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ある生贄の幼少期

本来入れる予定が無かった話なので、もしかしたら後々削除、または話数の入れ替えなどするかもしれません。

あらかじめご了承ください。




―――水音が聞こえる。岩肌に反響して響くその音は、どうやらこの奥から出ているもののようだ。


 その子供は手を当てていた冷たい岩から手を離すと、洞穴の奥へと目を向けた。

 黒が続く底知れない闇は、じっと見つめているだけでどうにかなってしまいそうなほど、深い。

 その闇は、幼い子供に化物の類いを連想させるには充分すぎる程だった。

 コーン、コーン

 元は小さな滴なのだろうその水音も、反響すれば何か得体の知れないものが潜んでいるようにも感じられた。

 恐怖と不安がない交ぜになって込み上げてくる中で、無意識のうちに一歩下がると背中が硬く冷たいものに当たり道が阻まれていることを思い出す。

 子供が入ってきたこの洞穴の入り口はすでに巨大な岩で塞がれてしまっていて、ここから出ることはできない。

 塞いだ岩と洞穴の間から漏れる微かな光だけが、闇に慣れた子供の目を辛うじて機能させていた。

 子供の漆黒の髪が面に張りつく。外で打たれた雨によって衣服が水を吸い重くなっていることも、恐怖を助長させる要因だったのかもしれない。


 ――怖い


 足が震える。涙さえ滲んできて、漏れ出てこようとする嗚咽を必死にこらえた。声が洞穴内に反響して何倍もの音量となり子供を脅かすのを、本能的に察知したためだ。


 ――怖い。怖いよ。誰か、助けて。


 塞がれてしまって出ることの出来ない入り口の岩に両手を這わせて、子供はそこに額を押し付けた。

 ひんやりとした冷たさが伝わってきて、それが子供の身体をさらに冷やしていく。それは現実を自覚させるのと同時に、身体を震えさせた。

 逃げたかった。直ぐにでも家に帰り、母に抱きついて落ち着くまでじっとしていたかった。大丈夫、と頭を撫でて貰いたかった。

 しかし、塞がれた入り口がその願望すら根こそぎ奪い取る。


「……お母さん」


 小さく呟いた声すら洞穴内に響き渡って、子供は身体を縮こまらせた。



 入り口の隙間からにじみ出てきた水が、緩やかな斜面を形成している洞穴の奥へと流れて行く。

 鈍い遠雷の音が聞こえて、外が長い雨でぐちゃぐちゃになっていることを思い出した。

 身体が重くて。

 凍えそうなほど寒くて。

 それは果たして恐怖からくるものか、はたまた全身雨に打たれたが故の副産物か。

 子供には分からなかったが、同時に思い出した母の顔を思い出すと、不思議と恐怖が和らいだような気がした。


 近年例を見ない異常気象。

 日数を重ねても未だに止む気配の見えない土砂降りは、子供の住む村を滅茶苦茶に荒らし回っている。

 風と雨が強すぎて、安易に外に出ることも出来ない。

 周りにある木々は所々薙ぎ倒されて、近づくのは危険だ。

 外に出られないのに家にある食べ物は尽きてきて、当然のように外で栽培している作物も駄目になっている。

 神様の怒りに触れたのだと、みんなが言っていた。

 だから――

 この洞穴の奥にいる神様に、怒りを静めて貰わないといけないんだと。

 そうしないと、雨は止まずにここが壊れていくだけだと、そういっていた。


 踏み出した足は震えていたけれど、しっかりと地を踏みしめる事ができた。


 行こうか。

 大丈夫。きっと帰れる。

 帰らないと。

 帰らないと、いけない。


 ――どうして?


 だって……泣いてた。

 お母さん、泣いてたから、絶対に帰らないといけない。


 だから、今はみんなのために。

 神様に――お願い、しないと。


 踏み出した足をそのままに、洞穴の横の岩を伝って奥へと進んでいく。

 奥へ進むうちに光がなくなっていき、仕舞には何も見えなくなった。

 恐怖も、寒さも、感覚が麻痺してしまったかのように、途中から何も感じなくなる。



 ただ、進む。

 次第に大きくなって行く水音だけを頼りに、無心で進み続ける。

 何も見えない闇の中、手探りで進み続けて、足元に空いていた空洞に気づかずに、そのまま足を踏み外した。


「へぇ……あなたが捧げられたっていう供物かしら?」


 落ちて、落ちて、全身擦り傷と打撲まみれになった先で、子供は“それ”に出会った。


「綺麗な黒髪ね。何にも知らない純粋な目しちゃって」


 蹲ったまま動けないその子供に触れて、“それ”は笑う。

 それは、おおよそ神聖とは程遠い笑みだった。


 ――この人が、神様?


 ぼやける視界に、闇の中にもかかわらず“それ”ははっきりと映っていた。

 そのはずなのに、その直後には視界がぐちゃぐちゃに歪んで、ものの輪郭が分からなくなる。

 たすけて。

 震える唇を開いても、ヒュウヒュウと風が通り抜けるだけでちゃんとした言葉にはならなかった。

 たすけて。

 助けて。

 神様。

 助けて。


「何をくれる?」


 目元の涙を拭われてクリアになった視界には、打って変わって慈愛に満ちた笑みがあった。


「助けてあげたら、あなたは私に何をくれる?」


 何を?


「聞くまでもない……か。あなたは贄だもの」


 にえ……


「助けて欲しいんでしょう? 助けたいんでしょう? 願いなさい。叶えてあげる。そのかわり」


 神様は、神聖で恐れ多いものだと教わった。

 でも“それ”はまるで違っていた。

 もっと暗くて、深く、醜く、歪んでいるもの。

 顎をつかまれた。

 無理やり上げさせられた顔の先で、“それ”は顔を歪めて嗤っていた。


「あなたを貰う。あなたの生死も、行く末も、全部私が貰うわ」


 その言葉も、“それ”の表情の意味も、幼い子供には完全に理解仕切れていなかった。

 ただ、なんとなくそれがまずいことであるのに気がついて。しかしそれ以上に、条件を飲んだことによってもたらされる結果の方に、心惹かれた。


 ――たすけてくれるの?

 みんな?


「ええ。助けてあげる」


 だったら、助けて。助けてよ。何でもあげるから。

 帰りたかった。少し前の平和な村に。ぐちゃぐちゃになる前の村に。

 みんなが憔悴して、おかしくなる前の優しい場所に戻って欲しかった。泣いていた母のもとへ帰って、安心させてあげたかった。

 この雨が始まる前の、温かかった日々を夢見ていた。


「決まりね。まあ、元からあなたに拒否権なんて無いのだけど」


 少し眠りなさい、と言って“それ”が子供の瞼を優しく閉じる。

 息苦しさに浅く速くなっていた呼吸が楽になり、意識と引き替えにだんだん痛みが和らいでいくのを感じていた。

 闇に堕ちる寸前、“それ”が子供の耳元で囁く。


「あなたみたいに純粋で綺麗なものを穢して、堕として、壊すのは、さぞかし愉快でしょうね」


 その言葉は、意識を失うまでも、失ってからも、ずっと耳に留まり続け。

 その日から子供はすべてを失った。





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