地の底
――一足飛びの直後、先居た空間が弾幕に蹂躙される。
そして照準を付けられるより、偶然が身を灼くより早く、速く、駿く。間合いを詰める。間合いを詰めた。接敵成功。
次いで、金属と金属が衝突する鈍い音。
向けられたサブマシンガンの銃口を、右手のデザートイーグルで殴りつけ、反らし、
「――コォ……っ!」
掌を、垂直に振り抜く。
鈍い、骨がへし折れる感触。生が死へと変わる、生々しい音。
最後に、立っていたホムンクルスが首の骨を折られ、地に叩き着けられる。
見届け、安堵とは少し異なる息を吐く。
――凌ぎきった、とりあえずは……
「司、被害状況を」
私は、スナイパーライフルを調整しているエプロンドレス姿の同僚に声をかけた。
「ん〜、無傷なのは、静流と、後方支援に徹してたわたしだけだねぇ。他の子はー……」
司は、横目に周囲を見渡す。普段の、のんびりした雰囲気とはまるで違う、微妙な表情だ。
「重軽傷――というより、戦闘不能者十名。後、まともに戦闘行動が可能なのは、雨衣ちゃん位だね……」
――腕を撃ち抜かれた者、脚を動けなくした者、それらは、まだ軽傷だろう……
雑と見ても、意識が無い者や、生死に関わる重傷者を、比較的意識がはっきりした軽傷者が看ているのが現状だ。
死者はまだ出ていないが、さて、どうしたものか。
連中、ホムンクルス共は厄介な相手だ。
質、量ともに半端ではなく。
死を恐れない無機質な特攻は、逆にこちらの神経が磨り減る。
その上、ホムンクルスの人間とそう変わらない死体の散乱する、広いとは言えない閉鎖空間の中は、精神面、衛生面共に宜しくないのは明白。
だからといって移動はできず、退路は未だ機能できない。
――援軍は、救援はまだか?
この場に居る全員が思っているであろう事。これ以上の戦闘は、危険なのだ。
「――どうするの、静流……?」
司の真剣な声に、私は数瞬だけ視界を閉ざし、思考、考えをまとめ――
「悪夢の妖精は未だ持ちこたえている。よって、我々は一方向だけ警戒すれば良い。
私、雨衣とで前衛を、司は後方支援と、転移方陣の警戒を」
「わたしだけ負担が大きくないかな、それ?」
確かに、だが、それがベストなのも事実。
「司。あなたが踏ん張らねば、かわいい同僚、後輩達が危ないのですよ」
「はう」
私には全く解らない理屈だが、司の中では根幹に座す、本能を刺激する。
「あなた、常々言っていたじゃあないですか。忘れましたか? 違うでしょう、言って御覧なさい」
私の焚き付けに、意図してか否か、どちらにせよ司は乗ったらしく、
「"かわいい"は、正義です!!」
「――叫ぶ事か!?」
素敵にテンションが上がったらしく、いつの間にか傍に来ていた雨衣の突っ込みも、耳に届いた様子がない。
私は、二度頷きを返す。
「為らば、その正義に従い、正義に仇なす者共を駆逐なさい」
「承知しましたぁ、静流メイド長ぉ!」
「宗教の扇動じみた真似に乗るな同僚ッ!!」
雨衣、最敬礼を返す司にその程度の突っ込みは効かない。
まあ、その道化っぷりが周囲の、精神面もまずい負傷者を和ませるのに一役買ってるから良いけど。
このような非常時に、平常な茶番を見せるのは効果的だろう。その証拠に、負傷者達から笑い声が聞こえる。
――柏木司。狙撃者としては一流だが、男女問わず、自らがかわいいと思う対象総てに、持ちうる限りの慈愛を注ぐ阿呆だ。が、偶にはその悪癖も役に立つものだ。
――ふと、小さな気配が近づいて来ることに気付き、振り向く。
「――茶番の最中悪いが、連絡があった」
悪夢の妖精、アルマキス=イル=アウレカが毒を吐きながら、何かよくわからない、四角形の、先端部から細長いものが伸びる無骨な物体を手に、口を開く。
「燐音、侍女両名の保護に成功したらしい」
「――ッ! 本当ですか!?」
待ち望んだ報告の一つに、私は歓声をあげる。
同様に歓声をあげた司が、嫌がる雨衣に抱き付いたのが視界の端に見えた。
「ああ。現時点で塔の百十三階に居るらしい」
「何故だ?!」
明るみから、深淵に叩き落とされた。此処は二百階の最上階。――遠すぎる!
「落ち着け。マグナが健在な限り、燐音は大丈夫だ」
――ッッ……
目の前が紅くなり、全身が小刻みに震える――その澄ました白い顔を歪ませ、切り刻んでグチャグチャにしてやりたい……八つ当たりじみた暗い衝動が鎌首を擡げる。
司の宥める声も、まるで頭に入らない。
「くっく……愉快な狂気だ。燐音は面白い狗を飼っている」
――のアマ。
「殺気を抑えろ。そろそろ、来るだろう」
なに……?
