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七日

「あら美鈴、こんばんわ」

「霊夢……?」

 私が門に着いた時に出迎えてくれたのは、分厚い雲の隙間から零れる月の光を纏い佇む霊夢だった。見れば彼女は何かを背負っており、前傾な姿勢のまま静かに微笑む。その背負われた『もの』がこの館の主であると気付くまでには、そう多くの時間は必要なかった。

「……対応は、『うちのお嬢様が迷惑をおかけしたみたいで』で良いのかしら」

「えぇ、間違っていないわ。それとレミリアはただ気絶しているだけ、と補足しておくから、その拳はしまって貰えるかしら」

「失礼。状況の理解が多岐に亙もので、あくまでも一つの可能性として」

 私が握り拳を解いたことを確認してから、霊夢はおもむろに近付いてきた。そして背中をこちらに向けてすっと腰を落とし、お嬢様を一度揺すってから「ほら」と私を急かす。

「いつもは咲夜が来てくれるんだけど、どうにも来ないから貴女を呼んだの」

 私がお嬢様を抱き上げる最中、霊夢はそう言った。お嬢様は霊夢の言った通り気絶している様ではあったが、見る限り怪我などはしておらず、寝姿と大差はない。横抱きにしたお嬢様の顔を見れば、昏々と眠る少女の寝顔そのままであった。

「咲夜も貴女も、この時は同じ表情をするのね」

「……へぇ、それは一体、どんな表情に見えますか」

「そうねぇ、愛おしそうというか何というか。その幸せそうな微笑みが僅か陰っているところなんて、そっくりね」

 返事として送った私の苦笑いを微笑みで返す霊夢は、その表情にそぐわない無機的な声色で、お嬢様を寝かせてくるように言った。特にそれに抗う理由もなく、私は玄関の扉へと手をかける。

 ……だが、霊夢がその場から動く気配がまるでない。物事に頓着しない霊夢が、この寒風吹き荒ぶ中ただ意味もなく突っ立っているとは考え辛く、何らかの用事はまだ済んでいないのだと推察出来る。それに館の中に入りたいのならば、門番の私に許可を取るなり押し入るなりすればいい話、その場で待つなどは不自然極まりない。その上、霊夢は一人で立っているのではない。背を向けた私の背中へは、気が二つ向けられている。恐らくは、人間ではなく妖怪の気配だ。

 霊夢が妖怪と共にいて、更には帰る気配も動く気配もない。考えついた答えは、一つしか残っていなかった。

「…………お嬢様を寝かせたら、すぐに戻ってくるから。もしも私に用があるのなら、少しばかり待っていて貰えるかしら」

「なら、そうさせて頂きますわ」

 どこか境界の先にいるであろう紫の声が、ぽつりと聞こえた。


 ……やはり、面倒なことになった。お嬢様のお召し替えを済ませながら、口からは自然と溜息が漏れる。

 図書館で感じた気の通り、相手は強者だった。それも霊夢と紫という、普段ですら相手にしたくない二人がこんな夜更けに館へと訪れて、……この私に用があるという。最早、嫌な予感しか浮かばない。特に紫とは幻想郷に来てからすぐに衝突したこともあって、出来れば余り関わりを持ちたくないのが本音である。だが、そんなことはとうに言えなくなってしまったこの状況が、面倒臭さをとりわけ助長させていた。

 お嬢様をベッドに寝かせてから、目を閉じて僅かばかりの瞑想に耽る。どれだけ疲れていても、それを相手に悟られる訳にはいかない。油断をして透きをとられでもすれば、最悪は死も覚悟しなければならない。そうならない為にも、気の統一は必須である。

「行って参ります」

 私のことをどう思っているのかすらわからない主に挨拶をしてから、急ぎ門へと向かった。


「あら、お嬢様のお守りはもう終わったのかしら」

 霊夢の横に上半身だけ姿を見せる紫は、せせら笑うようにそう言う。小馬鹿にしたような台詞に多少苛つきはしたが、紫の態度はどうにも仕方のないことである。紫はお嬢様を嫌っているのだ。またその主因を作ったのもお嬢様であるし、初めこそ紫のその態度に反駁していたが、最早ある程度は諦めるようになった。私もこの妖怪に負けた身。強くは言えない。

