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おさまるべきところに















 最初、まどろみから覚めて、思考がまわりはじめて。

 まず、何故、生きているのか解らなかった。

 出血の多量と精神的な諦観。その上で、地下崩落に巻き込まれ、原型が留まらない程度に圧し潰され、夥しい瓦礫の下で死ぬ筈……だった。

 それに……あの夢、は……

 不思議で――疑問。

 見慣れない天井の清潔な白と、複数の薬品からなる匂いが薄く、目に優しい電灯が吊された、狭い室内。


「……――」


 何故生きているのか、ここはどこなのか、なにがどうなったのか、これからどうなるのか。

 回らない頭でも疑問は尽きない。知識欲とは別かもしれないところからくる根本的な疑問。

 しかし、全ての疑問を置き去りにして呟いたのは全く違うこと。

 かすれきった声は声にならず、誰に聞き取れなくてもその内容は、吐こうとした無意識でも自分で分かっている。

 ほんの短い、字にすれば二文字でしかない、あの人の名前。

 何か、溢れてくる。無意識を直視してしまった弊害か――それとも、記録の最後を浮かべてしまったせいか――思考が纏まらない。

 慣れない。

 何とはなしに、そういう結論が乱れた思考をよぎり――意識が遠のいた。



「起きたか」


 再びまどろみから覚めた時、まず視界に移ったのは、いつか見た鏡に映るそれと酷く似た姿形をしていた。

 しかし鏡が独りでに喋るなど、通常では起こり得ない。

 そもそも、先程と同じ無菌質な部屋に、そのような意味の解らない設備配置は無かった。

 よって眼前のこれは――とっさに浮かんだ十七通りの可能性の内、最もあり得る可能性を言葉に出す。


「――アルマキス=イル=アウレカ」


 気を失う前と比べればいくらかマシという程度の思考と嗄れた声だが、ちゃんとした発音が耳に反響する。

 しかし聞こえているだろう対象は、肯定も否定もせず。

 悪意も善意も無関心も無い、人形じみた顔に無機物ではない何かを浮かべたまま、相手は口を開く。


「おはよう、そしてはじめまして。アルマキス=ニル=ナゥスラ」


 口の端を僅かに吊り、形ばかりの挨拶とばかりに笑みを浮かべる彼女。

 それに呼ばれたのは名前。呼ばれたのは自分。

 私を表す文字の羅列。それはそれだけ。

 なのに何故だろう。気にする所ではない。意識する場合ではない。

 しかし理性ではない何かが蠢いて、気になる。

 それ自体が不思議である筈なのに、それ自体に興味がわかない。

 何故。なぜ。ナゼ。


「……若い、というよりは幼く見える。成る程、燐音の情報通りだな」

「……!」


 困惑に近い思考、それの元だった妙な感覚も、不自然で唐突な動悸により、消えてなくなる。

 燐音。あの人の名前。あの人を表す羅列。

 その羅列が起点になり、頭に思い浮かぶ。

 名前から、姿が、声が、顔が。必要以上に、鮮明に、過剰なまでに。


「ナゥスラ」


 鎮める事が思い浮かばず、段々と激しくなっていた鼓動。

 しかし、冷ややかな声が必要最低限に鼓膜を揺らす。

 呼ばれた記号。私の名前。

 動悸は鎮まり、静まった感性が眼前を見返す。

 アルマキス=イル=アウレカは、観察者に似た眼差しで私を見下ろしていた。


「ナゥスラ……と、呼べば良いのかな?」

「……かまわない」

「そうだというなら、わざわざ聞きはしないさ」


 不可解な発言に首を傾げた。

 少し不自然な間を空けた彼女は、嘲りの色を薄く口元に浮かべると、平坦な言葉を続ける。


「アウレカと、ナゥスラ。初番目と五番目、記号を表す先史の言葉……まあ、先史の専門家ならいざ知らず、知る者ならば人に付ける名とは思うまい」

「……人ではない」


 首筋を撫でる。先史の技術が詰まった、鉛色の有機部位。

 体外に露出している部分こそ少ないが、体内に内蔵されている比率はむしろ、生物の内臓より多い。

 人の形はしていても、人として生まれた訳ではないだろう。

 ならば別の用途がある、だからこそ我々はこのようにして生産された。


「"アルマキス"か……まあ、私としてはどちらでも良いのだがな」

「……何故?」

「お前、何か具体的にすべき事を知っているのか?」

「…………」


 心臓が跳ねる。

 知らない。

 生産された意味。分からない、けどそうあらないといけない。私は。

 わからない。それは、同胞を喰らえば解消されるものと、明確な根拠もなく思っていた。


「なぜ生産されたか、生まれたか。そこに何かの意味があるのか? 滅び去った文明が、私達を(いま)の世に遺した理由は?」

「……」

「まず、私自身が気にしていた事柄だ。覚醒したてで何も記憶が無かったというのに、それだけは後々随分と気になったのだよ。お前もそうだったのではないか? アルマキス=ニル=ナゥスラ」