不可解な発言を怪訝に思った直後。
視界の端に、淡く発光するものを捉え、見る。
――錬金術的に意味のある、材質不明の何かで描かれた転移方陣が、燐光を放ち始めていた。
もう見飽きた感のある、長くて複雑な回廊を歩きながら、
「ねぇ、大丈夫なの?」
振り向き、リンネに声をかける。
「……それは、貴様が聞く事か?」
まあ、確かに君は歩いてるだけ。
おれは、襲いかかってくるかもしれないホムンクルス達を警戒しながら、おれよりいくらか軽量とは云えスズハを抱えて移動と、どう考えてもおれの負担のが大きい。けど、物事ってそう単純じゃないだろ。
「おれは平気。慣れてるから。でも、リンネは慣れてないでしょう?」
それ位、動きを見てれば判る。
それにリンネは、有り難迷惑とでも言いたそうな目でおれを視た。
「体を動かす事が不得手なだけだ。気にするな」
「いやでもー」
「この状況では、俺様が泣き言をいっても仕方あるまいよ」
おれは、無言で観察するようにリンネを視た。
足取りは重く、呼吸は不自然。疲労は隠せてない。筋を痛めた片手は、力無く垂れている。痛々しい姿。
普通の少女なら、とっくに膝を折って泣いているだろう状態――しかし、それでもリンネの、所々擦り切れた顔は涼しげだ。
そんなリンネを見て、なんとなく、ふと思った。口を開く。
「――リンネさあ、すごい意地っ張りでしょ?」
「……」
リンネは、なにも言わない。
「つーか、我慢するのに慣れ過ぎてるというか、表面にゃ辛いとこ出さないのが巧すぎなんだ」
「――それは、貴様も同様ではないか?」
内面を点かれて不愉快だったのか、温度の低い口調。
同様、ね。苦笑する。
まぁ、おれがアルカとかに何度か云われた事があるけど。
「辛いでしょ、大分」
「必要無ければやらない事だ。違うか?」
「そうだね。でも、あんまりやり慣れてくと、そうする事が当たり前になっていく。なんの為であれ」
「……要らぬ節介だ。それに今は急ぐ時だろう」
純黒の瞳は、まっすぐにおれを射抜き、正論でおれの話を退けようとする。
賢いね……悲しいくらい……
「ごめん。でも、これだけ。――リンネは賢いから、わかってる筈。その強さが、かえって周囲の大切な人を傷つけるかもしれない」
――今まで、幾度視てきたそういった人達。その中の一人に、かつておれがかけてもらった言霊を、
「……――」
囁いた。
「――説明を要求します」
ここ、理解の塔の出入り口、巨門前で。
負傷者が重傷者を抱え、重たい足取りで医療施設に向かう部下達を見送りながら。
私は、アルマキス=イル=アウレカに声を掛けます。
「――どこからだね? 軍隊でなく、私の身内が救出に来たことか?」
からかいが入り混じった声を、極力気にしないように努めながら、私は直ぐに口を開きました。
「それは、我々により安心させる材料を与える為の方便と理解しています」
燐光を纏い、現れた返り血にまみれた謎の人物を思い返す。しかしそれより――
「賢人達――優れた知性を保つ人々が、狙われている。真ですか」
「そうだ」
即答した。
「世界最高位の頭脳とも称された、自他ともに認める有能な私も、何度か襲撃を受けているからな」
「自分で云いますか」
確かに、法則を理解できる錬金術師でもないのに、彼女の錬金術法則の論文は、当時、錬金術師達を震撼させ、錬金術の基盤を揺らしたと伝え聴きますが。
「それに、私の周囲如何に関わらず。賢人と云われる者達、ないしそれに匹敵する知性を保つ者達が殺害されるか。もしくは行方不明になっている」
それはまた露骨な。
「皇国領内における犠牲者の数は四、ヴェルザンドの倍以上だ。しかし、帝国領内では皆無――その証拠に、事件の概要すら初耳だったろう」
……、休戦下で皇国側に有益たりえる知恵保つ賢人達が?
「それは、遠回しですが、何やら誤解されそうな」
――宗教的、外交的背景から、長年に渡って帝国・皇国間で戦争が続いていた中。ここ中央国と"英雄"の活躍によって戦争は一時的に休止したが、……硝子細工は、些細なきっかけで崩れ落ちる。
またはそれも、目的の一つか?
「私は燐音に確認したからコトを知っているが、皇国の上層部はどう取り、どう動く事やら」
――燐音様に?