「……それで、私に何の用でしょう?」

「そんなに冷たい声を出さなくても良いじゃない。私は貴女のお嬢様は嫌いだけれども、貴女自身を嫌っている訳ではないのだから」

 紫は口元を隠す扇子を閉じると、それを縦に振った。その扇子の先が通った空間には一筋の線が現れて、長くなる程に確かな形を持った何かへと変化していく。紫が扇子を開いてにやりと笑む頃には、どこかへと繋がっているであろう境界が、目の前に口を開けていた。

「博麗神社まで、二名様をご案内」

 どこか楽しそうな紫の声が、不安を逆撫でするから不思議だ。また考えれば考える程に不信感が増す為に、どうしても境界に足を踏み入れようとは思えなかった。

 その上、空間を切り取った境界の内側が余りにも不気味である。目を凝らしても何も見えず、まるで黒を詰め込んだかのようなその空間は、博麗神社に繋がっているとはとても考えられない。それに時折、白やら赤やらの光が中で蠢いて、極めつけは闇の中からじっとりと睨み付けてくるような視線を感じるのだ。目の前にいる紫があのような境界に半身を浸らせているのだと考えただけで、身の毛が弥立つ。

「そんなに訝しがらずとも大丈夫よ。もしも変なことをしようものなら、例え紫であってもきちんと処分するから」

「あら嫌だわ、処分だなんて。八つ裂きにでもされるのかしら」

「それくらいで済んだら御の字と思っておくことね」

 霊夢はそれだけ言うと、身を屈めて境界を潜った。やはり空間はあちらと直接繋がる訳ではないらしく、霊夢の後ろ姿は黒に飲み込まれ、残された境界は何事も無かったかのように、ぽっかりと口を開けたままだ。

 ここまできて、どうにも逃げることも適わないことを悟り、私は紫に一瞥してから境界へと足を踏み入れた。

 ……しかしあれだけ懸念したにも関わらず、現実とはあっけないものである。境界へと踏み込んだ足はしっかりと固い石畳を捕らえ、私の体重を支えた。黒い闇が視界を奪ったのは一瞬であり、すぐに煤けた神社が眼前に姿を現す。私は一瞬で、紛れもなく博麗神社に移動したのである。この謂わば空間移動については、紫を見ていてどことなく想像はしていたのだが、実際に自らが体験してみれば、多少なりの驚異を感じずにはいられなかった。こんなものを操る奴と戦っていたなんて、今となっては考えたくもない。

 境内を見渡せばどうやら神社には先客が複数いるようで、彼女らは縁側に腰掛けたり地に胡座をかいたりしながら酒を酌み交わしていた。またよくよく見てみれば、その数人の酒盛りは異色の組み合わせである。人間、鬼、亡霊、妖獣、それに私たちを含めれば妖怪までが存在する。また集まる全てが顔見知りであり、各々がこの幻想郷でもかなりの影響力を持つ者ばかりだ。それらがさして盛り上がることもなく静かに杯を交わしているなんて、あからさまに不自然だった。

「お、今日の主役様がいらっしゃったね。さぁ、まずは一杯やろうじゃないか」

 私が近付くなり萃香は杯を押しつけてきて、それに瓢箪を傾けて豪快に酒を注ぐ。やや大きめの杯は見る見る酒で満たされ、溢れんばかりになればやっと、萃香は瓢箪を下げた。

 瞬時毒が盛られているのではとも考えたが、鬼は正面からぶつかることを美徳とする。むしろ注がれた酒を断る方が、面倒なこととなるに違いない。余り酒を飲む気分ではなかったが、諦めて杯を一気に空けた。

「や、良い呑みっぷりだ。ささ、もう一杯やりなよ」

「萃香、今日は酒盛りする為に呼んだんじゃないんだから、余り押しつけないの」

「えぇー、だって、駆け付け三杯って言うじゃないか」

「貴女はいつも萃めて呑ませてなんだから、今日くらいは我慢なさい」

 諭された萃香はぶつくさ言いながら、自らの顔をも軽く覆い隠す程の杯を傾ける。それに並々と入っていたはずの酒は一滴も零れることなく、ぷはっと息を継いだ時には綺麗に無くなっていた。そして休むことなく手持ちの瓢箪を傾けて、杯を満たしていく。鬼は酒好きであることは知っているが、それにしても強いものである。

