第3話 なげき
いらっしゃいませ。
今日のおすすめですか?
シェフからのおすすめは、
地中海の仔羊の香草プロシェットだそうです。いかがでしょうか?
ワインには、赤が。1993年の一本もご用意できます。
ご一緒にいかがでしょうか?
材料ですが、生後2年以内の臭みの少ない仔羊を使っています。
香草プロシェットとは串焼き料理です。
イタリアから空輸した香草で、地中海そのものを感じていただけます。
香草ですが…、
バジル、ローズマリー、パセリ、セージ、ローリエ、オレガノ、タイム、マジョラノ……ですね。
律子ちゃんの接客に、ずいぶん驚かされた。
優れたセールストークに、才能を感じた。
店内では律ちゃんと呼ばれていた。美人じゃない。
でも、明るいし、元気だった。
何より料理が好きで、キッチンにいっては
料理について一生懸命、料理長の話を聞いていた。
知りたい、伝えたい。そんな気持ちが行動に表れていた。
その笑顔がいなくなった。
もう二度と戻ることはない。
ご家族から連絡があった。
事故にあったそうだ。
仕事には出れないので、と。
思わず、お見舞いにうかがいますと、入院先をメモに残した。
電話を切ってすぐに対応。
当日のスタッフ追加、仕事量を調整、接客にマイナスが出ないように。
数時間後には、なんとか調整できて、お店の対応には問題がなくなった。
まったく、困ったトラブルだった。
キッチンも、フロントも、フロアも
律ちゃんの心配を口にしたが、それも数分だった。
「もっと可愛い娘がくるといいですね」
律ちゃんの後釜のことが話題になっていた。
会社としては、将来社員なんてこともあるからね。
そんな声もかけていた。
心配しても仕方ない。
忙しくなると忘れた。
翌日、お見舞いに出かけた。
集中治療室に寝ている姿をみた。
短くなった髪型、まかれた包帯、
その姿でベッドにしばられていた。
躰をそらして、大声で叫んでいるのが分かる。
頭を右手で抑えて、顔を振り回している。
復帰できる現状など、どこにもない。
復帰となれば、どれほどの時間を必要とするのか?
数日? 数週間? 数か月?
お見舞いする時間があるだけだ。
ご家族と話している。
その日は、それで帰った。
お店に戻る。お客様のお願いに
電話が鳴っていた。
冷蔵庫の前には食品が並び、
キッチンではチーフの指示が流れていた。
フロアーには磨かれたテーブルが並び
いつもの位置にチェアーが置かれている。
新しいナプキンがお客様を待ち。
ウエスで拭かれたグラスが飾られていた。
忙しい日だった。それ以上に利益が出ていた。
そこには、律子は必要なかった。
安心して働ける場所であることが示せる。
だから心配だけしてあげれば、よかった。
心配ですね。元気になるといいですね。
戻ってくれるといいですね。
そう思うことを共有できれば、仕事の場は和む。
傷を負った律子の存在理由とは、それだけだ。
10日後、電話があった。
本人からだった。
髪型も、笑顔も、失っていると、
だから、働けないと伝えてきた。
働けない。代わりはいくらでもいる。
それだけだ。なげくこともない。
大人でも、子供でも、男でも、女でも
有能でも無能でも同じだ。
代わりがいるビジネスでは
存在できなくなった時が消滅の時だ。
人は語り合い、いくつしみあう。
それは真実だ。
でも社会のルールは違う。
ビジネスでは利益が出れば、十分なのだ。
律子くらいの人はいくらでもいる。
辞めてもらっても問題ない。
収入が得られなくなる。
最初から分かっていたことだ。