愉快犯
異能力者。
もしくは、悪意的な呼び名で異端者とも、より直接的に侮蔑と嫌悪とそれ以上の恐怖を込め、化物とも呼ばれる人間がいる。
彼等、または彼女等は一般的な人間が保ち得ない、超越的な能力を保つ。その代償かそもそもの欠陥か、異能力者達は精神面が不安定であり、感情の一部分が欠落していたりする。
例えば。帝国最強を誇る守護者、現在の武力の国守主は、重度の気まぐれ屋であり、また恐怖という感情を欠落させている。
その長男は穏やかな心優しい性質なのだが、逆鱗に触れられると一転して冷酷で凶悪な一面を見せる。
その年の離れた弟は、小動物じみた気性で、先に挙げた彼の身内以上に致命的に、恐怖に抗う抵抗力、勇気を欠落させている。
以上の三名共が血縁者であり、それは異能力者が先天的な遺伝性を持っているからである。
親が片方でも異能力者で在った場合。その子供は、七割近くで能力遺伝が発生。生まれた異能力者は、生まれながらに超越的な能力を保っている。
ただし、異能力の血は世代を重ねる毎薄まり、後天的に至った者から五世代を迎える前に遺伝は途絶え、以降は常人と化す。
後天的な、親がそうでない異能力者は、異能力者全体の一割に満たない。されど混じり気がないからか、自力で其処に至ったからか。世代を重ねた先天的より、遥かに地力が強いのがこの後天的だ。
後天的な異能力者の中で近年確認された者は、帝国最強の国守主と正面から互角に渡り合った少年。
中央国の、剣携え蒼炎纏いし魔人。
マグナ=メリアルス。
――木原八雲は善戦した方だろう。
高度な錬金術と、竜の高位存在の力を併用して良く闘っていた。
元が学者肌の人間とは思えないセンス。意外と才能在ったんだね。そっち方面にも。
だけど、相手が悪い。
月城燐音と衛宮鈴葉を遠ざけたのもマイナス。
彼、怒っちゃったよ。
最大威力で放たれた破壊の息吹は、圧倒的に濃度を増した蒼炎に灼かれ……彼から離れ、木原八雲目掛け一直線に進んでいた蒼炎の奔流が届く前、ほんの一瞬完全に静止し――制御が消え、災厄に等しい蒼炎が刹那の間に膨れ膨れ膨張し、
――あ、やべ。
離脱し、慌てて耳を塞いだ直後、間に合わなかったら鼓膜が破けてても可笑しく無い炸裂音、いや暴発音。
それは、彼等が闘っている空間一帯が異能の蒼い炎に蹂躙され侵され支配される。ひかれた引き金の轟音。
その蒼炎の範囲も密度も継続性もどうかしてる。彼の最後の理性か、地下の崩してはいけない壁にまでは範囲が届いてないだろうが、それ以外は世界最高金属の壁も含め、暴発点を中心とし、円形に広がっていく馬鹿げた災厄に呑まれていく。
模造オリハルコンの壁を撫でた瞬間にこの世から消した災厄は、たっぷり十秒経過して破裂音と共にようやく消え去った。
蒼炎の跡に残ったのは、竜呪の結界を張ったうえ、有り余る生命力による再生で辛うじて生き延びただけの木原八雲。密度が増した蒼炎を纏い、無傷で佇む彼――マグナ=メリアルス。
うわ滅茶苦茶くっきり明暗分かれたなあー。
なんか互角っぽく開戦したと思ったらあっさり。観客としては金返せって感じだねー。
ま・この辺が英雄サマとの地力の差かねー。木原八雲もかなりハイになってたから、退き際を、いや退き際も判断誤ってさ。得た力に酔ってたのか、彼女の存在で暴走したのか、どっちだろうね。両方かなかな?
しかし、執念というか妄執というか、すごいね狂人て。床下位楽に貫通してる範囲だったのに、錬金術でかなり厚く補強してたんだ。まだ床が抜けてない。
それを彼も気付いたのかな?
