第壱話
「皆さーん席について下さーい。ホームルーム始めますよー」
実力試験の終了を知らせる鐘の高い音が耳に届く。
試験後特有の気だるさにそのまま身を委ね、瞳を閉じてしまいたい衝動に駆られるが、瞼が閉じきる直前に教室前方の扉が音を立てて開かれた。
その扉から顔を覗かせた童顔の担任教師は、暢気な笑みを浮かべ小さく手を振りながら教卓へ足を進める。のんびりとした担任の言動に癒しに似た感情を覚えるが、他のクラスメイト達はどうやらそれ以外の感情も抱いているらしい。
周囲に視線を巡らせると、つい先日クラスメイトになったばかりの生徒たちは、試験終了直後とは思えないほど、爛々とした輝きを瞳の中にチラつかせていた。
そんな彼らがまとっている制服は、まだノリがきいていて真新しい。
「試験お疲れさまでしたー。でも、筆記試験が終わったからといって気を抜いちゃダメですよー」
満面の笑みを湛えた担任教師は、手に持っていた書類を一番前の席に座る生徒に順次配り始めた。書面を受け取った生徒たちは自分の分を一枚とると、慣習として後ろに座る生徒へと回していく。文書が全ての生徒に行き渡ったことを確認すると、女性教師は笑顔を崩さず再び話し始めた。
「今配った書類に、明日の実技試験の要項が書いてありますー。諸注意なども書いてあるので、しっかり読んできて下さーい」
穏やかな教師が放った重要事項に、生徒たちは自然と背筋を真っ直ぐに正した。
狭い教室内に微かな緊張感が漂う。
しかし、彼らの顔には緊張だけでなく、それを勝る好奇心も見え隠れしていた。出会ってまだ一週間に満たない同級生たちの、未知の『特性』にどうしても興味が惹かれるのだろう。
「明日も頑張りましょうねー。じゃあ今日はこれで…あ、そうでしたー」
手元にあった日誌を抱えようとしていた左手を止め、担任教師はクラス全体を広く見回す。その中から当該の人物を見つけ出すと、その人物に笑顔を向けて一人の女生徒の名を口にした。
「えーっと、出席番号十一番、式守諳さーん?」
「はい」
「後で職員室に来て下さいねー。渡すものがありますー」
「分かりました」
「じゃあ、今日はこれでおしまいですー。解散っ」
温和な女教師の号令を皮切りに、生徒たちは一様に揃って動き始める。先程までの閑静さとは打って変わって、教室内は一気に騒然となった。
「講堂行くぞ!」
クラスメイトである男子生徒の一人が声を上げる。その声につられ他の生徒たちも口々に目的地の名を呟きながら、慌ただしく室内から駆け出した。呟かれる声の中に『会長』『副会長』という単語も何度か聞き取れる。
一斉に動き出した生徒たちの目的は、どうやらほぼ同じ場所のようだ。
その喧噪の中で一人、周囲に同化せずに黙々と帰り仕度をしている者がいた。
先刻、担任教師に呼び出しを受けた式守諳、彼女だ。
「諳ちゃん、行く?」
本革の黒い学生鞄を手にして立ち上がろうとした時、左斜め前から諳を呼び止める小さな声が上がった。うっかりしていると聞き逃してしまいそうな細い声だったが、単調な言い回しの中に優しさを含んだ声色は、諳にとって聞き慣れた癒しの声だ。
そんな声の持ち主の方へ向き直ると、諳と同じ紺色の制服に身を包んだ少女が藍色の瞳で諳をじっと見ていた。
「私はこれから職員室へ向かいますので、唄ちゃん行ってみたらどうですか?」
「諳ちゃんといる」
「帰りが遅くなるかもしれませんよ?」
「待ってる」
小さな声で一言だけ呟くと、日野原唄は瞳と同じ藍色の髪を微かに揺らしながら自身の席へと戻り、机脇にかけていた学生鞄を机の上に乗せる。やっと襟首まで伸びたストレートの髪が、開けっ放しの窓から吹き抜ける風に揺らいだ。
机の上に置かれていた[家庭の医学]を学生鞄に大切そうに仕舞うと、鞄を手にして諳の席に歩み寄る。唄の支度が済んだことを確認し、諳は今度こそ立ち上がった。
「では、行きましょう」
「ん」
忘れ物がないかどうかをお互いに再度確かめ合い、幼馴染である二人は揃って教室を後にした。