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ハルイロセーター




 桃の樹には鮮やかな色の花が一斉に咲き始めていた。

 暖かくて天気のいいこんな日は、いつもなら嬉しくてたまらないのに。


 くすんだピンクにひとめで惹かれた長めのジップアップセーター。古着のボーイズデニムと合わせて、首からぶら下げた重たいカメラを手に一人で公園を歩き回る。

 カメラを構えてファインダーを覗いた。桃の樹にとまる小鳥や、可愛い花びらを何度も写しては確認して、また違う場所へ移動しようとした時だった。


「あ、」

 大き目のスニーカーの紐がほどけた。しゃがむと視界いっぱいに飛び込んでくる、お気に入りの色。同時に思い出すのは、学校で仲間内の男子に言われた、似合わないって言葉。だよね、って他の友達と一緒に私も無理やり笑った。普段から何でも言い合ってるし、こんなのたいしたことじゃない。……でも、でもさ。

 泣きたい気持ちを我慢するように、靴紐をぎゅっと締めて立ち上がると、三本先の桃の樹の前でカメラを構えている人がいた。ミントグリーンのパーカを着ている。


 カメラを顔から離して振り向いた黒縁メガネの男の子に、驚いて声を上げた。

椎名しいな?」

「……よ」

「なにしてんの?」

「課題。富田とみたも?」

「うん」

「あ、そう。じゃあね」

 挨拶した途端、私へくるりと背を向ける椎名に駆け寄って、パーカを引っ張った。

「……椎名って冷たいよね」

「だって集中してやりたいじゃん。富田そういうの平気?」

「ねえ、あれ飲みたくない? ほらあそこ」

 話題を変えながら椎名を無理やり振り向かせて、後ろにあった売店を指差す。赤地に白で甘酒と書いてある大きな旗がバタバタと揺れていた。沈んだ気持ちを捨てたくて、話し相手が欲しかったのかもしれない。

「どお?」

「うん、まあ飲みたい」

「じゃ、いこ!」

「元気じゃん」

「え?」

 すたすたと歩き出す椎名の後をついていく。椎名は専学の同じ科で、受けている講義もほぼ同じ。よく話はするけど、いつも一緒にいる仲間じゃない。椎名はふらっとどこかへいなくなったり、一人で過ごすことも多くて、何を考えているのかよくわからなかった。あまり他人に興味が無さそうに見える。もちろん私のことも。

 だから聞き間違えたのかと思った。今の言葉。


 売店で熱い甘酒を受け取り、そこから離れた場所にあるベンチへ二人で座った。頭の上には、まだ固い蕾の桜の樹。隣で甘酒をふうふうと冷ましている椎名のメガネが曇った。

「見えないんだけど」

 呟いたその表情が可笑しくて吹き出すと、横から頭をぽんと叩かれた。椎名の優しい感触に、慌てて自分も甘酒を口へ付ける。動揺した私を安心させるように、懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。

 新鮮で不思議。こんな風に学校以外の場所で、同じものを飲んで笑っているなんて。椎名の隣が意外と居心地いいだなんて。一年近く、どの時間もほとんど同じ教室にいたのに、ちっとも気付かなかった。


 日曜日の大きな公園は家族連れで賑わい始めた。売店にもいつの間にか人が列を作っている。

「ね、椎名の画像見せて」

 ベンチへ置いてある一眼レフへ目を向けると、一瞬沈黙した椎名が言った。

「じゃあ、富田のも」

「え?」

「見せて欲しいなら、そっちのも見せてよ」

「やだ」

「だったら俺もやだ」

 やだって言われると、余計見てみたい。きっとそこを覗けば何かがわかる気がして、私はいつの間にか自分のカメラを差し出していた。

「じゃあ、いいよ。私の見ても」

 甘酒を横に置いた椎名は、チラリと私のカメラを見て溜息を吐いた。

「何、どうしても見たいわけ?」

「うん。だって椎名って何考えてるのか、何に興味があるのか、よくわからないんだもん」

「全然?」

「全然」

「……じゃあ見れば」

 はい、と今度はあっさりカメラを私へ渡した。

「ありがと」


 交換したカメラの画像を再生していく。広い公園の入り口に並んだ蕾の青いチューリップ。秋にはどんぐりがたくさん落ちている大きな樹の下のジャングルジム。そのまま視線を横にやれば、いつでも猫が居る少し寂れた古い木製のベンチ。

「何だよ、これ」

 椎名が笑った。私も、笑った。だって彼の手元にある私のカメラに映った画像は、順番は違うけど、場所も構図も全部、私の手元にある椎名が撮ったものとそっくりだったから。

「椎名と私、ツボが似てるんだね」

 そう言えば私、椎名の穿いてるデニムが好きで、前にどこで買ってるのか聞いた事がある。

「最後のは違うと思うけど」

「?」


 その言葉が気になって画像を次々進ませた。桃の花が何枚か続いたあと、そこにはカメラを構える女の子が写っていた。

「……これ、私?」

「別にストーカーとかじゃないし。今日も偶然だし。さっき声掛けられる直前に撮ったやつだし」

 冷静に答えつつ、いつもとは違う早口な彼に、つられた私も間を空けずに言葉を続けた。

「なんで撮ったの?」

「似合ってたから」

「え?」

「そのセーター」

「……」

「誰だよ、似合わないとか言ってたの」

 私のカメラを手にしたままま、少し怒った椎名の横顔が、私の心をぎゅっと掴んだ。

「ありがと、椎名」

 声が震えた。椎名は黙ってる。

「嬉しいよ、ほんと。……ありがと」

 涙が零れるのが恥ずかしいから俯いた。俯くと、もっと涙が溢れた。

 あの時、笑ってごまかした私を見ていてくれた人がいる。休みの日に、一人で出かける時だけ着ようって決めてしまった、ちっぽけな私を。


「あのさ、付き合ってみない? 俺たち」

「……本気?」

「結構合うと思うけど。ていうか、ずっとそう思ってたんだけど」

「わかりづらいよ」

 涙を拭いて笑いかけると、珍しく顔を赤くしている椎名が私の手をそっと握った。そこから彼の思いが少しだけ伝わってきた気がして、胸の奥が音を立てた。

「じゃあ今度から、わかりやすくする」

「うん」

「急には上手くできないかもしれないけど」

「……いいよ」

 手を握り返して応えると、もっと強い力で椎名は私の手を握った。そのまま手をつないで、荷物を持ってベンチをあとにした。


「椎名のパーカー、綺麗な色だね」

「まあね、春だし。目立つけど、二人で並べばそれっぽいんじゃない」

 私のくすんだピンクと椎名の柔らかなミントグリーンは、近くにいると花が咲いたように見える。

「本当だ」

「だから俺たち合うって言ったじゃん」


 得意げに笑った椎名は、つないだ手を自分の方へ引き寄せた。目の前を桃の花びらが一枚掠めていく。軽くなった私の心は、彼の鼻歌と一緒に春風に乗ってふわりと飛んでいった。




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