15
あいつはガキの頃から何でも包み隠さず話す奴だった。
給食中、トイレと称して嫌いな人参をこっそり兎の飼育小屋に置いてきたことも。
父親がどうしようもない酒飲みであることも。
離婚して母親が出て行ってしまったことも。
自分が今、恋に憧れていることも。
だが、こんな男の存在は塵ほども語っていない。
「………那由多から俺のことを聞いたんですか?」
弛んだ口からぼそっと言葉が落ちる。
「うん、写真も見せてくれた」
写真…。四捨祭の時、携帯で撮った奴だろうか。
それ以外に心当たりはない。
「…いつから那由多とは付き合いを?」
「ここ数日といったところかな」
四捨祭の時にはこの男の存在はなかった。
そうでもなければわざわざ俺を誘いはしないだろう。
あいつが気付いていないだけであいつに思いを寄せる奴はいた。そして俺が那由多に会うことを躊躇っていたこの数日の間に、事は進んでいた。
そういうことなのか。
いつの間にか体に感じる扇風機の風量が小さくなっていた。
俺が俯き加減に推考している間に、男がリモコンで操作したようだった。
顔を上げ、再び質問を試みた。
「ちなみに、那由多は俺のことを何て…?」
「いい幼なじみだってね」
男は屈託のない笑顔で言う。
「安心したよ。………だけど、遺憾の気持ちが圧倒的に上回る」
俺の目つきが急激に険しくなる。
「…どういう意味ですか?」
「いやね、僕は長らく武道をやっているから、初対面の相手でもすぐに人となりを察することができるんだよ。彼女が君の話をうれしそうにするものだから、一体どんなものかと思ってたんだけど…」
男の切れ長の目が俺を探るように見つめる。
「単純につまらなそうだと感じて、安堵した。彼女がこんな男に取られずに済んで良かったと」
「なっ…」
「そして残念。彼女ほど才のある女の幼なじみをかたるのがこの程度の男だということにね」
「何様だてめえ!!」
その声と同時に、俺は反射的に立ち上がっていた。
男を見下ろしながら力の限り叫ぶ。
「我慢して聞いてりゃあ勝手なこと言いやがって!てめえにそんなこと言われる筋合いなんかねえんだよ!そもそも那由多の何を知ってる?!俺から見れば、てめえこそまるであいつに不似合いだ!」
端から俺を挑発するつもりだったのか、男は余裕すら感じるゆったりとした口調で言葉を返した。
「幼少の時からずっと一番近くで彼女を見てきたのは自分なのに、どこのどいつかよくわからないパッと出の男なんかに奪われてたまるかと?」
「……………」
俺は唇を噛んだ。肩に力が入る。
「君にとっては寝耳に水で、納得できないかな」
「納得…そうだな。それに赤の他人にそこまで扱き下ろされたことにもめちゃくちゃ腹が立ってる」
男はしばらく俺を見つめた後、鼻から息を漏らしゆっくりと立ち上がった。
威圧感が蘇り、圧迫感が増す。
悠に20センチの差はあるその男を、俺は拳を握り締めながら鋭く睨みつけた。
男はそれを軽くあしらうように笑みを強調した。
「君が至極気に入らない」
「そうかよ、俺もだよ」
「ならばどうする?…彼女は村はずれのお得意さんからの頼み事で、しばらくここには戻らないと言っていたよ」
「……表に出ろ。一発殴る」
ますます熱気を帯びる室内に扇風機がカラカラ回る。
互いにいがみ合う間、その音以外は何も聞こえなかった。
男と共にやってきたのは、村の入り口からほど近い竹林の中の拓かれた更地だった。
しんと静寂に包まれ、俺は男と適度な距離を開け、対峙する。
互いの手に握られた竹刀が相手に向かって伸びている。
「俺さ、言っとくけど剣道のルールまったく知らねえからな」
男は変わらず余裕綽々な態度を見せる。
「結構。チャンバラでいい。相手の竹刀を飛ばすか参ったと言わせたらそれで勝ち。いいね」
「何でもいい。お前なんかには絶対負けねえ」
「君はすでに負けてるよ。素直になれていないという意味でね」
「あ?」
「君が素直に自分の気持ちを認め声に出していれば、この事態は防ぐことができたかもしれない」
「何訳わかんねえことを……行くぞ歌丸っ!!」
「鵜丸だよ」
男の顔つきが変わる。
まるで男そのものが鋭利な刃物と化したように、
空を切り裂く気迫でかかってくる。
俺も竹刀を振りかざし奴のほうへ駈け出していく。
ガシッと竹が激しくぶつかり合う音が響いた。
ミシミシと鳴る度に俺の体が後ろに反れる。
男の凄まじい力に押されている。
交差する竹刀の間から見える男は愉しそうに笑っていた。
しかし、その両の目は残酷なまでに冷たい。
怪力に押され続け、やがて腕が痺れ出した。俺は顔をしかめ精一杯に防御する。
防御しかできないと言ったほうが正しい。
不意に男が言った。
「本当に大切なものは、守りに入るだけでは守れないよ」
次の瞬間、俺の体はガクッと勢いよく前に倒れ込んだ。
男が急に力を抜き、自分の竹刀を払いのけていた。
俺は地面に両手両膝を着いた。今にも割れそうな竹刀が転がる。
それを掴み、はっと上を向いた時にはすでに竹刀を高く振り上げた男が目の前に迫っていた。
恐怖と諦めから目が閉じようとする。
また俺は目を瞑っちまうのか。
戻るのが遅いことに痺れを切らした九十九神が現れて助けてくれねえかな。
たまたま那由多が通りかかって止めてくんねえかな。
来るわけないか、こんなところ。
ああ、結局こうしてすぐに誰かに縋ろうとばかりするから、あいつにもこいつにも笑われるんだろう。
畜生、同じことの繰り返しかよ。
いいのか?
……………………………………………………………………………
うっ
「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!」
右手に固く握り締めた竹刀を大きく振り、バシンと耳をつんざくような音を辺りに響かせた。
一瞬の沈黙の後、空中で回転していたそれは地面に強かに叩きつけられた。
男は石像のようにその場に固まっていた。手には何も握られておらず、顎下数ミリのところに俺が突き上げた竹刀が小刻みに揺れている。
必死な形相で全身から汗を垂れ流す俺を見て、男は顔を綻ばせ声を出して笑った。
「………勝負ありだな。君の勝ちだよ」
俺は竹刀をすっと下ろし、そのまま崩れた。糸が切れた操り人形のようにひどい虚脱感が襲う。
息を乱し俯く俺に男の優しげな声が注いだ。
「……その調子でやってくれればいいんだけどな」
「………」
「済まなかったね、悪く思わないで欲しい。とりあえず、筋書き通りにしたまでだから」
「…え?」
正面を見ると、その声を最後に男は忽然と姿を消していた。
竹が静かに風にそよいでいる。
男が立っていた場所には子どもの玩具によくある、プラスチックでできた偽物の日本刀が落ちていた。