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六日

「やっぱりばれていたのね」

 おもむろに開かれた扉から現れたのは、先程から感じていた気配の通り、パチュリーだった。彼女は盗聴を見抜かれたにも関わらず悪びれた様子は微塵も見せず、それどころか口元には微笑すら浮かべている。魔力も強く主であるお嬢様の親友とはいえ、この状況を知らん顔でいられるのは神経が図太いのかそれとも単に抜けているのか。もしくは、端から盗聴を悪とは思っていないのかもしれない。何にせよ、私では到底理解出来ないことをこの魔女は考えている。

 それにしても、私がパチュリーに話しかけた瞬間から、咲夜さんの口が開きっぱなしになっているのが面白い。潜んでいた第三者の存在に余程驚いたのだろう。勝手にパチュリーが空いた席に座っても尚、咲夜さんの口は開いたままだった。

「さて、貴女達が話していた内容だけれども」

「パチュリー様、もう少し盗聴していたと自覚された発言をされた方が宜しいかと……」

「あら、美鈴は廊下に私がいることを知っていたんでしょう? それにも関わらず話を続けた貴方にも、十分に非があると思うのだけれど?」

「まぁそうかもしれませんが……」

 咲夜さんはようやく己を取り戻したらしく、いそいそと席を立ってお茶を淹れ始めた。

「ところで、今日は咲夜さんの部屋に何の用事で来られたんですか?」

「ちょっと咲夜に用事があってね。そんなに時間のかかることではないんだけど、貴女達が面白そうなことを話しているからつい、聞き入ってしまったわ」

 不意にカップとソーサーがぶつかる音が響く。日頃ならそんなことはないはずなのに、そのカチリ、カチリという音が絶えないのは、咲夜さんなりの盗み聞きへの反抗なのかもしれない。そしてその音は私たちの会話を遮った上で、仕上げに一際大きな音を立てながらパチュリーの前へと置かれた。「ありがとう」の言葉へも、咲夜さんは軽い会釈しか返さない。流石のパチュリーも咲夜さんの態度に折れたのか、頭を軽く下げて盗み聞きを詫びた。

「……謝るくらいなら、初めから盗み聞きなんてしないで下さいよ」

「まぁまぁ咲夜さん。そんな聞かれて悪い話もしていないですし」

「そうだとしても、美鈴はパチュリー様が外にいるのを知っていたんでしょう? それくらい、教えてくれても良かったのに」

「いやぁ、流れを切ったら駄目な気がして。それに、咲夜さんのことじゃなくて私の昔話でしたし」

 咲夜さんは不貞腐れた様子で溜息を吐くと、私が初めに淹れたお茶を口に含んだ。私も一口程飲んではみたが、最早冷め切ったそれはあまり美味しくは感じない。

「ねぇ咲夜、一つ聞きたいのだけれど。貴女は、美鈴が門番として役に立っていると思う?」

「は……はぁ。およそ、来客の対応程度ならばこなしているかと」

「そうね。魔理沙はほとんど素通りだと聞くし。そしてその素通りした本人が、門番は良く寝ていると言っているし」

 …………まさかこんな場で私の職務態度が話題に上がるとは露とも思わなかった。二人からは視線が集まるが、話題が話題だけに苦笑いしか浮かべることしか出来ない。だが、パチュリーは私のことなど興味が無いのか、すぐに咲夜さんへと視線を戻す。

「まぁ魔理沙の件についてはひとまず置くとして。咲夜、ここはどこかしら」

「……紅魔館、ですわ」

「そう。レミリア・スカーレットという吸血鬼が仕切る悪魔の館。それにしては、館が綺麗過ぎると思わない?」

「掃除はきちんとしておりますが。そう言った答えではないのでしょうね」

「確かに、貴女が来てからと言うもの、館が汚れた事は無かったわね。それは間違いないわ。……そうね、もっと直接的に言えば、他の悪魔の類だったり、良からぬ輩を見ていないか、ということ」

「悪魔は図書館に一匹と……。良からぬ輩は黒白が一人だけですわ」

「そうでしょう。だって、優秀な門番……いえ、幻想郷屈指の妖怪がいるんだもの」

 パチュリーは再度、私を見る。目つきは先程とは打って変わって好奇心に満ちており、全てを見透かさんとばかりに私を捕らえ続けている。

 十中八九、パチュリーは私が門にいる理由に気付いている。流石に賢者の名は伊達ではないようだ。日頃から何を考えているのかこそさっぱりだが、ここぞと言う時の発言には、重みがある。

