魔窟に足を踏み入れる
最近、同僚がおかしい。
いや、前々から色んな意味でおかしな連中ばかりなのは解っている。
解りたくはなかったけど、現実は残酷なまでに間近にあるものからそうもいかない。いつだってそうだよ、畜生。
まあ兎も角、"おかしい"を具体的に挙げれば。
無くしたけど代用品として入手した片腕がやたら炎に強かったり変形したり、それ見てたまににやにやするようになった雨衣とか。
凹んでいたかと思えば立ち直り、ちょっと首が捻れる勢いで目を背けたくなる感じに上達する舞とか。
相変わらず異様似合うエプロンドレス標準装備で変態な司さんやら、語るまでもなく超人的なメイド長やら料理長やら。ああ、これは元からか。
んでまあ、元々害虫と閉所と暗所が好きという時点でアレだったけどつい最近、手から触手まで生えるようになって"おかしい"の桁が繰り上がったあずきとか。
「……ふむ。千切りにされても、あまり痛みは無い、と?」
「……髪の毛と似ている」
「しかし操作性は手足の延長に近い……神経とは別の何かがある?」
現実逃避して、訓練室の天井の真新しいシミの向こう側に向けていた視線を元に戻す。
現実な眼前では、何時ものエプロンドレス姿のメイド長。
そして訓練所だから相変わらずな動きやすく肌面積が高めな軽装で、白雪みたいにきれいな同僚、あずきの肌と、深海を這う魚介類じみた色合いと生々しさで白雪の手のひらから伸びる、触手としか言いようのない物体があった。
嫌悪感を呼び起こし挑発するように生物的でいて、骨を基盤とした関節が存在しないと一目で解からせるようにうねうねにょろにょろ。
形状的に蛇や蚯蚓と似てはいるが、それとも比較にならないこの忌避感は一体何なのか。人体から生えてるカオス具合からだろうか。
それに、徹底して冷徹な実験者の眼差しのメイド長。自ら輪切りにした触手の切れ端が塩かけられたナメクジみたく蒸発するのを見届け、表情も変えず二回肯く。
ところで、畳に染み着いたエグい色の液体はどうすんだろう。
念の為と待機させられていた下働きの子が二人とも涙目になってんだけど。
「さて、頑丈さと……再生能力の速さは大体わかりました」
分厚い軍用ナイフで半ばからぶった切られた触手は、ぶちゅぶちゅと生理的に受け入れたくない音と謎な体液を少量吹きながら、断面から黒が蠢き脈動し盛り上がり、元の形を取り戻していく。
そんな、わけわからんしわかりたくもない物体を手のひらから生やす寡黙な同僚は、再生していくその物体を、丸いフレーム眼鏡越しに涼しく眺め、一言。
「……脱力感」
こっちだって脱力してるわ。目の前のアレな現実に。
「再生すると消耗はする、という事ですか?」
「……はい」
最低限どころか言葉足らずでしかない片言を正確に把握したメイド長は、小動物っぽく首肯するあずきを底の見えない視線で観察していると思えば、ふむ、と男受けより女受けするだろう感じで一度肯く。
「大まかには解りました。錬金術師にも見せる必要はありますが、あずき。貴女は今後能力者を名乗ってもいいでしょう」
「……はあ」
手のひらから伸ばした生物的なアレをぐねぐねうにょうにょと自分の体を巻きつけるように旋回させながら、何時ものように気のない返事を返すあずき。
普通の神経なら、少なくとも私ならば、こんな気色悪いもんで能力者呼ばわりされたくないだろう。
というかそんなもんが生えるようになった時点で泣く。盛大に泣き喚く自信がある。
しかし常人ならざる変態科寡黙類なこいつなら、どうせ煩わしいとか思ってるだけだろうけど。
能力者だというなら専門の仕事が回ってくるだろうし。給料は上がるかもしんないけど、割に合うかどうか。
「後は自分の事です。些細な事でも一通り実験なさい。そして詳細を報告するように」
未知の能力の検証。まあ必要だってのは解るんだけど、それだけなら多忙な上、専門でもないメイド長が出張る事じゃない。
あの村祭りの襲撃から、あずきがふと出せるようになったとかいう意味不明な物体。
全く新しい未知の能力というわけで、その詳細とどれだけ使えるか、使えないのかって探りたいだろうからね。
