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二十時二十分ー……
あと十分ほどで、この四捨祭のメインイベントである“古物弔い”が始まる。
俺は岩の上に置いたままのすっかり冷めた焼きそばと、キャラものの袋に詰まった綿飴を見つめ溜息を吐いた。
那由多の奴、随分遅いな。
まあこの人混みじゃトイレに行列ができていてもおかしくはない。
いやいや、あいつのことだから”古物弔い“を先頭で見ようと社の真ん前を陣取っている可能性もある。確か、以前にもそんなことがあった。
五分前になっても戻ってこなかったら様子を見に行ってみるか。
俺は途中だった携帯のアプリのゲームを再起動させた。
その時、ガサッと茂みが動く音がした。
何だ、帰ってきたか。
携帯から顔を上げようとした俺の視線に、編み上げのブーツと白っぽい服の裾が入ってきた。
「……………え?」
社の両側の灯籠から仄かに届く淡い光に照らされて、見知らぬ女性が立ち尽くしていた。
腰まで届きそうなウェーブのかかった長髪にロングワンピース姿。
暗がりの中、宝石をはめ込んだように輝く二重の瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。女性というよりは少女と呼ぶに相応しいあどけなさがある。
どう見ても日本人離れした顔立ち。
というか完全に外国人だ。
な、何だ?俺に何か用か?
道に迷ったとか?
俺は戸惑い気味に声を掛けてみる。
「あ、えー……っと。アーユースト…ストレンジャー??あっ、えと、…アーユー……マ、マイゴ??」
ああ、だめだだめだ!
英語はからっきしなんだよ!
そういえば那由多は英語得意だったっけか。
くそ、早く来ねえかなああいつ。
案の定、その少女はノーリアクションで目の前に
突っ立っている。困り顔すらしてくれない。
無性に気まずい。
いいや、こうなったらこの場から逃げよう。
わりいけど。
ソーリー、と呟いて少女の横を通り過ぎようとした時、突然俺の左手首がガシッと掴まれた。
氷に触れたようなヒヤリとした感触に、俺はたまらず身を竦めた。
まるで血が通っていない人形のよう。
少女は俺の手首を掴んだまま、横目でこちらを見つめる。羽のように束になった長い睫毛に今にも突き刺されそうだ。
「あ、あの……何か?」
恐る恐る尋ねる俺に、少女は無表情のまま小さく口を開いた。片言なのに、抑揚のない冷たい口調だった。
「ワタシのこと知りマセンカ?」
「えっ?」
少女はもう一度言った。
「ワタシのこと知りマセンカ?」
何だ、何言ってんだ?
俺に外国人の知り合いも親戚もいないし、そんな彼女がいた記憶もない。
単に日本語を間違えてるのか?迷子になっちまったって言いたいのか?
それとも人違い?
「え、えっと…悪い。わからない」
思いきり眉を潜める俺をじっと見つめたまま、少女は再び言葉を発した。
「昔、アナタに捨てられたモノデス」
「…捨てた??俺が?」
そんなこと言われたって知らねえぞ、こんな女。
まあめっちゃ美人だけど……。
少女は続ける。
「アナタに勧告すべくカミノチからやってきマシタ」
カミノチ?上高地?上強羅?
ていうか勧告って何だよ。
「いや、何かよくわかんねえけど、連れが待ってるからさ…」
俺はそっと少女の手を離そうとした。
しかし離れない。物凄い握力で握られているわけでもないのに何故か離れない。
瞬間接着剤でベッタリ引っ付いているかのように剥がれないのだ。
俺は茫然として少女の手と顔に交互に目をやる。
すると少女は変わらず機械のような口調でこう言った。
「筑波那由多は戻ってきマセン」
「え………?」
俺は抑えていた声のトーンを上げた。
「那由多の知り合いか??ってか、戻って来ないってどういうっ…」
「それは後でお話しマス。まずワタシの話が先デス」
俺の言葉を遮ると、少女は空いている片手を天に向かって伸ばし、掌を大きく開いた。
その瞬間、そこから真っ白な光の玉が現れ、目映い閃光が辺りをぱーっと包み込んでいった。
目蓋の向こう側の眩しさが落ち着いたところで、俺はゆっくり目を開いた。
そこは実家の自室だった。
いつの間にか自分のベッドに座っていた。しかも窓からは朝日が差している。
一体どうなってんだ?夢でも見てたのか……?
