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 早朝、鷹子は滝の下にある泉に群れなし開花する白いはちすを、顔を洗うついでに摘んでいた。寺の中に飾ったら僧侶達に怒られるかしらと思いながらも、まあいいかと蓮の匂いを胸一杯吸い込んで、ふわりと笑う。

 と、馬の蹄の音がした。鷹子は耳を澄ます。一頭だけならば則宗だろうが、今通ったのは複数だった。

 いやな予感がする。

 鷹子は花を抱えて郷愁寺へ急いだ。急な石段をのぼり、草陰に隠れる。寺の境内には則宗がいた。郎従達も連れている。本堂の前で、何やら鶯幸と話しているようだった。いつもなら気兼ねなく声をかけるのだが、辺りを漂う不穏な雰囲気に鷹子は二の足を踏んだ。

「んっ」

 いきなり背後から口を塞がれた。その拍子に蓮の花を取り落としてしまった。

 足をばたつかせて抵抗するも、鷹子はずるずると裏口へと引きずられていく。

 裏口から寺内に入ったところでようやく拘束を解いてもらえた。鷹子は自分の口を塞いだ人物を睨みつける。太眉の僧侶だった。

「何すんのっ」

「おまえの、うるさい口が邪魔だったのだ」

「何それ」

 裏口には僧侶達が全員集まっていた。椿もいる。おかしな光景に、鷹子は目を瞬かせた。

 僧侶達の説明はこうだ。則宗が寺に訪ねて来たと思ったら、椿を出せと言ってきた。椿はお尋ね者なのだ、と。しかし、鶯幸はそれを拒否。椿を匿うように坊主達に指示して自分が矢面に立ったという。

 鶯幸と則宗の言い合いが聞こえる。鷹子は居たたまれなくなってそちらへ近づいた。鷹子の後に椿が続く。

「おいおい、お前らが出て行こうとしてどうするよ」

 僧侶達は慌てて二人を追った。

 ひたと壁に寄り、鷹子は鶯幸達を覗き見た。死角になっているため、鶯幸達からこちらが見えることはないだろう。

「だから、何度も言っているだろう。椿はお尋ね者なんだ。領主様へ突き出さなければならない」

 則宗は苛立った口調でまくし立てる。鷹子の隣にいた椿が息を呑んだ。

「……本当に、それが理由でしょうか」

「は?」

「それは建前で、本当はこれ以上、鷹子が他の誰かに心を開くのは嫌だからではないのですか?」

「何だと……」

 眉をひそめる則宗に、鶯幸は笑みを消して唇を動かした。

「私は知っていますよ。あなたは鷹子の父君が殺されたあの日……嘉納家にいた。そして、彼女の父親が殺されそうになっているのをわざと見て見ぬふりした」

「それは、仕方なかったんだ。鷹子の父上はわたしの父を害そうと――」

「鷹子の父君は無実でした」

 鷹子は、ひゅっと息を吸い込んだ。

「わけもわからず暗殺の犯人役に仕立て上げられ、殺された」

 鶯幸と則宗以外の誰もが、ごくりと生唾を呑む。

「何を根拠にそんな戯れ言を」

 ふっと鶯幸は笑んだ。

「おや、そのあと父君を殺そうとした真犯人を闇に葬ったのは他の誰でもない、あなたでしょう? ……あなたは犯人を知りつつ、それを故意的に隠蔽し、嘘を吐いた。鷹子の父が犯人だ、と」

 あ……と則宗が一歩後退する。

「私のこの目は何も映せません。ですが、無念のうちに死した魂に触れることは出来ます。……もちろん、きちんとした証拠などないですから、何一つ立証することは叶いませんが」