忌々しそうに木原八雲をガン付けてる。
「……リンネとスズハは真下に居るのか?」
そりゃ意味の無い問い掛けだよ。燐音狂の木原八雲が、正直に居場所を吐く筈がない。てかそもそも口が訊けるのかな? すごい勢いで吐血してっけど。
「……げふっ、げふおオッ! は、はあ、はあ……さあ?」
あ、ふらつきながら立ち上がった。しかも嗄れまくった声だけど嘲り返事を返すとは、流石は変態。すげえ根性だ。
「……寝てろよ。死んじまうぞ」
いや、殺す気満々でぶっ放しといて何を? エラいボロベロな相手を見てトドメはいいやとかかい? そりゃ情けでなく甘いだけだよ少年。
「甘言、を……わた、しの……り、ンネくンは………渡さん!」
甘言と言い捨てたボロベロは、変態らしいことをのたまいながら、随分と縮こまった竜爪をゆっくりと動かし、
――ズゾリつッッ!!
肉が裂け、貫かれた音が広い部屋に木霊する。たいした間を置かず、夥しい量の鮮血がぶちまけられる。
……へえ。そうクるかい? と顔がにやける。
面白い事をやらかしそうだ。
木原八雲が、自らの胸部を右腕で貫いた音に。相対する彼の方は目を見開き、口を薄く開いて驚愕している。ちょっと面白い顔。
「な、にを?!」
「――く、くクケケケげけケゲケゃけケャケケケケけケゃけケケ!!!」
木原八雲の気が触れたような哄笑が響き渡る。
続けて胎内に突っ込んだ右腕を引き抜き、蓋がなくなった傷穴から、より多量の血が勢い良く噴出する。それを目の当たりにした彼は、素早く動揺から警戒した体勢に切り替える。流石といった所。
それに気付いているのかいないのか、関係ないとばかりに木原八雲はソレを掲げた。
胎内から取り出した筈のソレは、血が付着しているのが当然なのに、渇ききった表面。
鮮血よりなお紅い、真紅の宝玉が如き、けれど鈍く輝く物体。
あれが、森羅万象を理解する錬金術の頂点に座す、至宝の哲学の石。凝縮されし第五元素。紅きティンクトゥラ。大エリクシル……呼び名は数多あれど、これが一番通りが良いだろう。
賢者の石。
木原八雲という人間の器に、高位竜の存在を定着させている媒介。彼は見た事もない物だろうけど、木原八雲の異常な様子から眼を鋭くし、警戒を強めている。だけど、早く逃げるべきだったんだ。異能力者。
木原八雲は、右手に握り締める、己の異形を留め制御する至高の媒介を、賢者の石を、自分の心臓をの代用を――躊躇なく、笑みさえ交えて握り潰した。
つられて笑い声が洩れる。
サイコーだ、サイコーにオモロいキチガイだ!
硬い物が砕かれる音ではなく、硝子が呆気なく砕け散るような音が響き――内包されていたモノが、解放される。
「?! 、っ!!」
内包されていたソレは、近い存在を感じ感応した彼に向かったのだろう。私にゃ見えんが、彼には、特に自力で至った異能力者にはハッキリと、不必要なまでに理解できるだろう。
蒼炎。彼の心の在りようを具現した異能力が、何かに恐怖したみたく朧気に揺れる。
「、なんン――だ、なんだコイツ!?!」
「……君達異能力者の力の……幹。錬金術の……極み、先……座す、存在、だそう、で、」
気が触れたように剣を振り回す彼に、血溜の中に倒れて尚譫言のような掠れきった声で語る木原八雲。ありゃ、意識が混濁してるな。
「ぐ、うううぅウウ!」
木原八雲の言葉が届いた様子もなく。
彼は、頭を抱え、耐え難い苦痛に呻くように跪く。
悲鳴に近い唸り声と、剣が落ちる音が虚しく木霊する。その剣が、彼からある程度離れた瞬間――蒸発するような音も無く。彼の周りを渦巻き肥大し続ける蒼い炎に接触し、呆気なく、灰すら遺さず消滅した。さらに脈打つように、空間が暴風に包まれたり止んだり。余波で模造オリハルコンが軋んだりしてる。
……ヤバクね?