 それに、咲夜さんの目線がいささか痛い。彼女としても気になる話題なのだろう、凛としたその雰囲気からは、先の困惑した様子などは全く感じられない。一言一句を聞き漏らさないという構えか、背筋もいつも通りにぴんと伸びている。

 またしても、二人からの視線が私に集まった。

「そうね。前々から気になっていたのだけれど。貴女はレミィと本気で戦ったことがあるのかしら?」

 苦笑いも最早効果は無い。質問者はどこか勝ち誇った様に、傍聴者は身を乗り出さんとばかりに、私の返答を待っている。

「……一度だけ、ありますよ。と言うよりも、お嬢様と戦ったのはその一度だけなのですが」

「いつ頃戦ったの?」

「もう数百年も前の話でしょうか。まだパチュリー様が館には居られない時でしたね」

「それで、結果は?」

「私の惜敗、でしょうか」

「だから、レミィの世話をするようになったと」

 さも当たり前のことを確認するかのように、パチュリーは質問を重ねる。それはまるで、私の返答を誘導するかのように。

「私がレミィに連れられてここの図書館に来た時には、美鈴はメイドのような仕事をしていたわ。勿論咲夜の仕事には遠く及ばないような、雑な仕事だったけれど」

「ということは、美鈴はパチュリー様が館に来られる前から紅魔館にいる……ということですよね?」

「そうよ。レミィが覚えてないの一点を貫いて教えてくれないから、いつ頃から居るのかは知らないけれど。それに、レミィが五百余年しか生きていないことから考えると、美鈴はこの館で最年長の可能性もあるわね」

 “そうでしょう?”と言われ、改めて私が話に戻された。

 不敵な笑みを浮かべた魔女は、猫背はそのままに頬杖を突く。前傾の姿勢に合わせて、綺麗な紫色の髪がさらさらと肩から流れ落ちて、集まる箇所それぞれで輪郭をはっきりさせつつも、その内側を曖昧に隠している。

 あの目は、あの気の質は。単に質問という形を取っているだけで、彼女の中では確固たる答えを持ち合わせているに違いない。それを、何も知らない人でもわかるように、わざと質問の形にしている。恐らくパチュリーは私の過去と現実を、咲夜さんに気付かせたいのだろう。

 ……確かに、私はお嬢様よりも遙かに長く生きている。生まれてからの時間だけを比べるならば、紅魔館内では最年長となるだろう。細かく気にしたことがないので絶対とは言えないが、幻想郷でもそれなりに年長の部類に入るに違いない。

 長く生きれば、それ相応に経験は増えるものだ。喜びも悲しみも、消し去りたい過去だって、沢山ある。それらの過去は私だけが触れられるのであって、余所が口を挟めることではない。秘匿にこだわる訳ではないが、過去を紡ぐかどうかは、私が決めることだ。その過去にずけずけと踏み込まれている今、気が立っていないと言えば、嘘になる。

 沸き立つ感情を押さえ込んで、いつもの苦笑いに徹した。

「何年生きてきたかなんて、そんな昔の話は忘れてしまいましたよ」

「そうね。貴方の過去にも興味はあるのだけれど、それは今、絶対に必要な情報ではないわ。私が欲しいのは、何故貴方が今でも紅魔館にいるのか、ということ」

 回り諄かった質問から、核心の疑問が唐突に私へと突きつけられた。

 刹那、僅かではあったが苦笑いを忘れてしまった。パチュリーを注視したまま、口角が引き攣るのがわかった。それに気付いてすぐに微笑むような表情へと変えたが、こちらの気が伝わったのか、二人の顔色は少しばかり強張っている。

「そうですね。役に立たない門番は必要がない、ということでしょうか」

「…………誰もそんなことは言っていないわ。外で幻想となって、この幻想郷に存在を認められた今、存在意義による消滅は有り得ない。精神からなる妖怪も、幻想になってしまえば他者に存在を依存しない。その上で主よりも強い貴方が、この紅魔館に残って門に立ち続ける理由が、わからない」

「パチュリー様、主よりも強いとは……。レミリアお嬢様よりも美鈴の方が強い、という意味ですか?」

「そうよ」

 躊躇いもなく、パチュリーは言い切った。その表情からは最早笑みは消え去り、いつにない真面目な面持ちである。咲夜さんは何とか反駁しようと試みているようではあったが、パチュリーの態度がそれを許さない。咲夜さんが何度か口を開閉する内に、パチュリーは新たな質問を持ち出した。

