やること
「目を覚ましたか、負け犬」
まどろみから意識を取り戻した直後、浴びせられた言葉になんらとした温かみはなかった。
聞き覚えのある声。そー君。そこまでは把握して。
「……え、ぅ?」
喉に違和感。そして体中が痛い。脚とか腕とか胴体とか、どこがといでなく満遍なく鈍痛がする。喉もなんかいがいがして、ちょっと咳き込む。
最近つまされた経験上、立って歩けないだろうレベルの消耗。頭の中までもやがかり、なにがなんだかといった案配。
そうこうしてる間にも、あたしを背負っているっぽいそー君は歩を緩めず、単調な言を続ける。
「何故、逃げなかった」
意味がわからない。
温度のない声から、なんとはなしに怒ってるんだなーくらいは読みとれても、意味はわからない。
「ベーオウォルフの、メグリ。大層な化け物だった。何故、正面から戦った」
……え、正面……あ、あたしは、そっか。ちょっとだけ思い出してきた。
賭け、賭けを持ちかけて、拒絶されて……
あたし、メッちゃんに負けたんだ。
「俺が割って入っても意味は無かったろう。あの侍が乱入していなければ、お前は殺されていた」
さむらい? だれ……え、あ。いきてる……ってなんであたしたすかった? 乱入?
「うー……頭まわんない」
「回せ。脳の入ってない頭だろうと首が捻じ切れるくらい回転させろ」
それは、死ねということかこのやろう。
荒々しい足取りを緩めず、暗い森の中を進むそー君。
なんとなく、少しだけ会話が途切れた。何かの前触れみたく。
単調な脚音に、遠くで乾いた音が聞こえる。森の中なのに、今更ながら虫とかが静かだと思った。
「……明確な殺意をもたれたわけだが。お前はそれで、どうするつもりだ」
殺意。殺す気。
裏切ったとか何だかんだ言いながら、結局は本当の意味であたしを殺そうとしなかったメッちゃんだから。とそー君に言ったような言ってないような。
まあ、明らかに必要ないのにぼこぼこにされた上、首絞めて殺されかけたからね。
いや、脚止めなくても攻めたらダメだね。カウンター食らって捕まって、後は一方的。
考えてもみれば、メッちゃんはあのメイド長さえ下したという。メイド長に手も脚も出ないあたしが勝てるハズないのは、まあ誰がどう考えても当たり前の理屈。
所詮、逃げ足以外に武器をもたないあたしじゃ、それが現実だった。
だけど。
「……メッちゃんはね、あたし殺す気だった」
かすれた言葉でも出して再認する。それは間違いない。目を背けたいけど、純然たる事実。
そー君が「ああ」とだけ答える。聞きの体勢。有り難いと思いながら、その有り難さに身を委ねて、続ける。
「でも、メッちゃんはあたしを殺したくないんだ」
「……」
「殺したくない、殺せない、だからこそ自分の手で殺す必要がある。殺して壊れる必要がある。目的のために」
そういう風なことを、無意識でだろうか。朦朧としはじめた意識で聞いた気がする。
でも、頭の中にあるのは聞き逃してはいけない核心だからか。それとも朦朧とした中でも記憶に刻むくらい、"本当"だったからか。
「あの時、メッちゃんが本当に殺したかったのは、きっとメッちゃん自身なんだ。だから自分の中にある大切を、自分で壊して変わろうって、ううん、狂おうとしてるの」
そう思う。と付け加えてから数秒。荒々しかった歩調が僅かに緩む中、木々の隙間から火の灯りがうっすら見えてきた。
「……狂う、それが目的……いや、何かの手段だとでも言いたいのか?」
「わかんない。でも……」
今、その理由を本人から聞くチャンスはなくなってしまった。あたし達は、知らない情報が多すぎる。
メイド長や司さん、リッちゃんに聞けば、何かわかるだろうか。
狂う事が手段で必要な、メッちゃんの目的。復讐……なんだろうか。復讐を果たすために?