アレって、彼の有り様から見ても明らかに過剰。範囲はまだしも、密度が異常すぎ。木原八雲を半殺しにした時なんて問題じゃない。なのにまだ膨張してる。あのままだと、能力が暴走して……うーん、最低でも、この塔は消えるねえ。中央国がクレーター化するのも普通に有り得るし……んんっ、そりはそりで面白いかもだけど、折角の面白展開がおヒラキってのは頂けない。
さてどうしたものかと首を撚り、こめかみを爪先でつつき……んん?
軽く驚きつつ目を見張る。彼が放出している蒼炎は、未だに肥大化し揺らいでいるが、
「……堪えてる?」
うわ凄、大した精神力だねー。
アレって、暴走を誘発するようなモンなのに。
うわー。
「ぐ・が、ぎガぎギギぎぎッっ、」
間近で見る。
こちらに気付いた様子は無く、歯を食いしばり、あどけない顔立ちを酷い苦悶に強ばらせ喘いでいる。珠に成った汗が重力に従い、抉られた床に落ちた。
後ろを見る。
賢者の石を失った異業種は血溜の中、時折肉体をぶくんぶくん膨張したりさせていた。肉体の抑制と同調を亡くした、暴走の前兆かな。
……彼はなんか堪えそうだね、他の面々も来るだろうし。木原八雲は、駄目だね。直ぐ診せなきゃエラい事になる。仕方ないか……
「オヒラキは嫌だからねー」
おっと。暴風によろめきながら、私は十分の九殺しくらいの木原八雲の後頭部をわし掴んだ……うわお、後頭部までベットリかよ。
エラー、エラー。
なんだ、アレは。
月城燐音はここに転がっている。名称不明の、何故か侍女服を着用した少年は気を失っていた筈。なのに何故?
「はぁアッ!!」
細身の筈の拳脚が振るわれるたび、ヴェルトゥースの機銃が雷撃が突貫が重力波が光学兵器が。叩き落とされ薙ぎ払われかき消され吹き飛ばされ、傷一つ付けられ無い。法則性を蹂躙された現象に、遺失科学が無力を露呈される。
有り得ない。エラーが、思考の混乱が深まる。私の脳波の乱れの影響でヴェルトゥースの砲撃が途絶える。
「……貴方は、なに……?」
「――貴様は、先程俺様の名を呟いたぞ」
先程も満身創痍、疲労困憊と最悪なコンディションで眼光と圧迫感だけは強烈なものを宿していた……映像データからもほぼ完全な類似性が認められる。酷い既視感。意味不明な焦り、困惑が脳波を刺激する。
「月城、燐音だと言うのか。有り得ない。彼女に異能力を使った形跡など無い」
「ほう。貴様の番犬は能力の形跡とやらを理解できるのか。良い事を聞いた」
…………不覚。不要な情報を与えてしまった。
「質問に答えていない。返答を要求する」
「……知らない事を他者が知っている。悔しいか、腹立たしいか」
自信と強さで満ちた笑み。あれは、あいつは私を見透かした気でいる……先の比では無い感情が湧き、唇が引きつり顔が強張る。喉が干上がり、噛み締めた口内から歯が欠損する音がした。
「……質問に」
「応えるさ。俺様は、ここにいる。コイツは俺様で、」
胸に手を置いた。少女のような容姿をした、少年。月城燐音とは別人の筈の、固体。
「――俺様はコイツだ。少なくとも、今はそうなのだ。智を呑む隠者の五番目よ」
?!?
「……何故、知って……思考を読んだ?」
「……深淵を覗こうと試みるならば覚悟するが良い。深淵を覗き見る者もまた、深淵に観察されているのだ」
深淵……それがコイツの謎、何らかの精神作用のキーワード。
――首を振って、頭の中を切り替える。コイツのペースに乗せられてはいけない。
「……何にせよ、知ってはいけない事を知った。処置を施す。ヴェルトゥース」
ヴェルトゥースの永久機関に、再度火が灯る。二足立脚も可能な四脚が起ち、重力制御を起動。
月城燐音……体は完全に別といえど、そう認識すべき危険な敵性体は、薄く笑った。何故か肌が粟立つ、抗ってはならない者に相対したような、刹那的情動に駆られる。そんな上位に立つ者の笑み。
「俺様とて、コレを知った貴様を見逃す訳にはいかん。俺様の野望の為にな」
「興味無い」
気を吐くように、おぞましい何かに呑まれないように強く吐く……?……エラーエラーerrorエラーerrorerrorえらー。私はただ、役目を果たすだけ。恐怖も疑問も感情も私には無い筈。なのに何だ今、人形の、には…………ァツ
「ヴェルトゥースっ、空間断裂の使用ッ。これ、ならば」
膨大なエラーで頭痛が酷い。目先が霞む。唇が乾き、喉も痛い。ヴェルトゥースとのリンクだけがやけに鮮明に脳内再生される。その映像では……変わらぬ笑みを浮かべ腕を組む月城燐音の姿。
「ふん。別に真っ向からソレを受ける云われなどないが、まあ光栄に思え」
笑み笑みエミ笑みえエミみえみえみ。
人を馬鹿にしたような、お前なんて矮小な存在など障害ではないと言外に語る笑み!