「さて、お客様にお酒も入ったことだし、本題に移りましょうか」

 その紫の一声は、僅かに交わされていた会話を消して、場はしんと静まり返った。皆の視線を集めた紫は、どこか楽しげに見える。ただそれも束の間、紫がこちらに振り向いたその瞬間から、場の空気は一変した。

「何故貴女は、あの我侭なお嬢様に仕えているのかしら?」

「……何故、とはどういう意味で受け取ればいい?」

「どうもこうも、貴女が仕えようと思う理由を問うているだけよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

 奇しくも、紫はパチュリーと同じ質問を投げかけてきた。その所為あってか、せずとも良い質問をしてしまうとはやはり、私は焦燥しているのだろうか。

 しかし、どれだけ焦ったところでこの場から逃げることは到底無理だ。むしろこのような時には、胸を張って構えた方が好転するのが世の常であるそう考え直し、焦る頭を整理し、最大まで稼働させた。

「……私は、命を紡いで下さったお嬢様に仕えている。ただそれだけ」

「そうねぇ、動機としてはそれで十分。なら、『今の』貴女の命を紡いでいるのは一体、誰なのかしら。……間違っても、レミリアじゃないわよね」

 私には口を閉ざすことしか出来なかった。如何に私がこの事柄から目を背けていたかは、今までになく湧き上がる不安感が如実に表している。妖怪とは、思考から成る者。私の命を紡ぐとはすなわち、私が常識となったか或いは、誰かから強く思われているかのどちらかだ。

 過去に消滅しかけた私に救いの手を差し伸べてくれたのは、確かにお嬢様だ。私に意味を与え、従者として面倒を見て下さったのは、間違いのない事実である。それがなければ確実に、今の私は存在していない。

 しかし、失礼ながら今は違う。違うと断言出来る。門に立ち始めてからというもの、お嬢様は私に意味どころか、関係すら持とうとしない。お嬢様の間近にいる妖精メイドによれば、私はただ邪魔な存在なのだ、という話すら聞いたことがある。私の存在を司るのは、最早お嬢様ではなくなったのだ。

「別に、貴女に意味を与える存在が絶対に必要だ、とは言ってはいないわ。貴女の命を紡ぐだけならば、誰か一人でも貴女を思えば良いのだから。もしくは……貴女が幻想に帰依するという手もある。それならば貴女は誰にも依存せず、存在は一人歩きするの。それが出来るのが、この幻想郷という楽土」

 紫は僅か前屈みになって、私の目を覗き込む。取って付けたかのような笑みを浮かべ、それでいて表情は一切の柔らかさを持たない。ただ無機質に冷酷な目線が、見透かすかのように私を射抜く。

「それなのに貴女は、この幻想郷という地に住みながら、未だ幻想の存在となっていない。あの館に住む吸血鬼も魔女も、早々にこの地に馴染んだというのに。貴女だけが、幻想となることを拒んでいる。存在を一人歩きさせずに、自身をあの館へと縛り付けている。……その理由は、何故?」

「……それは、私の勝手でしょう。私が幻想となろうが消滅しようが、貴女には関係無い話」

「えぇ、そうね」

 刹那、紫がどこからか取り出した日傘の先端が、私の喉笛に突き付けられる。先程とは打って変わり一切の笑みを失した表情からは、鬼気迫るものがあった。流石にたじろいだものの、後退りする動きに合わせて傘を動かされ、逃げることは適わない。更には紫から放たれる殺気が下肢を凍らせ、思わず戦慄いてしまう。

 しかし紫を見れば、得物を突き付けているのは私だけではないことがわかった。

 紫の頭部に向かって魔理沙は八卦炉を構え、その魔理沙の背中には幽々子が扇を押し当てている。誰かが動けば誰かが倒れる。そんな状況だった。

「もしも私が、『貴女が今ここで死ねば、あの館全ての安泰を保証する』という約束を持ち掛けた場合。その条件を、貴女は呑めるかしら?」

「…………その安泰とは、紅魔館の全員を館に閉じ込めて、食物や環境のみを与え生かすということか」

「安泰という意味に、今の契約以上の束縛を加えるつもりはないわ」

「もう一つ。咲夜さんの安泰とは、彼女を妖怪にするということか」

「あの人間がそれを望むならそれだし、人間でありたいと思うなら、寿命を迎えるまで保証する。安泰とは言い換えれば、幻想郷での各々の存在を保証する、ということ。これで良いかしら」