「咲夜は覚えてないかしら。私たちが幻想郷に入ってからすぐのこと、勢力やら何やらで、レミィが暴れたことがあったでしょう」

「……そのことなら、未だ記憶には新しいですが」

「あの時の役割が、私は館の保護壁の維持、咲夜が侵入を許した場合の対応及び緊急時の救護、そしてレミィと美鈴が、主な戦闘を行ったわよね」

「えぇ。もっとも敵の侵入はありませんでしたし、お嬢様は一度怪我をして戻られてからはすぐに契約を結ばれましたから、私は殆ど何もしておりませんが」

「それをいうなら、保護壁にも傷が入らなかったから、私はただ待機していただけだけれど。問題なのは、美鈴が何をしていたのか、ということよ」

 喉が乾いたのか、パチュリーはカップに口を付ける。もう中身もすっかり冷えているだろうが、特に表情を変えることもなく二口、三口と飲み干していく。彼女は余り話す人ではない。今日は少しばかり、話が過ぎているのだろう。

 無口を決め込んだ私であったが、彼女も彼女で、私を無視して話すことを決めた様であった。

「この幻想郷の妖怪がいくら平和に浸っていたとはいえ、妖怪は妖怪。レミィも久々に骨のある相手に、どこか楽しんでいる様子だった。抗う者を力で捩じ伏せ、徐々に広がる領土を見るのは、プライドの高いレミィにとっては最上の喜びだったでしょうね」

「私もあの頃のお嬢様は上機嫌だったと覚えておりますわ。……ただそれも、長くは続きませんでしたが」

「そうね。勝手にこの地を荒らしたレミィは、この地の賢者達に打ちのめされた。瀕死になりながらも何とか留まって、肉体が回復するのを待ってから、先の賢者達と契約を結んだ。……その賢者達との戦いから契約まで、おおよそ数日程度だったはずだけど、その間に咲夜は何回美鈴を見たかしら?」

「確か……傷付いて気絶したお嬢様を抱えて帰った時の一度だけ、です」

「そうでしょう。レミィは早々に敗退して、戦線を離脱したわ。それからレミィがある程度回復してから契約を結ぶまでの間、美鈴は妖怪達と一人で戦っていたはず」

 ただ微笑を続ける私に、パチュリーから視線が送られる。

「……それで。あの時の結果は、どうだったのかしら」

「…………惜敗、でしょうか」

「そう、結局は美鈴も負けた。でもレミィよりも長く戦った上に、保護壁にも傷が付かなかったことから考えれば、契約に到るまでの間館を守りきったとも言える。その美鈴をレミィは恐れた。自分より弱いと思っていた妖怪が、自分より強いことを悟ったから。それに怯えたレミィは、自分から最も遠い門を番することを美鈴に命じた。……私は、そう考えている」



 地下に向かう階段は、どこか洞窟を思わせるような湿った気配が漂っていた。図書館へと続くその階段を降る度に、靴と石とがぶつかる音が反響するも、それは間を置かずして闇へと溶け去っていく。

 ……それにしても、パチュリーが私に話があるなんて、珍しいこともあるものだ。今日の彼女の話振りでは、どうやら私に疑問を抱いているようではあったが、咲夜さんの部屋で話しただけではその疑問を解消することは出来なかったのだろうか。

 ……否。先程のパチュリーは、ただ単に切っ掛けが作りたかっただけなのだろう。彼女と私との距離は余りに遠い。そもそもの仲が良い訳ではない上に、物理的な距離がそれに拍車をかける。幾ら彼女が私についての疑問を抱えていたとしても、解消する手段は無かったのだ。

 その中で、咲夜さんの存在はとても都合が良い。私、もとい紅魔館の面々と関連のある彼女は、仲介には持って来いの人物だ。咲夜さんが噛めば自ずと、情報は引き出され流れ行くことだろう。彼女はこの館を掌握する者。その彼女に切っ掛けを与えたのだから、パチュリーとしてはそれ以上の行動は必要ないはずだ。

