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※一部内容変更しました
「アナタの生死に興味はありマセンガ、アナタが命を惜しく思うのならもっと心身ともに強くなるべきデス」
真顔でそう述べる九十九神の手元には、皿からはみ出すほどの点心、炒飯、海老チリ等々がずらりと並べられている。
一人前の量ならばそりゃ食欲もそそられるだろうが、テーブルいっぱいに山盛りになったそれらを見るとむしろ胸焼けがしてくる。
もはや暴挙である。
俺は完全に引き顔をしていた。
「あのさ、ここって喫茶店じゃねえよな」
「中華バイキングデスヨ。何となく喫茶店のほうが聞こえが良いのでそう言ってみマシタ」
「…で、代償としてここの勘定を払えと」
「察しが良いデスネ」
俺の口から溜息が漏れ出た。
「ったく、ビビらせるなよな…てかお前、モノも食うんだな」
九十九神は箸で点心を掴み上げた。途端に肉汁が溢れ、箸を伝って皿に滴り落ちる。
「ワタシタチ神にとって食は娯楽のようなモノデス。なくても困りはしマセン。ついでに、味覚や触覚、温度も感じマス。とはいえ、アナタのようにむさ苦しく汗だくになったり、鼻水を垂らして寒さに凍えるようなコトはありマセンガ」
「一言余計だっつの!…ちなみに痛覚は?」
「ありマセン。ただ解れるか穴が開くか体のパーツが取れるだけデス」
そう言って奴は点心を丸ごと口の中に放り込んだ。舌を焼くような熱さを想像し、思わず俺は顔をしかめた。
そしてゆっくりと咀嚼し飲み込んでからこう切り出した。
「ところで、ワタシに聞きたいことは浮かんできマシタカ?」
「ああ」
姉貴とパトラをうまく撒いてここへ向かう道中、ようやく落ち着きを取り戻した頭で黙々と考えていた。
俺は水を一口飲んでから答える。
「まあとにかく、姉貴たちが無事で良かったよ。パトラの様子が変だったのもどうやら姉貴と離れて心細くなってたみたいだったし……だがそもそも、何で玉ばあはあんなお告げをしたんだ?…くそ、玉ばあからもっと話を聞くべきだったな」
「玉櫛に聞いたところでわかりマセン。カノジョはただ脳裏に浮かんだ言葉や映像をそのまま口に出して伝えるだけデス。その理由や背景までは察するコトはできマセン」
九十九神はレンゲに炒飯を掬いながら話を続ける。
「邪鬼の性質からして、奴らはターゲット以外の人間に手を出すことはまずありマセン。その家族や友人、親類……いかなる近しい存在であってもデス。奴らの脳には本能的に憎むべき人間がプログラムされているのデス。よって、そこから踏み外れることはないはずなんデス」
「…じゃあどうして?」
「飽くまでもワタシの推測に過ぎまセンガ、邪鬼を統一し操作するナニカがいるのではないデショウカ?」
「何だよそれ?」
俺はテーブルに身を乗り出す。肘にゴマ団子を乗せた皿がコツンと当たった。
「そいつが俺を呼び寄せる為に姉貴たちに邪鬼をけしかけたって言うのか?!」
無意識に声が大きくなっていた。周りのテーブルの客らがこちらを訝しげに見ているのに気付き、俺はやや俯き加減になった。
俺は声のトーンを落としながらも強い口調で九十九神に問いかけた。
「……だとしたら、今後も姉貴たちが狙われる可能性はあるってことかよ??」
「言った通りワタシの妄想デス。妄言は鵜呑みにしないほうが宜しいカト」
「妄想でも何でもいい、…答えてくれよ!」
「……そうだとスレバ、二人が襲われる可能性は大いにありマス。…この答えで宜しいデスカ?」
九十九神は手にしていたレンゲをようやく口に運び入れた。
表情ひとつ変えずにただ口に入れるという動作を繰り返すその様は、正直見ていて気持ちのいいものではない。
俺はその人形から目をそらした。