「来い。貴様は良い実験台兼踏み台に成りそうだ!」
――何か、切れてはいけない何重に束ねられた糸が、切られた気がした。
「――つき、城、燐音エエエェェっ!!」
自分で叫んだ事も、いつの間にか視界の霞が晴れ、体の異常が消えてなくなった事も気付かず、堰を切ったように押し寄せる暴力的な衝動に身を、ヴェルトゥースを突貫させた。
「は、」
牽制に放った重力波が、ふざけたエネルギーを放出する拳圧で潰され、流れる動きで、防御不可能の空間断裂を左腕で受けたのが、ヴェルトゥースのリンクを通じて知覚。
――意図的だ!
まるで痛む素振りも見せず、肘より数センチ先で空間の断裂共々裂かれた左手を右手で掴み、弾丸を遥かに超える鋭さでヴェルトゥースに蹴りを打ち込んだ!
相打ちの形で光学兵器を斉射させるも、サイドステップであっさり交わされる。ヴェルトゥースの方は装甲が足形に凹み、重力制御でも御し切れない蹴りの衝撃で、数メートル後退したというのに……
口内から鉄の味……血。苛立ち噛み締めた歯から出血したのだろう。
「――鈴葉の力と、俺様の――」
腹立たしい奴は、切断され血が吹き出ている自身の手を、笑みさえ交えてヴェルトゥースの方に向け、
「我が言霊を受け……さあ、来い。国守の剣、」
「ッッ!?」
血、は、錬金術や古の魔術でも重宝される、魂の情報が詰められ、霊そのものともされる最高峰の媒介。
言いようのない予感。身を切るような悪寒。判断以前の衝動で、ヴェルトゥースを後退させるが、奴の方が速い!
「「――草薙剣」」
声は、言霊は響き。
女神の加護を受けた国守の剣は、音もなく具現し、ヴェルトゥースを貫――いていない。
「――、なに」
――私の腹部から、やや上向きに剣が生えて〜ー、
し、こうが……は、くだくする……りんク、がとぎ、れ……ひざをつき、後ろを見……
「げ、ほ……く、クク」
其処、には……満身、創痍……の、"奴"のすが、た……
「――俺様の、勝ちだ」
虚ろな目が交差した直後、ナゥスラの体が崩れ落ちる。
――鈴葉を仲介して具現化した霊剣・草薙剣。
現在の状態では、精々意識を絶つまでのレベルでしかない。
ナゥスラは死んではないが、厄介な番犬もリンクが途絶え沈黙した。この、満身創痍の本体を人質に取られたら、少し不味かった。安い挑発で逆上したのは幸いだったな。やはり、コイツはアルカとは違う。先の手応えでは、人形で無くなりつつ在る。
……上手くいけば、引き込めるかもしれない。その可能性も含め、番犬を破壊せずに本体を無力化したのだ。
……しかし、やはり妙な感覚だな。
肉体を複数動かすこと、まして本体とはかけ離れた運動性能のはな。
しかも筋肉痛に近い軋みと、先程切断させた左手が酷く痛む。
そして暴走で意識を無くし、覚醒には程遠い状態の鈴葉とはいえ、この状態は危険だ。反則に近いこの特性は対象を――鈴葉という存在を蝕み、浸食し、呑み込んでしまう。可能な限り、速やかに事を済ませる必要があった。霊剣具現などで消耗したのも、本体が弱れば浸食が弱まるだろう事を見越しての事。当てが外れているかも知れんが、鈴葉の能力実験にもなるし、そも敵の不意が付ける。実際、悪く無い結果にもっていけた。
ただ、ホムンクルス製造設備の追撃は、最早絶望的だ。
逃走経路は、殿が短距離なら単独転移可能な番犬の――アルカの番犬と同一機体なのだから、装備している筈――存在を考えても、錬金術の転移方陣を使用しているだろう。理解の塔自体の刻み込まれた転移方陣と違い、転移先で錬金術師が弄くれば良いだけなのだから、もう追撃できる経路は途絶えているだろう。此処で俺様が交戦せずとも手遅れだった心算が高い。
「――……く、さ薙ノツルギ、」
……掠れた声は前方から。まだ意識が有ったらしいな。ナゥスラ。
「帝国の、く、国守がもつ……三種の、神器……その、彼、は……武力の」
「俺様の下僕だ」