判然とせずその場に座っていると、部屋のドアが徐に内側に押された。
白いワンピースのあの女だった。
先程は暗くてよくわからなかった髪の色がプラチナに燦々と輝いている。
明るいところで改めて見ると人形のように均一に整った顔立ちだ。
そして無駄な肉付きのない華奢で小柄な体格。背の低さは150センチ前半の那由多に勝っているだろう。
やはり少女は顔に表情を与えず、俺に向かって淡々と述べた。
「大切なコトなのでもう一度言いマス。ワタシはアナタに捨てられマシタ。この落とし前はつけて下サイ」
うん、これは夢だ。
見知らぬ女に意味不明なことを言われる展開とか、流行りのラノベじゃあるまいし。第一、瞬間移動は現実ではまずあり得ない。
そうと決まったらこいつを夢から追い出してやる。
俺は勢いよくベッドから立ち上がり、少女に噛みつくように言った。
「何なんだよ、俺はあんたのこと知らねえって言ってんだろ。それに勧告やら落とし前やら、まったく意味わかんねえよ!」
「その物入れを開けて下サイ」
粋がる俺に対し少女は冷静な物腰で押し入れを指差した。
「…何だよ」
俺はしぶしぶ戸を開いた。そして目を見開いた。
数日前、奥に突っ込んだはずのあの古い木箱が、蓋が外れた状態で手前に落ちている。
しかも、中の人形がない。
そこで俺ははっとして少女のほうを振り向いた。
似ている。
髪型に瞳の色に着ているもの、すべて。まるでこの箱から飛び出してきたような少女の人形がそこに立っている。
途端に全身の血の気が引いていくのを感じた。
俺はしゃがみ込んだまま少し後退りした。閉めたままの片方の扉に腰がドンとぶつかった。
夢だとわかっているのに、骨の髄までしゃぶり尽くすようなこの恐怖感はなんなんだ?
「夢ではありまセン」
少女は上品にワンピースの裾を掴みながら、俺の前に正座をした。
見透かすような碧い瞳が語り続ける。
「元々、ワタシはアナタに捨てられた人形デシタ。アナタに事態を伝える為に“カミノチ”から戻ってきたのデス」
「馬鹿な、捨てた物が戻ってくる訳……そもそも、俺はあの人形に覚えなんてねえし…」
震えを抑えるように俺は両腕で自分の体を抱き抱えた。
「二宮玉櫛に言われまセンデシタカ?アナタがこれまで捨ててきたモノたちが、強く深い怨念を抱いてこの世界に溢れてしまったのデス」
「……玉ばあの、お告げ…」
そういえばそんなことを言われた。
少し不気味とは思ったが、歯牙にもかけていなかった。
結局、いつも通りのつまらない平凡な日常だったから。
「何だよ、玉ばあの言いたいことって女難だったのか?それも夢の中の…」
「もう一度言いマスが、夢ではありマセン。そして女難でもありマセン」
「……夢じゃないなら具体的に話をしてくれよ」
俺は膝の力を抜き胡座をかいた。
大量の汗が着衣と肌を張り付けている。暑さのせいだけではない。
「わかりマシタ」
そう言うと、少女は膝の上に揃えていた両手をパンと打ち鳴らし、片膝を立てた。
相変わらずその目は笑っていないが、気持ち口角が上がっているように見える。
まるで不器用な江戸っ子だ。
唖然とする俺に少女は言った。
「説明する前にはこうして気合いを入れるんデス」
そして名乗り上げる。
「ワタシは九十九神デス。石神神社の主神を守る為にこの土地に来まシタ」
「九十九神…?」
「古来より、モノには魂が宿ると言われていマス。ボロボロになった人形やヌイグルミ、思い出の詰まった教科書や写真、別れた恋人からのプレゼントの指輪……捨てられたすべてのモノたちに籠もった様々な“念”が具現化し、神の形となる…それが九十九神デス」
「……それで?」
「本来、人が一生のうちに捨てられるモノの量の限度は決まっていマス。人間の目では見えませんが、皆ひとつずつゴミ箱を持って生まれてきマス。大抵はゴミで満杯になることなく一生を終えていくのデスが、ごくごく稀に、許容範囲を容易く超えてしまう厄介な人間が存在するのデス」
