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移動した先は、石神神社の鳥居のある広場だった。
感覚的にはひとつめの鳥居の場所。
上から祭り囃が聞こえ、色々な食べ物の匂いが漂ってくる。
携帯で時間を確認すると、二十時二十分のまま。
少女は鳥居にもたれかかり、静かに言った。
「今、アナタとワタシ以外の時は止まっていマス。祭り囃は雰囲気作りのBGMだと思って下サイ」
「…それより、さっきのはどういう意味だ?那由多に何をしやがった?」
俺は少女に強い口調で詰め寄った。右の拳に力が籠もり、震えている。
「アナタが他人のコトでそんなに怒りに震えるトハ。筑波那由多を生贄にして正解デシタ」
飄々と答えた少女に俺は酷く顔を歪めた。
ますます少女を問い詰める口調が強くなる。
「生贄だ!?どういうことなんだよ、何であいつを巻き込むんだよ!?あいつは関係ないだろうが!」
「アナタが邪鬼と戦うことを選択したので、ワタシも共闘しマス。しかしワタシはアナタの味方ではありマセン。アナタの為に慈善事業をするつもりはないのデス」
「何が言いたいんだよ??」
今にも少女の顔面に飛び出していきそうな自分の拳を、俺は僅かな理性でどうにか抑え込む。
「ワタシをこの地に呼び出した”謝礼“として彼女の一部を頂いたのデス。これからの戦いに於いて、ワタシの身に危害が加えられるコトがあればその都度彼女のモノを差し出して貰いマス。……タダシ、ワタシもそこまで鬼ではありマセンので、些細な損害は免除しマス」
「なっ……勝手なことをっ…」
もう女だろうが構わない。鎖の外された俺の拳が高く振り上げられる。
だが次の瞬間、俺の体に凄まじい疾風が吹き付け、そのまま呆気なく後方へ飛ばされていった。
石段脇のブロック塀に強かに叩き付けられ、俺は呻き声を上げた。
地面に膝をつけ、激しく咳き込む俺の目に少女のブーツの爪先が見えた。
氷柱のように冷たく鋭い目つきをした九十九神が俺を蔑むかのように見下ろしている。
九十九神は唇を殆ど動かすことなく声を発した。
「……筑波那由多を巻き込んだのはアナタ自身デス」
「………俺が…?」
「…アナタの誠意を見せて下サイ」
ポタリ、と俺の額から一滴の透明な雫がこぼれ落ち、目の前の砂に滲んでいった。
俺は血管の浮き出た右手でその砂を掴み、疲弊した体から声を絞り出した。
「……………わかった」
やがて九十九神は俺からそっと離れると、こちらに背を向けて鳥居の真下に立ち止まった。
家々の灯りが仄かに暗闇に浮かぶその景色を眺めながら深く息を吐く。
およそ人形とも神とも思えない、気高く絢爛な少女の後ろ姿を俺は悄然と見つめる。
少女の呟きが夏の夜の風に乗って俺の耳に届く。
「…とは言っても、人間界が救われた暁にはそれまでに頂いた筑波那由多のモノはお返ししマスのでご安心を。タダ、彼女のすべてを頂くような事態になってしマッタらもう元に戻すコトはできマセン。彼女を失いたくないのナラ、肝に銘じておいて下サイ」
「……俺が途中で朽ち果てたら?」
「先程の説明通り、アナタの命を捧げて事態を収拾させマスので、彼女の役目は終わりデス。きちんとお返ししておきマス」
「……………」
俺はようやく体を起こし、両膝についた砂を払い落とした。少し腰が痛むが、幸いにも目立った外傷はないみたいだ。
こちらに振り返った九十九神は俺の様子を確認すると、早足でふたつめの鳥居への石段に向かっていった。
ぼうっとその場に立ち尽くす俺を一瞥し、九十九神は言う。
「早速、初の邪鬼祓いデスヨ」
「えっ、こ、この上に??祭りの会場にいるってのか?」
よく見ると、九十九神の手にはいつの間にか携帯電話のような機器が握られている。
頷きながら奴はそれを俺の目の前にずいっと差し出した。
「これに入っているアプリで邪鬼の居場所がわかるんデス。ちなみに神仕様の携帯デス。ヤツラはこの神社の神を探してさまよっているようデス。10、……20はいるみたいデスネ」
画面に映し出された社の周辺の地図に、点滅するたくさんの▼のマーク、そしてcautionという文字が大きく踊っている。
何と神様まで携帯やらアプリやらを利用するようになったのか。
恐るべきデジタル文明。
なんて変に感心してる場合ではない。
「行きマスヨ」
「あ、ああっ……」
ワンピースをはためかせ、石段を易々と飛び越えていく九十九神の後を俺は必死に追いかけていった。
みっつめの鳥居に向かう途中ですでに俺は満身創痍だった。
まあ、予想通りというか自明の理だ。
「くそ……神様だったらよ、さっきみたくワープで連れてってくれるとか………ああっもう゛」
最後の石段を飛び越えてようやく社のある最上階に辿り着き、俺は息を切らして俯いた。
何度も汗を吸い取った服はまるで水をかぶったようにびっしょりと濡れている。
不快だし重いしそして臭い。
早く着替えたい。
「……あ、れ……?」
顔を上げた俺は正面の景色に目を丸くした。
ない。屋台も人も提灯も。