 しかし、私はパチュリーに先に図書館へ降りておくように指示された。私が地下室へと近付かないように厳しく戒めを受けていることは知っているだろうに、それでも尚、地下にある図書館に呼ぶとは余程の事柄なのだろうか。咲夜さんを通したくない用事か、私についての質問……いや、私についてならば、咲夜さんに切っ掛けを与える必要は無かった。…………やはり、あの魔女の考えることは掴めない。

「あ、美鈴さんじゃないですか!」

 唐突にかけられた声に、はっとしながらも声のした方を向く。

 背中に付いた悪魔らしくもない可愛らしい羽根をパタパタと羽ばたかせながら、大図書館の司書はこちらへと小走りに近付いてきた。

 彼女はパチュリーの使い魔であり、よく小悪魔と呼ばれている。正式には名前があるはずだが、契約等の関係があるのか、その名を聞いたことは無い。しかし、少しばかり抜けた彼女の性格からすると、ただ名乗ることすらも忘れているだけ、とも考えられる。何にせよ、彼女の本当の名前はわからない。

「あぁ小悪魔さん、お久しぶり」

「お久しぶりも似合わないくらい久しぶりですね。それもこんな所で出会うなんて」

「ちょっとパチュリー様に呼ばれてね。聞いてないかしら?」

「いえ、美鈴さんが来るとは一言も……。それに、パチュリー様は今晩は用事があるからと、先程お出掛かけになられましたが」

「まぁ、それなら待つだけよ。少しばかり、図書館にお邪魔しても良い?」

「どうぞどうぞ。どこか適当に座っておいて下さい。今紅茶でも淹れますから」

 促されるがままに、私は図書館へと足を踏み入れた。

 図書館は最後に見た記憶と何ら違わず、整然と立ち並ぶ本棚が部屋一面に置かれていた。所狭しと並べられたそれは天井に到るまでの高さがあり、その棚全てに古ぼけた本が収められている。視界全てを埋める本の壁は、荘厳であると共に見る者を圧迫し、どこか感じる居心地の悪さは否めない。ただし掃除は行き届いており、埃っぽさや黴臭さこそ無いものの、停滞した空気は居心地の悪さを更に引き立たせていた。

 図書館の中央に設けられた空間には、色の褪せた机と椅子が数脚程並べられ、私の記憶では、パチュリーは終日この場所で読書に耽っていた。私が紅魔館内にあまり出入りしなくなってからのことは知らないが、彼女のことだ。あれからも変わらず、本に耽る毎日を送っているに違いない。

 記憶を辿り、彼女が陣取っていたであろう椅子に近付いて見れば、その椅子だけに小さな座布団が置いてあった。やはりパチュリーは、今でもこの場所で読書に耽っているのだ。

 流石に座布団まで敷いてある彼女の椅子に座る事は気が引けて、私はその対面にある椅子へと腰掛けた。正方形の机は、一辺が腕を広げた程の小さな物である。もしもパチュリーが目の前に座れば、かなりの近距離で話すこととなるのは間違いない。目つきの悪い彼女を間近で見るのも気が引けるが、解決策も見出せぬまま、ただただ静まり返る本棚を眺めていた。

 段々と近付く足音と共に、紅茶の匂いが鼻に付く。その足音は私の横で止まり、机にはカップやらを載せた盆が置かれた。二人分が用意されているが、それはパチュリーの分ではなく、彼女自身の物なのだろう。小悪魔は横の机から椅子を持ち出して、空いた場所へと置けばちょこんとそれに腰掛けた。

「美鈴さんは砂糖も何もいらなかったですよね」

「そうね。私はストレートが好きだから。それにしても、私の好みを良く覚えていたわね」

「そりゃ、昔はよくお茶をしましたからね。最近は図書館に顔すら出してくれないので、お茶をすることもないですが……」

「あー。まぁ色々とね」

 “どうぞ”と勧められた紅茶は、私や咲夜さんが淹れる紅茶とはまた違った香りを放っていた。

 昔からそうだった。ここで出される紅茶は、パチュリーの好みに合わせて淹れられている。お嬢様に合わせる私たちとは異なり、小悪魔は仕える人が違う為、それは必然であるのだろう。色、香り、味の全てを求めるお嬢様に対して、何を犠牲にしても効能を求めるパチュリー。印象の良さはお嬢様の紅茶、紅茶に意味を持たせるならパチュリーの紅茶。……好みからして違うのに、果たしてこの二人は本当に親友なのだろうか。