生憎とナゥスラの表情は見えん。脚の骨を折られているから見に行けもしない。ナゥスラに番犬を起動させるだけの余力は残ってないだろうが、念の為鈴葉には未だ"経路"を遺してある。草薙剣も具現化したままだ。
「……女、装は……カモ、フラージュと、この時の、為に……?」
「当たり前だ。俺様を誰だと思っている」
――記述曰く、竜の上位存在すら打ち倒す草薙剣。
それを正当に行使できるのは、女性だけとされている。よって基本的に、歴代の武力の国守は女性だった。それに反感を抱いた八代前の国守の男は、草薙剣を用いて戦場に赴き負傷、トドメとばかりに天災に合い、戦果を挙げる事無く地割れに呑まれ死亡している。それ以前にも似たような事は何度か遭ったそうなのに、歴史は繰り返すか。
現在の武力の国守は男……鈴葉の父だが、それは他に女性の適任者が居らず、また彼以上に強力な異能力者が存在しなかったから……閑話休題。兎も角、奴個人が強かろうと武力の象徴に等しい草薙剣は使えない筈だったが……奴は裏技を用いて、草薙剣を正当に具現化し、行使した。
その、男の身で女好きの霊剣を行使できるようになる裏技こそ……女装なのだ。
前例は鈴葉の父がたてた。いざと成れば、鈴葉の肉体を使って草薙剣を行使する気だったのだ。
「…………アナタは、嫌い」
思いのほか元気そうな、嫌悪の声。
「それは結構」
痛みが引いちゃいないのに、自然に嬉し気な声が出た。
……俺様は鈴葉と違ってマゾヒストじゃないぞ。念の為。
「自分より優れた他者を嫉むのは、人間として正しい心理だ。行き過ぎは危険だが、適量ならば成長の糧となる。それは、」
「…………アナタ嫌い。喋らないで、大嫌い。存在している自体が嫌」
…………、
「――おや、随分と回復したモノだ。もう一度位、草薙で精神を刺して措くべきカ?」
剣の腹でナゥスラの背中を軽く叩くと、少し、小さな肩が振動した。俺様の腕力でこんな事ができるのも、ほぼ全く重量がない霊剣だからこそだ。流石は女好き。しかし、振動。震えた、か。
「貴様は、人形を止めつつ有るのだな、ナゥスラよ」
「……なに、言ってる」
「ならば貴様は、何故俺様と戦ったのだ」
「……マスターの指示」
「其れだけか?」
「だけ」
「ならば何故私情を挿んでいた」
「…………」
「何故、私情の根幹……自我に気付いてない」
悪戯が発覚した子供のように、ナゥスラが沈黙する。
こいつは、戦闘中に俺様の名を忌々しいとばかりに叫んだり、俺様の事を露骨に嫌悪したり、完全に私情……感情を挿んでいた。
それは、只言われるが侭に従う人形には有り得ない概念。
俺様と対面した時以前から、或いは芽生え始めていたかもしれん自我。
そしてそれは、
「ナゥスラ、生きたいか?」
「……情報漏洩は禁則。私は……」
「脳を弄くって情報を除去するか。それともより野蛮に自害して、情報漏洩を防ぐか?」
意図的に流す意外、必要以上の情報掲示を拒んでいるマスターとやらだ。命令されている可能性は高い。
ナゥスラの肩が、先以上に震えた。
「……自害、では、ない。人形を破棄する事を、そうは、呼ばない」
震えるような、肯定。つまり今の状態は、マスターから切られる、自害をするパターンな訳か。
「なら、この問答……そも貴様が幼稚な口を開いた辺りから無意味だな」
「……ーぐっうぅぅ」
「――ナゥスラ? おい、どうした!」
嗚咽に似た呻きに細かく震える背中。一瞬、毒を服用したかと脳裏を掠めたが。
「……ーう、ぅうぅう、えぇエぇ…………ーっ」
本当に嗚咽だったと理解し、一瞬脱力。そのまま疲労と相俟って気絶しかけたのを、気合で奮い立たせる。
「……貴様な、」
「……ぐす、ひぐ……グしゅ」
死に怯え、背中を震わせて声を押し殺し、泣く。
これの、何処が……
「泣くほど死にたくないなら、死が怖いなら、自害など止めてしまえ……!」
「止め……否定。命令、が、」