"英雄"の妖精が、大仰に肩をすくめる。
「そういった目当てが有ったとて、それが主目的の可能性は低い。遠回しに過ぎるし、情報操作がされていた風でもない。帝国の工作と見るには不自然だ」
つらつら述べられた内容は帝国の弁護とも取れる。
私は、頷きを一つ返しました。
「それに、帝国の錬金術機関でも、ホムンクルスという人工生命体に関する研究は進んでいません」
錬金術の部門で抜きん出ている、とは云えませんが、他国と比べれば優秀と云える帝国の錬金術機関。中央には劣りますが、その中央とて、ホムンクルスの実用化には至っていないはず。
詰まるところ、先程まで戦っていた人工生命体は、いないはずの存在という事。まして、こぴー、でしたか。総て一人の人間の写し身などと……
「――ところであなたは、燐音様と共謀していたと聞きましたが、網を張っていたのですね」
「この時期、余年越しに開催される中央国の賢人会……さて、偶然かな?」
妖精の如き整った容貌が、悪夢的に歪む。
「どういう事でしょうか?」
「なに。私はね、賢人会を中止ないしは延期するよう、事件概要を順序だてて説明し、申し出ていたのだがね」
――事件のしっぽを掴んでいれば、当然の判断。
賢人が狙われる最中に集めるなど、只の愚かな行為だ。
そして報告者は中央の要人の一人にして、最たる賢人、悪夢の妖精、アルマキス=イル=アウレカ。
彼女の意見が通らないなど、有り得ない話だ。
なのに、
「……握り潰されたのですか」
貴女の意見が。
「――ホムンクルスなど実在しないし、万全な警備体制に死角はない。よって貴女の上告は杞憂だ。とさ」
「……露骨ですね」
頭から否定し、認めていない。なんて、きな臭い。
けれど、彼女の上告を握り潰したとなれば――
「――中央が一枚咬んでますね。それも、かなり上の方」
小声で、自ら確認する様に呟く。
「恐らくは死の商人と繋がり深い屑共……だから、敢えて私たちは敵の思惑に乗ったのだよ。
一連の事件に終止符を打ち、屑を掃除する為にもな」
そう語る彼女の口調は、熱している様で無ければ冷ややかでも無く、唯無機質なまでに平坦としていた。
「――地下なんて、有ったんだ」
薄暗い、地下通路を歩きながら。おれは小さな声で呟く。
「――見取り図を見て、妙に不自然なポイントが有ったが、正解らしいな」
「……この塔の内部って、他国には秘匿されてる、とかアルカが言ってたけど」
「下調べもせずに俺様が敵地に来るかよ」
「しかし、ここが何階とか一部分を見ただけで判るって。ひょっとして、塔の構造全部頭に入ってるの?」
「当然だ」
と、おれにおんぶされてるリンネが耳元で不遜に呟く。
とうとう歩けなくなっていたので、リンネも了承したのだ。
ちなみに、銃弾が顔面に命中しても無傷な気絶スズハは、リンネが持っていた縄で縛って引きずっている。
――リンネの提案だけど、どうなんだろう? ひどくね?
エプロンドレスは、一体何で出来ているのか、こちらも摩擦で破けたりはしていない。
……そしてなんでリンネが荒縄を携帯しているのかは、ついぞ怖くて聞けなかった。
「で、この先に事件の犯人がいるの?」
「首謀者かは兎角、可能性は高い。百八階から転移した直後、ホムンクルスの大群と出くわした。これは、ホムンクルス連中は此処を拠点にしている証拠だ。そしてマグナ。貴様いくら仕留めた?」
凛とした声に、ホムンクルスの事だろうとちょっと考え。
「――百は下回らない」
「それほどの数、専門の精製機器と生体合成プラントを稼動させ続け、常時補充している可能性がある。それには、人の、それも錬金術師の力が必要だ」
それだけの施設ときたら、専門の知識、技量を保った錬金術師が必要って事かな。
「――そしてこの、秘匿空間――表に知られていない地下。通路は一方のみ。隠れ、作業をするには打ってつけだ」
「でもさ、それが本当なら、そいつは安全地帯で戦況把握が出来る、って事なんじゃない?」
「……天然かと思えば、少しは賢いらしいな」
何気に酷い事を云われた気がする。
「貴様の指摘は正しい。その上で、俺様達が秘匿領域に踏み込めば、高い確率で逃げられるだろう」
まあ、セオリーからすれば重要な施設は破棄された上で逃げられるよな。
――ってダメじゃん。危ないよ。
「なら、リンネまで無理して付いてこなくても――」
立てない位疲れてるのに……スズハに至っては意識すらないけど。
「俺様の予想――いや、想像通りならば、俺様も往かねばならん」
……心なしか、異様に軽いリンネより、空気が重い気がする……
「――あのさリンネ、ちゃんとご飯食べてる? なんか、アルカより軽いんだけど」
「…………今の発言、アルカに言っといてやろう」
「勘弁してください……」
あのアルカに告げ口なんかされたら、明日の朝日を五体満足のまま迎えられるかわからないよ。
しかし軽いとか気にしていたらしい。めっちゃ怒ってらっしゃる。
後、地味に痛いから髪の毛引っ張るんじゃありません。
地味に執念深いリンネの嫌がらせに耐えつつ、人をずるずる引きずる音を聞きながら、おれは地の底を進むのだった。