 それにしても、今日の小悪魔はにこにこと笑みを浮かべて、何か楽しそうな雰囲気を見せている。それは子供が見せる邪気の無い笑顔とも、賢者が見せる見透かしたような薄笑いとも違う。何か満足したような、とても幸せそうな、笑み。こんな笑みが似合う奴なんて、なかなかいない。記憶からどれだけ探してみても、小悪魔以外には、過去に一人と今に一人しか、思い当たらなかった。

「どうしたの? そんなに嬉しそうにして」

「いえ、久しぶりに美鈴さんに会ったものですから。何だか懐かしくて」

 はにかみながらも、笑顔は変わらない。私が門に立ち始めてから出来た十数年の空白も、彼女にとって大した問題ではないようだった。

「パチュリー様はどう? あれから何か変わられたことでもある?」

「パチュリー様ですか? うーん、特に変わったことはないですが……。昔も今も、ずっと本ばかり読んでおられますね」

「まぁそうでしょうね。昔から読書しかしてなかったみたいだし」

「でも……」

 ただでさえ眩しい笑みを浮かべている小悪魔は、少しばかりの間を持った後に、更に笑顔を輝かせた。

「最近になって、パチュリー様に褒められることが多くなったんです。本を置いて私と話して下さったり、新しい仕事や実験のお手伝いなんかもしたりするんですよ!」

「……嬉しそうね」

「えぇ、話したりする度に“私という存在”が認められていく気がして、とっても嬉しいんです。今はお仕事が楽しくて、仕方がないんですよ」

 その言葉には嘘偽りは感じられず、きっと彼女の本心そのものなのだろう。きらきらと輝く笑顔は、それを十二分に表している。今の私にとって、それは本当に眩しすぎる笑顔だった。

 ただし、その笑顔の裏には相応の苦労がある。小悪魔の中では楽しさしか感じていないのだろうが、確実に溜まっている疲労。それが“気”として見える私にとって、居た堪れない気持ちにさせられる。……普段はあまり使わないようにしている能力も、こういった場合には使っても文句は言われないだろう。

 気とは、感情と性質が似ている。それに気と感情は個々の中で相互する場合が多い。

 例えば個の喜怒哀楽と言った感情は、そのまま気の質を変化させる。変化した気は周囲へと流れて辺りの雰囲気を変えて行き、近くの人に干渉、気の変化をもたらした挙げ句に感情をも変化させる。それら一連の流れを遠くから眺めれば、果てしなく広がる波紋であって、しかしどこか一点へと集まれば、須臾に消え去る儚い流れでもある。

 楽しそうに自らの主を語る小悪魔の張り詰めた気を、本人にはわからないように少しずつ溶かす。揺れる水面を静めるかのように、私の感情を同調させて、彼女の感情を徐々に徐々に打ち消していく。

 余程の疲れを溜めていたのだろう、効果はすぐに現れ始めた。身振り手振り話していた彼女は机に肘を付くようになり、私に向いていた視線も、虚空をただ眺めるように、ぼんやりと虚ろとなった。それから幾許かもしない内に半ば瞼が降りたかと思えば、うつらうつらとした様子で舟を漕ぎ、それからすぐに腕を枕に机へ伏して、安らかな寝息を立て始める。腕の隙間から僅かに見える寝顔は、どこか満足げな、幸せそうな表情だった。

「…………また、盗み聞きですか?」

「どちらかと言えば盗み見かしら」

「何も盗まずとも、堂々といらっしゃれば良いのに」

「そんなのは私らしくないわ。本は誰かの手に取られるまでは、ただひっそりと佇んでいるものよ」

 対面にある座布団付きの椅子に腰掛けたパチュリーは、柔らかな笑みを浮かべながら小悪魔を覗き見た。愛でるようなその目つきは、私の知る彼女のそれとは少しばかり異なっている。

「私の小悪魔にちょっかいを出さないで頂けるかしら」

「特に私が何をした訳でもありませんが?」

「あら、そう? それなら良いけれども。……この子、最近は働き詰めだから、偶にはこんなゆっくりする日があってもいいのかもね」

「パチュリー様を語る小悪魔さん、とっても嬉しそうでしたよ。眩しい笑顔を振りまきながら」

「眩しい……ね。確かに、この子の笑顔からは元気が貰えるわ。もう少しは、労ってあげないとね」

 “寝室まで運んでくるから”と、パチュリーは席を立った。そして僅かに口を開いて術を詠唱したかと思えば、小悪魔は柔らかな光に包まれて浮き上がる。それに手を添えるようにして、二人は奥に見える扉へと入っていく。

