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四日

 葉も枯れ落ちてすっかり寂しくなった木々に、しんしんと雪は積もり行く。一つなら埃のような雪でも集まればそれなりの重さになる訳で、それを乗せる枝々は、垂れ下がる度に雪を滑らせる。たわんだ枝が反動で撥ね上がって、僅か遅れて“とさり”と音が響き渡れば、枝は再びこつこつと、雪を蓄え始める。そんな枝を支える幹も例外ではなく、枝の付け根やら窪みやらにはこれでもかという程の雪が盛られ、こちらは風と共にほろほろと、崩れ流れては落ちていた。

 …………寒い。苦ではないが寒い。いや、もしかしたら寒いということが苦なのかもしれない。ただ、妖怪にとってこれしきのことは生命維持に関わりがなく、ただ手足が冷たいから辛い、というのが関の山かもしれないのだが。しかし苦にしても辛さにしても、無いことに越したことはないものだ。何であれ楽を求めるのは、思考あるものの常ではなかろうか。

 ほう、と息を吐けば、白い霞が渺々と浮かんではどこへともなく消えて行く。その様がどこか綺麗で、もう一度見ようと息を吐く度に、不揃いな白い模様が空中に浮かび上がる。寒さも忘れる、もとい忘れられるように、暫くはそれに見入っていた。しかし、段々と強まった風に乗って雪が頬を横殴りするようになっては、流石に寒さも無視は出来ない。震えが止まらず、歯ががちがちとぶつかる音が頭の芯で鳴っている。

 それにも関わらず勤務時間はまだまだ続く訳で、考えれば考える程に憂鬱になってくる。視界は降り頻る雪で真っ白に染まり、空には分厚い暗雲の塊。このままでは、明日辺りには結構な量が降り積もるかもしれない。

 ……寒さが寒さだからか、暖かな食事の風景が脳裏に浮かぶ。今日は理由もなく、和風な食卓だった。湯気を立てる味噌汁と、ほかほかのご飯と、丁度良く焼き目の着いたお魚と、おこうこと。あぁ、何て暖かそう。

「美鈴、涎が凍っているわよ」

「あれ、咲夜さん」

「あなたはよくこんな環境で眠れるわね。……どちらかといえば、こんな環境だから、かしら」

「え、私寝てました?」

 寝たような気はまるで無いが、しかし気付けば膝の上には僅かながらも雪が積もっていて、あからさまに時間の経過が見て取れる。昼寝は珍しいことではないが、寝たことにすら気付かないなんて、どうしてしまったのだろうか。

「こんな日に門番なんて、無理でしょう」

「いえ、とりあえずここに居ることが私の仕事ですので」

「こんな日には誰も来やしないわよ。せめて館内で番をすれば良いのに」

「……えーっと、それは有りなんですか?」

「今日みたいな日に限り、有り」

 有りとは言われても、館内で何を番すれば良いものやら。玄関の中で仁王立ちしておくのか、それとも巡回すれば良いのか。まさか自室で待機するだけでは許されないだろうから、何かしらの仕事を見つける必要がある。それならむしろ何も考えずに門前に立つ方が楽かとも思うが、これは謂わば“上司命令”なのだ。守らない訳にもいかないだろう。

「なら私は館内の巡回でも」

「いえ、今日はあなたに買い出しを手伝って貰いたいの」

「買い出し……ですか」

「今日は色々買わないと行けないし、重たいものも多いし。おまけにこの天候だから」

「それは……私は一向に構いませんが」

「嫌なら別に良いのよ」

「嫌という訳ではないのですが……。一介の門番である私が、果たしてメイド業務を行っても良いものでしょうか」

「…………。もしもお嬢様が許されなくても、メイド長である私が許可するわ」

 咲夜さんはどこか狼狽したかのような気を見せるも、それでも凛として言い切る様は、今までにない気概を感じる。何か思うことでもあるのだろう。

「付いてくるのなら、防寒具を取って来なさい。そんな格好じゃ、見てる方が寒々しいわ」



 時が過ぎても変わらない物が多いことを、人間の里まで来て改めて実感する。里には紅魔館が幻想郷に入った時の二、三度しか来たことは無いのだが、町並みは当時も今も変わらない。建物はそう易々と変わらないと言えばその通りだが、それにしても微塵の変化すら見られなかった。それでも尚違いを強いて見つけ出すならば、綺麗な瓦葺きであった家屋の屋根屋根が、今日は皆一様に白く染まっていることくらいである。

