午前2時――管理都市の中枢においては、26時という隠語がふさわしい。
重苦しい沈黙がレジスタンスの隠れ家を支配していた。
湿ったコンクリートの壁に囲まれた地下通路で、俺は新調された耐熱繊維のスーツの感触を確かめていた。
右腕のアザは、皮膚の下で蠢く溶岩のように、絶えず不規則な熱を放っている。
それは単なる高温ではない。
現実という強固な壁を無理やり押し退ける際に生じる、世界の軋みそのものだった。
「準備はいいか、ハルト。……その、腕の出力はどうだ」
リュウが愛用の大型拳銃のボルトを引き、装填された電磁加速弾の鈍い輝きを確認する。
彼の装備には、剣のような旧時代的な刃物は一切ない。
徹底して実用的な火器と、電子戦用のジャミングデバイスで固められている。
「……ああ。熱いが、暴走はしてない。このエネルギーを外に逃がせば、例のダクトも通れるはずだ」
俺は網膜投影された、赤黒く表示された熱源マップを見つめた。
機械管理都市の心臓部『アルキメデス』。
その地下から排出される廃熱は、通常の物質であれば数秒で灰に変える地獄の業火だ。
『ハルト、リュウ、応答して。システムへの侵入経路は確保したわ。……でも、猶予は一瞬よ』
通信機から漏れるエレナの声は、祈りを押し殺したような冷徹さを保っていた。
『第4排熱ダクトの緊急排気弁を、制御ミスを装って三分だけ開放する。その間に、ハルトの力で熱を『変換して突き進んで。……いい? 位相変換の出力が一目盛りでも狂えば、二人とも分子レベルで蒸発するわ』
「了解だ、エレナ。……親父さんに、お前の元気な顔を見せてやるさ」
リュウが短く答え、俺たちは闇に沈んだ連絡通路を全速力で駆け抜けた。
下水道のさらに深層、旧文明の巨大配管が剥き出しになったエリアに、そのゲートはあった。
重厚な電子音とともに巨大な防壁が開き、内側から目も眩むような白熱の陽炎が噴き出す。
空気そのものが発火しているかのような、圧倒的な物理的暴力の塊。
「ハルト、今だ! 位相を『上書き』しろ!」
リュウの叫びに合わせ、俺は右腕を前に突き出した。
アザが眩い真紅に発光し、周囲の空間が水面のように激しく波打ち始める。
俺の右腕が行っているのは、飛来する超高温の熱粒子を真っ向から物理的に『上書き』し、無害な運動エネルギーへと強制変換する荒業だ。
視界が歪み、現実感が剥落していく。
脳の奥が沸騰するような負荷が掛かり、耳元で金属が軋むような幻聴が響く。
「行ける……! リュウ、離れるな!」
俺たちは炎のトンネルの中を、血走った目を見開きながら進んだ。
耐熱スーツが悲鳴を上げ、グローブの表面が炭化し始める。
腕の感覚はすでに消失し、代わりに骨を直接ヤスリで削られるような激痛が全身を駆け巡る。
周囲の金属壁が飴のように溶け落ちる中、俺たちが踏みしめる床だけが、俺の物理干渉によって辛うじてその次元を維持していた。
死の回廊を抜けて、ようやく天井の緊急ハッチに辿り着いた瞬間、背後で空間が爆発したような衝撃音が轟いた。
三分経過。
排熱の圧力が再上昇し、通り道は白熱するプラズマに埋め尽くされた。
リュウが渾身の力でハッチを蹴り開け、俺たちは冷たいセラミックの床へと転がり落ちた。
「……はぁ、はぁ、……死ぬかと思ったぜ。文字通り、寿命が縮んだ」
「……ああ。腕の中で核融合でも起きてる気分だ」
そこは、地上の喧騒から隔絶された、アルキメデスの最深部だった。
極限まで効率を追求された、美しくも残酷な無機質の極致。
空気は無菌状態に保たれ、微かな生活音すら存在を許されない。
『二人とも、無事ね? 今、管理AIにダミーデータを流して注意を逸らしているわ。……でも、10分で防衛システムが自己修復を完了するから。それまでに、父さんのいる中央実験室を制圧して!』
エレナの指示に従い、リュウが音もなく前進を開始する。
彼の身のこなしはプロの工作員そのものだ。
死角を一瞬で潰し、熱感知センサーの網を紙一重で潜り抜ける。
だが、実験棟への最終隔壁の前で、ついに最上位の防衛端末が起動した。
鏡面仕上げの装甲を持ち、電磁パルスで空間を制圧する、|自律型殺戮兵器《じりつがたさつりくへいき『センチネル』
