地の底二風は吹き、
――ふうむ。
呻きながら視線の先、細かい数字が乱立するモニターを眺める。
大したモノですねと感心する他無い。
全く、竜種のサンプル確保には大分苦労したのですがね。放出した全七体の虎の仔、竜種型を指したる苦もなく全滅させるとは。
「感心してる場合ですか教授! アイツらもうすぐ此処に到達しやがりますよ!」
後ろからの、耳に優しくない怒声に、肩を竦める。
やれやれ、沸点の低い助手ですねえ。カルシウムをきちんと摂取してますか?
まあ、賢人達の確保が読まれてて、成果が揚がらなかった事も有るでしょうが。
私はキチンと忠告しましたよ。
悪夢の妖精を侮り過ぎですと。
もう少し、人の話に傾く耳を保つべきですね。助手君。
ま、口に出す時間はなさそうですが。
「解っていますよ。設備の爆破準備は終わりましたか?」
「とっくに完了してます。重要な製造法に関する所は全て」
首を横に振る。まだ解ってませんねえ……
「それでは足りませんよ。全ての移動不可能な設備を塵になさい」
「は? しかし、そこまでせずとも――」
「悪夢の妖精や彼女の前では、繋がる情報だけ消しても無為です。根こそぎ消さねば。何の関係もない情報から知られてはいけない情報に行き着かれてしまいます」
そんな馬鹿なと助手君は青い顔を晒します。
それだけ彼女らの知恵は常軌を逸しているので、仕方ないのですよ。そういった水面下でのやりとりをした事の無い助手君には理解しかねるかもしれませんが。あるいはそれさえ無為かも知れません。ま、時間稼ぎにはなるでしょうけど。
「それが済んだら、手筈通りアレを残し、君達は脱出なさい。あ、私は残りますよ」
助手君が何故か呆気にとられた顔で私の方を見ます。眼鏡がずり落ちてますよ。
「何馬鹿を言ってやがりますか?! 幾ら教授でもヴェルザンドの蒼魔が相手じゃ――ひっ」
「そうですね、しかし、映像を見たでしょう?」
微笑みながら、何故か怯えた目で私を見る助手君に説明します。
「彼女も来るんですよ、こんな地下深くまで、くふふ、逢いに、私に逢いに来るのですよ!!」
嗚呼、駄目ですね。湧き上がる歓喜が制御できません。
男に背負われてというのは気にいりませんが、その憂さは奴を解剖して後々まで有効活用する事で半分は晴れるでしょう。
もう半分は、そうですね。彼女を、あれから成長した彼女を――
あっ、ダメです。出ますね、これは。
「ひ、ヒヒヒっ。クヒャヒャヒヒャひゃひャヒゃひゃヒゃ!!」
「――此処、かな」
如何にもな、他とは違う重厚で無機質な扉を眼前に据え、呟く。
中からは、隠す気の無い、ホムンクルスとは明らかに違う冷たい気配。
「――位置的には、塔の中枢辺りだな。道のりは全て記憶してるから、独自の転移トラップにでもハマって無い限り間違い無い」
背中の完全記憶能力持ちのリンネが、自信たっぷりに語る。
「でも、バレバレだから、多分罠とかあるよ」
やたら強いホムンクルス通算七体との戦闘で、恐ろしく頑丈なスズハはともかく身体だけはか弱いリンネを庇うため、何度か塔を揺らしてしまってる。
材質が模造オリハルコン製じゃなきゃ崩れてる所だ。手加減はむつかしい。
まあ、そんなこんなで侵入に気付かれて無い方が異常しいのだ。
罠に備えて、後続を待つという手もある。いまさらだが背中の少女は、身を守る術を保たないのだから。
「どうする?」
「踏み込め。逃すな」
即答だった。勇ましいなあ、と苦笑する。
「罠とかは」
「噛み砕け」
勇ましすぎる堂々とした言葉に、なんとなく、先程のアルカの台詞を思い返す。
『――その後は、しばし燐音の番犬を努めるように』
『犬ッ?!』
――その時には突っ込んだけど、なるほど。いつの間にかそんな風に扱われてるよ。
「愚図るな。お前ならば、可能だ」
しかも、この切迫した状況で、命令口調の中に対象を理解してるいろも有るから――なんとなく、抗い辛いモノがある。威厳ってやつかな? 末恐ろしい、てか。
