来訪者
確か、泉水 舞とかいったか。赤竜を相手に生還したという、馬鹿げた逃げ足が特徴のガキ。
成る程。月城燐音一人背負った上で、窓から飛び降りて瞬く間に視界の外まで駆けていく。能力者の領域に近いな。
適当な評価を下しながら、視界から消えていった薄い桃色を見送ると、思慮から外す。
アリューシャを付けたんだ。万に一つも間違いは起こらんだろ。
主の消えた執務室、そのすぐ外で微笑み、消えたガキ共に手を振っていた女男が、資料に目を通す俺に視線を向けてきたのを感じた。
「協力、感謝します」
「なに。持ちつ持たれつってな」
社交辞令を返しながら、月城 燐音から手渡された資料を捲る。月城邸の、ごく一部の区分でしか閲覧できない資料。
世界の破綻に関する考察。第二の衛宮 鈴葉に関する可能性。その繋がり。
ガキとは思えん筆跡でつづられた中身は、現実的とは思えんし思いたくもない内容。しかし、そういう非現実的な現実は、意外とありきたりに転がっているのを知っている。
だから解る。ある程度だが、それがどれだけの大事かは。
読み進めるにつれ眉尻に力が入るのを自覚しながら、空いた手で頭を掻いた。
「……はぁ……ったく。なんか大事になりつつある、ってか」
室内の椅子に一人座り、何か事務仕事を始めた女男。柏木 司。本名かは年齢共々に不明。しかし一応性別は男と判っている。
しかし。男か女ようわからん奴、あっちは本当にわからん。性別も年齢も、名前さえ。
ただ最近、"春香"とだけ名乗ったらしいあいつ。以前顔を合わせた時は夏美とか言ってたが。その前は秋那だったか。
四季をコンプリートするつもりかといい加減ツッコンでやるべきか。しかしツッコミの手は所在のわからん相手には無意味だ。
規格外にも程がある逃げ足と、抽象的で人をくったような語り、全体的にガキみたいな小ささと相反する雰囲気が強いて言うならば特徴だろう。あと俺の引き取り手。
あの中性的が過ぎる腹立たしい笑みと、それの関係者だと語った時にいきり立ったメイド姿の死神をうっかり同時に連想し、寒気がした。
そんな関わりがあるとも言えんのだが。知っている個人情報も無に等しい。ほぼ赤の他人に近い間柄だしな。
そういう込み入った事情を噛み砕いて説明するまで生きた心地がしなかった。引き出せる情報が無いと知れば主従揃って凄絶に舌打ちしやがるし。本当に何なんだろうかあの似非メイド。
と、あの秋だか春だか名乗っていた奴から提供された情報を確認しながらうっすら回想してると……んー、何だ?
いま何か、琴線に触れたような。背筋から全身ぞわっときたぞ。
この感覚……何だ。何を見落としている。何かマズい、理屈じゃなく、この場がマズい気がする。
しかし、月城邸の奥に位置する場所だぞここ。侵入者の類なら……ここまで潜り込まれた時点で人外の類だとは思う、遭遇すれば大抵即死、だが可能性として有り得る程度。この悪寒の原因としては納得がいかない。大体、さっきまで感じなか――待て。
月城のガキが、何やら青臭い事情で衛宮家にと出てった後…………あ゛。
「……おい、柏木 司」
「なにかな?」
「情報伝達はどうした」
家の主人が出掛けたんだ。最低限でも、誰かしらに連絡をいれていない筈がない。普通ならば。
拝聴したくもない一部始終を力技で見せられた身だ。何とはなしに違和感を感じていた。何故か巻き込まれている。
話術も悪くないこいつが、まくしたてるように即効性を重視した説得をしてみせたのを思い出す。
何故あのタイミングで急ぐ必要があったのか。
あの場、限られた人員しかいない密室で――ある人物がいない内に事を済ませる気、だったとしたら。
事のメリットは、月城 燐音の精神的負担解消及び、衛宮 鈴葉の容体確認。リスクは月城 燐音の身の安全が脅かされる罠かもしれんという。
この概要を知れば、間違いなく反対するだろう、この場にいない人物……それに、外出の情報を伝えてないと。
そう、女みたいな笑顔でのたまいやがった。
「……急用を思い出した」
「逃げちゃダメだよー」
資料を放り捨てて踵を返すと同時に、肩が万力で掴まれた。
椅子に座っていた筈だが。振り向けば、頭一つよりやや下の位置、にこにこ日溜まりじみた腹黒の笑みを浮かべる女装メイドの姿。
「放せ。俺は無関係だ」
「嫌ですよぅ。一部始終を見ていた上現場にいるのだからあなたも共犯です。少なくとも彼女はそう取るだろうから」
「テメェ、最初からそれが目当てかこぉの腐れ確信犯が! テメェだけ餌食になっていればいいだろうに!」
なぜガキ共の尻拭いでキの字入ったイカレの八つ当たりを、部外者の俺まで受けにゃならんのだ!