ここに広がっていた賑やかな祭りの風景がごっそりと消え失せている。
ただ、普段の寂寥とした社が佇んでいる。
前方に立つ九十九神が涼しい顔をこちらに向けた。
「何かと面倒なノデ一時的に結界に隠しマシタ。……それより」
九十九神は社に目をやる。
「来マスヨ」
その声を合図に、社の両側から黒っぽい奇妙な物体が一斉に飛び出してきた。
黒々と輝く皮膚に、銅色の日本の角。
人型に、豚や犬のように四本足のもの、大小様々な未知の生物。皆、黄色く目を光らせ体の周りには煙のようなものをまとっている。
ざっと見て十匹はいる。
実に気味が悪い。
「あれが…邪鬼?」
俺の問いかけに九十九神は首肯する。
「デハ、ワタシは左側を祓いマスのでアナタは右をお願いしマス」
「えっ?!お、おい、ちょっと待った!!」
前に駈け出していこうとする九十九神を俺は必死に呼び止めた。
奴は何やら不服そうに俺を見る。
「なんデショウカ?」
「あのな、祓うったってどうすりゃいいんだよ?!俺は祈祷師でも霊能者でもねえ!一介の学生が戦う術なんて持ち合わせてねえよ!……ほら、なんかさ、あるだろ??悪を蹴散らすカッコいい武器がさっ……」
「そうデスネ、忘れていマシタ。これをアナタにお渡ししマス」
九十九神はマイペースに言いながら、右手を胸の高さに上げた。
掌の中に小さな丸い光がいくつも生まれ、やがて何かの形になっていく。
その光がパチンと泡のように弾けたと同時に、武器が姿を現した。
「どうゾ」
差し出された水色のスケルトンの銃。
受け取ろうと思ったが手が伸びない。
どう見ても水鉄砲だからだ。
驚き半分怒り半分に俺は問いただす。
「……ふざけてんのか?」
「霊験あらたかな武器デスヨ」
九十九神は真顔で答えた。
「いやいやいや、何だか期待させるような感じで出してくれたけどよ、どう見たって百円ショップで買ってきました感丸出しだぞ?!神様のお墨付きには見えねえよ!もっとさあ、こう……エクスカリバーとかカラドボルグとか、それらしいネーミングの武器はねえのかよ??」
「ありマスがそういった有名どころはやはり人気が高いモノで、生憎在庫切れなんデス。昨今の人間界のゲームは神話モチーフが多いノデ、それらの名前や存在はよく知られているようデスネ」
「ざ、在庫って…」
九十九神は淡々と語りながら、右手からもう一丁銃を生み出した。今度は紫色だ。
「しかし、この銃を侮らないで下サイ。これはかの有名な西部開拓時代のアウトロー、ビリーザキッドの愛銃と言われるサンダラーM1877をモデルにした、神仕様のスペシャルな銃なんデス。その名もサンダラーM21デス」
モデルっていうか単に名前をパクっただけじゃねえか。スペシャルな銃とかいう表現からして安っぽいし胡散臭い。
「神の力を信じマショウ」
あからさまに疑惑の目を向けている俺の手に無理矢理水色の銃を握らせると、九十九神は夜空に向かって高く高く飛び上がった。
月夜を背に白いワンピースを靡かせるその姿に、俺は目を奪われた。
九十九神は宙に身を委ねたまま紫色の銃を構え、目下に群れる邪鬼に引き金を引いた。
「…………!!」
銃口から放たれた光の刃が奴らの体を真っ二つに切り裂く。
喉の奥から絞り出すような金切り声を上げながら、撃たれた邪鬼たちが闇夜に溶けるように消えていった。
九十九神は一回転して石畳に華麗に着地すると、口を開けて突っ立っている俺をチラリと見た。
果たしてジャンプする必要はあったのかわからないが、何だか凄く、もの凄く凄い。
この武器、案外馬鹿にできないかも………
「危ないデスヨ!」
九十九神の声にはっとする。俺のすぐ目前に邪鬼が近付き、涎にまみれた鋭い牙を向けている。
「うわっ!!」
俺は咄嗟に後ろへ退いた。同時にガキンッと邪鬼の牙と牙がぶつかり合う音が響いた。
心音が激しく波打つ胸を押さえながら俺は息を漏らした。
「あ、危ね………」
俺の数メートル先の斜め左前に悠然と佇む九十九神が、思い出したように言う。
「言っておきマスがヤツラには触れナイように。体から発している瘴気によって、人間などいとも簡単に壊死しマスヨ」
「おいっ、そういう大事なことは先にー‥…」
正面に顔を戻すと、再び邪鬼が大きな口を開けて襲い掛かってきていた。
「撃って下サイ、早く!」
「く、………くっそぉー!!」
汗ばんだ指で俺は引き金を引く。
その瞬間、銃口から矢のような形をした眩しい光が邪鬼を突き抜け、さらにその後ろにいる数匹に貫通した。
先程と同じように悲鳴を上げ空に消えていく邪鬼を俺は震えながら見つめていた。
「や、やったのか…?」
一応、見えるところに奴らの姿ない。
銃を構えたまま今にも抜け落ちそうな腰を必死に持ち上げている俺に、九十九神が近寄ってきた。
「あと五匹ほど残っていマス。社の後ろや茂みの中に潜んでいる残党をちゃっちゃと祓いマショウ」
「マ、マジか………」
「この程度で根を上げているようデハ、世界も筑波那由多も救えマセン」
そう吐き捨てるように言うと、九十九神は石畳を蹴り上げて社のほうへ進んでいった。