「――リンネ、実は十歳位年上じゃない?」
「年齢を偽った覚えはない」
そして、おれは如何にもな先への扉を、灼いて拓いた。
中枢への障害は灼き払われた。
中は冷たく、寒々しい壁は円い弧を描く。
天井も丸い。それだけ。何の備品もない無機質で広大なだけの一部屋。
「――蒼炎。万物を灰に燃やし、変換する。錬金術にも似た異能力」
そんな無機質な部屋の中心に、片眼鏡をした白衣の男が立っていた。
「基本的に蒼炎を行使する際は自分の身に纏い、その際身体的超化も見られる。使用者の体から離しても使用可能。ですが、制御は困難になる――」
独り語りを終え、男はふてぶてしく一礼する。
「――失礼。錬金術師として興味深いモノを診して貰ったもので、つい」
顔を上げ、寝癖の残る長い髪を揺らす。早口だが、友好的ともとれる。その口元からは、微笑み。その中には嘲りは無くとも、猟奇的なものを孕んでいた。目元がうっすらとしか見えない、長い前髪の隙間と片眼鏡の下からは、ぎらぎらとした常人ならざるヒカリを宿す目が垣間見える。
――それらすべてに、見覚えが有った。
「……リンネ?」
我知らず、マグナの服を握り締めていたからか。マグナが気遣わし気に声を掛けてくる。
「――私の前で彼女の名を呼ぶンじゃない!!!」
直後、男は異常な勢いで腕を振るい、何かを撒き散らし、絶叫。
「うわっ?」
バックステップを踏み、飛んできた液体を、マグナが俺様ごと羽織っていた外套を振るい、防ぐ。
――ジュっっ、
外套に付着してからの異音に、マグナが息を呑む。
外套に、焼けたような穴、いや溶解か。これは――
「強酸だ。触れるな、溶けるぞ」
「さーすがは燐音クン。一目で見抜くなんてね!」
大仰に拍手まで加え、男が耳につく奇声を挙げる。
それに対応してで無いが俺様は、マグナの体と繋げて有る縄を解く。
頑丈に結わえてあるが、解き方を知っていれば容易く解ける結び方だ。
「んな、何してんのリンネ?!」
危ないよと、柄に無く声を荒げるお人好しに、黙っていろと目線を送る。
次に一歩踏み出し、男と――向き合う。
「――やあ燐音クン。また会えて嬉しいよ」
猟奇的に微笑むひょろい男に、
「なんだ。生きてたのか、貴様」
仕込んでいた銃を向け、撃った。
特注の弾丸は、対象に届く直前の空間辺りで――音をたてて消失した。
――なんか、妙な錬金術を行使しているな。と、人間を越える動対視力も、錬金術師の理解能力も持ち合わせていない俺様ではその程度しか解らなかった。
銃弾を防いだ――のとはまるで関係無い事で、男は嘲るでなく、唯嬉気に笑う。
「その銃――デリンジャー型ですか。引き金の重ささえクリアすれば、なるほど、反動とサイズの点で燐音クンにはうってつけの携帯銃ですね」
「ああ、貴様の蛆で沸いた頭をぶち抜いた時に学習したからな」
――あの時、リヴォルバー型で後先考えず発砲した結果、脱臼と骨折を一度に味わう羽目に成ったのだ。忘れよう筈も無い。
俺様の返答にどういう応え方をしたのか。薄汚れた男の薄汚れた白衣を揺らし、顔を不快に歪ませた。
「うふひはひひヒッ。良い、いいよいいね、良いンだよ燐音クン。あの頃の君も素敵だったけど、その強い眼差しも素敵だよゾクゾクするッ!!!」
「そうか。地獄に還れ」
何やら両手を肩に回し、身震いし始めた……汚泥を擬人化すれば近く成るのだろう気色悪さだ。
「――くはひャひャヒゃ! 地獄、ですか。私が味わったその地獄を君に味わってもらうのもイイですねえ」
「良い訳在るか!」
酷く腐れた声を打ち破る、一途な意志を宿した声が挿まれる。
風の通らない密封された空間の中、澄んだ蒼を宿す――マグナ=メリアルスという名の風が、その手に蒼炎の剣を携え、疾る。
「――フェアル・グラム!」
「――むっ」
裂帛の気合と共に、投擲された蒼炎の剣。