 しかしこの悪天候の中、商いなど営んでいるものだろうか。大通りにも関わらず人影はなく、雨戸を立てている家が全てである。降雪は毎年の事だが、今日のように激しく荒れることは中々珍しい。こんな日は仕事なんて休みにして、炬燵に入りながら湯気の立つお茶を啜るのが定石であろう。いや、定石と言うよりもそれくらいが人間にとっての限界であるに違いない。

 現に、咲夜さんは見るに耐えない程辛そうである。防寒具はこれでもかという程に着込んではいるが、風は僅かな隙間からでも入り込んで、根こそぎ体温を奪っていく。妖怪である私はあまり気にしないが、人間である咲夜さんにとってそれは死活問題であって、私の着ていた防寒具を貸しても尚、震えは止まらないようだった。

 ……寒さに限らず、人間はあまりに脆い。衝撃にも痛みにも、病気や環境の変化に到るまで、全てにおいて脆弱だ。そもそもの寿命ですら短いのに、その生を全うすることですら、難儀である気がしてならない。弱さ故に一人では生きる事すら叶わず、強者に怯え、間引かれ。それでも数と協調を以てして、種としての人間となる。それぞれが独立し、かつ孤高である妖怪とは違って、自らの犠牲をも省みずに物事の潤滑を計り、他人の幸せに喜びを感じる。妖怪からしてみれば、何が楽しくて生きているのかわからない部分も多いのが、人間だと思う。

「……だから、後は私に任せて咲夜さんは引き返せば良かったのに」

「これは私の仕事なんだから、手伝いは黙ってなさい」

「でもこんな天気じゃあ、お店すら開いてないと思うのですが」

「その時はその時よ。店に押し入れば物はあるわ」

「強ち間違ってはいませんが……間違ってます」

 私の言葉に呆れてか、咲夜さんは溜息でも吐いたらしい。マフラーに覆われた口元から、白い霧が棚引いた。

「それにしてもねぇ。あなたのその耐寒性はおかしいわよ」

「いえ、私は妖怪ですから」

「……お嬢様と妹様は吸血鬼だけれど、最近は暖炉の前から離れようとしないわ」

「…………え?」

「パチュリー様も、冬はお部屋に閉じこもりっきりだし」

「あのお方は年中閉じこもりでは……」

「偶に来る妖怪のお客だって、冬は寒いと言っているわ。あの胡散臭い妖怪も、冬には寝入ると言うし」

 押し黙って暫し考えてはみたが、言われて見れば冬には妖怪も厚着をするものだ。紅魔館にも暖炉はあるし、そもそも雪の降る中では皆消極的である。元気なのは氷精と雪女くらいのもので、何よりも私自身が、寒いかどうかを問われれば間違いなく寒いと答える。やはり、冬は寒いのだ。

「……何だか、寒くなってきたような気がします」

「それが当たり前なのよ」

 彼女の口元からまたしても、白い霧が棚引いた。


 思った通り、店という店は戸を締め切って寒さを凌いでいる。戸を叩こうとも気付かないのか居留守なのか、返事が返って来ることはまるでない。大雪の中で風が鳴きじゃくる里は、さながら廃墟のようだった。

 しかし、店が開いていないのならば仕方がない。手ぶらで帰るのは骨折り損ではあるが、他人の都合に合わせる他はないだろう。咲夜さんも押し入ることだけはどうやら諦めてくれたようで、ぶつくさ呟きながらも踵を返すと、来た道をなぞり始めた。