 考えることは許してくれるのか、紫は返事を強要することもなく私の目を凝視している。

 ……およそ、紫はお嬢様が幻想郷に馴染み切れていないこと、特に周囲の妖怪と不和であることを指して、この条件を出しているのだろう。現実として、幾ら幻想の地で幾ら力のある吸血鬼といえども、あれほどの高飛車では煙たがられるのも無理はない。特に力のある妖怪とは、幻想郷に入った時に契約こそ交わしたものの、和解はしていないのだ。つまり紅魔館における安泰とは、周囲との和解を指す。物事の境界を操る紫には、それはけして不可能ではないのだろう。

 更には咲夜さんの将来も『本人が』選択する自由があると言った。つまり人間である咲夜さんが妖怪からの干渉を否定出来るようになるということ。それは本来、人間が叶えるには到底不可能な自由である。

 また、紅魔館にも選択の自由が与えられ、それはすなわち『全てが対等』となることである。敵対していた今までの関係性を無に帰して、紅魔館という存在を認めるという、まるで絵に描いた餅のような話だ。

 ……紫の提案は素晴らしい。お嬢様を思えば、咲夜さんを思えば、是が非でも手を挙げたい提案である。ただし、それには私という犠牲が必要らしい。結果がどれだけ素晴らしい未来だとしても、それは私にはけして拝むことの出来ない世界なのだ。その犠牲が、私に躊躇いをもたらす。

 果たして、他と拮抗した現状が絶対の不幸かといえば、そうでもない。契約によって紅魔館やその面々が幻想郷に存在することは勿論、お嬢様方の食事や館の維持も保証されている。その代替として、人間の里を襲わないなどの条件はあるが、それはけして厳しい条件ではない。

 お嬢様自身は、この契約できっと満足しているのだろう。野心は絶えぬ方だが、思い立てばすぐに行動に移す性格から考えても、さして現在に不満を抱えているとは考え辛い。例え私が犠牲になって他との関係が改善されたとしても、これといって感想は持たれないことだろう。お嬢様は他人の目を気にすることはないと、言い換えることも出来る。

 しかし咲夜さんは違う。悪魔に仕える彼女の一生が、彼女の意志通りに保証されることは、大変な意味がある。

 私は、咲夜さんと共にありたい。一方的にではあるが、そう思っている。紫が言った通り、私は幻想とは成らずに咲夜さんに依存する形でこの身を保っている。外の世界ではお嬢様に忠誠を誓ったが、幻想郷に入ってからは、それをそのまま咲夜さんに向けたのだ。私という存在に意味を持たせる……消滅を防ぐ為に実行出来た方法は、館を離れる以外には、それだけだった。極論を言えば、幻想郷に入ってからの私はお嬢様にとって必要なかった、とも言える。

「……私は余り紅魔館に未練はありません。紅魔館が安定するよりも、私は私の大事なものを守りたい。そしてそれを見守りたいと、そう思う」

 口を突いた言葉は、自分でも驚く程、淡々とした口調だった。深くは考えられなかった割にしっかりとした意見であることから、これは私の本心なのではないかと今更ながら考えてしまう。

「紫の提案は、犠牲から比べれば有り得ない程良い条件。幻想にもならずに、たった一人の人間に依存する妖怪が消えるだけで良いなんて。でも、私が未来を選ぶことが出来るのなら。……如何なる未来でも、共に越え、見届けたい。そして――」

 『共に、この世から消えてなくなりたい』それは、言葉には出来なかった。

 いつの間にやら、突き付けられていたはずの傘はどこかへ消えていた。ただ紫は立ち位置すらも変わって居らず、腕を下げてやや項垂れている。先程まで私を貫いていた目は、今は前髪に隠されて見ることは出来ない。

「……それならば、貴女は何故行動を起こさない」

 紫の呟きは、どこか悲愴に満ちていた。声は震え、まるで爆ぜる感情を抑え込んでいるかのような声色だ。

「貴女はきっと後悔する。妖怪である貴女がどれだけ見守ったところで、人間は待ってはくれない。人間は強いから、独りでに、勝手に、いなくなってしまう。そして独りになってから想うの。『あの時に……』って。それならば、残された者は後悔することしか出来ないのならば。手遅れになる前に選択すべきよ。ただ見守り見届けることは、後悔しか生まないのだから。もしもそれすら出来なかったのなら、救いようもない」