「貴様のマスターとやらの命令か」
「……肯、定」
「それに従うかどうかは貴様が選択する事だ」
「……選、択。しかし命令、」
「――いい加減にしやがれ! テメエは、そんなに死にたいのか?! そんなに震えて、縋る物がそんな命令しかないからそれに身を委ねて、それごと沈もうと云うのか! ふざけるな! ならこの問答にどんな意味が有る?!」
腹立しい。本当に腹立しい。まるでかつての、ええい腹立しい!!
「いつまでも愚図るなうっとおしいんだよ中途半端に! 死ぬんならさっさと死ね! 死にたくないなら、死にたくないと言って謝罪しろ!!」
「、し、謝罪?」
「貴様は人の骨をへし折るは下僕を殺そうとするはしでかして、ごめんなさいも云えんのか!」
「ご、めんなさい……?」
――本当なら土下座させたい所だが、お互いに自力で立ち上がれもしない現状では無理だ。
「よし。さあ次どうするのだ」
「、め、命令」
「なら死ね。人の人形が壊れようと俺様の知った事ではない」
「…………、」
少しの沈黙の後、
「……死にたく、ない」
ようやくマシな返事が返ってきたか。
「……でも、私は戻れない。戻っても、……」
「ならば俺様の下に来い」
「………どう、いうこと?」
「俺様ができる限り面倒をみてやる。そして俺様の下で働け、ナゥスラ。貴様の力は、俺様の野望に役立つ」
「……野望?」
「世界征服だ」
「………冗談?」
「そう聞こえたか?」
「……それに協力しろと」
「ああ。自我が芽生えた以上、優れた同一体、アルカを取り込もうと云う本能も弱まった筈だしな」
さらに、近くに置いた方が監視もやり易い。
「断ったら?」
「貴様が恐れているような事はしない。選択肢は貴様にある。選べ」
ナゥスラは、少しだけ考えるように間を置いた。
「……貴女は、私という個人を必要としている?」
「いや、必ずしも必要ではない」
「……そう」
事実、ナゥスラが居ようと居まいと俺様の目的は変わらない。手段に幅ができるだけだ。
だが、
「だが、俺様としてはナゥスラに来て欲しいと思っている」
「…………帝国の、本」
「んん?」
「読ませてくれるなら」
こいつも本好きか。呆れと可笑しさに苦笑しつつ、鷹揚に頷いてやる。
「そうか。なら司の紅茶と菓子も付けてやる。あいつのはなかなか美味いのだぞ」
可愛い子の笑顔が観たいからと、熱意を通り越し、執念に近い習練で身に付けたと云う甘味スキルの持ち主だからな。貴様が食うんなら、奴も本望だろう。
「……貴女も?」
「たまにはな。その時に将棋でも一局やってみんか? 貴様は下僕と違って歯ごたえがありそうだ」
最近鈴葉から教わった物だが、チェスより気に入った。だがマイナーな故に知る者が少なく、周りに手応えある者がいないのは難点だったが、アルカと同類のこいつは強そうだ。
「将棋?」
「帰ったら教えてやる」
「……楽しみ」
片言で眠たげだが、笑っていると解る声だ。なんとなく、口元が緩んだ。
「――でも、駄ァ目」
突然、男とも女ともつかない、若い声が降ってきて――危険を感じた。本体では対応できない。同時、経路を伝い、鈴葉の肉体を伝い……
「――マス、たあ……?」
――見たのは、金色に輝く大鎌を下ろした黒髪の小さな人間の姿と、そいつに掴まれた、血まみれの木原八雲の姿と、
その金色の鎌に貫かれた、ナゥスラの姿――
「……や、だ」
喉が震え、拳が震え、体中が震える。
それでも床を蹴り上げ、突進。俺様は絶叫していた。意味無く、只絶叫している。なのに何故か、ナゥスラの小さな声は聞こえた。
「………や、死に、たく……な」
「――ナゥスラアアアアアァァっ!!」
一秒とせずにナゥスラの傍に立つ。奴は木原共々消えていた。関係ない、血が噴出するナゥスラの体を看、
「無ー駄」
不愉快な声とともに、肩に手が置かれた。反射的に殴りつけるが、空を切る。
手応えが無い?!