「…………っ」

 鶯幸の言葉に則宗は歯を軋ませた。

「鷹子の父君が死ねば、もとより心が弱い彼女の母君は床に伏す。そうしたら自分一人が鷹子のよりどころになれるとでも思ったのでしょう?」

「鶯幸……きさま……」

「則宗殿。これ以上、鷹子から何も奪うことなどさせません」

 ぴしゃりと鶯幸は言い放った。

「あなたの世俗にまみれた卑劣な所有欲に、この寺の者を巻き込まないで頂きたい」

「黙れ!」

 頭に血がのぼったのだろう。則宗は盲目の鶯幸を足蹴にし、郎従達を振り向いた。

「おまえ達、何をぽかんと見ておるのだ! 椿を庇う者も罪人……やれっ」

 則宗は郎従に喚いた。

「は、はいっ」

 呆けていた郎従達は一斉に鶯幸を取り囲み、手加減なしに蹴りたくる。

「鶯幸様!」

「くそ、おまえたち何をする!」

 我慢ならなくなった幾人かの僧侶が錫杖を振り回して飛び出した。

「下がりなさい。約束したでしょう。もう二度と、その手を血で塗らさぬと」

 鋭い声で、鶯幸は彼らを制す。則宗は鼻の頭に皺を寄せると、「そのまま続けろ」と郎従に命令を下した。郎従達は蹴るだけにとどまらず、刀の鞘で鶯幸を殴打する。僧侶達はぶるぶると体を震わせて場に立ち尽くしていた。

「やめて!」

 鷹子は意を決して進み出た。鷹子、と鶯幸は小さく呟く。則宗は鷹子の前に立った。

「……鶯幸の言ったことは全て嘘だよ。戒律を破って嘘を吐くなんて、とんだくされ坊主め。…………ねえ、鷹子」

 猫撫で声で呼びかけられた鷹子は、びくりと肩を跳ね上げた。

「おまえは可哀想な子だね。嘘つき坊主と逃亡中の武士や僧兵崩れに囲まれて」

「そんなことない!」

 勢い込んで喰ってかかる鷹子に、則宗は目を細めた。

「そう……じゃあ鷹子も、わたしがおまえの父を見殺しにしたと言うんだね」

「それは――」

 則宗は手を上げ、鷹子へ振り下ろす。鷹子はぎゅっと目を瞑った。頬に激痛が走り、そのまま体が宙に浮いた。木にとまっていた鳥達が舞い上がる。鷹子は砂利の上に崩れ落ちた。



    ※



「――っ」

「よせ、椿」

 鷹子のところへ行こうとする椿を、太眉の僧侶を筆頭に数人の僧侶が羽交い締めにして止める。

 椿は生まれて初めて、身のうちから湧き上がってくる戦慄を感じた。

 則宗から思いきりぶたれた左頬を押さえて鷹子は歯をかちかちと鳴らす。則宗は鷹子の目線に合わせるように屈んだ。

「おまえが昔のように、わたしだけを見ていればこんなことにはならなかったのに。――少なくとも、死ぬのはおまえの父と母だけで済んだのにね」

 則宗は鷹子の耳元で呟いた。

「知っている? 裏切り者は、全て失ってしまうものだよ」

 鷹子の顔が見る見るうちに真っ青になる。彼女は今にも息を止めてしまいそうだった。

 椿は僧侶達の拘束を引きちぎると、殺気をみなぎらせて地面を蹴った。

「――――その手を放せ」

 殺気を含ませ、鷹子の頬を撫でる則宗の手首を掴む。椿と則宗の視線が交錯した。ふっと則宗は嗤う。

「おとなしく、おまえがわたしについてくれば考えてやってもいい」

「……馬鹿が」

 椿と則宗は一歩も譲らず睨み合った。

「やめてって言ってるでしょ!」

 鷹子が悲鳴のような声を上げた。

「あたしは則宗様を裏切ってなんかいません……っ。だからもうこれ以上、鶯幸様にも椿様にも手出しをしないでっ」

 必死な形相で鷹子は言った。則宗は、ちっと舌を鳴らす。

「今日はいったん引く。交渉は決裂だ」

 そう言って彼は踵を返した。椿は太刀を抜こうとしたが、僧侶達から止められる。

「椿、ここは我慢しろ」

「くそ……」

 則宗は足を止め、椿を横目見た。

「〈椿〉、ね。言い得て妙だな」

「なんだと?」

「おや、忘れたかい。おまえの家には数多の椿が咲き誇っていたじゃないか。首からぽとりと落ちる、おまえの家人の如き潔い花が」

 椿の動きが止まった。

「――――おまえ、消息不明となっている琴堀ことほり家当主の五男だろう。調べてみて驚いたよ」

「…………」

「琴堀の当主はうつけ者だった…………おまえは違ったようだけど。わたしを信用するなという文を何度も送りつけていたもんな」

 くすりと則宗は笑う。鷹子を含めた全員が椿と則宗に注目している。

「間者であるわたしをほいほい信じてくれるものだから、仕事がはかどり過ぎて拍子抜けしたくらいだ。ああ、最期に礼を言ってやれば良かったかな。私の役目は琴堀の内情を密告することだったから、夜襲には参加していないもので」