「ハルト、ここは俺が引き受ける! 予備弾倉を使い切る前に、博士をみつけ出せ!」
「リュウ! ……無茶はするなよ!」
「誰に言ってやがる。俺は生き残ることに関しては天才的なんだよ! ……行け!」
リュウが遮蔽物から身を乗り出し、電磁パルス銃を連射する。
青白い閃光がセンチネルのセンサーを焼き、一時的な機能不全を引き起こす。
俺は唇を血が滲むほど噛み締め、閉ざされた重厚な隔壁に拳を叩きつけた。
「……退けと言っているんだ!」
腕の出力を最大に解放する。
数10トンの質量を誇る扉が、熱に浮かされたようにドロドロと融解し、無残にねじ曲がって床へと流れ落ちた。
その先には、青白い光ファイバーが血管のように張り巡らされた、異様な光景が広がっていた。
中央のメインコンソールに無数の電極で繋がれ、魂を削り取られるようにキーボードを叩き続けていた一人の男が、背後の轟音にゆっくりと顔を上げた。
「……誰だ? 監査官か? ……私はもう、これ以上の計算はできん。脳細胞が、死んでいくのが分かるんだ……」
男の顔は、生気を吸い取られた石膏像のように蒼白だった。
だが、その瞳の奥に宿る、狂気と隣り合わせの純粋な知性だけは、エレナのそれと全く同じものだった。
「カザマ博士……ですね。迎えに来ました。エレナが、あなたを待っています」
「……エレナ? 私の……娘が? ……ああ、そうか。彼女は逃げ延びたんだな。良かった……本当に……」
博士の掠れた声に、氷解するような安堵が混ざる。
「帰りましょう、博士。こんな命を燃料にするような場所は、あなたにふさわしくない」
博士は震える手で、端末に繋がれ強固にプロテクトされた一つの石板とも石の塊ともとれる黒いそれを引き抜いた。
「博士!早くこっちへ!!」
リュウが手をのばす。
だが、その手を取る直前だった。
天井の暗闇から鋼鉄のワイヤーが無数に振り下ろされ、博士の細い身体を強引に絡め取った。
「なっ……!? しまっ――」
ワイヤーを操る数体の機械兵が、博士を実験室の奥へと引きずっていく。
その混乱の最中、博士の手からあの黒い石板が零れ落ち、乾いた音を立ててセラミックの床を転がりハルトの足元で止まる。
石板を目掛けて数十体の機械兵が襲いくる!
俺は反射的に灼熱に焼かれる右腕を伸ばし、必死の思いでその石板を掴み上げた。
その瞬間だった。
俺の指先が触れた刹那、石板の表面に無数の亀裂が走り、ガラスのように砕け散ったのだ。
「……なんだ、これは」
破片の中から現れたのは、心臓の鼓動のように明滅する、深紅の結晶体だった。
「ば、馬鹿な……!? あらゆる解析をも拒み、沈黙を守り続けていた石板が、彼の生体波動に共鳴しているというのか!?」
連れ去られようとしていた博士が目を見開き、追撃の手を緩めた機械兵たちまでもが、その未知のエネルギーに計算を狂わせたように硬直する。
温かい。
右腕のアザが焼き切れるような熱とは違う。
まるで失なわれていた俺の半分が、そこに在ると言わんばかりの魂の共鳴。
『――私を胸に当てろ。そして、「覚醒ブレイバー」と叫べ!』
直接、脳内に響く凛とした謎の声。
迷いはなかった。
俺はそいつを鷲掴みにし、自らの胸の前へと押し当てて叫んだ。
「覚醒――ブレイバー!!」
俺の絶叫に応え、そいつから溢れ出した真紅の閃光が全身を包み込む。
粒子となったエネルギーが肉体を再構築し、鈍い光沢を放つ赤い武装スーツのメタルヒーローへと姿を変貌させていく。
その刹那、俺を苛んでいた右腕の暴走はピタリと収まった。
あふれ返っていたエネルギーはすべて、スーツの動力へと変換され、完璧な制御下に置かれている。
「これが……真の力……」
手を握り込めば、爆発的なパワーがみなぎるのを感じる。
俺は地を蹴り、一瞬で博士を捕らえていたワイヤーを素手で引きちぎった。
「博士、しっかり! ここは俺が守り抜きます!」
驚愕に震える博士を抱え、俺は迫り来る機械兵の群れを、一撃の下に粉砕した。
無敵のパワーを得た俺に、もはや迷いはない。
リュウと合流し、迫り来る追撃を薙ぎ払いながら、俺たちは爆煙の中を突き進む。
そして、ついに鉄壁の防衛網を突破し、朝焼けの光が差し込むレジスタンスの本部へと無事に帰還を果たしたのだ。
(第 8話に続く)