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ニジイロバタフライ 前編




 二年になった私は、とても焦っていた。毎日毎日、就活と課題に追われて、もうくたくた。専門職を狙っているなら先輩達は夏からでも遅くないって言ってるけど、最近の風潮がそれを許してはくれなかった。


 講義の合間、人もまばらになった教室でいつもの仲良しが集まり、おしゃべりを続けていた。今日は暖かいというよりも汗ばむほど暑くて、皆半袖を着ている。

「もう既にエントリーシートとか書き飽きたし」

 一人がケータイを触りながら溜息を吐いた。

「早く抜け出したいよ。もう内定取った人いるのかな」

「椎名は? 決まったんじゃなかったっけ?」

「あー、あの人なら納得」

「え、うそ!」

 突然出てきた彼の名前にドキンとしながらも、不安が胸に広がった。そんな話、私知らない。全然聞いてない。

 驚いた私の声に皆が一斉に振り向いた。

「だってあの人、課題も成績いいし動くのも早かったでしょ。早く欲しいって言われたって聞いたよ。噂だけど」

「へえ、すごいね。そんな人いるんだ」

「まあ珍しいかもだけど。専門職だと、向こうとしても即戦力になる優秀な生徒なら、すぐに取りたいわけよ。先生たちとの繋がりもあるし」

「優秀なら、の話ね。あたしたちみたいに普通にやってるだけじゃ無理だって」

 皆の話を聞きながら、手にしていたパックのいちごミルクをストローで吸い込んだ。甘すぎで失敗したかも。

「富田、椎名と仲いいのに知らなかったんだ」

 私と椎名が付き合っていることは、まだ誰にも言ってない。春休み前のことだったし、新学期が始まってからも、何となく友達に話すタイミングを失っていた。

「あーあ、あたし就職ダメだったら、もう一個学校行こうかな」

「学校?」

「フリーターもいいけど、時間あるんだったら違う勉強してもいいかなーって」

 皆いろいろ考えてる。私は気ばかり焦って、結局何がしたいのかよくわからなくなっていた。その時、また皆が私を見た。というよりも、私の後ろを見てる。振り向いて見上げると、そこには今話題にしてた人が立っていた。


 明るいブルーのTシャツに、ゆるめのカーゴパンツを穿いている彼は、黒縁メガネの向こうから私の顔を覗きこんだ。

「今日昼メシ、一緒に食う?」

「う、うん」

「じゃ、あとで」

「……はい」

 それだけ言葉を交わすと椎名はその場を去った。皆の視線が突き刺さったままの私を置いて。

「何いまの。富田、なに今の。ねえ、なに今の!」

 興奮した友達の一人に、短いパフスリーブの白いブラウスから出てる腕を掴まれながら、平静を装って答える。

「何って、一緒にお昼ご飯食べるんだと思うけど」

「だから、どうして椎名と富田が二人で食べるの?」

「駄目?」

「駄目とかじゃなくて、何でわざわざ富田だけ誘ってくるわけ?」

 その質問に目を泳がせながら息を吸い込んだ。

「えーと……付き合ってる、から」

 途端に悲鳴が起こった。どうしていいかわからなくて、ただ顔を赤くしてさっさと机の上に乱雑に置かれたレポート用紙をまとめる。

「いつ? いつからよ?」

「春休み、前かな」

「全然知らないし! ていうか、もう随分経ってない?」

「どっちから言ったの?」

「どっちって……」

 皆の勢いがすごくて何も言えない。

「椎名でしょ。見てればわかるよ」

「椎名って冨田にはよく話しかけてたもんね」

「でも、でもさ、椎名ってそういうこと言うんだ? 意外っていうか、なんか想像出来ない」

「それだけじゃなくて、いろいろ想像出来ないよねえ……いろいろと」

 意味有り気に一人が笑うと、他のみんなも目配せをした。

「もう、しちゃった?」

 急に声を落として頭を寄せてくる友達から、慌てて顔を背ける。手をつないだだけ、なんて言えないよ。あれからお互い忙しくて、学校で少し話をするくらいだったし……。

 返事を誤魔化していると、恥ずかしがってると思われたのか、またさっきの雰囲気へと戻った。

「椎名は大事にしてくれそうだもんね」

「いいなー将来有望な彼氏で」

「そういうんじゃ、ないよ」

 だって椎名は何も教えてくれなかった。何で私、友達からこんな大事なこと聞いてるの?

 皆、私たちが付き合ってることに気付かないくらい、椎名は相変わらず冷静で、わかりにくくて、本当に普通だった。学校には他にカップルもたくさんいるけど、皆仲いいのに。いつもくっついてて、しょっちゅう連絡取り合って、楽しそうにしてるのに。



 広い学食は外にもカフェテーブルがたくさん置いてある。雲一つない五月晴れの空は眩しくて、木陰を作る緑も鮮やかだった。

 椎名はハヤシライス、私はドリア。スプーンを動かしながらご飯を頬張る椎名へ、恐る恐る聞いてみた。

「ねえ椎名、内定決まったの?」

「まあ、ほぼ」

「……」

「なに?」

 無言の私に、やっと椎名がお皿から顔を上げた。私を見つめるいつもと変わらない彼の口調に、少しだけ腹が立ってわざと目を逸らした。

「私、全然知らなかったよ」

「ああ、言ってなかったっけ」

 だからどうしたの? とでも言いたげに、椎名は冷たいペットボトルの烏龍茶に手を伸ばした。気にしてるのは私だけみたいで、余計いやになる。

 ドリアをかき混ぜて口へ入れた。それだけでもうお腹がいっぱいに感じて、胸のつかえを吐き出すように呟いた。


「私たちって、付き合ってるのかな」

「どういう意味?」

「……あんまり、そういう感じしない、から」

 上手く言えなくて、曖昧な返事をしてしまった。

「普通でしょ。それとも、ああいうのがいいわけ?」

 椎名が大き目のスプーンで指した方へ視線を向けると、離れた場所にある狭いテーブルにわざわざ隣同士に座って、べったりくっついてるカップルが目に飛び込んで来た。学年、ひとつ下かもしれない。恥ずかしくなって目を背けて訴える。

「極端だよ」

「俺、別にそういうの焦ってないよ」

「……」

「何で怒ってんの?」

「椎名が、何考えてるのか全然わかんないから」

 私一人で怒って、機嫌悪くして、それでも何も伝わんなくて、もう止まらなかった。

「私のこと、ほんとに好きなのかどうかも、よくわかんない」

 訴えた途端、椎名は動かしていたスプーンをそっとお皿へ置いて、私を見た。

「じゃあ俺も言わしてもらうけど、富田は?」

「え?」

「富田の方こそ、俺のことが好きで付き合ってるとも思えないんだけど。俺が言ったから何となくっていうのが、ありありとわかる」

 心臓がズキズキと嫌な音を立てて私の身体を駆け巡った。冷静な彼の声が痛い。

「俺だけ勝手に富田と合ってるって勘違いしてたかもしんないし」

「そんなことないよ……!」

「別に無理しなくていいよ」

 椎名は立ち上がって、私と目も合わせずに言った。

「じゃあ、お先に」

 肩に鞄をかけると、お皿を乗せたトレーを片手で持ち上げて、椎名は行ってしまった。


 俯くと、美味しそうだったドリアは、いつの間にか固くなっている。約束なんてしてないのに、私もカーゴパンツを穿いていた。

 椎名のTシャツと同じ色の空から吹いて来る風は、私の気持ちとは反対にとても爽やかで優しくて、何だかすごく泣きたくなった。





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