それとも、


「……燐音、様」


 サイズに合わない車椅子に座る、小さな体躯。夜を連想させる艶やかな黒髪と、其れより深淵を思わせられる純黒の瞳。それらとは対照的に、比喩が見当たらない程に白い肌。

 ――月城燐音様。

 まるで似つかわしく無いギプスに包帯、味気ない病人着が、随分と痛々しく見える……

 実際、骨折しているのだ。重傷未満の外傷ならば錬金術でどうとでもできる。

 だが、内的損壊。それも微妙なものならばかえって錬金術の難度が上がるそうで、自然治癒に任せた方が体に無理がないという。

 昏睡から覚めたばかりの、まだ療養中の燐音様が、何故?


「ふん、」


 呆然とする俺に対し、燐音様は無表情、されど底冷えする鋭い黒燿の眼を向けている。病院ベッドに思わず正座する俺は見下ろす視点なのだが、燐音様からは見上げられているというより見下ろされているという感じしかしない。


「馬鹿の見舞いにきてやったら、馬鹿が、馬鹿故に馬鹿らしい事をほざいているではないかこの糞馬鹿野郎」

「…………俺は、貴女の命令を、あの少女を守れませんでした。それに俺の唯一の取り柄が無くなりました」


 ――近接戦闘に秀でた技能。武術。俺の唯一の取り柄だった。

 既に過去の事。

 取り柄が既に無い事を肯定し、自分の存在を否定する。空虚な感覚。

 気を抜いたら背けたくなるような目を合わせ、それを告げる。


「――もう、貴女の従者である資格は在りません」


 燐音様の表情は動かない。

 変わりに、燐音様の合図の下、何故か侍女長が車椅子を押して、燐音様が接近して来て――

 燐音様が小さな手を伸ばし、俺の病人着を掴んだ。阻む訳にいかず、それを瞬きしながら視ていたら。


 ――燐音様が、立ち上がった。

 

 プルプル震えながら、険しい鋭利な眼を、見下ろす視線のままに立ち上がった。


「――いけません燐音様!」


 侍女長の声が何処か遠くに聞こえた。眼前では、震える拳を振り上げた燐音様。


 認識した時には、小さなか弱い拳骨に頬を抉られていた。無論の事、非力な力で痛みなどない。だが、片足を骨折しているというのに無理に立ち上がった燐音様は、体勢をマトモに崩した!


「――燐音さま、治り掛けで無理しちゃいけません」

「……うるさい」


 転倒する寸での所で、静観していた同僚に助けられた……なんでこんな無茶をっ。


「貴様が馬鹿な事を言い始めるからだ」

「、ですが俺は」

「嫌に成ったか? 右腕を無くして怖じ気づいたか、雨衣?」

「違う! 俺は、俺は……」

「だろうな。貴様はそんなタマじゃ無い。どうせ下らない事でグダグダ十日掛けて悩んで、そんな下らない結論に至ったのだろう」

「……俺の首と人生で払う以外に、もう責任の取り方は在りません」

「そんな責任の取り方を命令した覚えはない」


 頭を垂れた俺の、かつて在った右腕に、包帯て包まれた細く小さな手が触れる。既に無い右腕に、何の感覚も無い。


「……本当に無いんだな」

「…………はい」

「バカやろう」


 平たい声と共に、今度は鳩尾に拳が叩き込まれる。人体急所の一つだが、痛みは無い。


「なに無断でこんなに為っている」


 さらに鳩尾が連続で殴られる。

 いや、力からすればはたかれる。 

 しかしこんな力でも燐音様の体質からすれば精一杯の全力の筈。


「自覚しろ。貴様は俺様のものだぞ。貴様が、俺様に忠誠を誓った時点で、貴様は、俺様の所有物だぞ。勝手に欠けるな命令を反故するな壊れるな、……いなく、なるな」


 ――燐音様は、泣かない。泣けない。

 ある事情で、それ以来涙を流せなく為ったと聞いた。

 だが、その時の、精一杯に駄々をこねる子供のように俺を殴り続ける燐音様は、喪失に怯えイヤだと泣いているようにしか見えなかった。


 泣けずとも涙を流せずとも、いかないでと祈り願い顧う無力な少女のように、心を揺さぶられずに居られない、普段とはまるで違う姿。

 言葉に詰まり、戸惑い、なんと言うべきなのかまるでわからない。けれど言わなければならない。銃に脅され魔物に牙を突きつけられるより酷い焦りと観念。


「…………申し訳、在りません」


……、俺は、結局何をしているのだ?