 椿は抑えつけていた怒りが焼き切れるのを感じた。下唇を噛みしめる。ぷつりと皮が裂け、血が滴った。

「貴様……恥を知れ」

「おお、怖い怖い」

 則宗は白々しく腕をさすると、馬へ飛び乗った。

「――――足利俊綱様にはおまえの存在を知らせてある。源氏に与する琴堀の者は一人残らず根絶やしにするとのことだ。……せいぜい、追っ手が来るまで生を謳歌するがいいさ」

 そう言い捨てて則宗は去って行く。鷹子はよろよろと立ち上がると、物言いたげに椿を見つめた。彼はその視線を黙殺した。

「鶯幸様ーっ」

「お気を確かにっ」

 僧侶達は涙声を上げながら、鶯幸を寺内へ担ぎ込んだ。



    ※



 鶯幸を部屋に運び入れた僧侶達は、鶯幸の体中に血止めの薬を塗布し、傷口に清潔な布地を当てた。命に別状はなく、僧侶達は安堵の溜め息を洩らす。

 逢魔が刻がやって来る頃まで、鶯幸は目を覚まさなかった。ようやく目を覚ましたと思ったら、彼は鷹子に手を伸ばす。

「鷹子が無事で、良かった……」

 いつも凛として鷹子を見守ってくれていた鶯幸の弱々しい姿を前にし、鷹子は後ずさった。彼女は両手で口を覆う。

「また、あたしのせいだ……おっとうも、おっかあも、鶯幸様も。……あたしのせいで……」

「おい」

 椿の制止も聞かず、鷹子は滂沱の涙を流して外へ飛び出した。闇雲に走って辿り着いたのは、紅椿の連理木が根ざす場所だった。鷹子は木の根元に膝を抱いて座り、俯いた。いつもなら可愛らしいと思う夜鳥の声さえ恐ろしい。暗闇も、オオカミも、野犬も。何もかも恐ろしく感じたが、それ以上に自分が恐ろしかった。

「…………勝手に外へ出るな」

 不機嫌な声が頭上に降り注いだ。顔を上げれば、そこには端正な面立ちをした青年がいた。鷹子は膝小僧を抱えてそっぽを向く。

 椿は溜め息を吐き、鷹子の横に腰を下ろした。

「鶯幸が怪我を負ったのは、お前のせいじゃない。俺のせいだ」

「…………ううん、きっと……あたしのせい」

「何を言っている」

「だって、おっとうもおっかあも、あたしのせいで……」

 鷹子の背が小刻みに揺れる。夕月が雲に隠れ、闇が訪れた。




    ※




 凍えるように寒い日の昼下がり。雪が降り積もり、道の大半を覆っている。

『ちょっくら嘉納様のとこ行ってくる』

『え、どうして? おっとうがどうして加納様のところに呼ばれるの?』

『おれに話があるんだと。ま、大丈夫だろ。鷹子は、おっかあとちゃんと留守番しとけ』

『あたしもついて行く。則宗様と最近会ってないもん』

『駄目だ、駄目だ。重要な話って言ってたから、子供のお前を連れて行ったらおっとうが怒られちまう』

 駄々をこねる鷹子を父親は笑っていなして出かけて行った。

『鷹子、どこ行くの?』

『ちょっとそこまで』

 訝しがる母親を家に残し、鷹子はしっかり笠を着込んで家を出た。いつも野良仕事をしているから足腰には自信がある。山の一つ越えた先にある嘉納家に行くことなどわけなかった。雪崩れを起こしそうな場所は避けながら、鷹子は父親の後を追った。

 嘉納家の門番がちょっと目を離した隙に邸内へ侵入する。何やら言い争いが聞こえてきた。庭から回り、声のする部屋の障子を少しばかり開く。すると、どうだ。父親が複数の男達に取り囲まれてうずくまっているではないか。