流石にそれをくらうわけにはいかんらしく、呻きながら回避している。
追撃がしたかったが、デリンジャー型は構造上、装弾数が二発しか無い。予備はあるが特注の弾丸。弾切れは避けたいし、そもそも俺様の目て追える戦速ではない。
――口惜しい事だ。
「――邪魔はしないでくれませんか、ヴェルザンドの蒼魔ッッ!!」
「うっさい! お前なんだ、黙って聴いてりゃ変態め!! アルカと俺の友達に汚い事言うな!!」
「友達風情が私の愛の囁きを邪魔しないで頂きたいですね!」
「何が愛だ! リンネが嫌がってる時点でそんなのダメダメだ!」
「私の燐音クンの名を呼ぶな小僧!!! 彼女を汚して良いのは私だけだ!」
「喧しい黙れ。永遠に」
パン。
嫌悪と怒りに震える指先を抑え、小型レーザーサイトで照準合わせ、一切の躊躇無く引き金を弾いた。
と言うか貴様等。俺様を置いてけぼりにするな。
「――へ」
照準違わず、貫通性に特化した特注の弾丸は、蛆野郎の眉間に風穴を空けた。
血が、飛び散る。
ドサリと、呆気なく、前回と同様に倒れ伏し、ややあって痙攣を始める。――これは
「――え、ええ?!」
何やら素っ頓狂な叫び声をあげ狼狽え始めた人外の実力者に視線を合わせる。
「――燃やせ。今すぐ、跡形もなくだ」
吐き捨てる様にしていった言葉に、マグナは口元を思い気り引き攣らせた。
「えええぇとリンネ、いきなしそりは無いんじゃあ」
「早くしろ! 奴はまだ――」
「――そう、死んでない」
――むくりと、眉間に風穴を空けていた奴が、かの細菌兵器によって不死者と成ったものの如く、無造作かつ不気味に起き上がった。
「私は死にません。愛しの燐音クンを、この手で汚して侵して犯して穢して壊して、」
奴は、同じ生物とは思いたくない歪に穢れきった微笑みで、
「――滅茶苦茶にして私のものにするまでは、ね」
以前と変わらぬ狂気を孕んだ、心底から吐き気を催す汚物からの熱烈なラヴコール。
驚きに息を呑むマグナの傍ら、要はマグナを盾にする位置に俺様は立つ。
「――致命傷を受けた痙攣の仕方とは微妙に違っていた。以前に死んでなかった、または蘇った事と合わせ見るべきか」
「……リンネ、ここはてかこの異常者はおれに任せて今すぐ逃げていや逃げなさいはやく」
ちょっと涙声で歴戦の戦士が切羽詰まった発言を零す。
その微妙に震える、勇気を振り絞った感のある後ろ姿は、化物を前にして剣持つ少年というより、大事な幼子を変質者から護らんとする母親の様な……誰が幼子だ。
ともかく、敵の狂気に、誤った判断に傾きつつ在るマグナに口を開く。
「落ち着け。貴様の傍を離れる方が危険だ」
俺様がこの場を離れるとなると、あの糞以下の異常者が黙っていないだろう。この場に、俺様自らでばって来たからこそ残留したであろう奴だからな。
「――わかった。友達は、まもるよ」
マグナが、自らに浸透させるように言霊を呟く。
ふむ、こちらは良しと。
――さて、一つの仮定がある。
俺様は、変質者に目を向けた。
「――貴様、不死者という訳では無いな。そこまで非常識な不死性は無いし症例もまるで違う。ならば未知の技術――いや、それよりだ」
糞以下が不快なまでに面白げに俺様を観察する。アルカからの報告。内容を思い出す。
「人工生命体製造に一枚咬んでるな。生体錬成専任錬金術師」
「正解。流石は燐音クン、なんでも覚えてる」
屑畜生が頷く。俺様はその辺に唾棄した。貴様がそれを云うかよ。
「なら、問おう。人工生命体製造の際、上に居た凡百の雑兵と、地下に居た強化型。貴様が先に考案したのは、どちらだ?」
「――後者ですよ、燐音クン」
――鉛玉を受けて尚こびり付いていた片眼鏡が外され――
「察しの通り、私を参考にして考案、開発しました。尤も、君が強化型と呼ぶそれは、人工生命体という脆弱な器では問題が多すぎるプランでした。結果的にスケールダウンした前者の開発に着手した次第ですよ」