まあそれとは別に、メイド長たちは能力開花のキッカケってやつにも何か思うとこがあるらしいけど。
「シェリー、貴女には実験のサポートを命じます」
問題は、何故に私まで巻き込まれてるのか。
天井に接着させた触手からぶら下がり、私よりも細い足をぶらぶら揺さぶって、色の少ない表情の中に心なしか楽しそうな顔を見せる同僚を一瞥し、盛大な嘆息をこぼした。
両手のひらと手首の中辺りから生える一対の触手。それ以上本数はふやせない。生やした分は速やかに人体に戻せる。質量保存的にどうなってるかは不明。
強度は柔いが、人が二人以上ぶら下げる程度にはある。ゴム素材に近い特性だけど、絶縁体は無し。というか錬金術師から"視"てもやっぱり正体不明。解剖を迫られた。
太さは片手で握れば親指が余る程から少し握りきれない程度、伸びる範囲は気合(本人曰わく)次第で十メートル前後まで伸縮し、質量に反比例して操作性や強度が落ち、本人の消耗も激しくなる。
また、片手だけで生やした場合、両手で一対生やすより一部の性能が上がる。負担を傾ける事の効果と推測できる。
また、能力使用によってカロリーでも消耗しているのか、痩せた体格のまま食事の量が以前と比べ三倍以上に増加――忌々しや……おっと。
精神面に関しては変調無し。本人も「うねうねかっこいい」と常人の感性とは致命的にかけ離れた解釈をもち、なかなか気にいってる。
――諸々。
最近、触手が生えるようになった従者に関する資料のまとめ。
最後にシェリー=アズラエルと葉山あずきの名が連なり、未知の能力者に関する資料はそこで途切れていた。
内容としてはまあ、纏めた時間を考慮すれば及第点という所だろうか。押さえるべき所は押さえている。
一階の庭園前の廊下を足早に歩きながら、書類をまとめ評価を下す。
しかしその能力……制御は現状問題ないのは良しとしても、使い所が今一。手のひらからしか出せないなら他の装備を持てないのがネックだろう。
素手よりはマシかも知れないが、場合によっては素手の方がマシという程度のアドバンテージしかない。能力者認定は出来るにしても、同じ能力者のベーオウォルフを相手にすれば二秒と保たずナマスにされるレベルでしかない。
開花のキッカケがキッカケなだけに、もう少し使えるか、危険なものかと思ったが……使い方次第で結構便利、という現時点での微妙な評価に落ち着く。
後は燐音様がどう判断なさるかだが、今急ぎ望める事でもない。
燐音様は件の情報解析作業にかかりきりになる。
今日催されたパーティーから帰還されれば、そうなる予定なのだ。
そこから、最低でも三日掛かるというが……三日か、最低で。
「侍女長」
静かでいて重厚な、聞き慣れた男の声に名を呼ばれ、陰鬱に沈みかけた頭を戻す。
気配は……三、いや、二つ? 視線の先には対照的な二人。
物静かに直立し、練磨された鋼を連想させる顔つきをした巨漢と、その巨漢に寄り添わねば折れそうな雰囲気をもつ、盲目の異能力者。
双方の姿と違和感に怪訝を抱き、眉を顰めた。
「お帰りなさい、樹。そして、何故貴女が付き添っているのですか」
ああと淡白に答えた巨漢とは逆に、風の異能力者が怯えたように震える。
相変わらずの苦手意識が、樹不在の精神不安定で増長されているせいか。私を前にすれば虐待を受けた子供のような有り様になる。
以前に目を潰され、二度と逆らう気が起きない程度の恐怖を擦り込んだトラウマくらいで、惰弱な事だ。
「……許可は司が出したそうだ。下の連中に正体は兎も角、姿は大分見られた。邸内を出歩く位は、もう仕方あるまい」
かばい立てる素振りの樹が着るダークスーツは、脇腹の辺りが不自然に汚れている。出迎えの場で泣きつかれたりでもしたのだろうか。らしいと云えばらしいのだが。
正体どころか、存在まで秘匿対象だったというに……あの女男め。そのような権限は無いだろうに、前後不覚な異能力者に許可と柱の情報を知らせればこうなるだろう。独断を。
万一にも異能力者の保有が露見すれば、燐音様の立場がどれだけ悪くなられるか。解らぬわけがないだろうに。
「不服そうだな」
「当たり前でしょう」