 馬鹿馬鹿しい、結局のところ燐音様を悲しませているだけではないのか?

 疑念が生まれ、迷いが膨張し、未だかつて感じた事のない、激しい罪悪感に自己嫌悪。


 ――俺は、俺は……


 不意に、燐音様が顔を上げた。強く、鋭い目。


「……月城の当主が、母から俺様に為り代わって。人員のほぼ総てが入れ替わったのは貴様も知っているだろう」

「……はい」


 かつての月城家の従者たちは、前代の当主と現在の貴族体制を盲目的に支持していたらしい。

 それに当代の燐音様は信用に足らない。とほぼ総ての従者が切られ、平民や孤児を中心に目的に共感する、信用に足る者達が集められた。

 燐音様は従者たちにまず意志を問うたが、貴族というだけで平民の権利や自由の冒涜は認められている。それが現在の体制。

 

 ――帝国(ステイト)の貴族至上主義。


 それを内面から打ち崩し転覆、または変革させる事が、とりあえずの燐音様の目的。

 その目的と燐音様の力になることが、俺と多数同僚たちの意志。

 しかし目的を果たすだけの力があるかと問われれば無いと言う他無い。

 大多数の新規に集められた者達は意志も忠誠も在るけれど練度は低いといった集団。

 補う為にハードな戦闘訓練を施すも、耐えられる者はより少ない。

 結果、戦闘に適正ある者のみが残った。

 事情があって武術を学んでいた俺もその一人だ。


 以上の意味を咀嚼するまで待つような間を置いて、燐音様は口を開く。


「――貴様は、俺様の従者で、従僕で、貴重な使える手駒だろうが。右腕がないからなんだ下らない事を言ってるんじゃない。無いなら治して義務を守れ。有りもしない責任を取りたいというなら俺様の下でとれ」

「…………燐音様」

「返事は」


 動かされる、抗えない。抗いたくない。

 貴女は、俺にまだ使い道があると、使えるようになると言うのですね……


 頭を垂れる。

 涙目を見せたくないから。


「――了解しました、我が主」


 ならば、是非もありません。

 この身と心は、貴女の為に。


「責任は、貴女の下で取ります」


 俺の返答に、燐音様が何度か頷く気配。


「……良し、承諾したな?」

「……………………は?」


 多分に笑いを含むイイ声を反芻させ、誰が発したか理解するに少しの間を要した。

 何故か背を伝う汗。嫌な予感。

 頭をちらりと上げる。

 弱さとは対極に位置する、悪性の笑みを浮かべた小さな美貌の主の姿。












 ――まったく、鈴葉といいナゥスラといい雨衣といい。

 どいつもこいつも頭は悪くないというに主の意向を汲まん。

 挙げ句暴走しやがる。

 結果、俺様にこうして修正の労力を掛けさせる……


 全く以て、手の掛かる馬鹿共め。


「――あら、どうしたの燐音さま。頬が緩んじゃってますよ可愛い」

「……知らん」


 車椅子を進めながら女装趣味の執事兼女装侍女、柏木 司が顔を覗き込んできた。器用な事を。

 コイツは自分の欲望の為ならばタマに常識を越える変態だ。目を合わせてはいけない。


「ああ、そっぽ向かれちゃったもう可ぁ愛い♪」

「喧しい。口より足を動かせ」

「はぁいごしゅじんさま♪」


 甘ったるい声にイラッときたのは俺様が短気であることは関係ないだろうこの場面。

 いくら違和感が皆無といえど身をくねらせるなこの阿呆。


「最後は鈴葉ちゃんの所でしたよね?」

「ああ」

「うーんでも最初に雨衣ちゃんの所に来たのですよね――はっ、危うそうだと考えてたからですか?」

「ああ」


 僕の露骨な心理くらい見抜けんで主は務まらんだろう。


「いや〜、正直迷っていたのですよ。雨衣ちゃんに辞めるって宣言された時、口止めもされていたの。自分でちゃんと告げる、って。燐音さまに相談しようか静流さんはおっかないしどうしようって考えてた時に当の貴女が乱入してきたのですよ。いや〜流石燐音さまです♪ でも無理しちゃ駄目ですよ?」