 ……紫は今にも泣き出しそうな雰囲気だった。気を見ずとも、ひしひしと悲しみを感じることが出来る。この言葉はきっと、紫の精神的外傷そのものなのだ。思い出すだけでも辛い。それなのに忘れることも適わない過去。それに自ら踏み込んで語ることは、さぞ苦しいことだろう。しかしそれでも尚、言葉を繋げようとする紫の姿から、伝えようとする気概の強さを感じ取れた。

「……何かを選択する時の為に、よく覚えておきなさい。我侭とは、一人では実現出来ないのだと」

 紫はそう言い残して境界を開くと、それに半身を浸した状態で立ち止まる。

「私はまた冬眠に戻るから。もう春までは起こさなくて良いわ」

「畏まりました」

「紫」

 式との短な会話に、幽々子が続いた。紫は既に踵を返していたが、幽々子は気にせずに言葉を繋ぐ。

「紫のこと、ずっと待っているから。また春に、一緒にお花見をしましょうね」

 『約束よ』と付け足した幽々子に、紫はこくりと頷いただけで、言葉を発することはなかった。そのまま紫は境界へと飲み込まれ、その境界も閉じたと同時に何も見えなくなった。幽々子もそれを見届けた後に、元々座っていた場所にするすると戻る。場は何事も無かったかのように、粛々と酒盛りを再開していた。

 しかし魔理沙だけはその輪に戻ることはなく、真っ直ぐに私へと向かって歩いてくる。八卦炉を構えていた時とは違いどこか気怠い様子で、しかしこちらを見据える瞳には信念が宿っていた。

 私は魔理沙の言葉を待たずに、抱いていた疑問をぶつける。

「魔理沙、さっきは何であんなことを」

「私は私なりに思うことがあるんだ。あのメイド然り魔女然り、お前の館にはどうにもやり切れない奴らばっかりだからな。紫にも考えがあるんだろうが、どうにも我慢が出来なかった」

「……魔理沙はよく紅魔館に遊びに来るからね。情も湧いて不思議じゃないよ」

「そうだな。そんな情に厚い私からも、お前に一言物申したいんだが」

「何なの?」

「お前が周りをどう思っているのかは知らないが、お前を想っている奴は案外多いんだぜ。後はお前がそれに気付くかどうかだが。……いや、気付いているが気付かないようにしているのかもしれないな」

 返事をする間もなく、魔理沙はおもむろに箒に跨がるとふわりと宙に浮き上がる。そして『疲れたから帰るぜ』と聞こえた時には既に、黒い服が夜の闇へと混ざってわからなくなっていた。天狗には劣ると聞くが、しかしそれにしても、速い。

「あっ、アイツまた酒代を誤魔化したわね! 今度会ったら身包み剥がしてやろうかしら」

 黒白が去れば、今度は紅白だ。霊夢は森の方角を睨み付けながら、私の前で立ち止まる。

「美鈴はこれからどうするの? 飲みたいのなら飲んでも良いし、帰るなら帰っても良いし」

「そうね……。今日は色々あって疲れたから、お暇させて頂くわ」

「ま、盛り上がりに欠けるからそれが無難かもね。あんな奴らと酌み交わすくらいなら、手酌をした方がよっぽどましね。まぁ私は酒が飲めれば、別にどっちでも良いんだけど」

 余りに霊夢らしい言葉に、思わず口角が緩んだ。彼女が纏う気の曖昧さも素っ気なさも、霊夢ならではの雰囲気である。そのお陰で、張り詰めていた精神が少しではあるが和らいだ。

 二、三言葉を交わした後、霊夢は紅魔館までの見送りを申し出た。一度は断ったものの、霊夢は引き下がらない。その内にとうとう私の方が折れて、結局は紅魔館まで送って貰うことになった。霊夢は萃香に留守番を頼むと、欠伸をしながら鳥居を潜り、階段を降り始めた。私も酒盛りの輪に一度会釈をしてから、霊夢を追いかける。