俺様は、濁声で語る奴の開かれた片目――瞳孔が、縦に開いた蛇のような瞳を見て。
「ならば、その問題点とやらは賢人達の襲撃に関係があるのだな。さしずめ、自己制御に優れた脳細胞。無理な融合を実現する為の錬金術の上級アイテム。後は入手困難な魔物の生態情報成分といった所か」
――あの裂けた瞳孔に、先のホムンクルス達。異形の大爪に破壊的なブレス。再生能力は、人の器に余る過剰生命力を流用していると仮定すれば――答えは一つ。
「――竜種と 混じわったか。錬金術師」
「素晴らしいですね燐音クン。やはり、断片の情報だけで総て読まれてしまう」
「当然だ。で、貴様を回収したのは誰だ」
頭を撃たれた瀕死の男に竜を混ぜ、蘇生させた者がいる。
既存の錬成技術では到底不可能な事をやってのけた者が。
「それを知ってどうするのです?」
「貴様に云う義理は無い――と言いたい所を敢えて言おう」
俺様は腕を振るい、眼力に更なる力を込める。
「人様が棄てた塵屑を無断でリサイクルし、送り付けるような真似してきた奴に相応の落とし前をツケさせる……!」
「――くヒャひャひあひや!」
人間とはかけ離れた奇声。
「君は、本当にどこマデ往っても聡明で美しい。そこに攻撃的という強さが加わっても――グチャグチャにせずにいられない程にっ……!!」
「――女の子にそんな事言うな、変態」
聞く者の耳を汚物で塗りたくるような濁声とは打って変わって、清涼感のある声が響く。
「そういや、思い出した。此処に来る前、アルカに聞かされた錬金術師の容疑者候補の中に、お前と似た特徴の奴が居た」
マグナ=メリアルスが長剣を振るい、荒縄で括られぞんざいに移送されていた鈴葉の戒めを解く。
身を軽くしようという判断か。
「――木原八雲。東域出身の、かつて、月城家お抱えの錬金術師だった男……だな」
――……。
「今からお前を半殺しにして、リンネとその身内に渡す」
「……おや、温厚で知られるヴェルザンドの蒼魔が、碌な話も聞かずソレですか」
「お前がリンネに何をしたか……朧気にアルカから聞かされた」
……マグナ。
場に、威圧的な気が満ちていく……――
「――アナタの力は私にとっても脅威ですので、一応弁明します。私は、彼女の躰そのものには手を浸けていませんよ」
「――人の、女の子のっ!」
マグナが、一人の少年が、どうにも成らない過去に慟哭するように。
こらえきれない怒りを悲しみを吐き出すように、無様な迄に裏返った声で叫ぶ。
「リンネの頭ン中弄くった奴が言うなアッ!!!」
「私とて、頭をブチヌカレたのですがね。それも二度も」
大仰に、まるで仕様のない野良犬を見下す様に肩をすくめながら。
「君のそれは、義憤ですか? それとも私憤?」
老練さと不快を感じる、欠片も心に響かない声。
「――両方に決まってるだろう、訳わかんない事言って煙に捲こうとするな!!」
それに即答するは、愚直なまでに一途で、真っ直ぐな心をつく明朗な声。
「――君とは、どうにも相容れないらしいですね」
嘆息しながら、右腕をゆっくりと上に向け――
「交渉も弁明も無駄――なら、そろそろ殺し合うとしましょうか」
――右腕が一瞬にして膨張、異形化。先に見た、人の器に竜を詰めた産物のひとつ。
竜の爪か。
「ま、君を排除した後に燐音クンは貰い受け――」
「黙れ」
マグナが、長剣を改めて突きつける。まるで、罪人を断罪する聖騎士のように。
「もう、汚い口をこれ以上開くな!」
その啖呵を皮切りに、両者共に硬直状態に陥った。
なんとなく、その勇姿の足元に転がる下僕の姿を目に入れる。
――鈴葉。総ての面で、貴様より大分上の奴が近くに居るぞ。戦いが、殺しが嫌いだと思い切り顔に出す愚者が、それでも戦おうと――なのに、何故貴様は……
衝撃波が体を揺らし、余波が頬を撫でる。最強の異能力者の一角と、錬金術師にして竜を宿すモノは、気付けば既に激突していた。