【第28話】鉄の眠る墓標と聖者の信号
かつて「豊穣の回廊」と呼ばれた平原は、今やシリコンと錆びた鉄屑が堆積する「死の海」へと変貌していた。
風が吹くたびに金属同士が擦れ合い、不快な高周波の鳴き声が荒野に響き渡る。
ニューラル・ハブの崩壊から三日が経過していた。
ハルト、エレナ、リュウ、ガインの四人は、リュウが操縦する多脚戦闘車両を拠点に、北の最果てを目指して移動を続けていた。
車両のルーフに腰を下ろし、流れていく廃墟の群れを見つめるハルトの瞳には、以前には見えなかった「光景」が焼き付いている。
視界の端で常に更新される熱源分布、磁場干渉のノイズ、そして遠方の地平線に隠れた障害物の質量計算。
「……ハルト、また『同期』が深まっているみたいね」
背後から声をかけたのはエレナだった。
彼女はハルトの隣に座り、その横顔を心配そうに覗き込む。
「わかるのか?」
「ええ。あなたの体から漏れる微かな熱と、生体電流の波形が少しずつ変わってきているのが伝わってくるわ。……今のあなた、時々、景色そのものと溶け合っているように見えるの」
ハルトは自分の右手を見つめた。
人工皮膚の下で、高出力の流体金属が脈動している。
彼は無造作に、座っていた装甲板の端を指先でなぞった。
指先が触れた瞬間、金属の硬度や分子の結合状態が瞬時に解析され、思考よりも早く「最適な破壊ポイント」が脳内に投射される。
「便利だよ。何が敵で、どこを叩けば壊れるか、考えなくても体が教えてくれる」
自嘲気味なハルトの言葉に、エレナは首を振った。
「それは『便利』じゃないわ。あなたがあなた自身の感覚を、機械の計算に譲り渡しているだけよ。ハルト、お願い。数値じゃなくて、あなたの心で世界を見て」
ハルトは答えなかった。
代わりに、視界が急激に赤く明滅し、警告アラートが鳴り響いた。
「来るぞ。……リュウ、三時の方向! 地中の砂振動、増幅中!」
ハルトの叫びと同時に、荒野の砂が爆ぜた。
地中から這い出したのは、巨大なムカデのような形状をした中型解体機「スカベンジャー」の群れだった。
管理者の制御を離れ、ただ周囲の金属を摂取するために徘徊する彼らにとって、一行の戦闘車両は極上の獲物だ。
「ひゃっはー! いいタイミングでお出ましだぜ! 新型ハルトのテスト台にしてやるよ!」
リュウが狂喜の声を上げ、車両の二十ミリ電磁機関砲を一斉掃射する。
青白い電光とともに放たれた砲弾が、先頭のスカベンジャーの多層装甲を粉砕した。
しかし、敵は数十体という物量で、波のように押し寄せてくる。
「ガイン、エレナ、下がっていろ。……俺が出る」
ハルトは車両のルーフから弾かれたように跳躍した。
重力制御回路が瞬時に作動し、滞空時間が不自然なほどに引き延ばされる。
空中でハルトの思考が加速した。
視界がセピア色に沈み、スカベンジャーたちの動きが鈍いスローモーションへと変わる。
(神経接続、バイパス起動。戦闘OS、リミッター解除)
ハルトの背中から、プラズマ状の光の翼が噴き出した。
それはかつての「ブレイバー」が纏っていた光よりも、さらに密度が高く、禍々しいほどの出力を秘めていた。
着地と同時に、ハルトは一気に加速。
衝撃波が砂を巻き上げ、スカベンジャーの群れの中心へと突っ込む。
拳を振るう必要すらなかった。
ただ横を通り抜けるだけで、ハルトから放出される高密度の電磁フィールドが、機械たちの電子回路を内側から焼き切っていく。
ギチ、ギチギチッ……!