 違わない。

 知性は、目覚めた時からあった。それから何があったか、何をされたかも……全部記録している。

 知識の記録は自然とやっていた。完全記憶能力があったからか、それ以前の刷り込みからか。

 記憶するのは呼吸と同じ、私にとっての当たり前。

 当たり前だけど、ある時期、唐突に芽生えた。


「ま、今となっては、半ばどうでもいい事だがな」

「……なぜ?」


 刷り込まれていた事柄を、知覚した時からの命題を、どうでもいいで済ませる。

 それはおかしい。

 定められていた機能に、命じられて、言われた事に従わないのは、おかしい。


 ――っ。


「私はアルカだ。アルマキス=イル=アウレカである以前に、あいつがアルカと呼ぶ個人なのだ」

「……あなたは、狂っているの?」


 呼吸が乱れた。

 何故……あの人の顔がちらつくのだろう。

 わからない、わからない。


「くっく……定められていたシステムから逸脱するのをそう形容するなら、的外れでもないよ。だが、私は――」


 今、ただ一つわかるのは――この、私と同一の姿形をした個体は、私とは違うという事くらい。
















 一般的に、先史によって建造されたと推察されている遺産、遺跡。

 その中でも秘匿に秘匿が重ねられた遺産であり遺跡でもあるデータベースの運用は、人間には不可能である。

 それは人という種族が惰弱であるという事とは関係がない。まともな知性を持つ生命総てに該当する事だ。

 限定的な全知といって過言ではない量の情報。

 それを部分的にでもと選別し、理解せんとする。

 大海の津波に曝されながら一粒の玉を手探りで見つける方が容易であろう。

 それをある程度非効率的に翻訳する機能、AIのサポートを計算に入れたとしても、人間の脳では確実に理解できないし、下手をしなくても脳髄が焼き切れてしまう。

 人が使えるよう整えられていながら、人間では扱えない遺産。矛盾してはいるが、それがデータベースだ。

 例外的に運用できているのは、月城の系譜とアルマキスの名をうたれた規格外のみ。

 前者は常軌を逸した脳髄と精神の性能、後者はそういう風にあらかじめ製造されていたからだろう。

 そして運用できるとはいっても、その効率は酷く悪く、情報一つ抜き出すにも時間と手間が掛かる上、全くのランダムに情報の欠如が発生している。

 無限に等しい全体からすれば微々たるものとは言え、一文一文が貴重な書物に、虫食いが発生するに等しい損失だ。

 閲覧者を選ぶ上、虫食いにまみれた禁書庫。

 非効率極まりないが、情報は情報。ましてや知られざる知識とあらば、途方もなく有用なのもまた間違いようのない事実である。




「……よかったの?」

「構わんさ」


 データベースの運用に使えて、私と同じく"番犬"をも保つ希少な駒の返還。

 能力的に引き入れたいとは思うが、籠絡したのは奴である。所有権はあちらにあり、所有(そう)される事を駒自身も望んでいる。

 友好的な関係を維持したいならば、処分は論外。このタイミングでの返還は悪くないと考える。

 無論、今まで庇護していた見返りは、マグナまで動かした諸々まで含め、いずれ要求するが。

 "私達"でしか解析しえない諸々とかな。


「それに」

「……?」


 付け足した補足に、狐の面で顔を隠す人ならざる忍の能力者が、ミリ単位で首を傾げた。


「隙間のある者を近くに置くわけにはいかない。ただでさえ、気にかけていた……解るだろう?」

「合点」


 理や利ではなく、感情としての最も大きな要因はそれだ。私情の極みだが。

 幾らか余分に力のこもった肯定は、誰の事を言っているのかを暗に理解したという復唱でもある。

 恐らくは、今同じ人物の間抜け面を浮かべているだろう狐面と私。

 白々と深い息を疲労と吐き、気を紛らわした。


「……っ゛」

「どうした?」

「……いや。少しめまいがしただけ……そういえば」


 目眩……? この雌狐が?