「奇妙な集まりでしょう」

 長い階段を降りきったところで、やっと霊夢は口を開く。

「えぇ、種族もばらばら、盛り上がりもない。本当に奇妙な酒盛りでした」

「時々開かれるのよ。幻想郷の厄介者を集めて、特に目的もなく酒を酌み交わすの。いつもなら騒がしくて鬱陶しいのだけれど、この時だけは静かで、会話もあまりない。今日は貴女が来たからまだ騒がしい方だったのよ」

 幻想郷の強者が定期的に顔を合わし、酒を酌み交わす。きっとそれは、お互いがお互いを再確認する為の儀礼的な物なのだろう。集まる者全てが幻想郷に何らかの影響を与えている者なのだ。それらが集まり話すとなれば、幻想郷の方針を決める会議といっても過言ではないだろう。それぞれの影響力を、一つの目的に向かって及ぼしていく。すると自ずと、幻想郷がその方向へと動き出すのだ。きっとそれを決める場が、今日の静かな宴会に違いない。

 ならば、この宴会に私が呼ばれたことはどのような意味があるのだろうか。今日の話し合いなんて、私のことと紅魔館のことくらいしか話題に上がらなかった。たかだかそれを聞く為だけに、私をこうして博麗神社まで連れてきたのだろうか。それは余りにも効率の悪い方法で、それに紅魔館のことならばお嬢様を連れてくれば良いだけの話である。そもそも霊夢はお嬢様を背負って紅魔館まで来たのだから、お嬢様と何らかの接触をしていたことは間違いない。そこで私の話が出たのか、それとも根本的に違う理由があるのか。……全く答えを絞り込むことが出来ない。

「今日の紫のことだけど、あんまり気にしないでね。あいつはあいつなりに考えがあったんだろうし、きっと今日の話し合いで満足したはずだから。きっと、春にはいつも通りの胡散臭さを見せてくれると想うわ」

 やはり、霊夢から見ても今日の紫は様子がおかしかったのだろう。しかし軽い口調で言葉を締め括った辺り、そこまでの異常という訳ではないらしい。紫とは接点がない為に、そう言われればそうだと思い込むことしか出来ないので、黙って頷いておくことにした。


「スペルカードを用いた決闘って、何の為にあると思う?」

 紅魔館も近付き、手頃な話題も尽き始めた頃。霊夢は唐突にそう切り出した。

「スペルカード……。確か人間と妖怪が対等に戦う為に始められたとか何とか」

「そうね。それでおおよそ間違ってないのだけれど。あれはね、妖怪の為に生まれた制度なの。それも、強い妖怪の為の、ね」

 霊夢は勿体振っているのか、微笑みを浮かべたまま間を空ける。そして私が話さないでいると、大きく息を吸って言葉を続けた。

「強くなるとね、負けることが出来なくなるの。どんなに大きな戦いでも、日常に起こる小さな諍いでも。そんな時に、ふと負けたくなる時が必ずやってくる。そしてその時に、負けても良い制度を作る必要があった。だからスペルカードは生まれたのよ」

「負けたくなる時……」

「そう。貴女も負けたい戦いがあったでしょう。それを叶えてくれるのが、スペルカードルールなのよ」

 そこまで話すと、紅魔館の門が見えてきた。霊夢は話したいことは全て話したのか、じゃあねというとふわりと浮き上がり、東に向かって飛んでいった。行き場をなくした反論が浮かぶ中、霊夢の言葉についてふと考えてしまう。

 私がお嬢様と戦った時、八雲紫と戦った時。それはお互いに生死を賭けた、負けることの許されない戦いだった。そしてその敗者となった私は、死ぬことこそなかったものの、その妖怪に頭が上がらない生活をしているのも事実だ。それを鑑みれば、負けることが許されるスペルカードルールが都合が良い場合も考えられる。

 だが、そんな簡単な理由でわざわざそんなシステムを考えつくだろうか。それこそ『勝負事に生死を賭けてはならない』などの決まり事を作るだけで良かったのではないだろうか。

 暫くは門の横にあるいつもの椅子に座って様々な考えに浸っていたが、ふと東の空が白々と明るみ始めていることに気が付いた。もうすぐ勤務時間が始まってしまう。きっと、咲夜さんも働き始める頃に違いない。

 私は寝ることを諦めて、今日の門番を始めることにした。

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