「……当然だ、言われるまでもない」

「本当ですよー。可愛い子が不幸になるなんて、世界終焉的な悪夢なんですから」

「大袈裟なんだよ阿呆」

「私は常に真面目ですよー」

「知ってる。余計タチが悪い」


 なにやら可愛いもの信者がほざくが、コイツはいちいち本気で真摯だからな。

 つまり、本気で可愛いものに命を懸け行動基準にしている。本物の変態なのだ。


「でも燐音さまがあんな無茶やった後で病室に静流さん残して来て、大丈夫かなあ雨衣ちゃん。本当に女の子に為って泣いてないかなあ」

「……それで十七回目だぞ心配性。そして洒落にならん事を」


 隙あらば危険思想に端る静流の事だ。怒りに触れた者を去勢しようとなんら不思議はない。

 だが流石に後を引くような事をすれば俺様が許さん。それを解ってない馬鹿じゃない。倫理や道徳面では兎角、そういう打算には長けた奴だ。

 大丈夫さ、うん。

 きっと。



「でも鈴葉ちゃんも心配ですよね。ずっと昏睡状態ですし……」

「その下僕より大分柔な俺様が目覚めたのだ。直に目覚る」


 とはいえ能力の暴走に加え精神浸食に神器の行使。

 慣れない精神的疲労が重なり、事件後も、未だに眠ったままというへたれ。


……しかし負担が大きい、か。

 やはり危険な持ち札らしい。迂闊に切る訳にはいかんか。


「となるとー、あれですかね?」


 少し考え事をしている俺様に気付いているのかいないのか、司はいつものようにのほほんとした声で続ける。


「燐音さま、逆すりーぴんぐびゅーてぃでも遣りますか?」

「……なんだって?」


 流石に聞き違いかと問い掛けるが、


「だから、王子さまならぬ、お姫さまのちゅーですよ。燐音さまなら、鈴葉ちゃん飛び起きちゃうかもですよう♪」


 聞き違いではなかった。

 てか司。貴様は特に可愛いもの同士が戯れるのが特に好きだったよな?


「…………貴様、それが観たいだけだろ?」

「あははー」


 陽気に空々しく笑う司は、歩行の速度を僅かばかりあげた。図星か。図星だな。


 程なくして、鈴葉の病室に到着。腐っても衛宮の次男坊。俺様の病室と同じく、他の病室より設備が整えられ、より不要なまでに清潔。そして最奥に位置している。


 其処に俺様の下僕、衛宮鈴葉が間抜け面晒して惰眠を貪っていた。

 それはもう、とっさに蹴り起こしたくなる寝顔だ。


「ああ、やっぱり鈴葉ちゃん可愛い♪」

「……そおか?」

「はい。燐音さまの次くらいに、すっごく可愛いですよ」


 嘆息で返す。

 一々対応するのも面倒だ。

 しかし、鈴葉め。よく寝ている。涎なんぞ垂らしやがって……ん。


「ーーぅふあ、あぁぁぁぁあんんっ……」


 大きく欠伸を一つ。

 やはり眠くなってきた。こいつを最後にしといて良かった。なんか気が抜けるからな。


「燐音さま、おねむですかぁ?」

「……ん。流石に従者全員にプラスアルファは体力的にキツかったらしい」

「なるほど。それで最後に鈴葉ちゃんの無事な姿を見て安心したんですね」


……またコイツは阿呆な事を。む、しかし眠い。まさか昏睡が長かったから体力がさらに低下しているのか?


「あらら、本格的におねむですねぇ。いっそ鈴葉ちゃんと寝ちゃいますか?」

「……それもいいな」

「へぅ??」


 うう、眠。

 思考がマトモにはたらかない。

 なんだ鈴葉俺様が眠いというにテメエだけああ糞、こんな良いベッドを下僕に独り占めされてたまるか……


「ああ燐音さまそんなよたよたと、危ないですよもう」


 少しばかりの浮遊感。

 む、あったかい……なんだこれ、ウチの抱き枕よりなんかこう……あ、もだめ……


「……おやすみ」

「……かーわーいーー!!」

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