 そこには、しっかりとした主と従者の姿があった。ただ見つめることだけしか出来ないその光景が、何とも微笑ましく、それでいて私を鬱にさせる。そんな関係性は私から無くなって久しく、それに羨望が湧かない訳ではない。……らしくもなく、嫉妬をしているのだ。

 そんな自分が嫌だった。昔のことに振り回され、他人を見ては羨ましがる。最早仕方のないことなのに、早々に諦めていたはずなのに、それでもどこかに期待をしている自分。

 その欲が過去に満たされていたからこそ、私は今まで生かされた。しかし現在はその欲から切り離され、渇望するも私だけではどうすることも出来ない。考える程に、まるで昔々に袋小路へと誘われていたような気がして、ならない。

 思惟だけが、勝手に先行していく。

「待たせたわね」

「……それで、ご用件はなんですか? 一応私は、ここに立ち入ってはならないことになっているんですが」

「あぁ、レミィがそんな禁則を作ってたりしたかしら。妹様から貴方を引き剥がす為に」

「フラン……。妹様は関係ありません。私の不祥事です」

「妹様も災難よね。折角仲良くなった」

「用事が無いのでしたら! ……帰っても、宜しいですか?」

 私の怒声にも似た質問は、図書館に静寂と緊迫をもたらした。それに呼応するように、辺りに流れる気は崩れるように重たくなる。

 しかしそれにはびくともせず、パチュリーは一息ほど吐いてから言葉を繋げた。

「ごめんなさい。久しぶりに貴方を見ると、ついつい我慢が出来なくて。……そうよね。貴方とレミィの問題は、誰よりも貴方自身が一番考えているでしょうから」

「……」

「何故貴方をこの図書館に呼んだのか。確かに貴方に聞きたいことは山ほどある。ただしそれは、先の咲夜の部屋で粗方聞いたわ。そして今回私が聞きたいのは、レミィの話」

「お嬢様の……ですか」

「そう、レミィの。ここは私の本拠。対吸血鬼対策は万全だわ。私が許可をしない限り、レミィは絶対にこの場所に入ることは出来ない。だから安全を期して、貴方にはここまで来て貰ったの」

 何の準備すらせずに、ただ闇雲に魔女の本拠に乗り込むのは、往々にして無謀である。計算された彼女らの領域で戦うことはすなわち、自殺行為に等しい。特にお嬢様は吸血鬼である。力こそ強いものの弱点の多さ故、属性魔法を扱うパチュリーとはすこぶる相性が悪いことだろう。パチュリーもそれを理解しているからか、大した自信の持ちようである。

「それで、その私にとって禁止区域の安全地帯で、何を話そうと言うんです?」

「まぁそうかっかとしないの。これは貴方に関係する話なんだから」

 パチュリーは場を仕切り直すように咳払いをすると、私を見据えながら口を開いた。

「……貴方は、咲夜が死んだ時にレミィはどうなってしまうと思う?」

 瞬時、息が詰まった。勿論、急な話の展開だったということもある。しかし何よりも、今まであまり考えないようにしていたことだけに、自然と身体が拒絶したのかもしれない。

「……咲夜さんが死ぬとはまた、唐突な話ですね」

「さして唐突でもないわ。彼女は人間。恐らく今から還暦を数えることもなく彼女は死ぬ。仮に数えられたところで、その頃には確定で老いているのだから、今のような生活は絶対に送れない」

 ……そう、彼女は人間。この館で唯一の人間。何百年、何千年を生きる存在とは違い、百年足らずを代替わりで生きる存在である。どう足掻こうとも咲夜さんという存在は、パチュリーの言う通り、長くとも六十年程度で限りなく終焉へと近付く。それは人間であれば、どうあろうとも避けられない現実だ。そしてその六十年とは、私たちにとってほんの一握りにも満たない時間でしかない。

「……そうですね。いずれ咲夜さんは死にます。ただ、何故そこでお嬢様が出てくるのです?」

「咲夜が死ぬことで、発生する影響は限りないわ。私たちがこの幻想郷に馴染んだ今、咲夜の死は方々に飛火する。そしてその影響を一番受けるのは、貴方だと思う」

「私……ですか」

「無論、レミィを始めこの館に住まう者は、多かれ少なかれ咲夜に依存している。だけれども、貴方はその自身の存在すらも咲夜に依存しているような気がするの。だから、咲夜がいなくなった時に貴方が受けるダメージは、計り切れない」