「かわいくないあなたなら遠慮無く巻き込めるからねぇ。さぁさあ、今度あなたのアリューシャちゃんにお子様ランチとか色々奢ってあげちゃいますから、いっしょに覚悟をきめとこう。ね」
「俺に対するメリットが何一つ無いだと?! ええい覚悟なんざ知るか! 放せンの変態が!」
可愛いモノ信者と自他共に認める変態は、その性癖だか性質だか故に可愛いと感じた対象には異様な程親身に対応するが、それ以外はその限りじゃない。更に言えば対象のためにという大義名分の下にその他大勢を利用し、笑顔で躊躇なく切り捨てるタイプだ。
だから、その他大勢認識を受けているらしい身として、必死こいて羽交い締めから抜け出そうとしているのだが、くっ、体格で勝ってても小手先は大差無し、単純な腕力では……!
舌打ち。一瞬の隙をつかれ脚が払われ上質っぽい絨毯の上にうつ伏せで転がされる。
だめ押しとばかりに乗っかる女男。経験からしてそこらの女性より軽いとは解るが、こっちは女子供相手に腕相撲で勝つ事が困難な虚弱体質。正攻法で押しのけるは不可能。
衝撃で胸を痛めている内にも戦闘思考は続けるが、同じ戦術畑出身の相手にそれも難しい。
「いい加減諦めて、一緒に叱られようよ。共犯者さん」
「誰がだ?!」
早いとこどうにかせねば、あのメイド服の悪鬼と鉢合わせしてしまう。そして八つ当たりで滅却される。
ご主人様大好きな変態暗黒メイドが、執務に明け暮れる主を長いことほったらかしにするとか考えにくい。特に今、何かと忌み嫌われてる俺がいるんだ。時間は少ないだろう。畜生。
とりあえずあがきは継続するが、上をとられてる以上高い確率で無駄となるだろう。糞、絨毯に爪たててやる……!
「あ、一人で十分だったりする?」
「ああ、生贄は一人で十分だろ」
「……そっか。私のために死んでくれるんだ」
なんでそうなるのか。というかいい度胸だ。
いい加減、雌雄を決するべきかと首と上体をねじり、
「失礼しま……」
閉じられていた入り口が開く音とほぼ同時に、全ての音声が尻すぼみになっていく。
メイド服の悪鬼の降臨。十二分に在りうる可能性に背筋が凍る。どうやって糞野郎の戯言を封殺し矛先をずらすか、瞬時に次善の思考を巡らせる。
結果として、上をとられ暴れている体勢のまま固まり、何故か膠着した室内の中、扉を開けた――視線だけ向ければ、微妙に見覚えがあるような顔。
どことなく男性っぽい某悪鬼メイドとは似ても似つかん、眼鏡と眠たげな目をした小娘。
――良かった、あの漆黒似非メイドじゃない。
そう心底から安堵はしたものの、記憶にある顔より、明らかに目が見開かれているのと、絶句でもしているような瞳孔の開き方に疑問を覚えた。
「……ね」
ね?
確か、うちのアリューシャ並みに無口だったと記憶している。実際物静かそうな唇が、どこか呆とした風に首をかしげ、続ける。
「……熱愛、発覚……?」
なんの事だ。
静謐、というよりどこか寂しい感じがする、少し埃っぽい気さえする廊下。月城家と同じ国守貴族というけれど、なんとなく泉水のお家と同じ匂いがするのは気のせいだろうか。
そんな胸中の問いかけに答えてくれる人はおらず、というか聞くにもちょっとはばかられる疑問を、まあいいやと思考の端にやる。
うーん、と。
リッちゃんを背負い、比較的あっさりと通された衛宮さん宅、鈴葉君の部屋の前。手持ち無沙汰に屈伸を一つ。
月城家と比べればかなり数少ない使用人さんに話を聞いたところ、鈴葉くんが倒れたのは本当で、栄養失調にしんいんてき、というよくわからないものが原因だとか。
しんいんてきというならば、と単身鈴葉くんの部屋に入っていったリッちゃんを見送り、一人で会いだいとの事から入室は禁止されているけど、離れるのも立場的にどうかなと思い、扉の前で待ちぼうけという現状。
退屈といえば退屈。考える事は色々あるような気がしないでもないけど、それより。
ちら、と閉じた扉を挟んで横に座る、ちっちゃい女の子を見た。
可愛い。綺麗と可愛いが両立してるにあたり、ちょっと似てる感じがするリッちゃんとは、同時にタイプが違う。
心底から物静かで、触れれば無くなってしまいそうな現実感の無い美貌。
けれど表情は幼く、どこか淋しそうな小動物じみた可愛さもある。黒を基調としたコートみたいな衣装から覗く肌は透けるように白く、おっきな帽子から流れる薄い桃色の髪もほつれ一つなく綺麗。
白髪のお兄さんに促された簡単な自己紹介でアリューシャと名乗った、何の力も無さそうな女の子。
でもそれなりの速度を出していたあたしの脚についてくる、驚くべき健脚の持ち主でもある。
どういう子なんだろう。
