第弐話
現世を動かしている不思議な力―――言霊と呼ばれるその力が発達したのは、もう何百年も何千年も以前のことになる。
この世に言葉という概念が生まれ出でてから、人々は言葉を使わずには生きられなくなった。
その言葉を時には口にし、また別の時には文字としてしたためた。あるいは口にも文字にも表すことなく、己の心の中で言葉を紡いだ。
強く幸福を祈り言葉にすれば幸福なことが起こり、反して強く不幸を願えば不幸なことが起こる。そんな不思議な現象が幾度も起こり、言葉には何らかの影響を及ぼす不思議な力があると民衆は信じるようになった。
人々が信じた幻想の中の『不思議な力』は、時の流れとともに現実の世界で『力』を宿すようになり、いつしか形を成していった。現世にも大きな影響を与えるそれは、霊的な力を持つものと認められ、その証として『言霊』という名を与えられた。
この世を動かす新たな理を手にした人々は、自らのことを言霊使いと名乗るようになり、この国は言霊幸う国という俗称を得ることになった―――
万人が宿すこの言霊は、現代では言霊管理省によって統括されていた。
使い方によっては甚大な悪影響を及ぼし兼ねない言霊は、政治・宗教・経済・倫理・生命、更には人格面において必然的に数々の制約を必要とする。
それらを揺るがす所謂『タブー』と呼ばれるものを犯さないように設けられた機関が、この言霊管理省だった。
そして教育もまた言霊管理省の下に管理されている部門の一つであり、現代の学生においては言霊学を学ぶことと、模擬の言霊戦を重ねることで言霊使いとしての力量を高めることが求められていた。
言霊あってこそのこの国においては、『言霊使いとしての資質が優れている=社会に大きな役割をもたらす』という公式が当然のように成立するからだ。
補足しておくが、この本質というのは力の優劣や属性によるものでは決してない。言霊使いとしていかに自身の本領を発揮し奮うことが出来るか、ということにかかっている。
例え自身の言霊の能力が弱いとしても、使い手としての能力が高ければ、それは必然的に本質が優れていることになるのだ。
簡略して言い換えれば、『力』をどれだけうまく使うことが出来るか、つまり、力の扱い方がうまい者ほど社会で力を有用できる、ということだ。
社会に出る前の学生たちにとって重要なことは、最初に己の性質が言霊使いの四分類のうち、どこに該当するかを把握することだった。
この四分類を問う問題、実は本日二限目にあった言霊学概論の試験問題として出題されていた。答えられなかった輩は、恐らくこの【国立須和第一学園】には在籍していないだろう。
職員室の前に着いた諳は、早速扉をノックしようと小さな手を挙げた。しかしそのまま扉が叩かれることはなく、見ると制服の袖をそっと掴む別の存在に続く行動を止められている。掴まれた手を辿っていくと、その手は諳が持っていた学生鞄を指差し、次いで右手を差し出した。
唄の言わんとすることを理解した諳は、学生鞄をそっと持ち上げて首を傾げる。
「いいんですか?」
「いってらっしゃい」
頷く親友の折角の厚意に甘えることにし、諳はお礼を述べながら学生鞄を手渡した。職員室の扉の方へ振り返ると、今度こそ扉をノックする。
「一年一組、式守諳と申します。失礼致します」
その場で挨拶と一礼をし、自分を待っているであろう担任教師の元へと歩み寄った。