「――そんな大穴空いてちゃ、もうショック死もんさ。私の得物、見たっしょ?」
声に振り向く。黒髪黒眼、華奢で小柄な、男か女か判別ができない整った容姿。手には血まみれの木原八雲と、同じく血にまみれた、全長二メートル以上。先端からさらに大刃が弧を描く、長大な金色の鎌……
あれを、ナゥスラに突き立てたと謂うのか……!
歯が軋み、顔が強張り、心臓が怒りの余り冷えていく。得体の知れない、けれど見覚えがある顔を睨み付ける。
「……ゾクゾクするね。魂の根っこの方からビンビンとさ。まるで伝説に語られる魔王とでも対峙してる気分だよ」
「戯言を吐くな。殺すぞ」
吐き捨てながら、鈴葉の切断された左手を投擲。命中せず、奴は消えた。その間に自分の本体から、草薙剣をむしり取る。
「――君、鈴葉君じゃないね」
「口を開くなと言ったぞ下郎!」
「……君は、燐音君かな?」
「そこ!」
草薙剣で扇状の衝撃破を放つも、内壁を裂いただけ。当たらん。奴は、
「そうかそうか。無事、母親から強奪できたんだね」
「――ッっ!」
すぐ傍から聴こえた声に振り向き、草薙剣を振るい――友人と同一の容姿なれど全くの別人。風穴を空けられ、虚ろな目をしたナゥスラが、其処にいた。
「――!!?」
ナゥスラを盾にしやがった! 草薙剣を強引に止める。こんな物が直撃すれば、本当に!
「へえ、」
ナゥスラの後ろから声がして――肉が裂ける音が妙に間近で聴こえた。これは、鎌で、脇腹を貫かれた……?!
「よく止めたね。意味無い、てか逆効果だったけど」
痛み、痛……感覚が、まずい、繋がりが……今、解けたら……
なんとか倒れずに踏みとどまったが、ナゥスラの体は力無く崩れ落ちる。その後ろに、整った忌々しい顔で笑う奴が佇んでいた。その頬には、ナゥスラの血がこびり付いていた……やはり。
感情が沸き立つ。腑が煮える。
体は動かんが、意識は繋ぎ留めた。
「ナゥスラの自我確立を助けたのは、同情かい。よわかった、ちっぽけな人形さんだった頃の自分と重なったかい?」
「……さあ、な」
一々勘に触る奴だ。嘲り混じりに厭な所をつつく。腐れ外道が。
「……スピードか。貴様の、それ」
「さあなー」
草薙剣を振るう。目標が消えても止めず、今度は全方位回転しながら、転がっている本体とナゥスラに当てない角度で衝撃破を放つ。しかし、傷は深く、血も流し過ぎた。すぐに片膝着いてしまう。
そう、血だ。
あいつの消失、現象。
空間転移であるならば、血痕が残る筈がない。ならば、
「……あの時、俺様に銃を渡した時もそうやって、単純に早さと物質通過能力で侵入してきたのか」
「……成長したもんだね、てか別人だね。燐音君」
姿を現した、在りし日と同じ笑顔を浮かべた奴は、
「……正解だよ」
死神の如き大鎌を構え、頬に付いたナゥスラの血を拭った。