あの白髪お兄さんの奥さんとか司さんは言ってたけど。お兄さんの方は否定してたし。何か込み入った事情を感じるね。
手持ち無沙汰でちらちら見ていたのに気付いたのか、三角座りのまま首傾け、金色の瞳と視線が交じる。
「……っ!?」
ちっちゃい肩を震わせて直ぐに反られた。
ちょっとショック。しかし見た目および雰囲気通り、人見知りするタイプなのかな。なんか小動物みたいに縮こまってるよ。
「ねぇ、キミ」
「……な、なに?」
人見知りだすごい人見知りだ。横目でちらちら視線を感じるけど、けっして面をこっちに向けない。
膝を抱えて口元を長い襟で隠し、時折落ち着かない感じで、おっきな帽子を片手でいじり、借りてきた猫状態。
なごむね。
「あ、あたし、おねえさんの名前は舞だよ。泉水 舞」
「……ぁ、ああアリューシャ=ラトニー、です」
どもりながらの名乗りは会話慣れの無さを感じさせるね。
横文字。というと、西方の子かあ。まあ赤系統、しかも桃色の髪ってここらじゃ基本的に見ないからそうなんだろうけど。
「じゃあアリューシャちゃん……アリーちゃんでいいかな」
人に慣れない猫にするように語り掛ければ、少しおどおどした風に瞳を揺らしながらこくこくと首肯してくれた。
人見知りするタイプだけど、いい子みたい。可愛いし。
「じゃあアリーちゃん。リッちゃんとはどういうの? 友達?」
またも声は出されず首肯される。
そっか友達か。まあ明らかに部下とかそういう感じに見えなかったし、どこか様子がおかしかったリッちゃんを呼び捨てで心配そうにしてたし。今もここにいるし、そうなんだろうね。
「そっか。あたしはリッちゃんの手下というか、幼なじみというか。まあ変な間柄だよ」
「……」
あれ、何か幼なじみという単語にちょっと反応したような。
おどおどした視線に好奇心のようなものがちらちら伺えるのは、気のせいだろうか。
「……おさななじみ……は、」
「ん?」
「……れんあい、ふらぐ……です」
……うん?
「……じつは、おとこだったり?」
んん?
ありゅーしゃちゃん、ちょっとどこミていってくれやがりますかな? おとこ。え、あたしが? ええ??
とりあえず無拍子でアリーちゃんに手の届く距離に歩を進め、笑顔で優しく頭を撫でる。
何故だか、ひいと小さく悲鳴をあげ涙目になって震えるアリーちゃんに、こわがらないでだいじょうぶと口にした。
「でも男はないんじゃないかな。かな?」
「ご、ごごごごめんなしゃ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ……?!」
そんな怖がらなくても。というかなんで男? とぐずるアリーちゃんをなだめながら聞けば。
とある本で読んだ物語で、幼なじみ同士の恋だとか愛だとか、まあ、本の読みすぎだと。夢見がちなお年頃ってやつか。
というか題名と話の内容に聞き覚えがあると思えば、冥も読んでたやつでないかい。ひょっとして有名なのかな?
「……めい?」
「うん。あたしの妹。アリーちゃんと同じくらいかな」
本好きなら気が合うと思うけど、今度会ってみる? と聞けば少し悩んじゃった様子。
引っ込み思案な気質同士だし。相性は悪くないと思うんだけどな。
「……らでぃるのつごう、あったら……おねがいします。です」
「ラディル……ってあの白髪のお兄さん? 若く見えたけど、実際どういう?」
「……だんなさん。なの……です」
…………ええー? え、いやいや、え、まじなんすか?
「……ん」
言葉を失ったあたしに対し、どこか誇らしそうに頬を染めたアリーちゃん。大切な宝物を自慢するように見せたるは、肘まであるグローブの上から左手薬指にはめられた銀輪。
さすがにそれの意味する事くらいは知ってる。女の子だもん。
いやまあ、司さんやメイド長も連想させること言ってたしね。
進んでるんだね近頃の若い子って。いや若、ってか幼すぎるけど。十代半ばもいってないでしょうに……
って本格的な本物かあのお兄さん?!
内心の動揺をメイド長直伝の精神制御でおしとどめながら、引きつってるだろう笑顔で話題を転換する事が精一杯だった。いやだって、明らかに妹かリッちゃんくらいの年頃の子が、って。
「世界は広いんだよ」
「そだねー」
……んん? え、誰――って、うえ?!
「やあ」
首を傾げながら第三者の声に視点を向ける。
小柄な体躯をコートに包み、女か男かよくわからない中性的な容姿の笑顔が。
いつの間にかあたしらのそばに立っていたその人は。
「せっ、先生?!」
やほー。と、何故だかアリーちゃんに警戒されてる様子の彼女だか彼だかは、気軽な感じに手をひらひら振っていた。