言い切った後、周囲の大気の異常を肌が感じ、六感が警戒を訴える。
経験にこびり付いた異能の風。ただし敵意でも殺意でもなく、怯えしか感じとれない。となれば只の異能漏れ……怯えすぎて無意識に異能を放出しているのだろうと判断。
細めた視界の端、痙攣したような骨ばった肩が見える。その向こうで通りすがりの非戦闘員が顔を青ざめさせて反転するのが見えた。
それは、時間をおいて改善の兆しを見せた前の、トラウマを植え付けた直後を彷彿とさせる、剣呑な領域。
「……後で俺から言い聞かせる。お前からは、勘弁してやってくれ」
ただいざという時に反射で動けるよう感覚を尖らせている私に、樹は表情を変えぬまま、サングラスが退けられる。
体格と顔つきに似つかわしくない目を晒した樹が言う。庇い立てるスタンスは崩さない、相変わらず面倒見のいい事だ。
しかし何だかんだと身内を見守り、必要に応じて庇う。
凡人ならずとも長生きしないスタンスを取りながら、今尚プロフェッショナルとして生き長らえている男の意見。
発覚のリスクが露呈しようと庇護に置き、言外に責任を持つというならば。
総合的に見て悪くは無いか……最悪、なすりつけて諸共に処分すればよし。
内心の逡巡を秒内に済ませ、肩を竦める。
「……まあ、貴方がそう云うならば、とりあえずは静観しましょう。ただし」
「ああ……責任は俺がとる」
言を違える男ではない。難儀な性質だが、その有能さはよく知っている。
相対する仏頂面に変化は少ない。しかし理解していない筈もない。そういう目つきをしている。
――目元以外の表情筋が死滅してる。いつか聞き流した根も葉もない戯言が、部下の甲高い音声で脳内にのみ響いた。
「しかし、一応子作りは控えなさい。身ごもられるには時期が悪いです」
「……こっ、子づ、子作り? ……ダンナと? ダンナと……?」
「……安心しろ、元々そういう間柄ではない」
何やら小躍りしそうな陽気な気を放出しはじめた小物はさて置き、樹は嘆息を挟みながら否定した。
男女のソレに関する事は私のジャンルではないが、異能力者と結びつければそれなりに無視出来ない案件になる。
異能力者の子は、先天的に異能力者である可能性があるのだから。
「そうですか。ならば最低でも夜、寝入る時には気を付ける事です」
「何故だ」
「女というのは、年齢に関わらず恐ろしいものですからね」
「……それは、お前や月城の侍女達を見てれば過剰なまでに解る事だが」
方向性が違いますよ、とまではあえて云わず、自らの表情を操り、笑って見せた。淑女としての慎みと、同僚への親しみと嘲りをない交ぜにした笑み。
重厚な肩を微動させ、何故か警戒するように瞳を細めさせる樹。
その影で、身を捩らせる異能力者に視線を送るも、さっきまでの怯えの欠片も見えない様子は続く。私の視線に気づいてさえいない。
「解りますか?」
「……色々なモノが間違ってる気がするんだが」
何かとは言わず問うと、その何かを拒絶したいように瞼を落とし、樹は嘆息した。
「……それで、燐音様に挨拶したいのだが」
「ああ、それは構いませ――」
台詞途中、尖らせていた感覚が、何かを捉えた。
何かが何か。意識がその輪郭を形成するより早く、手のひらに隠れるサイズの投擲刃を袖から手元に滑らせ、抹消ないし確認を得るための投擲。
拳銃による下手な早撃ちを幾度封殺したか忘れた俊投はしかして、感じた違和感ではなくその中間に差し出された樹の分厚い指の隙間に挟まれ、止められていた。
ふむ、とその不可解に首を傾げ、疲れ切ったような目をした樹に視線を向ける。
「説明を要求します、樹」
「……敵対の意図は無い」
最低限の応酬、ナイフを挟んだまま両手を頭の横に開いて並べ、その意を表す。
「おい、迷彩と認識阻害を解け。無駄だ」
視線が、その傍らで硬直する異能力者を通り抜け――私が何かを感じた空間で止まる。
平常よりほんのナノ単位ほど焦りが混じった指示。
それに答える声は無く――応える反応は速やかだった。
「――……」
真新しい車椅子に座り、首を傾げる少女が居た。