「………それが俺だと?」
自称九十九神の少女はコクリと頷く。
「そうなってしまうと、当然ゴミは外に溢れてしまいマス。そうするとどうなるデショウ?」
「いや、知らんよ」
「行き場をなくしたゴミ…邪悪な念と化したそれらはもはや神になることはできず、”邪鬼“と呼ばれる存在となって人界を守る神々とその当人に襲い掛かってきマス。いずれは、人間の世界すべてを喰い尽くしてしまうデショウ」
少女は一旦口を閉じ、一息置いてから言う。
「ワタシ達九十九神は人間に捨てられた身デスから、人間界の安否などどうでもイイと言えばそれまでなのデスガ、その地を納める神に危険が及ぶのは避けたいのデス。神仲間の危機を放っておく訳にはいきマセンから」
神仲間って…初めて聞く言葉だ。
唐突で現実離れした話、まさに夢物語にまったくついていけない。
俺は思考回路がすでに渋滞している頭を片手に抱えながら、少女に問いかけた。
「……確かに昔から物はよく捨てるし、飽きっぽいのも自認してるが…物にそこまで恨みを買われるほど俺って酷いことしてきたのか?」
「アナタは十九年の人生に於いてすでに自分のゴミ箱を満杯にしてしまいマシタから。何も、目に見える“モノ”だけがゴミになる訳ではありマセン。例えば別れた恋人や配偶者の無念や恨みつらみ、憎しみ………そういったものも九十九神になり、或いは悪の化身となりマス。…お心当たりハ?」
「……………」
恨みつらみ?まさか。
別れる際はちゃんと合意の上だ。そうだ、そうだったはずだ。
何の蟠りもなくー………
「綺麗に清算できたと思っているのは、自分だけかもしれマセンヨ」
少女の言葉がピシリと鞭を打つ。俺は何も言いせなかった。
その沈黙すら惜しんで、少女は話を続ける。
「ワタシのように、溢れる前に九十九神になれたのは幸運デシタ。しかし、九十九神すべてが人間に牙を剥かないとは言い切れマセン。人間を憎むのは同じデスから」
「……俺はどうしたらいいんだよ?」
「これは罰デス。償いとしてアナタには二つの選択肢が与えられマス。この場でワタシに殺されるか世界を救うか選んで下サイ」
「えっ…………」
「一刻の猶予もありマセン」
「え、えと、罰として俺が死んだところでこの状況は収まるのか?」
「コトの発端であるアナタの魂を捧げることで、人界を脅かす邪鬼は一掃されマス。ぶっちゃけ、これは一瞬デスから大した労を費やさずに解決しマス。ただアナタの存在が失われるダケで」
おいおいおい、恐ろしいことをさらっと言う。
いよいよパンク寸前になってきた頭を両手で抱えながら、俺は疑問を口にした。
「あのさ、その“世界を救う”を選択した場合はどうなるんだ?」
「邪鬼とチマチマ戦うことになりマス。それだと先が見えないので、今すぐここで魂を差し出すことをオススメしマス」
やはりさらっと答える少女に俺は激しく首を横に振る。
それを見た少女はそうデスカ、と無感情に呟く。
「ちなみに、邪鬼との戦いで命を落とした場合ないしはその他の偶発的事由でアナタの命が失われた場合は速やかにそれを捧げることになりマス」
「………」
再び俺は閉口した。
そんな選択肢、あってないようなもんじゃねえか。
それならー…………
「わかった、わかったよ!どうせなら真っ向から戦ってやる!死なずに無事解決する可能性だってもちろんあるんだからな!何だかよくわかんねえしまだ納得しきれてねえけどとりあえずそれでいい!」
俺は自分の膝をバシンと叩いた。
すると少女はさらに口角を持ち上げ、大きな瞳をほんの少しだけ細めた。
「…それで、那由多はどうしたんだ?!ちゃんと説明してくれるんだろうな??」
「お約束通り説明しマス」
そう言って九十九神はすっと立ち上がり、天井に掌を向けた。
先程と同じように光の玉が発せられ、白いベールで周囲を包んでいく。
俺は眩しさに顔をしかめながらも神々しく輝く少女の姿を捉えていた。
光の中で少女の口はこう告げた。
「彼女の一部を貰いマシタ」