ふざけんな。
「それで。お前は結局どうするんだ」
「変わらないよ。目的は、変わらない。でも」
「でも?」
「……いや、あのね。メッちゃんに賭けを持ち掛けたんだよ」
ぴたりと、一定だったそー君の歩調が、確実に一瞬だけ途切れた。
「…………背景を考えれば、ろくでもない想像ができるんだが。気のせいか?」
さすが。もう想像ついてるんだ。
「最悪、月城家から追い出されるかもしんない」
「何を賭けた」
「……いやまあ賭け自体は今回流れたけど。またメッちゃんに持ちかけるにあたって色々問題があるかなー、と、今更ながら思ったり思わなかったり」
「………………大体読めたが、追放されるとしてどうするつもりだ」
んー、まずリッちゃん次第だけど。もう冥の方はそこまで切羽詰まってる訳じゃないし。金銭面……いや、借金だったねそーいえば。問題だね。
心情的にも、方針的にも今リッちゃんと距離をとるのは望ましくない、けど……ある程度は仕方ないだろうか。多分。
なら、次善策として遠くからでも助けられる形がいいな。んで、問題のメッちゃんとも接点ができうる、というと。
「……そー君たちん所って、荒事とか得意そうだよね?」
話してる内に、森から出たみたい。木々の密度がなくなり、田園が近く見える。その先に古びた木造のお家も。
「反貴族組織に転がり込むつもりか?!」
ようやく人里、というか例の村に出戻ってきたあたしたちの姿を発見したらしく、駆け寄ってくれた見知らぬ女の人が何事かと震えるくらいの絶叫だった。
月のある夜の下、どこまでも広がっていると錯覚するような規模の砂地が眼下に広がる。
いっそ心細くもなるくらいにそれくらいしかなく、本当に「あそこ」から帰ってきたのか不安になるくらい、寒々とした単調が広がる。
「……ここ、どこ?」
とりあえず、砂場――というよりは砂漠か。一面まるまま砂場だし。
夜の砂漠は、昼間と打って変わって冷えると効くが、アルカ作の特殊外套は保温性も抜群で、イマイチ実感はできかねた。
露出した部分も、さっきまで異形と戦っていた名残か。火照っていて鈍く、やっぱり寒いとかは感じ難い。
とりあえず、何故か襲いかかってきた城程もある、バカデカい蚯蚓っぽい魔物、の半分程が焼失した亡骸から砂地に降りる。
砂漠地帯……この大陸に存在する広大な不毛の地。帝国の端にある辺境の軍事国家、砂国。
だとすれば、大分離れたもんだとため息を吐く。息は白い。砂漠の夜は雪さえ降るとか、嘘なのか本当なのか。
デカい芋虫だか蚯蚓だか――砂竜虫とかいう名前だったろうか。確か低級竜並みの甲殻と、低級竜以上の厄介さをもってるとかいう。
まあ、地中からいきなり食らいつかれるとか、厄介を通り越して対処不可能な領分だものなー、と微震をきたした砂地を見据え、肩を竦める。
微震から激動を通り越して爆砕。おれが先まで居た地点が弾け砂粒がつぶての如く飛散する。
砂の海を泳ぎ跳ね、いつか見た列車以上に長く太い、甲殻ばった蚯蚓型、鋭く攻撃的な四ツ顎広げ、流れ落ちる滝がそのまま逆流したとはがりの勢いで、獲物を食らわんと奇声をあげる。
まあ、それだけなんだけどね。
腕を振るい、無造作に放った異能、蒼い炎。さながら蚯蚓を一飲みにする捕食側の顎が如く、その巨体を呑み込み――断末魔をあげる瞬き以下の間に、灰と化す。
「はぁ、やれやれ。アルカと朔は大丈夫かな」
一塊に集めた灰塵を手に、空間転移の特性をもつ神器を創製すべく、集中と詠唱。
とりあえず、どこに転移するかと思案しながら――ふと気付く。
「……なんだ?」
異物感、とでも言うべきか。異能力者が異能を行使した時に似た、空間を伝って感じる渇きが鼻につく。
何か、場違いなナニカが居る。
肌がうずき感性を刺激する直感に従い、イメージングを中断。
別の――より攻撃的な神器を創製すべく詠唱を重ねながら、辺りに視線を警戒と巡らせる。
何が異常なのか。その答えは直ぐに出た。
最初に不意打ちしてきた砂竜虫の死骸。その炭化した断面から、有り得ざるナニカが湧いていた。
ナニカ。形が定まらずぶよふよしてぐにゃぐにゃで、しかし本能とも言える奥底が異常と拒絶と色々なものがない交ぜになった混沌を叫ぶ。
視覚の暴力をなどというレベルではない、視覚を通してその奥まで汚辱されるような、根源的な拒絶感。
一秒の間に納得はできずとも理解ができた。悟る、というより間違えようもない。
あの異層で見た、なにもかもあやふやでデタラメな不定形の化け物だった。
「……なん、で?!」
居て良い存在じゃない。生物とも魔物とも違う、異能でさえ滅ぼせない存在。
幸いにも動きは無いに等しく、あの層で見せた異質な攻撃も異常な物量も無い。
その異常自体は、具現した神器の一戟で終了した。
しかし。これはそういう問題じゃない。掃き溜めに無数のカビが浮いてるのと、清涼な水面に一粒のカビが浮いてるのじゃあ、まるで意味が違うように。
在ってはならないモノが、在ってはいけない場所に在った。
時間切れで消失していく偽神器を見送りながら、背中を伝う嫌な汗を拒絶するように魔物の亡骸を見る。
もう、ソレの痕跡は無い。まるで夢か幻だったみたいに、炭化しただけの巨大な死骸が荒涼の地に転がっているだけ。
でも。
「……頭脳労働はおれの仕事じゃない」
知らせなければいけない。世界に関わるかもしれない、異常を。
荒涼とした砂の大地に風が吹く。異常があろうとなかろうと瞬きそこにある、月の下。風が吹きすさんだ。