唐突に現れたというよりは、最初からそこに存在して居たのを、不可視の何かが隠していた、というのがしっくりくる。
その何かの残滓が、窓からの日光をねじ曲げ、歪な影を作る。
どういう理屈か、明らかに少女が居る場の向こう側が見えたのは、その何かの作用か。
「……あなた。人間?」
一つ一つのパーツから異様なまでに整った顔が、ぼんやりとした表情を形造る。
病的なまでの白い肌に、痩せ細った小さい体を、これまた新品と一目でわかる、サイズの合わない白衣で覆い、襟を立たせて首筋を隠す。
病人じみた格好でいて、奇跡的なまでに整った硝子細工じみた美しさが伴い、現実味を損なわせる。
そんな少女が、青みがかった短い銀髪を傾けて揺らし、私に言った。
お前人間か、と。
「……聞き慣れた問いですね。凡百の塵芥が口にする詰まらない言を、無断侵入した先で吐くとは。意外ですね、驚きましたよ――アルマキス=イル=アウレカ」
「ちがう!」
こそこそと家宅侵入してきた、悪夢呼ばわりされて久しい女が、ちょっとした皮肉に対し、シミ一つない白肌にシワを作り、感情をもって私を睨む。
違和感。
相対した事もあり、個人的には生理的に好ましくない相手。
親愛なる燐音様の、憎たらしい友人。
「ワタシは、アウレカじゃないっ」
さらさらとした短髪を振るい、半ば閉じていた眼を睨みの形にする。そして目尻には何かが。
彼女は感情を面に出すような、こんな人物であったろうか。
違和感はそれだけではない。膝下まであった長髪は短髪に、体格の微妙な――極めて微妙な差異。そしてついでに発言内容。
別人。半ば確信に近い憶測を先には進めず、より事情を知っているだろう巨漢に、視線で確認する。どういうことだ、と。
巨漢は、ただ疲れ切ったように嘆息しつつ、太さだけでそこらの女子供の倍はあろうかという肩をすくめるだけであった。
「……俺も詳しくは知らん。だが、送り主からの要望でな」
送り主……マグナ=メリアルスか。
「要望?」
「……あの人に合わせて、ほしい」
……あの人、ときたか。
成程……まあ、コレがアレじゃないとすれば、持ち前の情報で得られる答えは一つしかない。
かつて中央塔の事件で、燐音様が負傷する原因となった、あの死に損ないの糞餓鬼、か。
途端に湧き上がりかける感情を、理性が抑えようとして僅かに失敗したかもしれない。
しかし、返される視線は真っ直ぐである。アルマキス=イル=アウレカでは絶対に出来ないと断言できる、幼さを訴える無垢な目。
「……侍女長」
「……概ね、了解しました」
――をえぐり出したい衝動、それをして尚止まらないだろう、寧ろかえって逆効果な質のモノが膨れ上がろうとしている。
どこか遠く聞こえる樹の声に応じながら、瞼を閉じて嘆息を一つ。
客――そう、客だ。
よりにもよってあの英雄ドノから送られてきた。下手な真似はできない、と――解ってはいる。
閉じた瞳の奥、胸の内側の更に底。
溢れ哮る殺意という獣を飼い慣らさんと、頑丈な鎖とどす黒い檻で閉じ込める。
何重に、何重に、暗く深く、覗けぬ程の奥底に。
幾百の檻がぶつかり合う音も、閉じられたナニか吼えてもがく音さえ遠く届かない、深奥い底に――今は、まだ。
目を開ける。
対象は変わらず居るが問題ない、私=深裂 静流は冷静である。
「燐音様は現在外出中です。そして申し訳のない事に、不法入国とその立場上、客人と言えど不自由をさせてしまう事になりますが」
「……おねがい」
「はい。それではこちらに」
澄ました表情で上辺だけのやり取りを済ませ、一礼して反転。廊下を再び歩き出すと、気配が続く。
姿と気配をどうやってか再び消したらしいが、その特性は概ね読めている。背後からでも存在を感じる事ができた。
そんな意識は兎も角、視線を外した事で、別に視線を向ける事もできる。
冷静に考えなくとも、厄介な客。あの下衆が余所に行ったと思えば、またしても情報漏洩に気を配らねばならない来訪者。
何かの陰謀だろうか。それは流石に勘ぐり過ぎであると……言い切れる相手じゃないか。
脳裏に、彼の人と同じ顔でありながら最愛の正逆に位置する忌々しい笑みを浮かべる姿を幻視し――刹那にその顔を切り刻んだ。