『やめてっ』

 鷹子は駆け寄り、父親に覆い被さった。

『おっとうを傷つけないでっ』

 恐怖心を押し殺し、少女は叫んだ。

『ははっ、ゴン太よ。助けに来たのが餓鬼だなんて、貴様もつくづく運がないな』

『おい、娘っこ。そんなひょろっこい腕でオレ達に勝てるとでも思ってるのか?』

 鷹子は首根っこを捕まれるも、父親から離れようとしない。

『則宗様、則宗様……いないのっ? 助けて!』

 鷹子は年長の遊び相手の名を呼んだ。

『則宗は来ぬよ』

嘉納家当主はそう言い、気だるげに酒を回し飲み舌なめずりした。

『やれ』

『はいっ、嘉納さま』

 酒杯を掲げながら宴を楽しんでいる嘉納家当主は嗤った。鷹子の瞳に、めくれ上がった唇が映る。

 刀が振り下ろされた。鷹子は両腕で頭を庇う。

『助けて、おっとう!』

 肉を裂く音がした。鷹子は薄目を開け、絶句した。自分の上に覆い被さった父親の背中に、深々と刀が刺さっている。

『おやおや、脅しのつもりだったのに、馬鹿な男だ』

 嘲笑が室内に充満する。

『に……げろ……』

 父親は渾身の力で自分の体を持ち上げる。鷹子はそこから這い出した。

 それからどうやって逃げたかは覚えていない。足を止めたら殺されると思って必死で走った。

 しばらくして、気を失って雪の中で倒れている鷹子を母親が見つけてくれた。

『あたしのせいだ……あたしが、助けてなんて言っちゃったから、おっとうが……っ』

 血濡れた手を握りしめて、母親の胸に抱かれて鷹子は泣きに泣いた。

 母親は全て悟ったのだろう。彼女もまた、泣き崩れた。

 やがて、母は何も食べなくなって床に伏せ――静かに息を引き取った。




    ※




 ひとしきり話し終えた鷹子は息を吐いた。

「……ここに来る度、『もう誰も失いたいませんように』って何度も星に願ってたの。あたしみたいな子がそんなこと願ったから神様が怒って――鶯幸様もっ」

 鷹子は奥歯を食いしばり、地面を叩いた。

「おっとうを犠牲にして、見捨てて……あたしは逃げた。絶対に許されない」

 何度も神仏へ祈りを捧げた彼女の手は、痛ましいほど震えていた。椿の手が鷹子の背に回る。椿は自らの腕の中に鷹子を引き寄せた。たくましい胸板の下から心音が聞こえる。

「……俺がお前を許す」

 低く落ち着いた声が、鷹子の涙をさらった。

「お前は何も悪くない。思いきり泣いて、そのあと笑え」

 ――同じ。鷹子がこの前、椿に言ったことと同じことを、椿が言っている。思わず椿を見上げると、彼は思いがけず柔らかな笑顔をくれた。唇が半弧を描いている。

「そうだろ、鷹子」

 初めて呼ばれた自分の名前。それは鷹子の胸にじわりと滲み、広がった。椿が鷹子の髪を、ごつごつした手で撫でる。鷹子は我慢出来ず、声を上げて泣いた。


 翌夕、目を腫らした鷹子は村にいた。オオカミに噛まれた村人へ塗り薬を渡すためだ。

「鷹子」

 そこに則宗とその郎従が現れる。鷹子は彼を無視し、足早に郷愁寺へ戻ろうとする。

「待って」

「放、して!」

 則宗に掴まれた手首を捻った。

「おまえがわたしの家へ来るなら、椿のことは人違いだったと足利様にお伝えする」

 ぴくりと鷹子の反抗が止む。畳みかけるように則宗は言う。

「寺の坊主達へ手出しもしない。約束しよう」

「…………嘘」

「本当だよ。わたしが望むのは、おまえだけだ」

 鷹子はじっと則宗の顔を見つめる。嘘を吐いている様子はない。彼女は唾を嚥下した。

「…………わかりました」

 則宗は鷹揚に頷く。

「それでいい。それでいいんだよ、鷹子」

「お寺の皆に、ちゃんとあたしが自分の意思で嘉納家へ行ったと伝えて下さい」

「もちろんだ。……お前達」

「はっ。貴様、聞いていたな。郷愁寺へ行って、その旨を伝えてこい」

 郎従は近くにいた村人を捕まえてそう言った。