行き場をなくした俺の視線は、壁に飾られた猛々しい龍の絵画や隣の席の厚化粧を施した老婆、窓の外の通行人など色々な方向にさまよう。
何だか頭痛すら覚える。
俺は片手でこめかみを押さえながらもう一度尋ねた。
「なら、俺はどうしたらいい?…俺だって大学が始まれば戻らなきゃならない。ずっとずっと姉貴とパトラの側にいて見張ってることはできねえんだよ……俺のせいで、危険な目に遭うかもしれないってのに……」
九十九神は手を止め、うなだれる俺を黙って見つめていた。
俺は顔をくしゃくしゃに擦り、そしてふと思いついたことを口にした。
「……そうだ、お前には仲間がたくさんいるんだよな?どうかそいつらに頼んで、姉貴たちを守って貰えねえか??ひとりでもいい。…あ、そうえばあいつ、あの鳥の女にっ」
「寝言は寝てからにして下サイ」
九十九神の刺々しい言葉が俺の耳に遮った。
「言ったはずデス。ワタシタチはアナタの味方ではありマセン。ほんの少し共に戦ったぐらいで勘違いも甚だしいところデス。困難や試練を乗り越えていけば敵もいずれは友になるなど、そんな友愛主義はアニメや漫画だけで十分デス。アナタを守る気も、アナタの家族を助けるつもりも毛頭ありマセン」
そう言い切って九十九神はスープを飲み込んだ。
それから次々と料理に手を付けていく。
俺の反応などまったく気にしないように。
しばらく沈黙に包まれた。
茫然とする俺に見向きもせず、やがて九十九神はあの大量の料理をすべて平らげてしまった。
丁寧に口を拭き、俺の存在を思い出したかのようにこちらを一瞥し、言った。
「アナタはどこまでもご都合主義で身勝手な人デス。自分が捨ててきたモノにしがみつくなどあまりに無様で滑稽デスネ」
「…そりゃ、そうかもしんねえけど……だけど、俺も覚えてねえし…」
「忘れたという言葉が免罪符になると思っているのデスカ?」
「……それは」
「自分を信用して貰いたいのナラまず言い訳を捨てるコトデス」
空っぽになり積み重ねられた白い皿は巨塔のように九十九神の前にずっしりと聳え立っていた。
代金をテーブルに置き、俺は店を後にした。
青い街路樹に燦々と光が差す。
せっかく引いた汗が一瞬にして溢れかえってくる。
何となく時間を確認しようと俺は携帯を見た。
「……二時四十分か」
とりあえず、帰ろう。
携帯をポケットにしまい歩き出そうとすると、それはすぐに震え始めた。
画面を見ると、館山からだった。
夏休みに入って一週間ちょっとだと言うのに、何だか妙に懐かしい名前のように感じる。
思えば、大学であいつらとくだらない話をしていた時はなんて平凡で脳天気だったことか。
どうにも今は気乗りがしない。
後で掛け直そう。
振動し続ける携帯をポケットに戻し、俺は気怠い足取りで駅に向かって進み始めた。
街路樹の両脇に小さなレストランや個人書店、雑貨屋などが軒を連ねている。
この地域では比較的栄えている場所だが、平日の昼下がりでは通行人の姿はまばらだ。
重たい頭を揺らしながらだらだら歩いていると、やがて駅の看板が正面に見えてきた。その奥には質素な木造の駅舎がある。
俺は体を引きずるようにそこを目掛けて進んでいく。
駅舎に続く階段に足をかけたとき、
「「こんにちは」」
重なり合った女の声が何処からか聞こえてきた。
俺が顔を上げた次の瞬間には、階段を登り切った先に二人の女の姿があった。
二人とも形の違う黒いワンピースを着て、真夏と言うのにブーツを履いている。
あれ、ついさっきまで誰もいなかったよな。
俺は不審になりながらも階段を上がっていく。
最後の段に登った時、俺から見て右側に立つ、ロングブーツを履いた赤毛のボブヘアの女が口を開いた。
「初めまして小金井イセキさん」
続けざまに、左側の黒髪ストレートロングのショートブーツを履いた女がこう言った。
「それから先に言っておくね、さようなら」