 殆ど会いもしないのにそこまで推し量るとは、呆れを越えて感心すらしてしまう。しかしその言葉は少なからず真意を射抜いており、思わずたじろいでしまった。お決まりの苦笑いも、およそ気休め程度にしかならないことだろう。

 そんな私を後目に、パチュリーは話を続けた。

「ただし、貴方は強い。そもそも心が強いのだろうし、長く生きた経験もある。咲夜が死んでもきっと、自分の中で上手く整理をして、妥協点を見つけるでしょう。……問題はレミィなのよ。どうしようもなく我侭で、高慢。それにまだ若いから、大事な物が壊れる悲しみに、直面したことがない。だから咲夜に対してあそこまで踏み込んだ。引き返せなくなるくらい、咲夜にのめり込んだ。その代償は、そう遠くない未来に返さなければならない。レミィはその時に、果たしてレミィでいられるのかしら」

「……それは私などに聞くよりも、親友であるご自身が一番よくわかっておられるのでは」

 私の言葉にパチュリーは唇を真一文字に結んだ。少しばかり目を細めて私を見つめる姿からは、気の欠片すら感じることは出来ない。ただただ無機質に、私は睨まれている。

「…………きっと、レミィは咲夜を吸血鬼に仕立てるでしょうね。それも、本人が望んでいないことなんてお構いなしに、ね」

「……全く仮定の話ではありますが、そのお嬢様の考え方は間違っています。手法や環境があるにせよ、それを選ぶのは本人です。それも人から妖へ変化すれば生きる時間すらも変わりますから、本人以外の意志でそう易々と変えて良いものではありません」

「その意見は同感だわ。私も捨虫の術を実行する時には、それ相応の覚悟をしたもの。そんな一大事を我侭だけで弄るなんて、言語道断よ。でも、レミィにはきっとそれが理解出来ない。他の感情よりも、咲夜を失いたくないという思念を優先させるはず」

 しっかりと言い切ると、パチュリーは机に手を添えて静かに立ち上がった。そして日頃は猫背気味の背筋をきちんと伸ばしてこちらを凝視しつつ、一度だけ大きく息を吐く。その反動を利用するように、彼女は息を思い切り吸った。

「でも、咲夜のことは私たちがとやかく言える問題ではない。どうなろうとも決めるのは咲夜自身なのだから。そして私はそれを尊重する。それに対して問題なのは貴方の方。仮に咲夜が吸血鬼となってレミィの完全なる僕になれば、二人の関心が再び貴方へ向くとは到底考えられない。逆に、咲夜が死んだとしてもレミィの関心が貴方に戻る確立は低いでしょう。それでも尚、貴方は門に立ち続けるというの?」

「私は…………」

「そう遠くない未来に、何かしらの形でこの館に住む者の関係性は必ず崩壊する。そして今のままいけば、貴方が爪弾きに遭うことは容易に想像出来る。……今から何が出来るのか、少しは考えてみて」

 “私はもう休むから”と言い残すと、パチュリーは踵を返して図書館の奥へと消えていった。

 だだっ広い図書館の中にぽつりと残された私の周囲に、閑寂が立ちこめる。それはまるで確かな形があるかのように重さを持ち、無理矢理に私の頭へと染み込んでくる。どうにか抗いたくとも、全く機能していない頭は抵抗すらせず、空虚感が支配し始めた心は落ち込む一方だった。どうにも、自室に帰る気力すら湧いては来ない。呆けることだけが、今の私に出来る精一杯だった。

 しかし、現は私が休むことを許してはくれないらしい。地下に溜まる滞った空気が瞬時に硬直し、併せて緊張感が館を支配する。

 それは強大な霊気だった。肌を刺すような荒々しい霊気が館を駆けたのだ。

 霊気の主は、招かざる客に違いない。気の質から相当に力の強い者だと推測されるが、おおかた館ないしお嬢様に用があるのだろう。どんな理由で訪ねて来たのかはわからないが、紅魔館の門番としてお出迎えしない訳にはいかない。

 ……先程までは主やらのおかげで無気力となって沈んでいた割に、非常となれば、その主に忠誠を誓った私の身体が勝手に順応していることに気付いて、どこか皮肉であると思った。



 ……今夜は、とても長い夜になりそうだ。


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