 僅かばかり残っている私たちだけの足跡を、真新しい足跡が塗り替えていく。ただそれも一時のことであって、乾いた雪はその跡を鮮明には残さない。靴の形のような窪みとなったそれには、降り頻る雪が風に流され埋め合わされて、ぼんやりとしたへこみへと変わっていく。帰り道を辿れば辿る程に、行きに付けた足跡は儚いものと変わり果て、ついには未踏のようなまっさらな雪原へと姿を戻していた。

 紅魔館まではまだまだ遠い。日頃でも途中に一服しようかと思ってしまう距離なのに、この天候では休憩どころか座ることすらままならない。それに歩いているからこそ体温を保っているのであって、止まってしまえば寒さで動けなくなることも、容易に想像出来る。

「……懐かしいわね」

「何がですか?」

「まだ幻想郷に入る前に、一度だけ、こんな天気の中あなたと歩いたことがあるじゃない」

「あぁ、咲夜さんが紅魔館に来てすぐの頃ですね」

「そう。右も左も解らない私に、あなたが仕事を教えてくれていた時。今日みたいに、買い出しに行った時だった」


 ……初めて咲夜さんと会ったのは、十六夜の月が皓々と屋敷を照らす夜だった。まだあどけなさを残す銀髪の少女が、お嬢様に連れられて私の元へとやってきたのだ。

「まだ小さい私には重すぎる荷物と吹雪とで、往生してた」

「そりゃ、あの頃の咲夜さんは背丈も私の半分程度しかありませんでしたし、無理もないですが……」

 “この子に全ての業務を教えなさい”

 失礼ながら、十にも満たない彼女のことを食料もしくは妹様の遊び道具だと思っていた私にとって、お嬢様のその言葉はあまりに衝撃的だった。

「あの時は、美鈴が私を負ぶって紅魔館まで帰ったんだったっけ?」

「あの吹雪の中で寝ようとする人を、放ることは出来ないでしょう」

「それもそうなんだけどね」

 今日三度目の溜息が、変わらず白い霞となる。

「…………あの時みたいに、負ぶってあげましょうか?」

 ナイフでも飛んでくるかもしれないと覚悟して言った一言だったが、思いの外、返事すらない。ただ、防寒具の隙間から僅かに見える彼女の目が、微笑むように少しばかり優しくなったことが、肯定の意を示しているようにも思える。

 どうにでもなれと、負ぶりやすいように立ち止まって膝を落とし、姿勢を屈めた。置いて行かれるかナイフが飛んでくるか、どちらもあまり好ましくないと思っていた矢先、肩に手が置かれ背中に圧迫を覚え、終いにはまるでしがみつくように、首に腕が回された。先程までは棚引いて消えるだけだった吐息が、今は呼吸にかかる音として、耳元で微かに鳴っている。

 一息の間を空けて、屈めていた膝を伸ばして彼女の足を小脇に抱えた。バランスを取る為に負ぶり直せば、やがて密着した服越しにゆっくりと、彼女の暖かさが感じられる。

「…………私は今、メイドの仕事をしているわ」

 過去に彼女を背負った経験を思い出し、人の成長が如何に速いかを考えていたものの、不意に背中から響いた声にぴくりと身体が反応する。

「私が来る前は、あなたが私の仕事をしていた。私が来たから、あなたは門前へと追いやられた」

「いえ、私は門番という仕事を仰せつかっているだけです。それは咲夜さんが考えすぎているだけですよ」

 押し黙る彼女の腕が、私の肩をぎゅっと締める。

「いつもの咲夜さんらしくないですね。ほら、門番が戯言を言ってますから、叱って下さいな」

「美鈴……」

 彼女が私の名を呟いてから、紅魔館に着くまでの間に言葉が交わされることは、無かった。


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