「え、でも……あの山にのぼるんでしょう? それはちょっと……」

「つべこべ言わずに行け! 斬られたいか!」

 ひい、と村人は持っていた鍬を取り落とし、一目散に山へ駆け出した。



    ※



「行くのですか」

 鶯幸は羽織を肩にかけて起き上がった。

 ああ、と椿は太刀を磨きながら答える。

「……あいつの名を聞いた時から、こうすることは決めていた」

「大変です!」

 鶯幸の部屋に、太眉の僧侶が飛び込んできた。

「どうしたというのです、騒がしい……」

「鷹子が、鷹子が嘉納家に行ったらしいです!」

 椿と鶯幸の顔色が変わる。

「連れ去られたのか?」

 椿が訊くと、僧侶は首を横に振った。

「いや、言付けを頼まれた村人が言うには、鷹子自らついて行ったとのこと。しかし――」

「その村人に詳しい事情を聞きます。その方は?」

「それが、言付けを伝え終わると脱兎の如く山を下りてしまいまして」

 僧侶が頭を掻く。

「村へ行ってくる」

 椿は太刀を腰にぶらさげて胡座を崩した。

「私も行きます」

「しかし、鶯幸さま。傷が……」

「――……もう平気です。連れて行って下さい」

「鶯幸さま……。わかりました」

 太眉の僧侶は鶯幸に肩を貸し、椿の後に続いた。


「知るものか」

 言付けを預かった村人は開口一番そう言った。

「鷹子のような鬼っ子のことなど、わしらは一切関知せん」

「おれたちはただ、鷹子が本当に望んで嘉納家に行ったのか訊きたいだけで――」

 太眉の僧侶が言うと、村人は嘲笑を洩らした。

「はっ、望んで行ったかそうでないかなど、構うものか。のう、皆の者」

 村人の言葉に他の者達は首肯する。

「呪われた寺に居着く鷹子がどうなったところで心も痛まんわ」

「な…………っ」

 僧侶のこめかみに青筋が浮かぶ。椿が一言もの申そうとした、その時。

「いい加減になさい!」

 怒声が飛んだ。皆、ぽかんとした顔で声の主――鶯幸を見る。彼は見えないはずの目を開いた。その灰色の瞳は虚空を見つめている。

「あなた達の命を、どれだけ鷹子が救ったか……ご存じですか」

「え?」

「真実を見ようともせず変化を厭うあなた達に、私が好きこのんで薬湯を煎じているとでも思っていたんですか」

 村人達は顔を見合わせる。

「神に感謝もしないばかりか、人としての礼さえ欠くあなた達になど、薬を渡したくなかった。でも、鷹子が必死に頼んできたんです。あなた達を憎みもせず、手を差し伸べたあの子に対してその態度――っ」

 鶯幸の怒りは止まない。

「私が山を呪った? 馬鹿な。私は郷愁山の神をきちんと祀ってあげただけ。あなた達が山に対する感謝を忘れていたから、郷愁山は荒れていたのですよ」

 鶯幸の虚空を見る灰色の双眸が潤んだ。

「真実を知ってもなお――鷹子など知らぬと言うのですか」

 村人達は罰の悪そうな顔をして黙り込んだ。

 椿は太刀の柄を握りしめ、おい、と村人に声をかける。彼らは喉を引きつらせたような声を上げた。

「馬を貸せ」

「かしこまりましてっ」

 うわずった声で村人達は答えた。

「おれも行くぜ。待ってろ、すぐ他のやつらも呼んでくるから」

 鶯幸を支えつつ、僧侶は意気込んだ。

「来なくて良い。もう二度とその手を血に染めぬと誓ったのだろう?」

「それは――だが――」

 椿は親指の腹で唇を拭った。

「……夜明けに嘉納家へ鷹子を迎えに来い。それまでに全てを終わらせておく」

「あいわかった! さあ、鶯幸さま……いったん寺へ戻りましょう」

「椿殿。鷹子を、お願いします」

 鶯幸が頭を下げる。椿は力強く頷いた。

「嘉納則宗。――決着をつけてやる」

 決意を秘めた瞳でそう呟き、椿は夕陽を睨んだ。



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