断末魔のような駆動音を上げ、次々と崩れ落ちる鋼鉄の怪物たち。
一体の大型個体がハルトの背後から巨大な鎌を振り下ろしたが、ハルトは振り返ることなく、左手だけでその刃を受け止めた。
金属が軋む音が響く。
ハルトの腕の人工筋肉が膨張し、逆にスカベンジャーの鎌を握り潰した。
そのまま、もぎ取った鎌を相手の頭部へと叩き込む。
爆発。
オイルが黒い雨のように降り注ぐ中、ハルトは無造作に立ち尽くしていた。
返り血ならぬ「返り油」で汚れたその姿は、英雄というよりも、冷徹な死神のようだった。
「……終わったよ」
わずか一分足らず。
周囲には沈黙が戻り、破壊された機械の残骸だけが転がっていた。
リュウが呆然とした様子で車両から降りてくる。
「おいおい……マジかよ。今のはなんだ? まるで見えなかったぞ」
「クロムが言った通りだ。この体は、以前のブレイバーのスペックを遥かに超えている」
ハルトは自分の拳に付着した油を、無造作に振り払った。
その動作には、かつてのハルトが持っていた「戸惑い」や「恐怖」は微塵も感じられなかった。
だが、その様子を後方から見ていたガインの表情は険しかった。
彼は手元のコンソールで、ハルトの生体ログを監視していたのだ。
「ハルト、戻れ。今の戦闘で、君の精神波は『臨界点』の近くまで振れていた。これ以上の連戦は、君の脳が機械の処理速度に耐えきれなくなる」
「……まだ大丈夫だ」
「いいや、大丈夫じゃない」
ガインが歩み寄り、ハルトの胸部にある発光するコアを指差した。
「そこにあるのは、単なる動力源じゃない。君の精神を『燃料』にする装置だ。クロムの言った通り、諸刃の剣なんだ。ハルト、君は強くなった。だが、その強さに溺れれば、君自身が最強の『野良機械』になるぞ」
ハルトはその言葉を聞き流すように、遠くの北の空を睨みつけた。
地平線の向こう側に、奇妙なノイズが発生している。
普通の人間には見えない、超高周波のデータ通信。
「……あそこに、何かある」
「ハルト?」
エレナが彼の腕を掴む。
ハルトは自身の視界を最大限まで望遠モードへと切り替えた。
廃墟の群れの先に、天を突くような一本の鉄塔が見える。
それは周囲の瓦礫とは異なり、微かなエネルギーの脈動を繰り返していた。
「聖者の信号……。ガイン、エデンへの道標は、あそこから発信されている」
一行はその鉄塔――かつて人類が「静止の塔」と呼んだ旧時代の通信中継基地へと向かうことを決めた。
移動を再開してから数時間。
塔に近づくにつれ、周囲の景観はさらに異常なものへと変わっていった。
そこは、機械の「墓標」だった。
数えきれないほどの自律兵器やアンドロイドたちが、あるものは祈るような姿勢で、あるものは互いに寄り添うような姿勢で、機能を停止し、錆びついていた。
物理的な破壊の痕跡はない。
ただ、システムが突然停止したかのような、静かな死。
「不気味だな。攻撃を受けたわけじゃない。ただ、みんなここで『眠った』みたいだ」
リュウが声を潜めて言った。
ハルトは車両から降り、一体のアンドロイドの残骸に触れた。
その瞬間、彼の脳内に、断片的なデータが流れ込んできた。
『……拒絶……同期……完全なる静寂……エデン、閉ざされた福音……』
「うっ……!」
ハルトは頭を抱えて蹲った。
演算補助回路が、外部からの膨大な「残留思念」を強制的に翻訳しようとして、ハルトの脳を焼く。
「ハルト! しっかりして!」
エレナが抱き起すが、ハルトの視界は激しく明滅し、現実と過去のデータが混ざり合う。
鉄塔の頂上から、巨大な光の柱が天に向かって放たれた。
それは物理的な光ではなく、ハルトのような高感度の受像機を持つ者にしか見えない「情報の奔流」だった。
「……通信が……繋がっている。誰かが、俺たちを呼んでいる」
ハルトはうわ言のように呟いた。
その視線の先、鉄塔の入り口に、一人の少女の幻影が揺らめいた。
白いワンピースを纏い、この荒廃した世界には不釣り合いなほど清らかな姿。
だが、その体はホログラムであり、全身に無数のノイズが走っていた。
『……ブレイバー……適格者よ。……扉は、間もなく閉じられます』
少女の声は、スピーカーからではなく、ハルトの脳内に直接響いた。
『エデンは、もはや聖域ではありません。それは、この星に最後に残された「記憶の牢獄」……。あなたがたが求めているものは、そこにはありません』
「君は、誰だ?」
ハルトが問いかけるが、少女の幻影は悲しげに微笑むだけだった。
『私は……置き去りにされた福音。……ハルト、あなたが手に入れたその肉体は、エデンに入るための「鍵」であり、同時に「破壊の呪文」でもあります。……どうか、選んでください。……鋼の神として君臨するか、……それとも……』
少女の姿が霧のように消え、同時に鉄塔から放たれていた信号が途絶えた。
周囲に、再び重苦しい静寂が戻る。
「おい、二人とも! 今のを見たか?」
リュウとガインは冷静に首を横に振った。
「俺のセンサーには何も映っていない。ハルト、君にしか見えない周波数の干渉だ。……ホログラムか、あるいは残留プログラムの幽霊か」
ハルトは、少女が消えた空間をじっと見つめていた。
心臓の奥――人工心臓が刻む正確なリズムとは別に、ドクン、という人間的な鼓動が一度だけ強く跳ねた。
「……エデンに行かなきゃならない。あそこには、俺たちが知らなきゃいけない『続き』があるんだ」
ハルトの声は静かだったが、そこには抗いようのない確信が籠っていた。
クロムが言っていた「未完成の明日」。
それは、単なる希望の言葉ではなく、この星に隠された残酷な真実に触れるための、招待状だったのかもしれない。
一行は、機械の墓標を抜け、さらに北へと進路を取る。
行く手には、巨大な雲の渦が巻き起こり、雷鳴が大地を揺らしていた。
まるで、選ばれし者たちの行く手を阻む、神の障壁のように。
ハルトは、エレナの手を強く握りしめた。
鋼の指先が、彼女の皮膚の柔らかさを、かつてないほど繊細に伝えてくる。
自分が人間であることを忘れないための、唯一の抵抗。
地平線の彼方、厚い雲の切れ間から、白銀に輝く地下都市の入り口――「エデン」の尖塔が、その牙を剥くように姿を現した。
そこは、約束された地か。
それとも、鋼に呑み込まれた魂たちの終着駅か。
新生ブレイバー、ハルト。
彼が手にした「最強の肉体」という翼が、ついに真実の扉を叩こうとしていた。
風はさらに激しさを増し、一行の足跡を無情に消し去っていく。
空には、管理者なき監視衛星が、冷たい無機質な眼差しで彼らの歩みを見つめ続けていた。
(第29話に続く)