 根本的な疑問を抱いたが、それよりというからには何か報せるべき事があるのだろうと、一応は観察しながら先を促す。


「何だ」

「ロリコンがきてる」


 不愉快極まりない危機感を煽られる単語だが、同時にある種の最高峰に尖った人物のしかめ面と、付属するデータが頭に浮かぶ。

 そして、奴が関わった数年前の争乱と時期が重なる事にも気付いた。


「……西か」

「野暮用……墓参り、とマグナに言っていた」


 半ば当てずっぽうに近い言は、根暗な口調に肯定される。


「感傷とは、あの男らしくもないな」


 小賢しく取捨選択に長け、我の塊ではあるが、小さな男。

 そして十代以下の幼児を致命に陥れる事ができないという、それこそ致命的な欠陥を持つと同時に、冗談みたいな潜在戦力を手に持つ厄介な男。

 こちらに不利な類の裏がある、とは、あの男の性質からして考え難い。

 精々が題目通りの目的と、安直に、己が庇護する子だか奥方だかへの敵対組織――異端審問部に対する嫌がらせ、という所だろう。

 さぐりは必要だが、予測通りならば利害は一致する。異能力者(マグナ)の天敵である審問部は、こちらにとっても不倶戴天の敵である。

 むしろこちらで掴んだ内情を流してやるか。審問部のごたごたに関する詳細は、まだ知りようが無いだろうからな。

 性質に深刻な問題はあるし、首輪を付けられる事を極端に嫌う野良犬ではあるが、コネが侮れないモノがあるし、変態なだけあって相当に優秀――というより、図抜けている男だ。あの情報を与えれば、程ほどに引っ掻き回してくれるだろう。

 万一にでも野垂れ死なれたら深刻な問題が発生するが、忠告は参考にしても指図は忌む男である。言うだけ無駄というもの。

 対話が無事済んだら、速やかに密出国してもらうとしよう。

……色々と、嫌な予兆もある。つついてみるのも手ではあるしな。


「それはそれとして、北部国境近辺の難民問題についてだが」

「……例のヤクを回してる組織の尾なら、真偽がいまいちだけど――」


 ロリコンへの対応を定めつつ、また別な用件に視点を移した。
















「かっぱ巻き、かっぱ巻きっ!」

「……おい、あまり急いで食うな。そして米を飛ばすんじゃない」


 小皿に垂らされた安物の醤油にも、他の値が張るネタにも目をくれず、シンプルな安物だけを頬張る。変わり者というより未熟な子供じみた挙動。

 しかし、後天的な盲目であることを考慮すれば、相変わらず驚くべき精度で獲物を掴む。そこだけは感心に値する。

 妙なテンションのまま飛ばされる食べかすに辟易しつつ軽くたしなめも、転移事故の前にしていた寿司を奢るという約束を遅ればせながら漸く果たすにあたり、延々とハイなテンションは緩む事を知らない。


「……ふへへー、ダンナー、ダンナだー」


 というか何故俺の膝の上で食う。

 頑丈な造りの椅子と痩せた体で俺を挟んで座り、上機嫌に脚をばたつかせている。

 軽い幼児退行か。しかし……


「軽いな」

「……へ? え、あ、世辞ですかい? ダンナにしちゃ珍しい」

「違う。お前、俺が留守の間にも三食飯を食っていたんだろうな?」

「……う……それは……あの――あ、すんませんダンナ謝りますからそれやめ――いたいいたいきしむへこむすいやせんすんませんごめんなさいごめんなざいぃ!」


 口ごもったのと状況証拠から黒とみなし、制裁として両掌で頭蓋を挟み、圧迫を始めた。

 軋む頭蓋骨は、少し力を強めに入れればザクロに早変わりの証拠。

 それをよく理解しているが故に、ぎゃーぎゃーと喚きながら小娘程度の体躯がもがき暴れ、必死こいて謝罪し始める。

 異能の無い異能力者など、所詮この程度である。

 全く、基本的な体調管理さえ怠るなどと……


「どうせ周りの人間にも迷惑を掛け倒したのだろうが。でなくばあの上司二人が、あれほどすんなり休暇を許す訳が無い」


 異能力者という特例中の特例に該当しているのも理由には挙がるだろうが、だとしても礼を欠くのはよろしくない。


「何度も言うが、お前の立場は微妙なものなんだ。命が惜しいなら自分の価値を下げるような真似は慎め」

「わぁってますようダンナってば……うー、いちち」


 本当に解っているのだろうか。恐らくは随分と食が細かったのだろう痩せ方をした部下が、圧迫されていた側頭部を撫でる姿を見ながら、少なからぬ、しかし今更な疑問を抱く。

 しかし、盲目の異能力者で、歪んだ快楽殺人者。そもそもの価値観が違う。

 命が惜しいのは本当で、我が身可愛さという打算の上で自重しようが、周囲の迷惑を本質的に鑑みないタイプ。不安の種は、消える要素こそ無い。


「……いや、こいつに限った事でもないか」


 そも頭からしておかしな面子が揃っているんだ。というより寧ろ、司や侍女長と比べればまだ可愛い方とも思える。暴走を考慮に入れなければだが。

 類は友を喚ぶ、か。嫌な言葉だな。


「ダンナ? どうかしたんすか?」

「……いや、何でもない」


 考えても詮無い事だ。忘れよう。精神衛生面を考えて。

 気紛らわしに撫でた女の髪は、随分と痛んでいる事が手触りから知れた。


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